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英国的読書生活

イギリスつながりの本を紹介していきます

暑かったですね、3連休

2008-07-23 | 日常
連休はお祭り見物を兼ねて小倉に帰省することに。
行きの途中、岩国で寄り道です。向うは、「地底王国 美川ムーバレー」。何ともB級な言葉の響きが心地よいですが、タングステンを採掘していた鉱山の後を利用した第3セクターが運営するテーマパークです。知人からの「子供は楽しめるかも・・」「とにかく涼しいのは保証する」という後ろ向きなお薦めにより、訪問を決意したのですが・・・。入場料を払うと、小さな金属プレートと地図が付いた探検記録シートが手渡されます。約800mある洞窟(坑道跡)に点在する金属パネルに刻まれた形と、渡されたプレートの形が合うかを調べ、符合すればそこにあるメッセージから隠された紋章をゲットして謎を解明していくという趣向。渡される金属プレートは何種類もあり、よほどの大家族で無い限り、同じパターンとはならない様になっています。自然とそれは競争になるわけですが・・・。中は、無理やりムー大陸をイメージさせる石像が鎮座していたり、トロッコ軌道の残骸やら、縦坑跡なんかが有り、ちょっとインディジョーンズぽい雰囲気が味わえます。地底湖や轟音響く地底滝なんかもあったりして、確かに親子としては楽しめました。
後から聞いたのですが、ここでは別に隣接する宿泊施設のプランとして、ナイトツアーが開催されているとか。限定3組が、照明が消された洞窟内に懐中電灯だけを持たされて、15分毎に送り込まれ、閉ざされた出口の鍵を求めて謎解きをするというものだそうです。90分がリミットで、それを過ぎると救助隊が送り込まれるとか。これはけっこう恐そうですね。


日曜日は午前中に北九州市立美術館に。ミレイ展を鑑賞しました。シェークスピアを題材とした「オフィーリア」で有名なジョン・エヴァレット・ ミレイですが、テート美術館で観た「オフィーリア」が日本で観られるとは思ってもみなかったので嬉しかったです。


初年時代の冒険家ウォルター・ローリーを描いた作品です。映画「エリザベス・ゴールデンエイジ」に登場する野心と下心満々の男とは違って、純真な未知なる世界への憧れが上手く出ています。


まさに、売れる絵です。教会でのお説教の最中に、ついくたびれて・・・。
ビクトリア朝のイギリス人の心を掴み、求められるモチーフを描き続け大金持ちとなった画家の全体像が分かる良い展覧会でした。

そして今回の目的だった小倉祇園太鼓の見物に。


これは夕方5時半から開かれる太鼓広場のオープニングの様子です。前日の競演会での上位入賞山車が定められた場所に陣取り(F1のスターティンググリッドみたい)、合図とともに正調祇園太鼓を一斉に20分間敲き続けます。町内を「ヤッサヤレヤレー」の掛け声とともに流す山車も風情がありますが、腕自慢の一斉太鼓は相当な迫力がありました。ただ、気になったのは、相変わらずヤンキー山車の多いこと。太鼓が上手ければ許せますけど、これが下手糞。拡声器でまったく関係ない歌をガナッたりとヒンシュク集めまくり・・・。彼らは集団暴走と同じ気持で楽しいんでしょうが、正直、「消えろ!」ですね。利害が複雑に絡む祭りに、その筋の人たちが「役割」を担って来たことは認めますが、こういうチンピラは競輪場にでも集めてやらせとけばいいと思いますね。
まあ、愚痴はともかく祇園祭は大いに楽しみました。



