白雲岳避難小屋管理人をされていたH氏が「下界と山を結ぶ情報発信基地を作りたい」との思いで山を下り、層雲峡自然センターを発足させたのが確か1995年の事だったと思います。
発足時は、のちに山情報を担っていくことになる私(P)も相棒のG嬢(笑)も直接関わることはなかったのですが、翌1996年G嬢がスタッフとしてスカウトされるとともに、私も手伝いをさせてもらえることになりました。
この年は結局、助っ人の私にはセンターからの給料と言うものは出ませんでしたし、その後自然センターのメンバーが正式に4名と言うことになっても、事務所からの給料は事務方(PとG)の2人合わせて100日分のみ、他2名は大雪山ツアーの現地ガイドとしてのガイド料で賄うと言う状況でした。
発足当時どのような理念を持って山情報が作られたのか私には詳しくはわかりません。「大雪山に登ろうと言う皆さんに山の状況(情報)をお知らせしよう!」と言う思いはモチロンあれど、新設・層雲峡自然センターのアピールであり、一年一年存続さえ危ぶまれるセンターの生き残りをかけての苦肉の策・手段ではなかったのではないだろうかと、想像しています。
内容としては、日々実際に山を歩いて見てきた情報「雲ノ平のキバナシャクナゲが咲き始めました」とか、「コマクサ平のコマクサが全体的に見頃になってきました」とか、「黒岳山頂下急斜面・滑落注意!」とか・・・コース別(黒岳・お鉢平・旭岳・赤岳・白雲岳・緑岳・五色岳・沼の平・高原沼めぐり・時刻表など)にした地図上に情報を書き込んだ12ページの小冊子で、毎週金曜日シーズン3ヶ月で計15回の発行。
旭岳や沼めぐりなど、現地の旭岳VC、ヒグマ情報センターに紙面をお任せしたとは言え、一人は必ず事務所に詰めてツアーのガイドの手配や、お客様からの電話応対をしつつ、実質二人で作っていくのは、正直大変なことでした。
二人とも元々「山や」でもなく若くもなく、体力的にもきつかったし、内容も初めのうちは「これが情報?!」とも思われる、今見直すとちょっと(かなり)恥ずかしいものもあり、年数を重ねれば次は「マンネリだ」との批判の声も大きくなり・・・
それでも小さな事務所に、だんだんと各関係機関の方々も顔を出してくださるようにもなって、しんどくても大好きな場所で働いていられる、本当に楽しい日々で、この仕事にめぐり合えた私たちは幸運でした。
2000年に「層雲峡ビジターセンター」(以下VC)が開館するとともに自然センターは吸収されてしまいましたが、私だけが新たな相方とともに当初は「山情報作成スタッフ」としてVCに残りました。
自然センター発足時、たぶん手段だった山情報が年数を重ねるつれ、いつのまにかそれ自体が目的となってしまっていました。それが良かったのか悪かったのか、私にはわかりません。
それでも山情報が10年を数える頃には、一つの資料として少しずつでも価値あるものになってきているのではないだろうか?と思えるようになりました。そんな風に言ってくださる方も多くなり、今や続けることがまた次の目標?使命?となっていた矢先の2005年、VC運営上、山情報まで手が回らないとの理由から突然廃止されてしまいました。
山情報を作り続けることは確かにしんどかったです。やめたいと思うことは私にも何度もありました。でも私にはどーーーうしてもやめることは出来ませんでした。それは「私がそうやって生きていたかった」から、「私が山情報に生かされていたかった」から・・・確かにそんな気持ちが一番大きかったかもしれませが、それ以上に「継続することに意義がある」の言葉どおり、私たちの山情報は「続けて積み重ねられるからこそ、こんな些細な情報が輝く価値のあるものになりうる」と信じていたからです。
そしてVCという公の機関がこんな形で情報発信をしているのは、結構すばらしいことなんじゃないか?!と思ってもいました(こんなことをやっていたのは日本でここだけではなかったでしょうか?)が、その想いは周囲には伝わってはいなかったのでしょう。
VCになった当初、準備も整わず予算もかかるとしぶられたのに無理を言って、臨時に上川町役場のHPを間借りすると言う方法で、リアルタイムの山の画像を掲載するようにしました。冊子の山情報が廃止されたら、穴埋めの情報発信に奔走していました。こと山情報に関しては、お客様のためと言って自分のやりたいようにやってきた私の姿勢、「歩いて記録する」のみで精一杯で、それ以上の勉強を怠っていた私の怠慢が、結局山情報を守りきれなかったのかもしれません。
今でも冊子としての山情報を途絶えさせてしまったことは悔やまれてなりません。申し訳ありませんでした。
~イトナンリルゥ~ アイヌ語で「高いところを通る道」と言う意味だそうです。この冬亡くなった恩師がつけてくれた自然センター週間山情報の副題です。VCになってから封印してきたこの名前を今回使わせていただきました。
長い説明になりましたが、山情報ってこういうものでした(あんまり説明になってないかな?)。
今年限り、こうしてブログで一人で頑張ってみたところで、現VCが提供する情報に及ぶとは思えませんが、情報はいくらあってもお客様のためにはなるのだからと、私なりに精一杯、情報と呼べるものを提供していかれたらと思います。
