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想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

心はいつまでも貴方の背中を覚えてる。この想いを抱いて、わたしは歩む。わたしだけの道を、静かに踏みだしていく。

2025-05-28 20:59:58 | 日記
あの時、彼は塩すら撒かなかった。
  ――それでも何かが、確かに去っていった。

私は彼を「名もなき陰陽師」と呼んでいる──心の中でだけ。
本人に云えば、苦笑しながら除草剤を撒いて去っていくに違いない。

20年以上も前のこと。
東京都下の安アパートに、私は娘とふたりで住んでいた。

いや、正確には、
私と娘と、あと何か、と。

精神的な崖っぷち。
すでに私は壊れていた。
灰色の視界。感情のモザイク。
包丁の先を見つめる日々。

でも、私は思っていた。
「この世界がモノクロなのも、あの場所を探してしまうのも、みんな自分が壊れてるせいだ」

ただ、娘の笑顔だけが、一線を越えさせなかった。

そんなある日。彼が突然やってきた。
「様子を見に来たよ」と、笑って。

そして云う。「掃除しよう」

……掃除!? そんなに汚いの!?

でもその日、私たちは部屋を片づけ、窓を開け放ち、空気を入れ替えた。




そして次に放たれたのが。

「長野に来い」
「温泉行こう」
「親父の家に泊まれ」

謎すぎる誘い。
でも私と娘は、笑ってはしゃいで、それに乗った。

パーキングでソフトクリームを食べ、温泉に浸かって、蕎麦を啜った。
湯けむりの中、久しぶりに人間に戻った気がした。

帰り道、彼は車のハンドルを握ったまま、ぽつりとこう云った。

「いつの間にか、いなくなったな」

……何が?

「おまえの肩にいたんだよ。
ニヤニヤ笑ってる顔が。……けっこうヤバいやつだった。
連れて行こうとしてたよね」

……怖い!!

「喰われるって思った」
「でも、落ちてった」
「良かったよ」

除霊アイテムは、掃除と温泉と蕎麦だった。



彼は霊能者ではない。神職でも祓い屋でもない。ただの普通の人。
でも、「見えてしまう」人。そして、その怖さを知っている人。
波長が合えば見えてしまい、祓い方はわからない。勘で動く。だから、掃除する。

「笑っていたらいいと思うよ」
「ちゃんと風呂に入ってね」

そうしていれば、たぶん、変なモノは憑かない。

そして。

「もう頑張らなくていい。親父に甘えてみろ」
その一言は、雷鳴のようだった。

だって、これまで誰もそんなこと云ってくれなかったから。
「娘のためにしっかりしなさい」
「立ちなさい」
「甘えるな」
そればかり。

私、日本語もまともに喋れなかったんだよ?
その日、やっとやっと、少しだけ赦された気がした。

そして数日後、本当に父が来た。

「おまえ、この子にこんなもん食わせてるのか」

娘の手には、フードバンクでもらったカップラーメン。
それを見た父は、黙って私たちを引き取ってくれた。

そこから引っ越し、暮らし直し、今に至る。

娘は無事に成人し、自立。
父は大病を患い、介護状態。
私は、ゆるゆると復活中。
夜中にホラーチャンネルを観て、「わあ……怖いねぇ」と笑えるようになった。

そして、時折──
彼が庭に来る。
無言で、除草剤を撒きに。

私は霊のことは聞かない。
何故なら、彼がそれを「怖れている」ことを知っているから。
見えているから強いわけじゃない。
見えているからこそ、たぶん、誰より怖いのだ。

だから私は心の中で、そっと呼ぶ。
名もなき陰陽師。塩も祓詞も使わない、ただの人。
でも、彼は命の恩人。

信じるか信じないかは、あなたしだいです。





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