~イトナンリルゥ~ 層雲峡山便り

2006年限りのはずが何故か続いてしまっています。2024は?
大雪山の開花や紅葉情報・登山道の様子等をお届けします。

いまさらですが、2013年です。

2013-06-24 16:07:29 | ご挨拶

2013年6月24日(月)
朝まで降っていた雨は8時前にはやんで、日中は青空も広がる層雲峡でしたが、また雨が降り始めました。
北海道は不安定な天気が、まだ少し続くのかな?
白雲から下山した時は、今日あたり黒岳に…と思っていたのですが、今年、部屋を3階から2階に移動しなければならなくて、
しばらく自分の部屋は水の使えない状態で、荷解きも出来ず段ボールに囲まれた生活をしていたのでちょっと辛く、
今日やっと水道屋さんが来てくれるというので、部屋の引っ越しを優先させてもらいました。
20往復以上して、半日かけて荷物の移動をし、1/3くらいの荷物を出せたところです。
はぁぁぁぁ生活が落ち着くまで、まだしばらくかかりそうかなぁ…(涙)

今年も前回雇っていただいた会社に出戻りさせていただけたので、欲張ってギリギリまで働かせてもらってました。
社員さんだけでなく「(様々な雇用形態でも)一緒に働く一人一人を大切にしよう」と言う会社なので、
私のような派遣社員にも良くしていただき、しかも、次の仕事の当ても無いまま無職でいるのが不安でしたが、
また戻ることを待っていていただけて…つくづく良い会社に拾ってもらえたなぁと、とてもありがたく、感謝しています。
ただ、良くしていただけてるものだから、欲張ってギリギリまで仕事に行っていた自業自得で、
出発前も到着後も慌ただしく、忘れ物はするわ、山情報は遅れるわ……で、申し訳ない限りでもありますが、
最低限の自分の生活を維持していくには、これ以上、削るわけにはいかないので。。。

体力の低下と、体調への不安と、生活の不安を抱えながらの状態で、
当初自分が目指していたレベルの情報をお届け出来ていない苦悩や、あきらめの中、
「私にはこれしか出来ません…」と、開き直りつつではありますが、今年も続けさせていただきます。
少しでも、自分の理想に近い形の山情報をお届け出来るよう、ちょっぴりは努力して…
8シーズンめ終了まで、怪我の無いように無事に過ごせますように。。。

今年もよろしくお願いします。



2012年です。

2012-06-17 10:51:02 | ご挨拶

2011年は別れの年でした。
震災の被害を受けた方々のことなどを思えば、ほんの少し影響を受けて給料が激減したことや、半分は自業自得で失った人間関係などの些細な私事を嘆くなどおこがましいのだけれど、十数年ぶりに環境が変わったり、辛くても心に深く刻まなければ前には進めないことなどもあり・・・個人的で恐縮ですが、自分自身に大きな変化をもたらす年となりました。
「捨てる神あれば拾う神あり」いくつかの短い仕事を繋ぎながら、ようやく長い期間働ける仕事に就くことが出来、昨年のような切り詰めて切り詰めて心まで擦り切れるような、ギリギリの生活はもうしたくなかったので、出発直前まで働かせてもらいました。
「雪解けが早いので早くおいで」と言う情報に焦りながら、まだ気持ちが山に向ききれていない自分とのちぐはぐさに、例によって不安で一杯ですが、少しずつ少しずつペースを掴んで行けたらと思います。
たった一人で闘っていると思い込んでいたこともあったけれど、いつのまにか沢山の人に支えられ、助けられながら、七年目を迎えました。
今年の目標「この待遇(状況)を愚痴らない。嘆かない。」まぁ、出来るだけ(笑)
遠くで無事を想ってくれている人がいることの暖かさを感じながら。。。
あらためまして、今年もよろしくお願いします。

ただいま


逆風

2009-04-08 22:39:10 | ご挨拶

打ち上げあり、再会あり、お別れあり、始まりあり・・・
いつもとはちょっと違う、宴会続きの北海道から戻ってみると、世の中は派遣切り・リストラの嵐だったけれど、
お蔭様で早々に仕事復帰することはできましたが、
2008年の反省をする余裕もないまま日々の生活に追われていたら、
あっという間に春になってしまいました。
パソコンの調子が悪く、修理を断念したままで、2008年の入山者数もまとめていません。スミマセン。
ちょっと怠慢になってきています。。。

