「『君が代』解雇は止めた!みんなで話そうこれからを 6.15のつどい」が新宿農協会館で開催された(主催:河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会 参加:120人)。
まず事務局から、河原井さんの全国行脚・根津さんの学校門前出勤、教師の教育の自由の最低保障ラインを主張する裁判闘争、都庁前チラシ撒きやONE DAYアクションなど、9つにまとめた1年間の活動が報告された。
次にユニオンチューブの動画3本をみた。2月1日のTシャツ着用の事情聴取、3月31日南大沢学園での処分発令などで、あのときの怒りとあの日のうれしさを再び味わった。
次に根津公子さん本人のスピーチがあった。

解雇を阻止できたのは大勢の人がそれぞれいろんな動き方で動いてくれた結果だと思う。解雇阻止により10.23通達による累積加重処分の半分は骨抜きにできた。しかしあと半分が残っている。クビにできるかどうかは都教委との力関係だ。この緊張状態を維持するにはいろんな力が必要だ。さらに大勢の人に「今こうなっている」と知らせることが大切だ。
解雇阻止をともに闘い支援した6人の方から報告や提案があった。
●南大沢学園の同僚Nさん
3月31日、処分が出た雨の日、根津さんに「何かできることがあれば言ってほしい」と呼びかけると「できれば校長室についてきてほしい」といわれたので、ほかの人にも声を掛け校長室の前までいっしょに付き添った。根津さんが職員室の窓から「クビにさせることはできなかった」と呼びかけたとき、支援の人から大歓声が上がったことはけして忘れない。
職員会議で、根津さんが発言を求め手を上げたとき、校長が司会の人に「指さなくてよい」と指示した。司会は管理職ではない一般教員だった。それだけでも信じられないのに会議後、同僚たちが「司会者は校長と根津さんの板挟みでかわいそうだった」と言っていたので怒り心頭の思いがした。たった1年根津さんの身近にいられただけだが、あきる野学園でもわたしのように感化される人が増えるとよいと思う。
●意見広告の事務局を務めたYさん
全国紙の広告となると2000万円かかる。1人1000円で2万人を目標にした。デモでもみたことのない途方もない人数だ。おカネを集めると同時に、より多くの人に根津さんのことを知ってもらうチャンスと考え、憲法改悪反対の会、女性の会、障害者運動の人の会、百万人署名運動の会、鉄建公団訴訟の会などに、会報郵送の際に意見広告のチラシを同封してもらえるようにお願いした。
一方、内容も問題だった。広告対象は一般の人向けだったが、日の丸君が代の問題そのものに触れることは難しく、強制反対をテーマにした。当初「歌わない自由があってもよい」というコピー案もあった。それでは「君が代」を歌う自由もあることになるのでそれはやめ「え?歌わないと、クビ!?」に落ち着いた。国旗国歌問題はあまりにも長くタブーだったので何が悪いのかわからない人が増えている。そういう人と一から話すことが課題だと考えている。
●南大沢学園の校門前行動にいつも参加した越前谷龍満さん
いまも南大沢学園の校門前行動に参加し、生徒たちに手を振り出迎えている。駅前に共産党の候補予定者が来ていたので、根津さんのことを話したが「知らない」と言われた。まだまだ世間の大多数の人は根津さんの事件を知らない。
毎月、都教委の6人の教育委員に封書で抗議の手紙を送付している。何回かまとまったら人事部長や教育長にも送るつもりだ。みんなでいっせいに都教委にメールを送信するような試みもやるとよいかもしれない。
●町田教組のKさん
根津さんは2006年度に町田市立鶴川二中に1年間勤務していた。不当処分で異動した人は町田の組合員という規約なので、根津さんいまも東京教組町田教組の組合員だ。
支援のためにやれることはすべてやっている。たとえば昨年9月の集会では根津さんにウィンナーづくりの授業をしてもらった。教員は教える「中味」がまず第一だからだ。また今年2月の日教組教研集会で不起立関係で3本レポートを発表する予定にしていたが外された。そのうち平和教育分科会のものは発表を復活させた。
東京教組の署名は10万近く集まった。3月には町田教組単独で都教委との交渉の場をもった。今後も、なんでもやる方針を続けたい。
●都教委包囲・首都圏ネット 見城赳樹さん
10月から6カ月間毎週木曜日に都庁前行動を実行した。ビラの受取は尻上がりによくなっていった。「がんばってください」と応援してくれる都庁職員もいれば、論争をふっかけてくる右翼もおり、さまざまな出会いがあった。
●虹のたねのYさん
虹のたねは、根津さんが1年間在職された鶴川二中のある町田の市民の会である。小学生の子どもをもつ母親が多いのでふだんは、こどものアトピー、食品添加物など環境問題の勉強会を行っている。環境問題も根っこでは根津さんの問題とつながっている。地元の一市民として何かできないか考え、透明カサにカラーの文字を書き込んで行動したり、3-4人集まりホームシアターで「君が代不起立」を上映した。
今後の行動としては、だれもがおかしいと思う感覚に訴えるものにしてほしい。「日の丸君が代の何が悪いの」という世代もいる。「闘い」というより「みんなで変わっていきましょう」という声のかけ方のほうが共感がわく。都庁前行動に参加して「ヘトヘトになった。頭がいたい。もう行きたくない」という人も現れた。この闘い方はどうか、人を遠ざけていないかと、つねに問い直すようにしたい。キャッチフレーズも「希望のある学校づくり」とか「学校に希望を」という建設的なものがよいのではないか。

