想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

がれきの向こうに紅葉。

2013-11-05 16:19:48 | 日記

山が色づいてきました。

今日の心療内科は、いいパターンで、
家の前で循環タクシーに乗り病院へ。
10分待ちで、診察。
会計待つ間、近所のケーキ屋さんに行って、娘のガトーショコラを買い、
会計済ましたら、循環タクシー最終便に間に合って、家の前で下車。

今日は疲れなかった。
毎回このパターンで行けば、無理なく通院できる。

診察。
前回の血液検査、相変わらず白血球の数は変わらない。
むしろ、増えているのではないか?
それよりも、過食とか、薬物依存が…
朝が、夜眠る前より疲れているという現実。
最近大きく体調を崩したことも、
この先、また父が戻ってくること。
限界だと思いませんか、と問われた。
在宅介護、育児、家事、仕事、ひとりでやるなんて、無理があるよね…?
勿論、ヘルパーさんがいるけど、
色んなこといっぺんに背負ってる。
無理がありますよね、と主治医は云った。
「できれば、仕事、休んで下さい」
でも、それじゃ、生活が…なんて、先生を困らせることは云えなかった。
「ハイ…」とうつむく。
そして次の予約を入れた。


家に戻って、
日も落ちて暗くなった部屋で、
電気もつけずに寝っころがって、考えた。
仕事を一時休止することを、真剣に考えた方がいいのかも知れない。
父が戻れば、病人中心の生活で、
自分の体調なんて後回しになってしまう。
いきなり休んだら現場の皆さんの迷惑になる。
倒れても、同情されても迷惑がられるだけなんだから。
父もそうだが、自分の身も護らないと。
自分で自分を護らないと。

でも。
一度、離れたら職場復帰は難しいのではないか。
私の代わりに人材は補填され、もう帰る場所はないのではないか。
そう思うとやるせない。
やっと、好きな仕事につけた。
歳をとっても続けたかった。
とにかく、カメラを手放したくない。
独立する?
それからどうするの?
稼げるの?
土、日だけでも現場に入れてもらおうかな。
父がケアの日は、身体を休める日だったが、仕事を入れて、どんどん憔悴していった。
介護は次第にきつくなるだろう。
主治医は、娘に手伝ってもらうことはできないか、
親戚は? 友人は? 手をかしてくれる人はいない? と聞いてきてが、
誰にそんなこと頼める?
娘だって、部活と勉強でいっぱいいっぱいだよ。
ああ、働かなくては。
娘を、専門学校に通わせるまで。
公立の高校で150万。専門学校でまた100万。
そんな折り、かの人から電話がきた。
岩手に行ったが、金が大変なんだ、って、

知りますか、そんなこと!?

私になにかしてやりたい宣言はいいよ。
もう来るな!
近づくな!
私に近づくな!!
お前に会わなければ、中古の家ぐらい買う貯金があったのに、

全部使いやがって~…

清里になんか行くんじゃなかった。
パースに向かえば良かった。
屋久島に向かえば良かった。

そんなこと考えても仕方ないのに、
…そうだ。
そうしたら、娘は、ここにいないことになる。

きっと、私は大丈夫なんだと想う。
私の想いは護れると想う。
数日前に、久しぶりに夢に出てきた母が、あんなに楽しそうに笑っていたから。
私たち家族は、憧れていた土地に引っ越しが決まっていて、
もう、住む場所をさまようこともなかった。
終の住処を見つけた。
母と共にそこに行く。
まだ、崩壊していない、K家。

崩壊した、我が家。

でも、この真っ暗な部屋に娘の「ただいま」が響くと、
私は立ち上がって、明かりをつけるのだった。
ケーキ、買ってきたよ。
すぐにご飯にしようね…。
そして、そんなことでも、幸せなのだった。
そらがいれば。
道は拓ける。

どうしてだろう。
魔法にかかったように、心が落ち着く。
この子が、大いなる夢を叶えて輝けるなら。
皿洗いだって、いいじゃないかって、思った。













コメント
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