「そろそろこの先はどうするんだ?」と、問われることの多いシーズン(2008)でした。
「石の上にもブログで3年」自分なりの一応の目標は、何とかクリアできたけれど、だったらこの先は???
なんて、結局 全く考えられなかった。

思い起こせば「大雪山の情報発信、山情報を無くしはしない」というような、思い込みと空回りの中、
迷いながら立ち止まりながら、意味も価値も見出せずに、苦しくてたまらない日々もあったけれど、
2008年ようやく気づいたことがありました。
わたしは私の意志(だけ)でここにいるのではなく、山に歩かせてもらえているということ。
大いなる大雪山の時の流れの中で、この山を大切に思う人々の、
大雪山を夢見るその夢の中を、歩かせてもらえているのだと。
「あぁ私は、みんなの夢を歩かせてもらえてるんだなぁ・・・・・」
そう思ったら、なんだか、どうでも良くなってしまっていて。
いろんなことを難しく考えるのがどうでも良くなってしまって。
いつか続けられなくなる時は必ず来るだろう。それまで流されていてもいいかなぁ~

なんて、甘っちょろいことを思っていました。
ホントに甘い。
それは突然にやってくるもので。

その昔。
自然センターで苦境にあった頃、少しでも足しになればと仕事を与えてもらえた。
あれから10余年。ずっと続けてきたその仕事の枠は「私の枠」だと思っていた。
私が辞めると言わなければ、まさか取り上げられることのない自分のもののような気がしていた。
大いなる勘違い。ほんとに甘いね。
まさか2度までも切り捨てられるとは思わなかったなぁ・・・
ここまで来ると、笑ってしまう。

いや、本当は、笑い事ではないのだけれど。
本当に笑い事ではないのだけれど、秤にかければ軽いのは私の方だから、切られるのも仕方がない。
正直、気が抜けた。笑うしかないでしょう。
情けないし、少しは悔しいかもしれない。
情けなくて、少しは哀しいかな?
サミシイ現実です。でもそれはもうどうしようもない。


それでも今は、尽力してくださっている方々に預けよう。
僅かな望みが絶たれる時、それは大雪山が私を要らないと言っていると、思うしかないのかな。
もう私は要らないと、山がそう思うのなら、それまでなのだと思う。

もしも、まだ大雪山にいることが出来るなら、その時はまた「大逆風」の中、踏ん張るしかありません。
とりあえず今は。
とりあえず今シーズンは。

ボンヤリしている間に春になってしまって、東京では、足踏みしていた桜が一気に満開となり、
早くも散り始めています。

桜の季節が来るといつも思うことがある。
「あぁ・・・あと何度この桜を見ることが出来るだろう?」
人生の時間を考えるとき、それが思いのほか短いことを桜が教えてくれる。
桜の季節が過ぎると、すっかり忘れてしまうくせに(笑)
「大雪山で暮らせる私の時間は、あとどのくらいあるのだろう?」
ずっと漠然としていたものが、突然に形を持って迫り来るようです。
そろそろ潮時ってことかなぁ・・・なんてちょっと弱気になる今日この頃。
排除され続けることに、もう疲れてしまったなぁ・・・なんてちょっとブルーになる。
春なのに・・・(笑)

結局は「なるようにしかならない」なんて、お決まりの逃げ口上かもしれないけれど、
今は他に言えることがありません。
どうなってしまうのかな???

