「ただいま!」とドアを開けると見なれたぽぽろの風景。
しかし、今日もみんな無視!
「あそんでくれ~」と叫んでも無視?
でも、この光景を見て嬉しかったよ。
この棚の上を「ジャンプ台」と呼んだり「やんちゃ台」と呼んだりしています。
ぽぽろ名物・ジャンボすべり台のてっぺんにもなります。
私は講演会でよくこの棚がぽぽろ(学童)にとって、とっても大事な道具、遊具、居場所になっていると「自慢」します。
お母さん方にも「見慣れた風景」になってきたのかお迎えに来て、上から「お帰りなさい」と言われても怒る方はおられなくなったようです。
見学の学校の先生はそうはいきません。「そんな危ない所に登ってはいけません!!すぐに降りなさい!」「○○ちゃん、ダメでしょう!」という声が先ず出ます。出なくても、ぽぽろのスタッフが怒らないのでとっても戸惑っていらっしゃいます。
ぽぽろには学校のような‟校則”で“拘束”することはありません。というか、最初は我々も一応は「禁止」していました。ベニヤ板も張って棚に足をかけられなくしたこともあります。ところが、あきらめたというか、やってもやっても子どもたちは挑戦するし、いつの間にか非常線を突破してあがりこんでいますので、下で安全確保しながら容認しだしました。今では、もう全面解禁で挑戦する子らがいるといけいけモードで応援するようになりました。
私はこの「やんちゃ」は思春期の子どもたちにとってはとっても大切な経験だし、しかも仲間たちとやんちゃする経験は「ギャングエイジ」「仲間時代」にとって不可欠な経験と思えてきてならないのです。「ダメよダメよ!」の大人依存の時代から親も子も「親からの自律」「子からの自律」をめざして少しずつ距離を取り始める、「第三の世界」はそれを大きく励ます場だと思うのです。
ですから、講演などでは学童に行っている時は「子どものことは忘れてね!」「見ないでね!」「やんちゃさせてあげてね!」とよく話します。
右側のデンと座ったお二人さんも何とも言えないリラックスした様子ですが、私はこの左側の二人が特に気になります。

Kちゃんは一人で登ったんだろうね…。スタッフのMくんが大きな心の支えになっているのは間違いありません。Kちゃんが初登頂するときのドラマを是非とも聞かせてください、Mくん。
去年の今頃は彼の進路をめぐって地元の学校・地元教育委員会・支援学校・府教委と色々とやりとりしていたことを思いだします。(今年も就学・進学をめぐる相談ケースがありましたが、2月末に解決しました。)周りの評価はいろいろあっても、親御さんの選択は間違いないと確信していたし、必ず新しい学校になじんで成長できるとの「教育的な直感」も見通しもありました。
棚の上でリラックスして談笑している彼の姿の中に自分を出せるようになった彼の成長を強く感じるのです。思春期におき忘れそうになったものを今彼は取り戻す経験をしているのかもしれません。
ゆっくり、じっくりその時その時を輝かそうね。

ぽぽスクと本部の大阪障害者センター、放出のぽぽろ、先日はぽぽろ大東も含めて1日に4か所を回りました。
昨日はセンターで私が教員生活にピリオドを打ち、ぽぽろに来て最初に出会ったKくんのお父さんと、我が法人の成年後見共済会の事務局長・Yさんとの懇談もしました。彼は私にとってのぽぽろでの記念すべき「イニシャルケース」です。支援学級で1年間不登校状態にあったのですが、支援学校への転校の希望がかなえられないという相談ケースでした。しかも、思い余って4月3日に転校の希望を出されたという通常では考えられないケースでした。かなり難航しましたが、7月に転校が実現して胸をなでおろしたことを昨日のことのように思い返すことができます。あれからもう6年、彼は高等部の1年生です。最初はご夫婦でいらした相談でしたが、お母さんはご病気になられ亡くなられましたので、お父さんは「親亡き後」のKくんの将来が不安でなりません。無念の思いで先立たれたお母さんの遺言も背負っての相談でした。今回は成年後見共済会につなぐ、「親からの自律・子からの自律」の力をつけていきながら、少しずつ安心できる関係を築いていきましょうという話で終わりました。
その彼も先日のぽぽスク・青年のつどいに招待させていただいたところ、親子で顔を見せてくれました。
とっても成長した彼の姿を認めたヤンボラ・ヤンクラスタッフたちも心底から喜んでくれました。卒業までにまだ2年あるので、ぽぽスクまで一人で来れるようにしましょうよと話しました。私は彼ならできると思うのですが、お父さんは信じていません。
さて、ぽぽスクは3月に開所し、私はそこの「所長」をやることになりました。来月から水曜日はぽぽスクの授業に毎週入ります。隔週で行われる「調理実習」と「社会見学」を青年たちと一緒に楽しもうと思います。
で、ぽぽろはどうなるの!?私たちはどうしてくれるのだ!と今日はYちゃんのお母さんに迫られました。そうです、今日はぽぽスクの体験会に出て、昼は新聞の取材を受けて、「引きこもり」の方の親ごさんお二人とお話をして、午後からのぽぽろの療育に帰ってきました。もう「多動」の突き当たりだと言っていますが、第二土曜日と第三金曜日はぽぽろの療育に入る予定です。第一木曜日にも来てほしいと言われています。「守る会」ぽぽろ支部の例会です。相談させてください。頼まれたら断れない私はそう答え、「支部の活動なので、私が主催者として運営に関与するのではなく、皆さんが主役で運営するなかに私を位置づけ、私をうまく使ってください。そしたら参加させていただきます。」と、お返事させていただきました。できれば皆さんとご一緒に「学びの場」を広げる運動を続けたいものです。
ぽぽスクでもドラマがどんどん生まれています。
木曜日に初登所のHoくん。張り切り過ぎたのかその日の夜は2時まで起きていたそうで、次の日は起きられなくてお母さんの出勤時間に間に合わなくなり、お休みでした。「超ゆっくりペースでもいいからね」。一見いらちに見える学友のHaくんにも急かさないようにゆっくりペースでいこうねと頼むと、指で○をつくって笑顔で応えてくれました。