本屋賛歌

2008-06-10 | 日常


本を選ぶ時、何を基準に選んでいますか?当然、好きなジャンル、作家、そして書評などによる評判も当然重要な決め手なのですが、私の場合意外と現物との出会いだったりします。つまり、本屋の書棚で向き合った時、手に取った時の第一印象がけっこう大事なのです。ほとんどの書籍は背表紙しか見えませんから、まずはタイトル、そしてその書体と色ですね。目立てば良いというものではありません。手に取って見て、全体の装丁の具合が一番気になるところ。表紙から見返し中扉あたりの構成を確認したら、カバーがあれば、めくって見て、素肌の状態を見ちゃいます。(けっこうここに秘密があったりするので・・・) 内面の文字組み状態、書体の見やすさ、手触り(今は活字を使っての印刷が無くなってしまいましたが、一昔前は意図的に印圧を掛けて凸凹感を出したものも・・)、紙質(手触りのいい紙で、かつ印刷映えのいい紙はそれなりに高価になりますが・・)、重さ(これけっこう自分的に重要です。書かれている内容とバランスの取れた重さ・・・って)、しおりは付いているのかいないのか、上製本だと「はなぎれ」の色は何色か(じみーな学術書系でここだけ派手な粋な本も・・・)なんて、もちろん最後の奥付も必ずチェック。初版年、改版年、印刷会社、製本会社・・・。
こういうことをじっくり時間をかけてやっていると、かなり変態な書籍フェチに思われちゃいますので、ささっと何気にやっています。なので、私にとってネット書店というのは、優先度がどうしても低くなってしまいます。買うものが確実に決まっていればとっても便利だと思いますが、なんか写真だけのお見合いで結婚相手を決めているような・・・(大袈裟ですね)。でも、これ以上リアルな書店が減少し、ネット書店が全盛となると、確実に出版社は装丁に金をかけなくなるでしょうね。装丁という商売もなりたたなくなるかも。一見すると見映えはいいけれど薄っぺらい書籍だらけになると哀しいです。そうならないためにも、リアルな本屋さんには頑張っていただきたいし、応援したいと思います。
でも、本屋を取り巻く環境は前にも書いたように厳しいのでしょうね。残っていく大型書店もどこも同じ品揃えと陳列だし・・・・、個性的な本屋はもう生まれないのかい。

「パリの本屋さん」

パリの個性的な本屋さんをたくさん紹介してくれるこの本。めくっていると何ともうらやましくなります。好きな本を、好きな人に、好きなように並べて売る。オーナーのビジョンがお店そのものに反映されて、什器一つとっても素敵です。日本でも児童書や古書店では、それなりのお店があったりしますが、新刊書を扱う本屋ではお目にかかりませんね。でも実際はパリも大変みたい。チョット前にBSでやっていましたが、パリの古書店が地価の高騰や若者の活字離れで閉店に追い込まれるケースが多々出ているとか。その番組では、村起こしもかねて寂れた村に古書店を誘致し、定期的な古書市を開催している女性が紹介されていました。今ではカリグラフィー作家や製本業者のアトリエもでき、フランス中から古書市に人が集まるようになったとか。文化を大切に守り、なおかつ商売にきちんと結びつけるパリの人はさすがですね。







コロッケ・・・

2008-05-11 | 日常
5月11日は母の日・・・・
数日前から妻と娘が内緒話をしています。
で、決まったことというのが・・・・
「日曜日の夜はパパが料理を作る!コロッケを作る!」
とほほ・・よりによって何でコロッケなの?作ったことないよ!
「だって食べたいんだもん!」と娘。
手巻き寿司とか、カレーじゃだめなの?
「だめー!ぜったいにだめー!」
ということで当日はコロッケを作ることに・・・・。

午前中に娘と2人で買出しです。
肝心のジャガイモは・・・、あらら新ジャガしか置いてません。
コロッケには水分の少ない古芋が良いとレシピには書いてあったはずですが・・。
まあいいでしょう。ひき肉、たまねぎ、パン粉も調達して買い物完了!
食卓に飾るお花も買いました。
(娘は花を夕食まで隠しておくと言って、玄関外のメーターボックスに仕舞います。)
夕方5時になり・・・
重い腰を上げて支度に取り掛かります。
まずは皮むき・・・。小さい新ジャガですから、思ったより時間がかかります。それといくつ剥いたらいいのか加減が分かりません。
気付くと隣の部屋で娘と妻がもめています。どうも作っているところを妻に見せたくないため、部屋に閉じ込めているようです。「お花も見ちゃダメだからね!」なんてバレバレなことも叫んでいます。
皮が剥けたら、ひと口大に切って鍋に入れ、水をひたひたに入れて火にかけます。
軟らかくなったら、お湯を捨て、再び鍋で水分を飛ばすと・・・、粉吹芋のようになったらOKかな?そのまま熱いうちにお玉で潰していきます。あんまり潰しすぎない、ちょっと塊が残るぐらいが家庭的で好きなのですが・・・。
続いて、玉ねぎと合びき肉を炒めて・・塩胡椒して、さっきのジャガイモに合わせます。これでタネが完成!味見するととりあえずコロッケの中身の味がします。(ひとまず安心・・、でもかなり量が多いぞ!)
さあ、丸めよう!手伝って!  で、娘は・・、というと・・・、ちびまる子ちゃんを観ています・・・。(オイオイ)
じゃあ、この間にサラダとお味噌汁でも作りましょうかね。味噌汁の具は・・・冷蔵庫に残っていた油揚げとキャベツにします。おっと!炊飯器のスイッチを入れてませんでした。
サザエさんが終わり、ようやく娘が顔を出します。
「出来た?」
「まだじゃ、丸めてよ!」
何か巨大な塊がいくつも出来ました。
これを・・
小麦粉にまぶし、
溶き卵につけて、(ここだけは娘の担当)
パン粉を押し付けて、
(みるみるうちにキッチンは粉だらけに・・・・・)

