水戸歴史に学ぶ会

水戸を中心に茨城県内外の史跡及び歴史事象を訪ね、調べた結果を講演会や文章にしています。ときには史跡の整備もしています。

埼玉稲荷山古墳出土の鉄剣銘文と日本の建国

2022-05-04 08:54:44 | 日記

 今回5月3日(火)に、特別講演会「稲荷山古墳出土の鉄剣銘文と日本の建国」を開催しました。本来は、2月11日の「建国記念の日」を予定していましたが、コロナ禍のために(なお当日は大雪の朝でした)「憲法記念日」の本日に延期開催しました。どちらも、国柄「国体」を考えるには良い日であると思います。

 世界各国とも国家の誕生を祝っています。日本国家の誕生は、明治維新以降天皇を主権者とする立憲君主国として位置づけ、初代神武天皇が即位された2月11日を「紀元節」として祝ってきましたが、昭和20年の敗戦後制定された新憲法では天皇は日本国の象徴となり、以前の「紀元節」は否定されました。それにより、日本国家の誕生は何を基準とし、また何時とすればよいのかなど世論が分かれてきましたが、昭和41年に政令で2月11日が「建国にふさわしい日」とされ、翌年から「建国記念の日」(祝日)が誕生しました。

 天皇を「統治者」とするか「象徴」とするかの大きな違いとなりましたが、皇室の存在を再認識し、歴史伝統の継続を重んじた結果のことと多くの国民に受け入れられました。

 本日が、我が国の歴史書の原点である『古事記』『日本書紀』の内容と、今日進みつつある「考古学」の成果を踏まえて、「建国の理想」と「現憲法」を併せ考える機会となれば幸いです。

1. 稲荷山古墳鉄剣の金錯文字の意味
  ワカタケル大王(第21代雄略天皇)に仕えたオワケノオミが当家8代にわたる歴史を刻んだ誇り高き志に感歎します。作製の年は471年と推定されます。このころには、地方の有力者が磯城(しき)の宮(奈良県)の大和朝廷に仕えていたことが分かりますし、逆に大和政権の力が関東にまで及んでいたことを示します。ちょうどこのころ、熊本県の江田船山古墳から出土した銅鏡にもワカタケル大王の文字が刻まれていました。大和政権が九州にまで及んでいたことを示します。

2. 建国を考える
  日本列島に住人がいて、石器時代・弥生時代・古墳時代と様々なすぐれた文化を生み出して来ましたが、国家としてはいつ成立したのでしょうか。『日本書紀』では、初代の天皇が奈良の橿原で即位され、「民に利あらばなんぞ聖(ひじり)の業(わざ)に違(たが)わん」(「民安かれ」)、(この理想を以て)「八紘(あめのした)を掩(おお)いて一つの宇(いえ)となさん」(世界は一家のようにあろう「国平かなれ」)を天皇の責務と理想が謳われました。これが、日本が国家として出発した時と考えられます。その時は何時か、現在の研究によっては、紀元前後1世紀と想定されています。日本国家は二千年からの歴史を持つとしてよいかと思われます。

 すなわち、人が誕生したことも祝い日でありますが、どのような人間として成長を期するかの決意をした日が真の誕生日であると考えることと同じです(徳川光圀の18歳での立志がよい例です)

3. 神武天皇崇敬者
  戦国時代を経て江戸時代に入り平和な社会が出現 します。歴史の研究も盛んになり、初代神武天皇への注目が高まります。しかしながらそのころには、神武天皇の御陵は忘れ去られ、農夫は肥桶を担いで耕す有様。これを知った幕府の儒医松下見林、水戸藩主徳川光圀、阿波(愛媛県)の儒者柴野栗山、下野(栃木県)の儒者蒲生君平らが次々と修復整備を提唱、幕末には久留米(福岡県)の神官真木和泉守が、革新には「神武天皇創業の理想に返るべし」と唱えるに至りました。

 倒幕後の王政復古の大号令には、「諸事、神武創業の始めに基づき」の文言が入れられました。

4. 紀元節の制定
  こうして明治6年3月7日、旧暦の正月元旦とした神武天皇即位の日を以て「紀元節」が制定されましたが、太陽暦に換算すると1月29日となりました。その後さらに研究が進み、2月11日が正しいと変更されたのでした。

 5. 古伝のままに記録
 「(『日本書紀』には年代数の誤りが多く信用できるものではないとの考えに対して)我々が感謝しなければならぬ事は、当時の歴史家が、ほしいままに此の矛盾を解決し、不合理を除こうとしなかつた点に在る。もし彼等が、勝手に不合理を除こうと欲したならば、歴代天皇の数を水増しすれば良かったであろう。それを何等の作為もなく、古伝のままに記録してくれた事は、公明正大なる態度であり、学問的良心に充ちているものとしなければならぬ。
 このように、世界的視野に立ちつつ、忠実に伝承を整理した『日本書紀』は、神武天皇即位の日を、辛酉の歳正月朔日(ついたち)と記録した。明治の初め、それまで長い間、国民の悲願であつた神武天皇の追慕が、朝廷を動かして紀元節の制定となり、正確なる暦学の推歩によって、太陽暦に換算し、2月11日をその日と定められたのである。日本の国家建設を記念し、祝福する日、それは2月11日である。」(『フォト』昭和42年1月平泉澄博士寄稿抄録)

 我が家は清和源氏・桓武平氏を祖とすると誇りにする人々が多い。これすなわち皇室・神武天皇に繋がることであるけれども、そこまでは思い至らないことがほとんどである。それはともかく、素直に我が国の「建国記念の日」を祝い、理想国家の実現に邁進し、また絶えることなく悠久の歴史を重ねる努力を続けていきたいものです。

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