たった気がする。
絶対的な時間の長さなんて、本とのところないのでは
ないだろうか。そんなことを考える。
「時間」「時」への意識が強いのはなぜだろう。
一生を終えて死を待ちわびるでもなし、未来に期待が
あるわけでなし、目の前のことをなぎ倒すためだけに
しか「今」がないと思っているのに、振り返った時
視界に入る過去の「時」に対する長短や速い遅いは
気になる。
決まったことを繰り返して過ごすのが、嫌でたまらない。
たまらないはずなのに、繰り返している。
そのしんどさを思うと気が遠くなるのに。
何日もたった気がするのは、時間配分がちょっと変わった
からだろう。刹那のことではあるが。
そんなことが、1日を短くしたり5分を引き延ばしたりする。
そこに普遍の絶対はなく、自分の内側にだけ存在する絶対
があるだけだ。それを知ったことで、現実生活で起こす
些細な行動に思いがけない意味があったりすることにも
気づいた。欠落しているのが常識的普遍的な部分であるから
こそ、平凡さが削ぎ落とされた刺激を受けることができる
のかも知れない。
そしてすぐに今日の継ぎ目がやってくる。
昨日の継ぎ目がやってきたように。
絶対的な時間の長さなんて、本とのところないのでは
ないだろうか。そんなことを考える。
「時間」「時」への意識が強いのはなぜだろう。
一生を終えて死を待ちわびるでもなし、未来に期待が
あるわけでなし、目の前のことをなぎ倒すためだけに
しか「今」がないと思っているのに、振り返った時
視界に入る過去の「時」に対する長短や速い遅いは
気になる。
決まったことを繰り返して過ごすのが、嫌でたまらない。
たまらないはずなのに、繰り返している。
そのしんどさを思うと気が遠くなるのに。
何日もたった気がするのは、時間配分がちょっと変わった
からだろう。刹那のことではあるが。
そんなことが、1日を短くしたり5分を引き延ばしたりする。
そこに普遍の絶対はなく、自分の内側にだけ存在する絶対
があるだけだ。それを知ったことで、現実生活で起こす
些細な行動に思いがけない意味があったりすることにも
気づいた。欠落しているのが常識的普遍的な部分であるから
こそ、平凡さが削ぎ落とされた刺激を受けることができる
のかも知れない。
そしてすぐに今日の継ぎ目がやってくる。
昨日の継ぎ目がやってきたように。