大阪発達支援センターぽぽろブログ ぽぽろ番

ぽぽろはNPO大阪障害者センターの子育て・教育支援部門です。
大阪市鶴見区今津北にあります。

ジャックの熱い熱い帰国報告

2012年07月14日 | ヤンボラ・ヤンクラ
 帰ってきたぜ、ジャックだぜ。

 こんにちはみなさん報告遅れてすいません。僕は6月24日に日本へ帰ってきました。
 第一回の報告ぽぽろに送ってから久しぶりです。滞在中になかなか報告を送れなかってすいません忙しい日々が続いていました。

 滞在中はいろいろな出来事があり悩み、楽しみ、悲しいこともありました。
 最近の出来事で一番大きかったことはガールフレンド(友達)が出来たことです。名前はジェ○○といいます。
 彼女は高機能性の自閉症を持っています。彼女とは彼女が通う大学の発達障がい者の当事者活動のサークルを見学させてもらったときに出会いました。そのときに見たときからかわいい子だなと思いました、でもいつも自信満々の僕には珍しく、絶対にボーイフレンドもいるだろうし、僕なんか相手にしてくれないだろうなと本気で思いました。
 そこでそわそわしていたのを僕と一緒にアメリカに行ってくれた支援者の人が気づいて、どうしたのと聞かれて僕はジェ○○と友達になりたいと伝えました。彼はジェ○○に伝えるべきだと言いました。なんとか恐れを思いを振り切って頑張って名刺を渡したら。すぐにフェイスブックで友達になってくれました。ジェ○○はすごくかわいくて彼女といるといつも穏やかな気分になりました。今まで僕が生きてきた中で味わったことのないような気分を、彼女といるとたくさん味わえました。僕は今まで誰かを受け入れることよりまず自分のことを受け止めてもらうことばかり考えていた、でも彼女とであって誰かを受け入れること、そしてないか同じ体験をシェアすることがこんなにも楽しいことなんだなと言うことに気づきました。それから彼女とは何度も出かけました。フェスティバルに行ったり、映画館に行ったりしています。こんな子とずっと一緒に入れればいいなと思います。彼女とは日本に帰ってからも連絡を取り続けています。
 でも面白いことに僕たちは性格も好みも全部正反対です。障害の特性上も真反対なのはもちろんですが、彼女は日本の音楽や漫画が好きで、僕はアメリカの音・u條yや野球w)などの文化が大好き。彼女は野球のことやロックンロールのことは分からないし、僕は漫画とかアニメはちんぷんかんぷんなので時々本当に会話に困るときがありました。でもお互い遊んだり同じ時間をすごす事が出来るのはやっぱりお互いがそれなりにお互いのことを好きなのだからだろうなと思う。今回のことで学んだ事は障害上の特性や趣味や特技が真反対でも友達になれるということです。障害とか趣味とかあまりそういうことにとらわれるのはよくないなと思いました。