いよいよ最後の油で揚げる工程です。
さあ、ここからは更なる未知なる世界です。
いったい、どういう状態が最適な油の温度か分かりません。
適当に「エイヤー!」で投入します。
恐れていたパンクもなく、コロッケくんたちは徐々に狐色になっていきます。

最後になってようやくスイッチの入った娘が、テーブルを無理やりセッティングしています。邪魔な物を下に落とし、ソファーの陰に隠し・・ランチョンマットを引っ張り出し・・・ メーターボックスからお花を出して・・
午後8時、ようやく「できたー!”」(なんと3時間のクッキング)

ようやく監禁状態が解かれた妻が席に着き、
「実食!」です。
お味は・・・
妻「美味しい!」
娘「おいしいね。」
私「意外に上手く出来たね。衣がサクサクだ。」
「ママよりパパが上手!」
妻「・・・・・・」
私「(ワチャ・・・)」

正直、上手く出来すぎました。形は悪いけど揚げるタイミングは完璧・・
でも、作りすぎです!
明日も、あさっても我家はコロッケです。







私の寅さん

2008-04-05 | 日常
「寺田寅彦随筆集」

寺田寅彦(1878~1935)は、現代においてもっと評価されても良いと強く思う。物理学者としての功績もさることながら、残された小品に溢れる先見的な視点には驚かされるし、平易な文体で綴られた写実的な文章、そして控えめではあるが描かれるリリカルな情景にはため息が出るのです。映像の可能性に早くから注目し、環境ビデオの出現への期待等今でも十分に新鮮な思考を我々の前に示してくれるのだ。現代であれば、さぞかし面白いコメンテータとして活躍できるであろうに。(もう、茂木さんのオシャベリは飽きたのですよ・・・。)
代表作の「丸善と三越」、休日に訪れる日本橋の丸善と三越の売場を、ただ単に描いているだけであるが、写真的な切り取りと、文明批評的な眼差しが相まって洒落たエッセイとなっているのである。
話は脱線しますが、丸善のホームページを見ると、なかなか面白いトリビアがいっぱいです。日本で最初の株式会社であった・・とか、初めてハヤシライスを世の中に出した・・(早矢仕ライスと銘打ち今でもレストランで販売)・・とか、一見の価値がありますよ。 
→丸善のホームページ  
日本橋三越は、今でもちょっと別格ですよね。吹き抜けのある中央ホールにはパイプオルガンが鎮座しているし、何より店員の接客マナーが違います。地下鉄の乗り換え途中に、チケットを持ったまま買い物が出来るところもちょっと楽しい・・・・。
→日本橋三越のホームページ


話を戻して・・・・
私が一番愛好きなのは、「花物語」という作品。描かれている場所を私自身、体験していることもあって、ノスタルジックな空気感がセンチメンタルに浸らせてくれるのです。構成は、花にまつわる小編からなっており、小説ともエッセイともつかない淡い記憶の作品に仕上がっています。その中で、「のうぜんかずら」という文章を「青空文庫」から転載してみましょう。誰にでもある小さな頃の夏休みの思い出が哀しく書かれています。

