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す ず な り

なかなか辿りつけない辺鄙なブログへようこそ... メールはIDのplinkに続けて@willcom.comです

沈丁花が呼んだ

2015-03-05 18:03:20 | できごと
この暖かさにはイメージが違うなあこの香。もっと冷たく冴えた時期のじゃなかったかなあ。前にもこんな感じ、あった。ええっと、これは

歩いて、歩いて、道を行きながら、思い出した花の名前は沈丁花。姿は見えないままの帰路。

また用事で歩いた時には、頭の中はすぐに沈丁花の名前が浮かびました。優雅な帰り道。ああいい香り、すてき。そう思った次の瞬間、私の顔はうしろ斜め上にくるっと向きました。塀の上からちょっと覗く沈丁花。

ここよーと手を振っていたわけではないけど、そんな感じ。花はどこか探そうとも思わず、そっちを見ようなどちっとも思いもしないので、また私は植物から動かされてしまったようです。

ほっとしたい、ほっときたい

2014-11-22 20:51:06 | できごと

曲がりにくい方の反対の脚が無理をしていたこともありますが、ぼんやりしていたのと運動不足が主な原因でしょう。また段差を踏み外して転倒。半年前に骨折した足首が痛み、反対の膝はいつもより多めに曲がっていました。

もしかしてまた?そしてその時は土曜の午後。痛いけど骨折までは行ってないかも。いや、あの時だって歩けたし、直後はそんなに痛くなかった。

そこにいた営業さんが私に話しかけたことに責任を感じたらしく、病院まで車で送ろうと言ってくれたけど、救急外来に行くほどかどうか。まずは休んで様子を見ることに。

痛いけど殆ど腫れない。体重の掛け方と歩幅によっては短い距離なら痛みなく歩ける。骨折じゃなさそうです。いつもはあたたかい手がストレスでひんやりしているのを当てて、冷やしました。翌日夕方近くになって選挙に行くのを断念。

これまで骨折に関する色々なことが週末明けを待っているような気がします。最初に入院したのも木曜深夜だったし、この間の退院のタイミングも。そして先週の膝の腫れたのも土曜日しかも主治医出張中でした。

月曜日はかなり痛みも軽くなりましたが念のため病院へ。レントゲンの画面で、あ、あんなとこにヒビが!とつい思ってしまうそれは成長線ていつか言われましたっけね。成長が終わると消えるけど歳取っても残っている人がたまにいるという。骨折のあとさえ感じさせないきれいな写真じゃないですか。前回ここからこうして螺子を入れたって、ま~なんて器用なんでしょうあの細いとこに。

捻挫でした。私は安心するために来たんです。ほっといていいと言ってほしくて。湿布も面倒だからしてなかったし、処方してもいいと言われても面倒だから要らないのは先生も予想通りでしょう。前回膝の腫れもほっといて良かったかも知れないけど、入院して良かった。ほとんど歩けず痛くて血圧が上がってましたから。化膿じゃない気はしたけど確信できない時に、医療機関に居ることで安心できました。

杖を使っていればあれほど疲れなかったんじゃないかとか転倒予防になったのではという意見もあり、なるほどねと思います。何年も前に右足の痛みがあった時にはギプスでもつけてもらえば歩く度に激痛に耐えなくて良かったはず。痛みを軽減することの大事さを当時痛感したので、昔ほどは耐えないようになりました。それでもやはり一番嬉しい処方は「ほっといていい」なのです。

やはり日々リハビリ

2014-11-19 18:00:57 | できごと
五月に退院してから、立つ時、座る時その他、いちいち掛声つきです。玄関でよいしょーと言うと母が、階段で踏ん張ると甥が、何事かと見に来たこともありましたが、すっかり聴き慣れたようです。そして掛声は減っていきました。

十月の抜釘の入院の後、また膝が曲がらなくなって掛声のタイミングが増えました。しかし今回は曲がるようになるのも力をかけられるようになるのも早く、既に今はたどたどしくはありますが低い階段の昇降が可能です。現在膝は座った状態であれば直角より深く曲がります。