休憩をはさみ、ディスカッションに移った。車座に近い感じに机を動かし、討論会形式にした。こんなところにも根津さんの集まりらしさがあふれ出ていた。21人もの方から思いや提案が語られた。強く印象に残ったものをいくつか紹介する。
「ふだんからTシャツを着るようにしている。たまに旅行に出たときは絶好のチャンスだと思っている」
「ふだんの教員生活のなかで、たとえば週案提出にしても、都教委のいうことを認めていく自分を発見し、だんだん自分がいなくなるような気がした。本当につらかった。だから私は早期退職した」
「若者の獲得が求められているようだ。なぜ若い人の参加が少ないか考えてみた。まず生活だけでいっぱいで余裕がないことだ。わたしのようなフリーターは、目一杯の時間を働いても年収200万円程度だ。もうひとつ、教師が信じられないことがある。わたしが高校を中退したとき、中学の先生に手紙を書いたが本気で心配してもらえなかった」(会場から「そんな先生ばかりじゃないから」と声が飛んだ)
「都庁の人間バリケードを前に「帰りたくても、返事を聞くまで帰れない」という名セリフがあった。これが市民的不服従の精神だ」「ユーチューブなどの動画をみて根津さんを知りつながった鶴川二中の生徒がいた。映像の力は大きい」
「都庁のガードマンの人のなかにも涙を浮かべてわたしたちの訴えを聞いてくれた人がいる。つい居丈高な言葉を使いがちだがそれでは変わらない。彼らに伝わる言葉を開拓する努力が重要だ」
「解雇を止めた意義は大きい。最近流れが変わってきた。三鷹高校の校長は職を賭して、挙手採決問題に取り組むつもりのようだし、同じ考えの校長もいるようだ。地道に闘いを継続したい」
釧路、愛知からのメッセージが紹介され、最後に河原井純子さんからスピーチがあった。

おかしいと思ったことは、けしてあきらめない。違いを越えてつながりたい。専門用語でなくわかりやすい言葉で呼びかけたい。一人一人の足元を掘れ、地下でつながれば、掘り方は違ってよい。わたしは自分にできることとして全国行脚を行い、自分の穴を掘る。
そして「社会は学校は雑木林でありたい。多種多様な雑木が共生共存できる雑木林(略)今ここにわたしたちは雑木林となる」と「雑木林の決意」を朗読した。
☆相手も人間なのだから話せば通じるという根津さんの信念は、都庁のガードマンの人のなかにも共感する人を増やしていった。生徒、保護者、同僚との語り合い、さらに教員や一般市民、そして都教委の職員とすら、対話を大事にする根津さんらの日頃の姿勢が表れた集会だった。
根津さんのスタイルやことばに共感する人が多かったから12万筆(解雇させない会2万9000筆、東京教組9万5000筆)に上るケタ違いの署名が集まり、朝日・読売という全国紙への意見広告を実現できたのだ。今後もより大きな広がりをつくるにはどうすればよいのか、手探りの運動を120人で真剣に考えた3時間半の集まりだった。
「居丈高な言葉を使わない」「共感できる言葉を開拓する」。ここから何か新しいかたちの運動が始まるかもしれないと、今後の可能性を感じさせる集いだった。
☆今年2月のトレーナー問題事情聴取から3月にかけ、根津さんの問題を知っている人の間に「日の丸不起立で初の免職か」と緊張感が走った。月2回の都教委定例会の前には処分反対のファックスやメールが集中し、3月下旬には連日人間バリケードを前にした要請行動に、全国から大勢の人が入れ替わりかけつけた。この流れはだんだん大きくなり東京新聞、毎日新聞も大きく取り上げた。それぞれの人がそれぞれの場で出来ることを行った。わたしもそのなかの一人としてメールを送信したり都庁へ行った。そして今年の解雇は止めることができた。