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小学時代にいちばんきらいな学科は算術であった。いつでも算術の点数が悪いので両親は心配して中学の先生を頼んで夏休み中先生の宅へ習いに行く事になった。 宅(うち)から先生の所までは四五町もある。 宅(うち)の裏門を出て小川に沿うて少し行くと村はずれへ出る、そこから先生の家の高い松が近辺の藁屋根(わらやね)や植え込みの上にそびえて見える。これにのうぜんかずらが下からすきまもなくからんで美しい。毎日昼前に母から注意されていやいやながら出て行く。裏の小川には美しい藻(も)が澄んだ水底にうねりを打って揺れている。その間を小鮒(こぶな)の群れが白い腹を光らせて時々通る。子供らが丸裸の背や胸に泥(どろ)を塗っては小川へはいってボチャボチャやっている。付け木の水車を仕掛けているのもあれば、盥船(たらいぶね)に乗って流れて行くのもある。自分はうらやましい心をおさえて川沿いの岸の草をむしりながら石盤をかかえて先生の家へ急ぐ。寒竹の生けがきをめぐらした冠木門(かぶきもん)をはいると、玄関のわきの坪には蓆(むしろ)を敷き並べた上によく繭を干してあった。玄関から案内を請うと色の黒い奥さんが出て来て「暑いのによう御精が出ますねえ」といって座敷へ導く。きれいに掃除(そうじ)の届いた庭に臨んだ縁側近く、低い机を出してくれる。先生が出て来て、黙って床の間の本棚(ほんだな)から算術の例題集を出してくれる。横に長い黄表紙で木版刷りの古い本であった。「甲乙二人の旅人あり、甲は一時間一里を歩み乙は一里半を歩む……」といったような題を読んでその意味を講義して聞かせて、これをやってごらんといわれる。先生は縁側へ出てあくびをしたり勝手のほうへ行って大きな声で奥さんと話をしたりしている。自分はその問題を前に置いて石盤の上で石筆をコツコツいわせて考える。座敷の縁側の軒下に投網(とあみ)がつり下げてあって、長押(なげし)のようなものに釣竿(つりざお)がたくさん掛けてある。何時間で乙の旅人が甲の旅人に追い着くかという事がどうしてもわからぬ、考えていると頭が熱くなる、汗がすわっている足ににじみ出て、着物のひっつくのが心持ちが悪い。頭をおさえて庭を見ると、笠松(かさまつ)の高い幹にはまっかなのうぜんの花が熱そうに咲いている。よい時分に先生が出て来て「どうだ、むつかしいか、ドレ」といって自分の前へすわる。ラシャ切れを丸めた石盤ふきですみからすみまで一度ふいてそろそろ丁寧に説明してくれる。時々わかったかわかったかと念をおして聞かれるが、おおかたそれがよくわからぬので妙に悲しかった。うつ向いていると水洟(みずばな)が自然にたれかかって来るのをじっとこらえている、いよいよ落ちそうになると思い切ってすすり上げる、これもつらかった。昼飯時が近くなるので、勝手のほうでは皿鉢(さらばち)の音がしたり、物を焼くにおいがしたりする。腹の減るのもつらかった。繰り返して教えてくれても、結局あまりよくはわからぬと見ると、先生も悲しそうな声を少し高くすることがあった。それがまた妙に悲しかった。「もうよろしい、またあしたおいで」と言われると一日の務めがともかくもすんだような気がして大急ぎで帰って来た。 宅(うち)では何も知らぬ母がいろいろ涼しいごちそうをこしらえて待っていて、汗だらけの顔を冷水で清め、ちやほやされるのがまた妙に悲しかった。

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第五高等学校時代の漱石との出会いを描いた「夏目漱石先生の追憶」も、素敵な作品です。

からまあぞふ

2008-03-08 | 日常

ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」

~僕は「カラマーゾフの兄弟」と「静かなドン」を三回ずつ読んだ。「ドイツ・イデオロギー」だって一回読んだ。円周率だって小数点十六桁まで言える。それでも彼らは僕を笑うだろうか?たぶん笑うだろう。死ぬほど笑うだろう。~(村上春樹「羊をめぐる冒険」)