                            2009年4月吉日





その日暮らし

2007-12-08 22:22:36 | ご挨拶

『 その日暮らしをいつまでも 続けていたいとは思わない
  強い風 吹き荒れれば 飛んでしまうような暮らしは
  でももう少しだけ こうして暮らしていたい
  あとに何も残らない そんな風の暮らしでも…      』

層雲峡を発った日、山の仲間の集まりがありました。
小雨の中、囲んだ炎を見ていたら、久しぶりに思い出した、大好きな小樽の唄うたいの方の唄です。
(ご本人の了解を得て、引用させていただいております)

旅が小樽にたどり着き、大雪山にたどり着き、
でも、熱い想いで北海道に移住するような方向性は、私にはなく、
生き方は、少し変わっているかもしれないけれど、私はごく普通の人間のまま、
いつか、普通の生活をすることになるはずだと、当たり前に思っていた。
(一口に「普通」と言ってしまうのは語弊があるけれど)
旅は、あくまでも旅であり、友多き北海道は、生涯つかず離れずの懐かしき思い出の地で、
生活は生活で、存在するはずだと。

なのに、未だ普通の生活にはたどり着けず、
それどころか「もうたどり着かないのでは???」と言う状況になりつつあるような気もするけれど…(笑)

久しぶりに人に訊ねられ、自分の人生を説明しつつ、振り返る機会を得た今シーズン。
イロイロなことのタイミングが、いつも少しずつズレていたのかな?と思う。
もしかしたら、失ったものは大きかったかもしれないけれど(VCの仕事とか(笑))
選んで、その時の一番大事なものを、譲れなかったのは自分自身なので仕方ない。
そしてその結果として、今、私は「その日暮らし」を地で行っているらしい。。。

『 いつか たった一人の愛する人が出来た時、
  その人を守り続けたいと思うのは 僕だけではないだろう  』

『その日暮らし』は、いつか「その日暮らし」ではなくなるから、
切なく胸に迫る唄なんだと思う。
「その日暮らし」から抜け出せないとしたら、どうなってしまうだろう?
今シーズン、山を選んだことで、
私は普通の生活に戻る最後のチャンス?を棒に振ってしまったのかもしれません。
このまま「その日暮らし」から抜け出せなくなって、生活に四苦八苦するようになったとしたら
(今でも大変なのに…(笑))
それでも私は幸せだと言えるのか? やっぱり自信はないけれど、
「ジタバタしても どうにもならない。」 もうそんなところまで、来てしまっているのかなぁ
この先、安定を手に入れられるチャンスが、来ないとも限らないけど(望みは薄いけど)
その時にこそ、安定を選ぼうとするのか??? それもまた、きっとタイミング。

今週から 東京の仕事に復帰しています。
これからは今までのように、確実に冬に雇用していただける状況ではなくなってしまいました。
それでも足掛け十年余、働かせていただいただけで、十分感謝です。
いつもの如く、先のことはわからないけれど、
今はせめて 流れのままに生きていられるよう、強くなりたいと願う今日この頃です。
少しでも笑っていられたら、結局 幸せなのかな。

『 あぁ他に何もいらない ただ 今こうしているだけで
  そんな風に思える夜がある そしてそれは今夜だ    』

今シーズンもご覧いただき、応援してくださった方々、お世話になった関係機関の方々、
そして助けてくれる友人達に感謝して……
みなさん、ありがとうございました。
良い年をお迎え下さい。。。

2007年12月吉日



2007年です

2007-06-14 17:39:38 | ご挨拶

これで良かったのか、本当はまだ迷っている。
今更迷っても もう、進む道を変えられるわけではないのだけれど。
少なくとも昨年のように、自分を正当化できた状況でないことは確かかな(笑)
私が裏切り者になってしまったから。

東京で働く人になろうと思った。それしか生きる道は無いと思ったから。
半年以上、無職なんてありえない。もうどうすることも出来るわけがない。
本当にそう思ったから。
事実そうだけど、本来はそうなんだけれど、ぎりぎり、どうにか、まだナントカなりそう?
結局、山を辞める覚悟を、決めることが出来なかった。。。
つくづく親不孝者(笑)

今年北海道に行くと言うことは、
この先の東京での仕事も確かなものではなくなった。と言えるかもしれない。
それでも、行くんだ?
仕事の相手を裏切って、信頼を失って、その傷は自分に跳ね返ってきて、それでも?
余裕のある生活をしているわけではない。身を削ると言ったら大げさに聞こえるだろうか? 
5月は結局、思うようには仕事にも就けず、私にとってはかなり厳しい現実の中、
そうまでして行く意味があるんだろうか?