まず事務局から、河原井さんの全国行脚・根津さんの学校門前出勤、教師の教育の自由の最低保障ラインを主張する裁判闘争、都庁前チラシ撒きやONE DAYアクションなど、9つにまとめた1年間の活動が報告された。
次にユニオンチューブの動画3本をみた。2月1日のTシャツ着用の事情聴取、3月31日南大沢学園での処分発令などで、あのときの怒りとあの日のうれしさを再び味わった。
次に根津公子さん本人のスピーチがあった。

解雇を阻止できたのは大勢の人がそれぞれいろんな動き方で動いてくれた結果だと思う。解雇阻止により10.23通達による累積加重処分の半分は骨抜きにできた。しかしあと半分が残っている。クビにできるかどうかは都教委との力関係だ。この緊張状態を維持するにはいろんな力が必要だ。さらに大勢の人に「今こうなっている」と知らせることが大切だ。
解雇阻止をともに闘い支援した6人の方から報告や提案があった。
●南大沢学園の同僚Nさん
3月31日、処分が出た雨の日、根津さんに「何かできることがあれば言ってほしい」と呼びかけると「できれば校長室についてきてほしい」といわれたので、ほかの人にも声を掛け校長室の前までいっしょに付き添った。根津さんが職員室の窓から「クビにさせることはできなかった」と呼びかけたとき、支援の人から大歓声が上がったことはけして忘れない。
職員会議で、根津さんが発言を求め手を上げたとき、校長が司会の人に「指さなくてよい」と指示した。司会は管理職ではない一般教員だった。それだけでも信じられないのに会議後、同僚たちが「司会者は校長と根津さんの板挟みでかわいそうだった」と言っていたので怒り心頭の思いがした。たった1年根津さんの身近にいられただけだが、あきる野学園でもわたしのように感化される人が増えるとよいと思う。
●意見広告の事務局を務めたYさん
全国紙の広告となると2000万円かかる。1人1000円で2万人を目標にした。デモでもみたことのない途方もない人数だ。おカネを集めると同時に、より多くの人に根津さんのことを知ってもらうチャンスと考え、憲法改悪反対の会、女性の会、障害者運動の人の会、百万人署名運動の会、鉄建公団訴訟の会などに、会報郵送の際に意見広告のチラシを同封してもらえるようにお願いした。
一方、内容も問題だった。広告対象は一般の人向けだったが、日の丸君が代の問題そのものに触れることは難しく、強制反対をテーマにした。当初「歌わない自由があってもよい」というコピー案もあった。それでは「君が代」を歌う自由もあることになるのでそれはやめ「え?歌わないと、クビ!?」に落ち着いた。国旗国歌問題はあまりにも長くタブーだったので何が悪いのかわからない人が増えている。そういう人と一から話すことが課題だと考えている。
●南大沢学園の校門前行動にいつも参加した越前谷龍満さん
いまも南大沢学園の校門前行動に参加し、生徒たちに手を振り出迎えている。駅前に共産党の候補予定者が来ていたので、根津さんのことを話したが「知らない」と言われた。まだまだ世間の大多数の人は根津さんの事件を知らない。
毎月、都教委の6人の教育委員に封書で抗議の手紙を送付している。何回かまとまったら人事部長や教育長にも送るつもりだ。みんなでいっせいに都教委にメールを送信するような試みもやるとよいかもしれない。
●町田教組のKさん
根津さんは2006年度に町田市立鶴川二中に1年間勤務していた。不当処分で異動した人は町田の組合員という規約なので、根津さんいまも東京教組町田教組の組合員だ。
支援のためにやれることはすべてやっている。たとえば昨年9月の集会では根津さんにウィンナーづくりの授業をしてもらった。教員は教える「中味」がまず第一だからだ。また今年2月の日教組教研集会で不起立関係で3本レポートを発表する予定にしていたが外された。そのうち平和教育分科会のものは発表を復活させた。
東京教組の署名は10万近く集まった。3月には町田教組単独で都教委との交渉の場をもった。今後も、なんでもやる方針を続けたい。
●都教委包囲・首都圏ネット 見城赳樹さん
10月から6カ月間毎週木曜日に都庁前行動を実行した。ビラの受取は尻上がりによくなっていった。「がんばってください」と応援してくれる都庁職員もいれば、論争をふっかけてくる右翼もおり、さまざまな出会いがあった。
●虹のたねのYさん
虹のたねは、根津さんが1年間在職された鶴川二中のある町田の市民の会である。小学生の子どもをもつ母親が多いのでふだんは、こどものアトピー、食品添加物など環境問題の勉強会を行っている。環境問題も根っこでは根津さんの問題とつながっている。地元の一市民として何かできないか考え、透明カサにカラーの文字を書き込んで行動したり、3-4人集まりホームシアターで「君が代不起立」を上映した。
今後の行動としては、だれもがおかしいと思う感覚に訴えるものにしてほしい。「日の丸君が代の何が悪いの」という世代もいる。「闘い」というより「みんなで変わっていきましょう」という声のかけ方のほうが共感がわく。都庁前行動に参加して「ヘトヘトになった。頭がいたい。もう行きたくない」という人も現れた。この闘い方はどうか、人を遠ざけていないかと、つねに問い直すようにしたい。キャッチフレーズも「希望のある学校づくり」とか「学校に希望を」という建設的なものがよいのではないか。

