イアン・マキューアン「贖罪」
これは小説です。小説が故に虚構の世界が描かれ、そこに浸る喜びを読者は味わいます。親しんだその虚構の世界が実は・・・・・、と聞かされたとき、読者は驚き、戸惑い、途方に暮れ、不安になり、・・・そして新たに確信を得ようと、もう一度物語を追体験し始めるのです。仙台出張の帰りの新幹線の中(仙台から広島まで新幹線はちとキツイです)、広島到着2分前に読了した私は、目頭が熱くなる一方で、「なんで?!」と呟き、第一部の冒頭と第二部の最後、そして第三部のエンディングを列車を降りながら読み返すことに・・・。
この物語は4つのパートで構成されています。
第1部 1935年の夏、ロンドン郊外のタリス邸。ここ50年で財を成したと思われるアッパーミドルの家族。瀟洒な館に人工湖を配した広大で美しい庭を舞台に、濃密な時間の経緯が、時にじれったいまでに、尽きることを知らない言葉で連綿と描かれていきます。
久しぶりに帰省する兄を待ちわびるセシーリアと妹ブライオニー。そして使用人の息子ロビー。
それぞれが今の自分が置かれている状況に苛立ちを覚えており、次に現れるドアを待ち望んでいます。しかし、それを自分の手で開ける勇気はなく、誰かが肩を押してくれるのを待っている。こういった緊張感でバランスを取っていた関係に、意図せず無意識の力が働いた時に・・・、止まってるかに見えた人生が急に転がりだし、誰もその回転を止められなくなってしまいます。
第2部 舞台は1940年のフランス戦線。ここで描かれるダンケルクの撤退模様は、ヘミングウェイの「武器よさらば」に匹敵する名場面です。迫る独軍の前に、34万人の英仏兵士を英国本土に撤退させた「ダンケルクの戦い」。海岸に追い詰められた兵士達の混乱と、セシーリアの手紙「戻ってきて」に勇気づけられ、ただ生きて帰ることを切望するロビーがひたすら悲しいです。
第3部 同じく1940年のロンドン。見習い看護婦として献身的に働くブライオニー。彼女の勤務する病院に、今ダンケルクから救出された傷ついた兵士達が運ばれてきます・・・。戦争の現実を知っているのは、まだ軍と病院関係者に限られている、空襲をまだ経験する前のロンドンが描かれます。ラストの地下鉄駅でのなにげない光景が、次章を読む時に急に胸を打ちます。
そして最終章。1999年のロンドン。今は人手に渡りホテルとなっているタリス邸に、かつての家族が集い催されるのが、あの夏の日の・・・・・・。この最終章のモノローグが、この物語を単なるロマンス大河に終わらせない重要な役割を担っています。ある意味この章が物語の始まりなのかもしれませんね。