自己満足であることは、重々承知。
好きなように生きていられて幸せだと思う一方で、自己満足でしかないのか・・・と思うと、ちょっと虚しい。
自己満足で幸せです!とは声を大にしては言えないな(笑)
「そうまでして行く意味」「大雪山に自分が存在する意味」
そんな見返りを求めはじめたら、それこそ意味がないのに、欲が出てしまうんだなぁ。

生活が苦しいので、それを支える理由が欲しくなった(笑)
上司を裏切った心の傷に、言い訳する理由が欲しかった(笑)
ただの自己満足じゃ、あんまりただの我儘なので、理由付けをしたかったのかな?
探しても探しても理由なんて見つからないのに。
それはずっとずっと前から、自分が一番よくわかっているのに。
ただここに居たいだけ、その気持ちだけで生きていくのは、ちょっと苦しい今日この頃かな(笑)

迷いに答えが出たわけではないけれど、
密かな、ささやかな野望となった、石の上にも(ブログで)3年。は、早くも無理かもしれないけれど、
今年も夏が来ました。
私はやっぱり北海道にいます。
あほやなぁ~と言って、どうか応援してください。

迷いのまま、気持ちの切り替えも出来ずに来てしまったので、
仕事がらみの必需品を、イロイロ忘れてしまいました。
本格的に始動できるのは、ちょっと先になりますが(スミマセン)、
今はただ、やれるだけのことを、精一杯やれるように努力します。
今年もよろしくお願いします。

ただいま。


最後に長文です、スミマセン

2006-12-07 09:02:17 | ご挨拶
いよいよ・・・と言うより、ようやくかな?
そろそろ、このブログの最後のメッセージを書かないといけませんね。
12月1日から、冬の仕事にもようやく復帰、「働かざるもの喰うべからず」やっと気持ちもホッとしたところです。
 層雲峡で、山に登るだけの閉ざされた生活をしている間は、切り詰めた生活もなんとか乗り切ることが出来ましたが、戻ってきて、誘惑の多い都会で暮らしながら(笑)、とうとう底を突く状況は、思った以上に辛かった。。。と言うのが今の本音です。
 北海道にいた時は「こんな生活でも、なんとかなるものだなぁ~」なんて思ってしまっていたけれど、やっぱりそんなに甘くはないか・・・・

 千葉に戻ってから今まで、このブログを締めくくるにあたって、「どんな言葉で何を語ればいいのだろう?」と考えあぐねて、そこから逃避する二ヶ月でもありました。
 ブログ開設については、「長い!!!」とお叱りを受けながら(笑)、最初の「ご挨拶」で思うことは書けたと思っているので、また同じ繰り言を言いたくはないし、このシーズンどれだけ友人や、山の仲間に助けられたかは、ブログの中で繰り返し、感謝を語ってしまった気もするし・・・・・

この二ヶ月は、「覚悟する」ということを、考える時間でした。

 サラリーマンをやっていたら、「このプロジェクトは私が作り上げたものなのに、その私がはずされるのか?!」などの、理不尽とも思えることや、個人の実績を評価されないことなど、日常茶飯事なのかもしれません。だから私が今回、結果的に層雲峡ビジターセンターに雇われなかったことは、世間的には、そう大げさなことではないのでしょう。
私には、居場所もなくなり、収入もなくすと言うことで、人生を大きく左右することではあったけれど。
 正直に言えば、山情報を作り続けることは本当に大変で、「もう無理だ」「やめられたらどんなに楽だろう」と、思ったことは数限りなく、「辞める正当な理由があったなら・・・」と思っていたりもしました。
でも最後まで、自分が納得できる「やめる理由」が見つからなかった。
 今回、図らずも辞めなければならなくなった時、「よく頑張ったよ」「今まで(山情報を)続けてくれてありがとう」と、相棒Gが言ってくれました。
もういいよ ――― それは、私がずーっと、誰かに言って欲しいと、密かに思っていた言葉だったはずなのに、その時は悲しくて悲しくて仕方なかった。