世の中を、「カラマーゾフの兄弟を読んだ人」と「カラマーゾフの兄弟を読んでない人」に分類すると新しい世界が見えてくる。と言った人がいたかどうかは知りませんが・・・。少なくとも上巻だけ持ってる人もけっこうな数いるんでしょうね。だいたいロシア物は、概して人の名前が長くて憶え難いことに加え、個々の登場人物の独白がしつこくながすぎます。ちょっとくどい関西人と話をしている感じに似ていたりもします。
そんなカラマーゾフ。最近新訳なんかも出て、ちょっと本屋で巾を利かせているようですね。新潮文庫の腰巻には「東大教師が新入生に薦めたい本第一位!」なんてコピーが踊っています。思わず「ふんっ!」と鼻を鳴らしてしまいます。「だから、何なんだ!」こんなエラそうなコピーで人に読ませようとする考えがちょっと・・・・・です。さて、私の持っているカラマーゾフは新潮文庫の旧版・・・・・。表紙の暗いドストエフスキーの肖像とあいまって、読了するのにかなりの苦労を強いられた記憶が蘇ってきます。いったいどんな書き出しだったのでしょうか?ちょっと開いてみると・・・・・・。
冒頭、「作者の言葉」があって・・・・・   こんなことが書いてありました。

~『読者たるわたしが、なぜその男の生涯のさまざまな出来事の詮索に時間を費やさにゃならないんだい?』~(中略)~
だが、もし、読み終わってもわかってもらえず、~中略~ はたして読者にうまくそれを証明できるかどうか、まったく自信がない。(中略)だが、困ったことに、伝記は一つだが、小説は二つあるのだ。重要な小説は二番目のほうで、
最初の話を読めば、第二の話にとりかかる価値があるかどうか、あとは読者が自分で決めてくれるだろう。もちろん、だれ一人、何の義理もないのだから、最初の話の二ページくらいで本を投げ出し、二度と開かなくとも結構だ。~
やはりわたしは、この小説の最初のエピソードで話を放り出せるような、きわめて正当な口実を与えておくことにしよう。
(原卓也 訳)

これはどう解釈したらいいのでしょうか??
「読めるもんなら読んでみろ!!!」、でしょうか、
「面白くないかもしれないから、そのときはごめんね!」、あるいは、
「前半は退屈だけど、後半がんばってるから読んでね!」、なのか・・・・。
挑発しているのか、言い訳がましいのか、ドストエフスキーくん。
こういう風に書かれると、読んだ人も、読んでない人ももう一度読んでみたくなりませんか?
でも確かに前半はキツイよなぁ・・・。後半は一気にスリリングな展開だけど・・・。大審問官の章はすごかったなぁ・・・。

と、ここまで書いて、大きな間違いに気づきました。ドストエフスキーの言っている二つの小説とは前半、後半のことでなく、続編が用意されているということでした。ドストエフスキーの死去により日の目を見ることがなかった続編。現代人をさらなる苦悶の読書体験に誘うものだったんでしょうか・・・。

頻繁に幼児が虐待され、家族が殺しあう、現代の日本。読んだからって、宇宙人に笑われるだけかもしれませんが、一度は読んでみましょうよ。投げ出しても構わないって言ってるんですから。