 この次は念願の野球観戦のことを書きます。本場の野球観戦することは僕の15年来の夢であり、ある種アメリカに来た目的でもありました。
 5月23日朝早くに家を出てオークランドというサンフランシスコの隣町に向かいましたオークランドアスレティックス対ロサンジェルスエンジェルスの試合を見ました。アスレティックスは僕が5年ぐらい前から僕がずっと応援しているチームです。去年ブラットピッドのマネーボールという映画で題材になったチームです。
 試合会場のオークランドには11時に着きました。チケットを買って中に入ってスタジアムの全体を見渡せたときのこみ上げてくる思いはすごかったです。僕は席の場所を覚えてから選手のサインをもらいに行きました。
 ここでも感動したことがありました。球場の係員の人が選手のことを何でも知っていて、感動しました。そのうえ上手く選手と観客の間を取り持って円滑に選手やコーチにファンサービスできるようにしていました。日本でも何度か僕は選手からサインをもらったことがあるけど、ファンがサインをもらおうとすると警備員は邪険そうにするし、選手もめんどくさそうに対応していました。やっぱりこっちは試合を見せるほう(選手)も作るほう(スタッフ)も本当にプロなんだなと感動したと同時に僕もこういう仕事をしたいと本当に思いました。
 試合は延長戦までいき4時間ぐらいあったのですが、こっちにきて初めての野球観戦は本当にあっという間だったです。試合は3対1でアスレティックスが負けました。
 そのあとの5月26日にはホストファミリーの同僚の人の招待で僕が今住んでいるところのマイナーリーグのチームサクラメントリバーキャッツのゲームに行きました。その日の目玉はメジャ<梶[グで555本のホームランを放っているマニーラミレスが試合に出場することでした。ここでも座席の場所を覚えてからサインをも・u桙轤「に行w)きました。やはりベンチ付近はマニーのサインをもらおうと大混雑そんな仲でも僕は何とかアスレチックスの(リバーキャッツはアスレチックスのマイナーチーム)プロスペクト(有望株)のミッチェルという選手にサインをもらうことが出来ました。ここでもファンへの対応は心地よいものでした。試合は一方的リバーキャッツが打ちまくり10対0と快勝しました。試合後の花火はとても綺麗かったです。


 その2日後にダウンタウンにあるカリフォルニアの州議事堂に行きました。障害者政策の予算を決める会議を見に行くためです。会議の内容はとても複雑でとても僕が分かるような内容じゃなかったけど。驚いたのは当事者の人たちが議員相手に堂々と発言していたことです。議院の人たちも熱心に(政策に反映するかは分からないが)耳を傾けていました日本では訴えに行っても教育委員会とか厚生労働省のそんな下っ端の人間とかしか出てこないけど、障がい者が議員と対等に話をする機会があるというのは本当にすごいと思います。こっちの当事者活動では当事者自身が陳情の手紙を書いたり、議員に訴えに行っています。そういうところをじかに見ると本当に日本の福祉や教育の現状との落差を感じました。

 6月7日と8日にカリフォルニア州全体の当事者の会合がありました。300人ぐらいが一堂ホテルに集まって ワークショップや講演などがありました。僕はその中の一つの講演でホストファミリーの人と一緒に司会をさせてもらいました。僕が一番楽しかったのはデーティングゲームとダンスパーティーです。特にデーティングゲームは面白かったです。前に4人出てきて、1人が3人の相手に質問をして好みの相手を探り当てるというゲームです。僕も参加をしました。僕はハイテンションでヘイベイビーとか馬鹿な事を言ったのでもちろん選ばれませんでした。そのあとダンスパーティーはデーティングゲームでは勝てなかったし、ジェ○○は参加していなかったので、ダンスの相手を探す必要がありました。始まってから気になっていた女の子に声をかけたら一緒に踊ってくれることになりました。本当に楽しい夜が過ぎて行きました。

総括すると本当にあっちではいろいろな人にお世話になり、助けてもらいました。自分自身駄目だなと思う部分もいっぱい見つかりました。僕はもっといろんなことで成長していかなければならないw)と思いました。




















(いやぁ~、熱い熱い報告をありがとう。帰って来てからのきみのトーンが低いのは恋の悩みからか?しかし、好きな人ができるということは、こういうことなんだ。自己認識が変わってよかったよね。帰国報告会を楽しみにしているよ。文字化けの部分がいくつかあって、解明できなかったところをそのまま載せています。連絡を待っています。ぽぽろ番)

てるてるウラベ

2012年07月08日 | 児童デイサービス
 今日は本当に久しぶりのオフでした。
 おかげさまで、ブログも書きました。

 7月とは思えない清々しい日曜日。
 夕方の散歩がとても気持ちよかった。
 これも、Hちゃんのおかげです。
 てるてる坊主が効いたんだよねぇ。
 「おじいちゃんせんせい」は晴れ男だァ。




 しかし、Hちゃん、どうして頭の毛よりヒゲの方が多いの?
 「毛が三本」
 わかった!おじいちゃんは「どこでもドア」を持つドラえもんだからだ!神出鬼没な多動な毎日を送っているもんね。突然、Hちゃんの後ろにも現れるぞ〜!


