想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

なみだごえ。

2013-05-05 14:15:55 | 日記

〔節句〕

ということで、父が出前をとってくれて、
おいしい中華をみんなで食べた。

食べながら、
ミスターと松井選手の授賞式を見ていたんだけど、
感極まった徳光さんの声に、
みんなで笑ってしまったよ。

いやあ、感激したんでしょうね。
野球は普段見ないけど、
こんな私でもすごい光景だというのは感じた。

ゴジラが投げて、
ミスターが打って、
審判が総理。

すごい光景だ…。



〔微力な魔法〕

されど、続いてゆけば、頼りになる魔法。
毎月、小さな奇跡みたいなことが起こって、
どうにか難を逃れているような気がする。
生活がなりたっているのが、嘘のように想う。
だから、他人に「どうやって暮らしてるの?」と聞かれても、
答えられない。どうせ信じやしないだろうし、
逆に、つけいれられたり、利用されたりするのを恐れている。

内心、恐れている。非常に。

こんな生活がいつまで続くのだろうとか、
来月こそ死ぬのではなかろうかと、恐れてしまう瞬間があり、
そのたびに、いや、こういう時こそ、試されているのだと問いただす。
こういう時こそ、揺らぎない自信を持つこと。
それが、次の奇跡に繋がるのだろう。
歳をとること、
心が薄汚れること、疑うこと、
どれも、恐れてはならない。
子供を育てることと、病人を看取ることは、聖職だと、想っている。
そういう想いと共に、生きている。
天が与えてくれた、聖なるお仕事。

子供と病人には、かなわないよ…。



〔世界は魔力に満ちている〕

第一次成長期とか、
思春期とか、やたら不安定だった。
周りは魔法だらけで、
惡念を抱くことすら怖かった。
何かの事象につながってしまうのではないかという、妄想。
12の時から、祈りを始めた。
戦争が怖かった。
あれから、何度、戦争で死ぬ夢を見たか判らない。
父との関係に悩まされて、死にたいと想ったこともあった。
世界が絶望的だった。

どうして、人類は滅びないのだろう?
明日には滅んでしまうかも知れない。
私は、消えてしまわないだろうか。
生きることへの恐れ。消えることへの恐れ。
夢への恐れ。

オーストラリアに行きたいのも、
屋久島に行きたいのも、
そして行くことができない理由も、
なんだか、見えてしまう。

目を覚ましたくない、理由。

ひょっとしたら、今願ってることの、根底にあるものの正体って、


何故、人間を選んだかなんて、どうせみんな判ってるくせに。




世界のみんなが、目を覚ませばいいのに。



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