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集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

ミリオンセラー誕生へ!

2008年10月17日 | 博物館など
月刊現代、論座、主婦の友など各社の看板月刊誌の廃刊ニュースが続いている。雑誌の販売額も1997年の月刊誌1兆1699億円、週刊誌3945億円をピークに10年以上長期低落傾向にある。そんななか「ミリオンセラー誕生へ!――明治・大正の雑誌メディア」という企画展が飯田橋の印刷博物館で開催されている。幕末の日本の雑誌誕生期から最盛期には発行部数150万部を誇るキングが発売される昭和初期までの雑誌を集めたものだ。3つの時期に区分し、日本の雑誌の流れを理解できるようになっていた。

1 啓蒙の扉(雑誌誕生-明治中期)
日本の雑誌の始まりは、幕末の1867年に発刊された「西洋雑誌」(江戸開物社)である。雑誌はMagazineの訳語である(これだけでは何の説明にもならないが)。明治初期の雑誌には、政治思想や西洋の新知識を扱うものが多かった。文部省雑誌(1874)、明六雑誌(1874)、西国立志編(1871)など、いかにも「啓蒙の時代」にふさわしいタイトルが並んでいる。この時期は文字のみの雑誌であった。
なお西暦年は必ずしも創刊年ではなく、展示品の発行年である(以下同様)。
2 商業誌時代の幕開け(明治中期-明治末期)
明治33年には就学率が95%に達し読者人口が増え、鉄道が発達し取次業が成立して全国への配本が可能になった。女性雑誌や文芸誌も発刊されジャンルがいっきょに広がった時期である。
反省会雑誌(のちの中央公論 1888)、ホトトギス(1903)、東洋経済新報(1895)、女学世界(1901)、婦人画報(1905)、青鞜(1912)などが並び、なかには100年の歴史を持ち今も続く雑誌も創刊された。
注目すべきはビジュアルの導入だ。1904年の日露戦争軍記には軍艦や艦長の写真が出ている。滑稽新聞(1907)には錦絵のように美しいカラーの絵が多く出ていた。
3 ミリオンセラー誕生(大正-昭和初期)
資本主義が進展し、出版の世界でも「マスプロ・マスセールス」が定着する。その代表は講談社のキング(1925)である。創刊時に50万部、その後150万部まで発行部数を伸ばした。また改造社の現代日本文学全集、37巻 全63編(1926-1931)が安価な円本として爆発的に売れた。
キング創刊号には付録として新東京名所巡りが付いていた。名所として皇居は当然として、明治神宮、靖国神社、芝増上寺、目黒競馬場などが選ばれていた。戦後の少年誌の豪華付録は有名だが、雑誌のおまけは戦前からあったようだ。
主婦之友・正月号(1934)には15大付録が付いていた。その中身をみると、姓名でわかる運命判断、家庭作法宝典、お子様用の童話絵本はわかるが、明治天皇の御尊像(新聞2p大)、宮城二重橋(新聞1ページ半大)、伊勢神宮御社殿(新聞半ページ大)、明治神宮の御写真、東郷元帥書の掛物などが並んでいる。こんなものを全国津々浦々の主婦が家のなかに掲げていたのだろうか。すごいインテリア感覚だ。
小学六年生(1927)新年号の付録は出世双六だ。振出しは学校、2コマ目は陸軍大将、3コマ目が音楽家、4コマ目が運動家(もちろん社会運動ではなく陸上競技などの運動のこと)、5コマ目が画家、8コマ目が海軍大将、9コマ目が賢母、10コマ目が実業家、11コマ目が女医、上がりは成功会となっている。上下関係はよくわからないが当時の子どものあこがれの職業が出ていて興味深い。1927年に12歳なら45年には30歳、男性のかなり多くが戦災死したかもしれない。
雑誌としては、白樺(1913)、太陽(1917)、赤い鳥(1918)、ダイヤモンド(1919)、戦旗(1928)キンダーブック(1934)などが並んでいた。キングと同じ講談社で「のらくろ二等卒」が連載されいている少年倶楽部(1931)も展示されていた。作者は田河水泡、20代のころは村山知義などマヴォの同人だった。のらくろは32歳から10年間書き続けた作品だった。
また1928年の東西広告主番付が展示してあった。横綱は講談社(124万円)、大関がミツワ(85万円)と仁丹(71万円)、関脇が改造社(59万円)とクラブ太陽堂、小結がレート平尾商店(44万円)と武田(48万円)と続く。キングの講談社、円本の改造社と出版社が登場するのに驚く。今なら自動車会社や携帯電話会社、電気メーカーが上位に並ぶところだが、まだ国産自動車はないに等しかった時代なのだろう。フォードがやっと前頭に登場する。
展覧会として見ると、テーマと時代区分まではよいのだが、そこから先のストーリー展開が貧弱だった。しかし雑誌の現物はずいぶんよく収集されていた。表紙の絵柄をながめるだけでも楽しめる。

印刷博物館には付属施設として「印刷の家」という活版の実習スペースがある。木曜から日曜の1日1回6人限定で組版をし、小さい印刷機で印刷させてもらえる。
この日は9センチ四方のオリジナルコースター製作だった。1行の欧文原稿を考え、1字ずつ自分で活字を拾う。24ポイントなので活字としてはずいぶん大きいが、指でさわると小さい。裏表が逆に彫られているので、ながめてもわかりにくい。わたしは1字拾い間違えてしまった。3.5ポイントのルビ活字も見せてもらったが、ルーペでもなければ字は見えそうになかった。
それに左右のアキとスペースにインテルで詰め物をし、回りを固定し版面が均一になるよう木槌でたたき印刷機にセットする。印刷機は40-50センチのかわいいものだった。原理は違うが昔の謄写版の印刷のような要領だ。しかしイギリス製とのことで性能はよい。コースターなので紙質が柔らかいせいもあるが、凹凸がくっきり出てスミ文字がとても鮮やかだ。やはり活版は力強くていい。2年前のブックフェアで大日本印刷ですら活版をやめたことを知ったが、いまも名刺印刷などで生き延びているそうだ。指導してくれた方は、かつて実際に週刊誌の組版をやっていたそうだ。

住所:東京都文京区水道1丁目3番3号 トッパン小石川ビル
電話:03-5840-2300
開館日:火曜日~日曜日(ただし祝日の翌日は休館)
開館時間:10時~18時(入場は17時30分まで)
入場料: 一般500円、学生300円、中高生200円、小学生以下無料


☆月刊誌でいちばん発行部数が多いのは「月刊ザテレビジョン」(角川グループパブリッシング 101万部 以下数字は2007年版「印刷証明付き発行部数)、2位は「きょうの料理」(NHK出版 72万部)、3位は「CanCam」(小学館 69万部)、4位が家の光で、やっと5位に「文藝春秋」(62万部)が顔を出す。雑誌不況のこの時代に62万部は立派だが、それでもこれが現実なのだ。といっても自分自身もここ数年、雑誌を買うことはめったにないのだが・・・。
☆昔、ながめていた雑誌「展望」「現代の理論」「思想の科学」「思想」は活版組だった。雑な紙に刷ってあるので雑誌かと思っていた。店頭でパッとみてわくわくするような見出しや充実した論文が詰まっていたような記憶がある。もっとも、記憶は美化されるものではあるが・・・。
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