休憩をはさみ、ディスカッションに移った。車座に近い感じに机を動かし、討論会形式にした。こんなところにも根津さんの集まりらしさがあふれ出ていた。21人もの方から思いや提案が語られた。強く印象に残ったものをいくつか紹介する。
「ふだんからTシャツを着るようにしている。たまに旅行に出たときは絶好のチャンスだと思っている」
「ふだんの教員生活のなかで、たとえば週案提出にしても、都教委のいうことを認めていく自分を発見し、だんだん自分がいなくなるような気がした。本当につらかった。だから私は早期退職した」
「若者の獲得が求められているようだ。なぜ若い人の参加が少ないか考えてみた。まず生活だけでいっぱいで余裕がないことだ。わたしのようなフリーターは、目一杯の時間を働いても年収200万円程度だ。もうひとつ、教師が信じられないことがある。わたしが高校を中退したとき、中学の先生に手紙を書いたが本気で心配してもらえなかった」(会場から「そんな先生ばかりじゃないから」と声が飛んだ)
「都庁の人間バリケードを前に「帰りたくても、返事を聞くまで帰れない」という名セリフがあった。これが市民的不服従の精神だ」「ユーチューブなどの動画をみて根津さんを知りつながった鶴川二中の生徒がいた。映像の力は大きい」
「都庁のガードマンの人のなかにも涙を浮かべてわたしたちの訴えを聞いてくれた人がいる。つい居丈高な言葉を使いがちだがそれでは変わらない。彼らに伝わる言葉を開拓する努力が重要だ」
「解雇を止めた意義は大きい。最近流れが変わってきた。三鷹高校の校長は職を賭して、挙手採決問題に取り組むつもりのようだし、同じ考えの校長もいるようだ。地道に闘いを継続したい」
釧路、愛知からのメッセージが紹介され、最後に河原井純子さんからスピーチがあった。

おかしいと思ったことは、けしてあきらめない。違いを越えてつながりたい。専門用語でなくわかりやすい言葉で呼びかけたい。一人一人の足元を掘れ、地下でつながれば、掘り方は違ってよい。わたしは自分にできることとして全国行脚を行い、自分の穴を掘る。
そして「社会は学校は雑木林でありたい。多種多様な雑木が共生共存できる雑木林(略)今ここにわたしたちは雑木林となる」と「雑木林の決意」を朗読した。
☆相手も人間なのだから話せば通じるという根津さんの信念は、都庁のガードマンの人のなかにも共感する人を増やしていった。生徒、保護者、同僚との語り合い、さらに教員や一般市民、そして都教委の職員とすら、対話を大事にする根津さんらの日頃の姿勢が表れた集会だった。
根津さんのスタイルやことばに共感する人が多かったから12万筆(解雇させない会2万9000筆、東京教組9万5000筆)に上るケタ違いの署名が集まり、朝日・読売という全国紙への意見広告を実現できたのだ。今後もより大きな広がりをつくるにはどうすればよいのか、手探りの運動を120人で真剣に考えた3時間半の集まりだった。
「居丈高な言葉を使わない」「共感できる言葉を開拓する」。ここから何か新しいかたちの運動が始まるかもしれないと、今後の可能性を感じさせる集いだった。
☆今年2月のトレーナー問題事情聴取から3月にかけ、根津さんの問題を知っている人の間に「日の丸不起立で初の免職か」と緊張感が走った。月2回の都教委定例会の前には処分反対のファックスやメールが集中し、3月下旬には連日人間バリケードを前にした要請行動に、全国から大勢の人が入れ替わりかけつけた。この流れはだんだん大きくなり東京新聞、毎日新聞も大きく取り上げた。それぞれの人がそれぞれの場で出来ることを行った。わたしもそのなかの一人としてメールを送信したり都庁へ行った。そして今年の解雇は止めることができた。