胃カメラを呑む

2008-03-04 | 日常

日頃の不摂生がたたってか、昨年秋の健康診断で胃上部にポリープが発見されてしまいました。直ぐに2次検査(胃カメラ)を受けてくださいと指示を受けていましたが、元来恐がりの私としては、何かと理由をつけて先延ばしを続けてばかり・・・。とうとう総務から今月中に検査受けないと費用が自己負担になりますよ!との一言で重い腰を上げ、クリニックに予約を入れた次第です。クリニックからの電話での説明では、当日、鼻から入れるか、口から入れるかお選びいただけます、とのこと。その日から悩める、不安な日々が始まりました。「口から入れると、ぜったいにオエッてきて苦しいんだろうなあ」「でも、鼻からはもっと痛そうだなあ・・・・」  そう考えているとだんだん胃が痛くなって来て・・・・、急にキャベジン飲み始める始末・・・・。そして、「たぶんガンかもしれない」「あれだけ毎日お酒飲んでたから、絶対ガンになってるはずだ・・・」とイメージは膨らむ一方です。お酒の量も膨らむイメージに合わせて増える一方・・・。
いよいよ検査当日。願い空しく、雪で電車が不通になることもなく、今日に限って踏切事故も無く、定められた8時40分にクリニックに到着です。すぐに検査着に着替えさせられ、いよいよ鼻か口かの選択の時です。やさしそうな看護婦さんが丁寧にそれぞれの長所、短所、諸注意を説明してくれます。「どちらにされますか?」・・・・ 何かレストランでどっちのランチコースにするか待たれている状況のようです。待たれると決めきれない私・・・。「初めてでしたら、お口からします?」と看護婦さん・・、「は、は、鼻からでお願いします」と私・・・。すると看護婦さん「鼻からを希望された場合でも、医師の判断で途中から口からに変更になる場合あります。その場合、あらためてお口の麻酔はしませんので・・・・・・・」なんて言われて・・・、「鼻と口、両方やられちゃったら世界一不幸な男じゃん・・・」なんて涙目な私。
9時になり診察室に呼ばれます。1週間繰り返したイメージトレーニングでは、美人の女医さんが、「大丈夫ですよ。痛くないからね。」と優しく鼻からカメラを入れてくれるというはずが・・・・。げっ、男・・・、それも大男・・・・、おまけに無表情・・・・、あんな太い指でいたぶられるのかい・・・・・。最悪な状況です。私「よろしくお願いします」、先生「・・・・・・」、鼻の中をのぞかれ、先生「右に」、で診察終了・・・・。どうやらこの瞬間に鼻の右の穴がめでたく選ばれたみたいです。別室に移り、看護婦さんの指示で、まず胃の泡を消す液体を飲まされます。ちょっとポカリのような甘みがあります。そしていよいよ鼻の麻酔です。まず鼻の穴を広げる薬を3回に分けて中に噴霧されます。これは平気!でした。次にやはり3回に分けて出血を止める薬を注入されます。喉に流れてくる液体がチリチリしてちょっとオエッてなりますが、がんばって飲み込みます。(飲み込んでくださいと言われます) ここまでは普通に腰掛けて処置されます。それからベッドに横たわり最後にゲル状の麻酔薬がたっぷりと注入さます。これが喉を通るとだんだん痺れてきて上手く飲み込めなくなります。ここで大男先生登場。カメラと同じ太さのチューブを鼻に入れてくれます。これは全然平気。ここでしばらく放置。ベッドの高さが調整され、横向きになり、これから唾は全部飲み込まずに外に垂れ流してくださいと看護婦さんに指示されます。あとは大男先生を待つのみです。再び先生が登場します。本当に医者なんでしょうか、レスラーにしか見えません。どうしよう、「やさしくしてください」って頼んでみようかと思っていると、鼻のチューブが抜かれ、突然部屋の電気が消されて・・・強力な光が目の前に迫って来たかと思う間もなく・・・、カメラが鼻に・・・。次の瞬間、先端が喉にあることが分かります。一番苦しい場所です。先生「ごっくんして!」、「ウッ、オエッ・・・」やっぱオエってするじゃないですか!左目から涙がでます。でも苦しいのはそこまででした。喉に大きな物が入っている感覚はずっとありますが、カメラが食道、胃に入っていく感覚は分かりませんでした。たぶん一番奥までカメラが入ったのでしょう。今度は鼻から抜いていくのが分かります。串を打たれた魚の気持です。カメラの先端からは水と空気が出せるらしく絶えず「ジュルジュル、シューシュー」という音がして、映画「エイリアン」が頭の中に浮かびます。てなことを考えていたらスポっと鼻からカメラが出て、部屋の電気がついて、終了・・・となりました。
直ぐに診察室で結果発表です。机の上には私の胃の中を写した写真が置いてあります。先生、写真の上にマジックで矢印を無言で書いてくれます。えっ!その突起は?・・・、まさか、やっぱり・・・。先生、搾り出すような声で「良性です」「まったくキレイです。」「ご安心を」。・・・・・・・・・・よかった・・・・・・・・。
着替えをし、麻酔が切れるまでの諸注意(飲食をしない!)を受けて病院を出たのが9時32分でした。その日の出社を12時にしてたので、ちょっと肩すかしでした。まあ、それから麻酔が切れる1時間は喉が気持悪くてずっとタオルで口を覆ってましたけどね。
以上が、まったく落ちがない体験記です。ちなみに胃カメラは日本人が発明した物。オリンパスの人が作った技術だとか。真田広之のCMでやってるやつですね。今回私に突っ込まれたのがオリンパス製かは分かりませんでしたが、凄い技術には違いないですね。必要なら組織サンプルを採ることができる鉗子もついています(まさにエイリアン)。

