麗 老
れいろう?
こういう時は、検索、検索・・・
相田みつを氏のモノでありました。(@_@)
「一生感動一生青春」を人生の旗印として生きた相田みつをは、
平成3(1991)年12月に67歳で急逝しました。
書家として詩人としてこれからが円熟期という年齢でした。
その短い晩年を代表する作品が「麗老」です。
文字通り、麗しく老いるという意味の「麗老」は、
相田みつをの造語で、亡くなる直前に集中的に書かれました。
生涯の最後を飾るこの言葉には、どのような思いが込められていたのでしょうか?
以下 相田一人氏の言葉です。
第1811回「麗老」
私の父、相田みつをが晩年さかんに書いていたのが「麗老」という言葉です。
大正13年に生まれ、平成3年に67歳で突然亡くなった父ですが、
自分の書はまだまだこれからだといつも話していました。
「麗老」はどの辞書にもない、父の造語です。
そしてその背景には、ある作品が浮かんできます。
「一生勉強 一生青春」という作品です。
これは父の座右の銘のようでした。
私から見ると、父はこの言葉の旗を振り続けながら67歳の生涯を駆け抜けていったように感じます。
「年をとると、心も体も硬くなる。でも精神だけは若くありたい」と言っていました。
ある時、父は、アトリエの庭に生えているたけのこの長さを物差しで測り、
早いものは一日で60センチも伸びることを知りました。
そのことを詩に書いていますが、そこには「たけのこが伸びるのはやわらかいから 固くなると伸びが止まります」「やわらかい心を持ちましょう 若竹のような」という一節があります。
これが「一生勉強 一生青春」につながったと思います。
父が「麗老」という言葉に出会うまでには長い時間がかかっています。
30代のころの作品に、
「毎日毎日の足跡がおのずから人生の答えを出す きれいな足跡にはきれいな水がたまる」というのがあります。
また同じような作品に「そのうちそのうちべんかいしながら日がくれる」とうのもありますが、
どちらもちょっと怖いですね。
父は30代のころから「老い」ということを考えていたのです。
父の作品の大きな特徴は、人間の弱さを認めていた点にあると思います。
「むりをしないでなまけない わたしは弱い人間だから」という作品にそれが表れています。
「麗老」という言葉は、父がある時尊敬する故郷の女性医師と会い、
70歳を超えているその人の後ろ姿に凛とした気高さを見て浮かんだ言葉だといいます。
日本は高齢化社会になり、これからますます「麗老」の人達が増えてきます。
この時代に、父の言葉がより多くの人に読まれるといいなと思っています。
麗老・・・
私自身も・・・
深い言葉ですね。