 それでも、雇われないと言う道を選択した時、「今シーズンが終わったら、私は大雪山から消えるんだなぁ」「こうなってしまったからには、これからは(私個人を評価してくれた)会社や上司のために、サラリーマン生活を全うしよう。」と思い、だからこそ今シーズンは、、自分が納得するためにも、個人ででも情報発信をして、皆さんへの最後のメッセージを送りたいと思いました。
そしてこれが最後なのだと、本当に信じていました。

なのに、私はやっぱり優柔不断です。
ここまできて、今更、また迷っています。

あの日、ビジターセンターに雇われなかったことで、
今後はサラリーマンとして暮らしていくことが、私の新しい人生になるんだと思いました。
きっと、それも悪くない。
いつか、来るかもしれなかった日が、ちょっと突然で、ちょっと早まっただけ。

でもこうして、今年ブログをやってみて、収入はないけれど仕事のような形で、
自分なりにでも情報発信を継続してみて、
もしや、こんなものでも皆さんのお役に立てているのでは?と言う手ごたえもあり、
ひょっとしてこれからも、「やって出来ないことはないのかも???」との思いが芽生えつつ、
でもそれは、この先の老いていく自分を犠牲にしていくようなもので、
いつかそれを後悔するような自分にはなりたくないと思うと・・・・・
簡単には答えを出すことは出来ません。。。

ずっと求めていた「もういいよ」と言う言葉は、もう貰ってしまいました。
免罪符は、もうないのです。
今年ブログを開設したことで、新しい方向性が生まれ、
自分の責任において「退路を立ち、覚悟を決めろ」と、新たな局面に立たされてしまったみたい。
このブログが終わるときは、潔く美しく(笑)去る時だと信じていたのに。
もう潮時だと。
これが限界だと。
こんな風に迷うなんて、こんなはずじゃなかったのに・・・・・・・ 
「あぁこれは運命なのかなぁ?」
ただ、今それを、即座に素直に受け入れられるかどうかは、とっても難しい。。。