市川崑逝く

2008-02-14 | 日常

私にとって市川作品といえば「細雪」ですね。映画館で始まったとたんに「もう一度観たい」と感じてしまいました。
冒頭の雨に煙る嵐山のシーンでの微妙にずらされた4人姉妹のお膳の位置。そして花見のシーン。子供達の赤い帽子、燃えるような枝垂桜・・・。流れるヘンデルのラルゴ・・・。単純に色彩だけで涙が出そうになってしまったことが思い出されます。
戦争の足音が近づく中での束の間の平和。家の格式を守ろうとする長女、三女の縁談に気をもむ次女、自由な世界に憧れる四女、そして三女に微妙な感情を懐く次女の夫・・・・・。
やっぱり「吉兆」の仕出し弁当は美味しかった・・・・くだりなど、今となって笑いを誘うエピソードも入っていて。
「雪子ちゃん、ねばらはったなあ」 柔らかな大阪弁も心地良い映画でした。

あと「吾輩は猫である」もお気に入りです。

ご冥福をお祈りします。

チャイニーズ・ルーレット

2008-02-01 | 日常

このパッケージ、なかなかいいデザインですね。
真ん中の「肉餃子」の文字が、何の肉でも最高の食材にしてしまう味に対する大きな自信を表していますし、シズル感たっぷり、ぱりぱりの焦げ目がついた写真が食欲を大いにそそります。極めつけは「本場中国」の文字。世界3大料理のひとつ中華料理の「本場」ですよ「本場」!!焼き餃子は中国には無い!という不埒な噂を払拭するキメコピーですね。そして左上に燦然と輝く「CO-OP」のロゴマーク。「安全・安心」のロイズ保険です。1844年にイギリス、ロッチデールで生まれた協同組合運動の長い歴史の結晶です。
これで売れないはずは無い!ですね。最高の食材を最高のレシピで作り上げ、万全の安全保障で食卓にお届けする!今年のデザイン賞はこれが本命でしょう。

世界同時株安

2008-01-25 | 日常

凧が揚がった!揚がった!と、喜んでいたらおもいっきり株が暴落してしまいました。世界同時株安です。こうなっちゃうとリスクを軽減するために日本、NY、ロンドン、インド、ブラジル・・・と分散させてた資産があれよあれよと落ちていきます。やっぱり素人は普通預金で何もせずにほったらかしにしてた方が害はないし、精神的にも良さそうですね。

少しだけ株式投信をやっていると、1720年にイギリスで起きた「南海泡沫事件」(South Sea Bubble バブル経済の語源)なんかの滑稽なドタバタが身近に感じられて勉強になります。(かなり言い訳ですが)

多少戻して来てますが、しばらくは低迷するんでしょうね。となると・・・「買い!」なんですけど・・・。

壱岐の鬼凧

2008-01-15 | 日常
年末に島原に旅行に行った際、フェリー乗場の売店で、新春らしさを演出するため壁にでも掛けておこうかと買ったのがこの凧。以来ほったらかし。成人の日、たまたま近くの公園に出かけることになったので、この凧も持って行きました。正直、売店で買った和凧なんて揚がる訳が無いと馬鹿にしていました。というか子供時代、駄菓子屋で求めた凧はどれ一つ満足に揚がらなかった記憶が・・・。
公園に到着。ゲイラカイトを揚げている親子が何組かいます。こんな小さなお土産用凧ですから、ちょっと恥ずかしくなります。ところが糸を3mぐらい繰り出し風になびかせてみると・・・・、あら、あら、するすると空に揚がっていくじゃないですか。思わず「揚がった!」って叫んじゃいました。一躍公園中の注目の的です(たぶん・・)。揚がり方もなんとも呑気ですが、洋凧の垂直的な揚がり方とは違って余裕のある態度で好感が持てます。多少の失速もすぐにリカバリーできる実力に感激でした。
この凧、「壱岐の鬼凧」という種類だそうで、袋の裏には「製造者 障害者授産施設 松浦作業所」と入っています。
この凧、最高です!揚がります!楽しいです!安いです!
長崎土産に最適です。

娘そっちのけで凧揚げに興じた休日でした。