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広大な展示面積、53両もの車両がある京都鉄道博物館

2024年01月22日 | 博物館など

以前、埼玉県・大宮の鉄道博物館に行ったことはあるが、京都・梅小路の京都鉄道博物館をはじめて訪れた。2016年4月オープン、十数台のSLが扇形車庫からの顔を出す写真で有名な博物館だ。

駅正面烏丸口から西へ、新幹線からもよく見えるタキイ種苗のさらに先に13.7haもの大きさの梅小路公園がある。まず京都水族館、次に京都市電のある市電ひろばがあり、その先に旧二条駅・木造駅舎がある。後でわかったのだが、これはミュージアムショップで、出口だった。その先にやっと3階建ての博物館が現れる。1.2kmほどの距離だがずいぶん遠く感じた。
受付から本館までのプロムナードには、戦後の代表的な蒸気機関車C62、緑とオレンジ(湘南カラー)の長大編成電気機関車クハ86形、初代新幹線0系21形が並んでいる。この博物館は展示面積は約3万1000平方m、広大だ。

続いて本館に入ると、最高速度300㎞/hの新幹線521形、寝台車にも使われたクハネ581、クハ489の特急雷鳥が並ぶ。このように歴史的な車両が50両以上並んでいる。この点は大宮と同様だった。    
いちばん広い1階には「鉄道のあゆみ」「車両のしくみ」「鉄道の建設」の3つのブロックがある。
「鉄道のあゆみ」は型通りワットの蒸気機関、新橋―横浜間の鉄道開業から始まる。しかしJR西日本のエリアだけあり、関西の鉄道の歴史が詳しく説明される。1872年の新橋―横浜の2年後大阪―神戸が日本で2番目に開通。71年には天井川の下を通す石屋川トンネル武庫川鉄橋が敷設された。鉄道トンネルは日本初とのこと。76年7月の大阪―向日町を経て(9月大宮仮停車場)、77年5月大阪―京都が全通した。新橋といい神戸といい、海外との交易のある港と大都市を結ぶ路線を、まず政策的に敷設したことがわかる。
私設鉄道は1881年設立の日本鉄道に始まる。関西でも、85年阪堺鉄道・難波―大和川、88年堺まで全通で始まった。
私設鉄道は、上野-前橋、上野―青森、神戸―下関間など路線を広げたが、1906年の鉄道国有法により、国営(鉄道省)になった。ただしすべてが国有化されたわけではなく、大阪から和歌山に至る南海鉄道、岡山から北に行く鉄道、松山近辺の鉄道などは私設のまま継続したようだ。
そして「戦前の鉄道黄金期」を迎える。1912年新橋―下関間に日本初の特急列車が登場、さらに船も使い、朝鮮、シベリア経由でベルリンやパリまでまで行く「欧亜連絡輸送」が確立した。その陰には新逢坂山トンネル(1921)や丹那トンネル(1934)の開通があった。1929年には特急富士や桜が走り、30年には東京―神戸を特急燕が9時間でつないだ。
しかし戦時期に入ると、金属供出のため「不要不急線」の廃線・単線化が相次いだ。京都近辺では、1944年愛宕山鉄道の嵐山―清滝や市内―比叡山を結ぶケーブル線が廃止となり、京阪神急行の桂―嵐山が単線になった。嵐山線はずっと単線だと思っていたが当初は複線だったことをはじめて知った。
敗戦後、1949年日本国有鉄道(国鉄)が発足、戦後初の特急、その名も「へいわ」が東京―大阪を運行した。1953年には京都―博多の特急かもめ、車両近代化で58年には電車特急・こだま、非電化区間にはディーゼル特急キハ82形かもめが走った。その後64年10月新幹線開通する。一方モータリゼーションの時代を迎え、国鉄の経営は悪化し、ついに87年4月分割民営化に至る。
国鉄は汽車や電車だけではなかった。青函連絡船・八甲田丸や高速道路を走るバス・ドリーム号もあった。両方とも乗ったことがある。昭和の駅舎もあり、なつかしかった。まさに三丁目の夕日」の時代を体感できる博物館だった。
ここまでで見るのに1時間以上かかった。あとの予定もあったので、残りは駆け足で見ざるをえない。
「車両のしくみ」ブロックには、「車輪とレール」」(4種類のかたちの車輪)、「ブレーキのしくみ」(ディスクブレーキと路面ブレーキ)、ギア比の違う歯車による動力伝達など子どもが手でさわって実験できるコーナーが多数あり、大勢訪れる幼稚園や小学校の子どもたちが楽しみながら学べる。
「鉄道の施設」としてはレール、まくら木、架線だけでなく、踏切、信号・ポイント(分岐器)・閉そく、トンネル、橋など多様なものがある。
2階は「生活と鉄道」と「運行のしくみ」の2つのブロックがある。「生活」のなかの「鉄道と文化」には、食堂車や駅弁、映画・テレビ・音楽のなかの鉄道、錦絵の絵画と鉄道など6つのテーマの展示があった。
また「関西の鉄道」というコーナーがあり、阪急、京阪、阪神、近鉄、南海の私鉄5社が車両模型、記念切符などで紹介されていてなつかしかった。
「運行のしくみ」ブロックには、運転指令やATS(自動列車停止装置)などの展示があり、加速と停止線で車両を止めるブレーキの体験コーナーがあった。これは大人も楽しめた。
30m×10mの巨大なジオラマ室があった。1日6回(1回15分)の運行で、残念ながら時間的制約でわたくしは見られなかった。