発足時は、のちに山情報を担っていくことになる私(P)も相棒のG嬢(笑)も直接関わることはなかったのですが、翌1996年G嬢がスタッフとしてスカウトされるとともに、私も手伝いをさせてもらえることになりました。
この年は結局、助っ人の私にはセンターからの給料と言うものは出ませんでしたし、その後自然センターのメンバーが正式に4名と言うことになっても、事務所からの給料は事務方(PとG)の2人合わせて100日分のみ、他2名は大雪山ツアーの現地ガイドとしてのガイド料で賄うと言う状況でした。
発足当時どのような理念を持って山情報が作られたのか私には詳しくはわかりません。「大雪山に登ろうと言う皆さんに山の状況(情報)をお知らせしよう!」と言う思いはモチロンあれど、新設・層雲峡自然センターのアピールであり、一年一年存続さえ危ぶまれるセンターの生き残りをかけての苦肉の策・手段ではなかったのではないだろうかと、想像しています。
内容としては、日々実際に山を歩いて見てきた情報「雲ノ平のキバナシャクナゲが咲き始めました」とか、「コマクサ平のコマクサが全体的に見頃になってきました」とか、「黒岳山頂下急斜面・滑落注意!」とか・・・コース別(黒岳・お鉢平・旭岳・赤岳・白雲岳・緑岳・五色岳・沼の平・高原沼めぐり・時刻表など)にした地図上に情報を書き込んだ12ページの小冊子で、毎週金曜日シーズン3ヶ月で計15回の発行。
旭岳や沼めぐりなど、現地の旭岳VC、ヒグマ情報センターに紙面をお任せしたとは言え、一人は必ず事務所に詰めてツアーのガイドの手配や、お客様からの電話応対をしつつ、実質二人で作っていくのは、正直大変なことでした。
二人とも元々「山や」でもなく若くもなく、体力的にもきつかったし、内容も初めのうちは「これが情報?!」とも思われる、今見直すとちょっと(かなり)恥ずかしいものもあり、年数を重ねれば次は「マンネリだ」との批判の声も大きくなり・・・
それでも小さな事務所に、だんだんと各関係機関の方々も顔を出してくださるようにもなって、しんどくても大好きな場所で働いていられる、本当に楽しい日々で、この仕事にめぐり合えた私たちは幸運でした。
2000年に「層雲峡ビジターセンター」(以下VC)が開館するとともに自然センターは吸収されてしまいましたが、私だけが新たな相方とともに当初は「山情報作成スタッフ」としてVCに残りました。
自然センター発足時、たぶん手段だった山情報が年数を重ねるつれ、いつのまにかそれ自体が目的となってしまっていました。それが良かったのか悪かったのか、私にはわかりません。
それでも山情報が10年を数える頃には、一つの資料として少しずつでも価値あるものになってきているのではないだろうか?と思えるようになりました。そんな風に言ってくださる方も多くなり、今や続けることがまた次の目標?使命?となっていた矢先の2005年、VC運営上、山情報まで手が回らないとの理由から突然廃止されてしまいました。
山情報を作り続けることは確かにしんどかったです。やめたいと思うことは私にも何度もありました。でも私にはどーーーうしてもやめることは出来ませんでした。それは「私がそうやって生きていたかった」から、「私が山情報に生かされていたかった」から・・・確かにそんな気持ちが一番大きかったかもしれませが、それ以上に「継続することに意義がある」の言葉どおり、私たちの山情報は「続けて積み重ねられるからこそ、こんな些細な情報が輝く価値のあるものになりうる」と信じていたからです。
そしてVCという公の機関がこんな形で情報発信をしているのは、結構すばらしいことなんじゃないか?!と思ってもいました(こんなことをやっていたのは日本でここだけではなかったでしょうか?)が、その想いは周囲には伝わってはいなかったのでしょう。
VCになった当初、準備も整わず予算もかかるとしぶられたのに無理を言って、臨時に上川町役場のHPを間借りすると言う方法で、リアルタイムの山の画像を掲載するようにしました。冊子の山情報が廃止されたら、穴埋めの情報発信に奔走していました。こと山情報に関しては、お客様のためと言って自分のやりたいようにやってきた私の姿勢、「歩いて記録する」のみで精一杯で、それ以上の勉強を怠っていた私の怠慢が、結局山情報を守りきれなかったのかもしれません。
今でも冊子としての山情報を途絶えさせてしまったことは悔やまれてなりません。申し訳ありませんでした。
~イトナンリルゥ~ アイヌ語で「高いところを通る道」と言う意味だそうです。この冬亡くなった恩師がつけてくれた自然センター週間山情報の副題です。VCになってから封印してきたこの名前を今回使わせていただきました。
長い説明になりましたが、山情報ってこういうものでした(あんまり説明になってないかな?)。
今年限り、こうしてブログで一人で頑張ってみたところで、現VCが提供する情報に及ぶとは思えませんが、情報はいくらあってもお客様のためにはなるのだからと、私なりに精一杯、情報と呼べるものを提供していかれたらと思います。