いつも悩む問題…

2012年07月08日 | ノンジャンル
 こわがりのMaちゃんは犬のラッキーの散歩はFくんとYくんに任せて、ひたすら運んできたトーマスの貨車をガラガラいわせて公園内をぐるぐる押して回っていた。
 そして、あることを思いついてラッキーのおっちゃんに散歩用の長い紐を貨車に結び付けろと頼んだ。このおっちゃんは一人ひとりの子どもたちの特徴をよく知っていて、付き合い方も上手だ。Maちゃんが繰り出すジェスチャーと動作と表情を読み取ってちゃんと台車に紐をくくりつけてくれた。
 Maちゃんは嬉しそうにトーマスの台車を引いて公園内を散歩し出した。

 一方、FくんとYくんはラッキー散歩に興じていたがしだいに飽きたのか、ラッキーが嫌がり出したのかFくんが突然ラッキー散歩を放棄して、Maちゃんがせっかくここまで運んできたトーマスの貨車を取り上げて走り出した。
 
 呆然と立ちすくむMaちゃんの横をYくんが追いかける。全く言うことを聞かなくなってブレーキばかりかけるラッキーよりは、引っ張ればガンガン走るトーマス貨車の方が面白いと思ったのだろうか?


 今度は木の枝に紐を引っかけてエレベーター遊びだ。Maちゃんは横取りされてちっとも面白くない。鼻くそでもホジホジしてヒマつぶしでもしようかいな…。


 次は近所の子らに混じって「綱渡り」。…と、身軽なFくんも降りることができません。そこへ俺もとかなりの勇気をふりしぼってやって来たYくんでしたが、後戻りしようにもスイスイとわたってきた女の子に直面して立ち往生。
 どのようにして降りたのでしょうか?①こわごわながら自力でなんとか降りた。②女の子について行き、引き返して降りた。③私に「抱っこ!」と言ってしがみついて降りた。正解は…。





 さて、本題はここからです。
 この「大東3人組」(組み合わせはたまたま)の写真は2週間前の土曜日のものだ。この3人を連れてぽぽろの改修工事現場を見学してからラッキーのおっちゃんのところへ寄り、ラッキーと一緒に公園散歩した時のものだ。おっちゃんは私に向かって「あんた一人かいな?!」と言わはったが、そうなのだ、スタッフは私一人だった。なんと無謀なことをと思われますか?

 1週間前にはこの話を聞いてか、学生スタッフのUくんがFくんとMaちゃんを一人で連れて散歩していた。「やっぱ、一対一で出かけるよりは複数で出かける方がお互いに牽制し合ったりするからええやろ?」と聞くと「ハイ」と応えた。内心はヒヤヒヤもんだったかもしれない。かく言う私は(も?)「神経を使った」。

 私は往き道で走らないことという約束に重ねて「Fくん!今日は3人のリーダーやで、頼んだよ。」と頼めないことを承知でお願いした。しょせん、「約束なんて破るためにあるもの」と言った誰かのことを思い出しながら競歩で追いかけた。でもFくんはリーダーの約束を工事現場の見学が終わるまで20分も守ってくれた。150点や!見学が終わってラッキー&ラッキーのおっちゃん大好きモードに切り替わったFくんは、もう約束など忘れて先頭を走っていた。