この日の収穫物。「はくさい」「ねぎ」「みつば」とちゃんと伝えてくれました。小松菜は畑作りの名人スタッフのIさんからいただきました。いつも大変お世話になります。

堺のほくぶ作業所のお弁当。鮭のムニエルが超美味しかったけど大飯食いにはちょっと量が…でした。

今日のぽぽすく体験会です。1名はインフルエンザで欠席で、11名の方が参加していただき、説明会もしました。
若手スタッフのSさんの授業は見学のお母さん方の感想を聞くと、丁寧に子どもたちの意見を引き出していただき、間違っていても決して否定しない返し方で、徐々に手をあげて発表する子どもたちが増えるという、生徒(ぽぽスク生は学生と呼びます)主体・生徒参加型の授業で楽しかったという評価をいただきました。少しずつ、「授業」(しかも参加型の授業)というものに慣れてきたのかな?
本日ご協力いただいた皆さん、どうもご苦労様でした。


しかし、今日もみんな無視!
「あそんでくれ~」と叫んでも無視?
でも、この光景を見て嬉しかったよ。
この棚の上を「ジャンプ台」と呼んだり「やんちゃ台」と呼んだりしています。
ぽぽろ名物・ジャンボすべり台のてっぺんにもなります。
私は講演会でよくこの棚がぽぽろ(学童)にとって、とっても大事な道具、遊具、居場所になっていると「自慢」します。
お母さん方にも「見慣れた風景」になってきたのかお迎えに来て、上から「お帰りなさい」と言われても怒る方はおられなくなったようです。
見学の学校の先生はそうはいきません。「そんな危ない所に登ってはいけません!!すぐに降りなさい!」「○○ちゃん、ダメでしょう!」という声が先ず出ます。出なくても、ぽぽろのスタッフが怒らないのでとっても戸惑っていらっしゃいます。
ぽぽろには学校のような‟校則”で“拘束”することはありません。というか、最初は我々も一応は「禁止」していました。ベニヤ板も張って棚に足をかけられなくしたこともあります。ところが、あきらめたというか、やってもやっても子どもたちは挑戦するし、いつの間にか非常線を突破してあがりこんでいますので、下で安全確保しながら容認しだしました。今では、もう全面解禁で挑戦する子らがいるといけいけモードで応援するようになりました。
私はこの「やんちゃ」は思春期の子どもたちにとってはとっても大切な経験だし、しかも仲間たちとやんちゃする経験は「ギャングエイジ」「仲間時代」にとって不可欠な経験と思えてきてならないのです。「ダメよダメよ!」の大人依存の時代から親も子も「親からの自律」「子からの自律」をめざして少しずつ距離を取り始める、「第三の世界」はそれを大きく励ます場だと思うのです。
ですから、講演などでは学童に行っている時は「子どものことは忘れてね!」「見ないでね!」「やんちゃさせてあげてね!」とよく話します。
右側のデンと座ったお二人さんも何とも言えないリラックスした様子ですが、私はこの左側の二人が特に気になります。