企画展示室で特別企画展「銀河鉄道999が開催中だった。テレビアニメ放映45周年記念との説明があった。スリー9のタイトルとテーマ曲は知っているが、マンガもアニメも見たことはない。昨年亡くなった松本零士の作品でわたしが読んだのは「男おいどん」だけだ。絵だけみると、主人公・星野鉄郎とメーテルは、大山昇太と秋山さんなどの美少女に似ていた。
もともとは週刊キングの連載マンガ(1977-81)だったが、78年9月から2年半テレビ版アニメが放映され、79年に劇場版「銀河鉄道999」、81年「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」が公開された。テレビ版の主題歌の歌手はささきいさお、劇場版はゴダイゴだった。
その後、松本が96年からエターナル編を執筆、98年劇場版が公開され主題歌はTHE ALFEEが歌った。
それぞれの作品の設定資料とスチールが並んで展示されていた。その他2本の映画の高見義雄プロデューサー所有の書籍、レコード、松本氏との写真、2023年6月の「松本先生お別れの会」の写真や記念品などもあり、ファンにはきっと貴重な展示だと思う。
そういえばレストランには「鉄郎の愛する味噌ラーメン」(1100円)というコラボ限定メニューがあり、1階に999のモデルになった蒸気機関車C62も展示されていた(上から2番目写真、左側のSL)。

3階屋上はスカイテラスという名で、手前に走行車両、遠くに京都タワーや東山が見えた。
1階から外に出ると、国指定の重要文化財である広大な扇形車庫転車台が広がる。車庫だけで3800平方m、なんと20両にも及ぶ蒸気機関車が停車している。
車庫の裏に旧二条駅舎があり、そこが出口でミュージアムショップがあった。
何とも広大、車両も多く、見学に2時間半かけたが、それではまったく時間が足りなかった。
平日昼間なので、幼稚園の見学や親子連れが多いのは当然として、外国人観光客が多かった。
鉄博ではないが、梅小路公園には京都市電の車両が何台もあり、かつ路線図もありなつかしかった。週末のみ運行しているようだ(片道150円)。わたしは郊外に住んでいたので日常的に市電を使っていたわけではないが、一番思い出深いのは水泳学校に行く路線だ。阪急・西院で市電に乗り、円町まで北上し東に向かい、御所の南沿いに進み、熊野神社の電停で降りるコースだった。

☆帰りに神戸に行く用事があり、はじめて新開地の赤ひげ姉妹店という居酒屋に立ち寄った。この店を知ったのは、例によって居酒屋礼賛の記事を読んだからだ。本店は立飲み、姉妹店は普通に座って飲める居酒屋だそうだ。
壁には赤縁囲みや黄色の短冊がずらりと並び、壁際にも座席のカウンターがある。食べログによれば45席だがもっと広く見えた。スタッフは調理が4人、ホールが4人、調理は年配の人が多く、入口に近い比較的若い方がチーフのようだった。ホールは全員若者たちでやはり一番入口に近い方がレジも担当している様子だった。
わたしは、ポテサラ(250)、焼き鳥盛合せ4本(400)、湯豆腐(190)、焼おにぎり(200)、燗酒(白鶴350)、芋焼酎お湯割り(360)を注文した。焼き鳥は関東とはずいぶんイメージが違いわたしにはあまりうまくなかった。しかし湯豆腐は絶品だった。浜田さんの記事でも誉めていたが、出汁がうまい。これならだし巻玉子も注文すればよかった。ポテサラはボリュームがあるだけでなく新鮮だった。
ほかにおでんや刺身もある。スタッフはキビキビしていて酒や料理が届くのも早い。常連が多いようで、回転が早かった。よい居酒屋の条件を備えている。ぜひもう一度行きたくなる店だった。

赤ひげ 姉妹店 
電話:078-575-3990
住所:神戸市兵庫区新開地2-7-17
営業:10:59-23:01 
   水曜休み

●アンダーラインの語句にはリンクを貼ってあります。


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