 この経験をこの日の「発達保障を学ぶ学習会」で話した。
 大人と子どもの一対一だと双方の意図が正面からぶつかり合ってなかなか折り合いがつけられるものではない。Fくんの場合、特に遊びの切り替わりの時が更に難しいのです。だから、私はできるだけFくんと散歩するときには友だちを誘って複数で行くようにしていると。そうすると、3人だと三角形になって向き合う心が友だちにも向き、友だちとの関わりを調整するようになり、「しゃぁないなぁ、待ってやろうか…。」「おい〇〇、いっしょにやろうぜ!」というふうになってお互いに楽な気持ちで遊べるようになるからいいよ…と。

 確かにものすごく神経を使うときもある。例えばこの日もFくんが収納用のコンテナの陰に隠れた瞬間があった。瞬間といっても5〜10分で見失いそうになりながら探し、他の二人のことも気にしつつ対応したのだが、どうも様子がおかしいのでつかまえて聞くと、「ウンチしたい」なのだ。ズボンをコンテナの陰で下げようとしていたので、帰っていたら間に合いそうにない。で、ラッキーのおっちゃんもやりとりを聞いていたので、「F、うちに来い。便所貸したるわ。」と言っていただいてセーフ。もし、おっちゃんが言ってくれなかったら、又私がうろたえようものなら、どうしたらいいか分からなってFくんは「多動」のスイッチが入ったに違いない。



 この日の事例検討の対象は運のいいことにたまたまFくんだった。

 そして、たまたま「行方不明事件」があった直後でもあった。だからあえて散歩はできるだけ友だちと複数でやろうという私の持論を証明したくて3対1を受け入れたのだが…。

 子どもの安全管理はしっかりやらねばならない。その点を指摘されると行方不明にした当方の責任と落ち度は免れるものではない。また、迷惑も心配もおかけしてしまった。

 その議論の後に、なかなか言いにくかったが、私はあえてこう提起した。

 「もし、知り合いの方に発見されず、時間が経って我にかえったときに彼は窮状をどう切り抜けただろうか?一人でまた帰ってこれただろうか。自分の名前やぽぽろのことを伝えられただろうか。」「どんなに注意しても一瞬のスキを見て居なくなることはこれからもあるかもしれない。そんなときに何か手渡せるような緊急連絡先証明書のようなものを持たせたらどうだろうか。そんな時にはこうするというロールプレイをしてもいいかもしれない。」と。困ったときに人に頼れる力をどうつけていくのか?「自立」をあえて自律ととらえる見方に立つと、自分の行動を可能な限りコントロールし、失敗しても立ち直る、困ったときには誰かに救いを求める、そんな力をつけて欲しいと思っている。

 ぽぽろではまさか安全管理だと言って狭い(今は)部屋の中に閉じ込めておくなんてできないし、外遊びをしないなんて考えられないことだ。そんなことをしたら子どもたちはぽぽろに来たくなくなるだろう。ぽぽろらしさを失わないようにちゃんと説明し、「事件」以来のここに書いたような出来事も参考にご家族に理解していただくしかない。
 3人との外出につき合い、みんな少しずつ自分をコントロールする力を付けてきていると確信もしたのですが、子どもたちの要求を大切に遊びの中で友だちやスタッフなどと折り合いをつける、「自律の力」をつけていくとりくみは子どもたちの失敗経験も大いに力にする取り組みであるし、時間がかかるのです。
 そうではなく安全・安心ばかり求めるあまり子どもを管理ばかりしていると、これから先どうなるんだろう?というようなことも考えた「事件」でした。安全が確保されたので、彼の側から前向きに方向性を出そうとするならば、今回の件は「Fくんの大冒険事件」と呼んだらいけないのだろうか?


 次回の学習会では、Fくんの発達検査をさせていただいた上でもう一度、事例を深めることになりました。関係者の皆さん、7月28日(土)時間を少しずらして午後5時半から放出で待っています。


 別件ですが、11月24日(土)の晩に学習会のテキスト『やわらかい自我のつぼみ』をお書きになった白石正久先生がいらして下さることになりました。具体的な事例を誰にするか?テキストのどの部分をふかめるか?公開にするかどうか?などみんなで決めたいと思います。