Kちゃんは一人で登ったんだろうね…。スタッフのMくんが大きな心の支えになっているのは間違いありません。Kちゃんが初登頂するときのドラマを是非とも聞かせてください、Mくん。
去年の今頃は彼の進路をめぐって地元の学校・地元教育委員会・支援学校・府教委と色々とやりとりしていたことを思いだします。(今年も就学・進学をめぐる相談ケースがありましたが、2月末に解決しました。)周りの評価はいろいろあっても、親御さんの選択は間違いないと確信していたし、必ず新しい学校になじんで成長できるとの「教育的な直感」も見通しもありました。
棚の上でリラックスして談笑している彼の姿の中に自分を出せるようになった彼の成長を強く感じるのです。思春期におき忘れそうになったものを今彼は取り戻す経験をしているのかもしれません。
ゆっくり、じっくりその時その時を輝かそうね。

ぽぽスクと本部の大阪障害者センター、放出のぽぽろ、先日はぽぽろ大東も含めて1日に4か所を回りました。
昨日はセンターで私が教員生活にピリオドを打ち、ぽぽろに来て最初に出会ったKくんのお父さんと、我が法人の成年後見共済会の事務局長・Yさんとの懇談もしました。彼は私にとってのぽぽろでの記念すべき「イニシャルケース」です。支援学級で1年間不登校状態にあったのですが、支援学校への転校の希望がかなえられないという相談ケースでした。しかも、思い余って4月3日に転校の希望を出されたという通常では考えられないケースでした。かなり難航しましたが、7月に転校が実現して胸をなでおろしたことを昨日のことのように思い返すことができます。あれからもう6年、彼は高等部の1年生です。最初はご夫婦でいらした相談でしたが、お母さんはご病気になられ亡くなられましたので、お父さんは「親亡き後」のKくんの将来が不安でなりません。無念の思いで先立たれたお母さんの遺言も背負っての相談でした。今回は成年後見共済会につなぐ、「親からの自律・子からの自律」の力をつけていきながら、少しずつ安心できる関係を築いていきましょうという話で終わりました。
その彼も先日のぽぽスク・青年のつどいに招待させていただいたところ、親子で顔を見せてくれました。
とっても成長した彼の姿を認めたヤンボラ・ヤンクラスタッフたちも心底から喜んでくれました。卒業までにまだ2年あるので、ぽぽスクまで一人で来れるようにしましょうよと話しました。私は彼ならできると思うのですが、お父さんは信じていません。
さて、ぽぽスクは3月に開所し、私はそこの「所長」をやることになりました。来月から水曜日はぽぽスクの授業に毎週入ります。隔週で行われる「調理実習」と「社会見学」を青年たちと一緒に楽しもうと思います。
で、ぽぽろはどうなるの!?私たちはどうしてくれるのだ!と今日はYちゃんのお母さんに迫られました。そうです、今日はぽぽスクの体験会に出て、昼は新聞の取材を受けて、「引きこもり」の方の親ごさんお二人とお話をして、午後からのぽぽろの療育に帰ってきました。もう「多動」の突き当たりだと言っていますが、第二土曜日と第三金曜日はぽぽろの療育に入る予定です。第一木曜日にも来てほしいと言われています。「守る会」ぽぽろ支部の例会です。相談させてください。頼まれたら断れない私はそう答え、「支部の活動なので、私が主催者として運営に関与するのではなく、皆さんが主役で運営するなかに私を位置づけ、私をうまく使ってください。そしたら参加させていただきます。」と、お返事させていただきました。できれば皆さんとご一緒に「学びの場」を広げる運動を続けたいものです。
ぽぽスクでもドラマがどんどん生まれています。
木曜日に初登所のHoくん。張り切り過ぎたのかその日の夜は2時まで起きていたそうで、次の日は起きられなくてお母さんの出勤時間に間に合わなくなり、お休みでした。「超ゆっくりペースでもいいからね」。一見いらちに見える学友のHaくんにも急かさないようにゆっくりペースでいこうねと頼むと、指で○をつくって笑顔で応えてくれました。

この日の収穫物。「はくさい」「ねぎ」「みつば」とちゃんと伝えてくれました。小松菜は畑作りの名人スタッフのIさんからいただきました。いつも大変お世話になります。

堺のほくぶ作業所のお弁当。鮭のムニエルが超美味しかったけど大飯食いにはちょっと量が…でした。

今日のぽぽすく体験会です。1名はインフルエンザで欠席で、11名の方が参加していただき、説明会もしました。
若手スタッフのSさんの授業は見学のお母さん方の感想を聞くと、丁寧に子どもたちの意見を引き出していただき、間違っていても決して否定しない返し方で、徐々に手をあげて発表する子どもたちが増えるという、生徒(ぽぽスク生は学生と呼びます)主体・生徒参加型の授業で楽しかったという評価をいただきました。少しずつ、「授業」(しかも参加型の授業)というものに慣れてきたのかな?
本日ご協力いただいた皆さん、どうもご苦労様でした。