サヨナラは、まだ言えません。優柔不断でごめんなさい。
ちゃんと考えて、来春(6月)もう一度、ここでお目にかかります。

ひとまずはお別れです。
皆さん、ありがとうございました。
2006年を無事に過ごせたことと、ブログをご覧いただいた皆様と、支えてくれた方々に感謝して。。。

2006年12月吉日

イトナンリルゥ ~山情報のこと~

2006-06-05 23:11:10 | ご挨拶
 白雲岳避難小屋管理人をされていたH氏が「下界と山を結ぶ情報発信基地を作りたい」との思いで山を下り、層雲峡自然センターを発足させたのが確か1995年の事だったと思います。
 発足時は、のちに山情報を担っていくことになる私(P)も相棒のG嬢(笑)も直接関わることはなかったのですが、翌1996年G嬢がスタッフとしてスカウトされるとともに、私も手伝いをさせてもらえることになりました。
この年は結局、助っ人の私にはセンターからの給料と言うものは出ませんでしたし、その後自然センターのメンバーが正式に4名と言うことになっても、事務所からの給料は事務方(PとG)の2人合わせて100日分のみ、他2名は大雪山ツアーの現地ガイドとしてのガイド料で賄うと言う状況でした。
 発足当時どのような理念を持って山情報が作られたのか私には詳しくはわかりません。「大雪山に登ろうと言う皆さんに山の状況(情報)をお知らせしよう!」と言う思いはモチロンあれど、新設・層雲峡自然センターのアピールであり、一年一年存続さえ危ぶまれるセンターの生き残りをかけての苦肉の策・手段ではなかったのではないだろうかと、想像しています。
 内容としては、日々実際に山を歩いて見てきた情報「雲ノ平のキバナシャクナゲが咲き始めました」とか、「コマクサ平のコマクサが全体的に見頃になってきました」とか、「黒岳山頂下急斜面・滑落注意!」とか・・・コース別(黒岳・お鉢平・旭岳・赤岳・白雲岳・緑岳・五色岳・沼の平・高原沼めぐり・時刻表など)にした地図上に情報を書き込んだ12ページの小冊子で、毎週金曜日シーズン3ヶ月で計15回の発行。
旭岳や沼めぐりなど、現地の旭岳VC、ヒグマ情報センターに紙面をお任せしたとは言え、一人は必ず事務所に詰めてツアーのガイドの手配や、お客様からの電話応対をしつつ、実質二人で作っていくのは、正直大変なことでした。
二人とも元々「山や」でもなく若くもなく、体力的にもきつかったし、内容も初めのうちは「これが情報?!」とも思われる、今見直すとちょっと(かなり)恥ずかしいものもあり、年数を重ねれば次は「マンネリだ」との批判の声も大きくなり・・・
それでも小さな事務所に、だんだんと各関係機関の方々も顔を出してくださるようにもなって、しんどくても大好きな場所で働いていられる、本当に楽しい日々で、この仕事にめぐり合えた私たちは幸運でした。
 2000年に「層雲峡ビジターセンター」(以下VC)が開館するとともに自然センターは吸収されてしまいましたが、私だけが新たな相方とともに当初は「山情報作成スタッフ」としてVCに残りました。  
 自然センター発足時、たぶん手段だった山情報が年数を重ねるつれ、いつのまにかそれ自体が目的となってしまっていました。それが良かったのか悪かったのか、私にはわかりません。
 それでも山情報が10年を数える頃には、一つの資料として少しずつでも価値あるものになってきているのではないだろうか?と思えるようになりました。そんな風に言ってくださる方も多くなり、今や続けることがまた次の目標?使命?となっていた矢先の2005年、VC運営上、山情報まで手が回らないとの理由から突然廃止されてしまいました。
 山情報を作り続けることは確かにしんどかったです。やめたいと思うことは私にも何度もありました。でも私にはどーーーうしてもやめることは出来ませんでした。それは「私がそうやって生きていたかった」から、「私が山情報に生かされていたかった」から・・・確かにそんな気持ちが一番大きかったかもしれませが、それ以上に「継続することに意義がある」の言葉どおり、私たちの山情報は「続けて積み重ねられるからこそ、こんな些細な情報が輝く価値のあるものになりうる」と信じていたからです。
 そしてVCという公の機関がこんな形で情報発信をしているのは、結構すばらしいことなんじゃないか?!と思ってもいました(こんなことをやっていたのは日本でここだけではなかったでしょうか?)が、その想いは周囲には伝わってはいなかったのでしょう。
 VCになった当初、準備も整わず予算もかかるとしぶられたのに無理を言って、臨時に上川町役場のHPを間借りすると言う方法で、リアルタイムの山の画像を掲載するようにしました。冊子の山情報が廃止されたら、穴埋めの情報発信に奔走していました。こと山情報に関しては、お客様のためと言って自分のやりたいようにやってきた私の姿勢、「歩いて記録する」のみで精一杯で、それ以上の勉強を怠っていた私の怠慢が、結局山情報を守りきれなかったのかもしれません。
 今でも冊子としての山情報を途絶えさせてしまったことは悔やまれてなりません。申し訳ありませんでした。

 ~イトナンリルゥ~ アイヌ語で「高いところを通る道」と言う意味だそうです。この冬亡くなった恩師がつけてくれた自然センター週間山情報の副題です。VCになってから封印してきたこの名前を今回使わせていただきました。
 長い説明になりましたが、山情報ってこういうものでした(あんまり説明になってないかな?)。
今年限り、こうしてブログで一人で頑張ってみたところで、現VCが提供する情報に及ぶとは思えませんが、情報はいくらあってもお客様のためにはなるのだからと、私なりに精一杯、情報と呼べるものを提供していかれたらと思います。

