わたくしは、よく衝撃的な映像を見る。
自分の意志で見る。
肉になってゆく牛、豚、鳥のこと。
保健所で殺処分される犬や猫。
戦争。
犯罪。
今日は、今さらだが、サリン事件のドキュメンタリーを見ていた。
いつもこういう残忍なことに関する映像を、
泣いたり、震えながら見ているわたくしを見て、
妹は「いい加減にやめなあ。楽しい映像を見ようよ」
と云うのだが、事実なんだから仕方ないと想っている。
わたくしは何を求めて真実を追究するのか。
やっぱり、根底に人間とは何か、という疑問があるような気がする。
そしてそれは、できれば早いうちに知って欲しいと想うのだ。
知らなければ、肉も魚も、
何の感情もなしに捨てるだろう。
捨てるのが当たり前なんて感覚で、
娘には生きて欲しくない。
いつだって自分の命を支えているものがあるんだって事実を知れば、
自分の命も大切に想えるのではないか?
わたくしのように、「自分殺し」に走って欲しくない。
こういう命を粗末にするやつは、きっと、
命って大事なんだって気づいた途端病気になって命を落とすような気がする。
「自分殺し」に歯止めをつけるための、
私の自衛策なのかも知れない。
生きたくても生きられなかった沢山の命を、
私はもっともっとこの身に知らしめて欲しいと願う。
昨夜は、少し酷だと思ったが、
娘に死刑のことを知ってもらった。
リアルな映像は見せないが、
ある意味すごくリアルだったんで、娘は見終えた後、
浴室に閉じこもってしまった。
まあ、数分後、体勢を整えて出てきて、
私の話も聞いてくれた。
そして、眠る前に猫とふくろうのかわいさ爆発映像を見て、
お互いもう一度体勢を整え、
眠るときはヘイリーの歌声を聞きながら眠った。
あのね。
人間はいくら理不尽でも正しいことを貫くべきだと想うのよ。
他者を傷つけちゃだめ。弱い者いじめはダメ。
自分だけ幸せになろうとしたって、きっとなれないと思う。
でも他者を気遣ったところで、また理不尽に命を断たれることもある。
それでも夜叉のようになったところで、
平穏な場所に還れる訳じゃない。
どんな状況にあっても、
気高いひとであれと、
私は君に伝えたかった。
運動会が近づいている。
組み体操は六年生最後の見せ場で、
今曲選びをしているそうだ。
なにかいい曲はないかと聞かれたが、
テーマが決らないことにはね。
海をテーマにしたら。ヘイリーの曲で、
って、
最近はヘイリーに浸かっている母と娘である。