ご挨拶 ~ブログ開設にあたって~

2006-06-05 23:10:23 | ご挨拶
元層雲峡ビジターセンター(以下VC)タカギです。
 大雪山に出逢って十数年ひょんな事からここ10年程は夏の間、層雲峡自然センター・層雲峡ビジターセンターで働かせていただくことができ、いつの間にか「山情報を作ること」が仕事となっていました。
それは私にとってはとても幸運なことでしたので、苦しい辛いと言いながら、もう少しあと少し、体が動き気力が続く限り、2006年のこの夏も変わらずに働こうと思っておりましたが、通年雇用を受け入れることが出来なかったので、この度、雇用を断られてしまいました。
 通年雇用の話は2年?ほど前からありましたが、長い二重生活が定着してしまって、どちらを選ぶことも捨てることも出来ないでいました。
その間、昨年にはVC運営上の理由から山情報は突然の廃止、シーズン後はいつものように雇用契約の話もしないまま層雲峡を去りましたので、私は勝手に「今まで通りに雇ってもらえる」と思っており、その考えは甘かったようです。
 今年(2006)に入り、山情報を廃止したのなら今まで取れなかった長めのお休みをもらい、かねてから憧れだったアラスカ旅行に行かれないかとお伺いをたてました。
「通年雇用に応じるなら休暇は可能」と言う回答に、アラスカはあきらめ「休暇はいらないので例年通りに伺います」と返答したところ「通年雇用でないなら雇用できません」と言う再度の回答にびっくり!
 すでに関東の会社で、次回(2007年)繁忙期の仕事を約束の上で働いていましたので「約束なので通年は無理ですが、今年については2006年5月~12月までの勤務で譲歩してもらえませんか?」と再びお願いしました。
 今までの経緯を考えたら、そのくらい大目に見てもらえるかな?と、思っていたのが大間違いで、通年雇用でなければ雇用はしない。『上川での勤務を望むならば、断ってでも来れると思います』と言う回答に愕然。。。
 「休暇願」から職を失うことになるとは思いもよらなかったので、しばらくは放心状態でしたが、それからは「今までこんなに真剣に自分の人生を考えたことはなかったな・・・」と言うくらい私なりにずいぶん考えました。
どうしても、どう考えても山(山情報?)をやめる気にはなれなくて、会社との約束を反故にさせてもらうことも考えましたが、「義理と人情はかりにかけ」たら、やっぱり義理が重かった。そして会社は私を必要として下さっているのに対し、VC運営上自分は必要とされていないのだとも痛感、納得のいかない事もあれど、結局は自身の不徳の致すところにより雇用されないことを選択しました。
 ただ元々今年は山の仕事を続けるつもりでいましたし、これまで過ごしてきた大雪山での十数年、ここでの人生を、こんな風に終わらせてしまうことは、あまりにも悔しく情けなく耐えられないことでしたので、「ひとりででも山情報を発信しよう」と思い至りました。そうは言っても、実は自分のデジカメさえ持っていない私が、所詮一個人で手がけることです、どれだけのことが出来るのか、全く心もとなく、しかも失職のきっかけとなったアラスカには行くことにしましたので(ここで行かなかったらクビにまでなった意味が無い!)、6月下旬~7月上旬と言う花の季節に大雪山を留守にして、皆さんにとって有益な情報を十分に発信できると言えるのか?また実際準備をしてみると仕事面・生活面あらゆることで壁にぶつかり、実は船出の前から暗礁に乗り上げそうな危機感・焦燥感・・・・・・・
 自分自身この年になって無職になるとは思わなかったけれど、今更こんなバカげた事をやろうとしている私に、会社の上司からは苦笑しつつも「自分で決めたことなのだから精一杯やってきなさい。そのかわり戻った時には今まで以上に働いてもらうよ」と厳しくも温かい言葉をいただき、今まで山情報を楽しみにしてくださった人々・友人たちも、エールを送ってくれることに、くじけそうになる気持ちを奮い起こしながら、このブログ発信のため準備を進めているところです。
 長い話にお付き合いいただきありがとうございました。本来VCと言う公の仕事として継続的に山情報が発信されることに意義があるのだと今も信じていますが、私個人として中途半端に大雪山から離れることがどうしても出来ませんでした。よってこんな自己満足をさせてもらうことをお許し下さい。
今年は仕事としての山情報発信でありつつも、もう少し自分の時間を楽しみながら、大雪山での最後の生活を送りたいと思っています。皆さんの知りたいと思うことを考えつつ、私の伝えたいことも受け取ってもらえるよう努力して、今年限りではありますが、このブログを開設しました。荒廃もあり様々な問題も抱える大雪山です。皆さんが山を大切に想いながら楽しんでもらえるような情報を発信していきたいと思います。よろしくお願いします。