器具が入ってないだけ今回は何か自由さがあります。座った状態で膝から下を水平に伸ばす時の不気味な引掛かりがありません。

膝の皮膚やその中が当分癒着しているからか、太腿の前の部分を伸ばすのが痛いです。立った状態から膝から下を後に曲げるのがなかなか困難。これができないと階段は降りられません。スクワットができるかどうかより、ここを階段を降りるのに必要なだけ伸ばすのが先だろうと感じます。階段の前に後向きに立って足をのせる練習です。

毎日、ちょっとずつ前日より少し頑張って曲げ、伸ばしています。
立つこと座ることもリハビリのうち。よいしょー

再開の場所

2014-11-12 17:40:45 | できごと
その場所は先月もそうでした。今月も長らく会ってない知人にばったり。うん十年間が空いているのに、変わってないね、すぐわかった、というのはどうしたことでしょう。確かに年齢相応な見た目なのに。

あれこれ長らく話した後メールアドレスを教えあい、えー、名前変わってないのー?だったり、子供の写真見せたり。

さて登録。うっちゃんの名前なんだっけ。ああ、##さんだった。字はサンズイの方ね。
わあ、先輩憶えてらっしゃるんですかあ。

逞しかった肩がややすんなりしてしまうのはしょうがない。随分な苦労があって、それでも相変わらず明るいところは素敵。

もしかしたら一緒に楽器を弾けるかも知れない。低音が必要な時には声かけてね。

そういう場所だから、これからは近くまで来たらその場所を通ることにしましょう。長らく会ってない誰かに会えそう。

仕上げの入院(3)

2014-11-08 13:22:33 | できごと
退院だー。それなりに親しんだ病棟だけどやっぱり普通の生活がいい。色んなものから逃げてられるけどいつまでもというわけにいかない。

朝の回診時には服装も既に退院モードです。大丈夫、裾のやたら広いズボンはパジャマ以上に膝を出し易く、ベッドに腰掛けて椅子に足を載せたら寝ているよりはるかに包帯を外し易いのです。既に荷造り完了。なんだか寂しい。家ではこんなに大勢と会話できないのです。

お菓子はいっぱい余りました。意外にご飯が多くておなかが空かなかったのです。とっておきの特においしそうな幾つかを持ってついでにコーヒーもつけて食べ盛り伸び盛りの理学療法士さんに退院の報告を。甘い物好きかなあ。黒糖の本場出身だ。好みでなければ女の子にあげたら更にモテるぞ。前回の入院中は白黒で編んでいた亀のアクリルたわしは今回白黄ですが、これもプレゼント。実用品です。これを目にするのは一種頭の体操のようなものでもあります。

膝が曲がらないものですね。手術後は。前回の入院中はリハビリしていたけど、今回はいきなり日常生活です。歩くの大変。階段頑張れ。月曜退院のその週の土曜の朝、傷付近がいつになくぴりぴり痛んで少し腫れるのを感じました。お昼頃にはかなりな腫れ。病院に電話してみると受付はお昼まで。主治医先生は出張で不在。もし心配なら救急の外来に来るようにとのことでした。あんまり大きく腫れると気になります。化膿じゃない気はするけど素人判断だし、痛みがひどくて歩けなくなってきたので、念のため入院準備してタクシーで病院へ行きました。

骨の問題じゃなさそう、緊急性も低そう、ただ痛みがひどいのです。痛み止めをごっそり余らせる私が今回自発的に服用するほど。大きく腫れたところの血を吸引しようにも固まってしまってます。切開して取出してもいいけど基本は主治医待ち。ほっといて痛いだけならこのままでもいい。入院で様子見て、本来は外来の予定だった月曜の主治医の登場を待つのです。

ただ痛いところを冷やして過ごすだけでした。でも、どれだけ安心できたことか。月曜日に主治医先生が診て、問題なし。腫れたところに溜まった血液はいずれ吸収されるそうです。あっけなく退院です。通院があるものと思っていたのに、いつでも来ていいといいながら、予定はもう無いなんて。いいことだけどちょっとさびしいな。

帰りのエレベータに向かいながら、先週退院した時には無かった、もう二度とここに来ないという思いがありました。みなさん、病院以外でまたお会いしましょう。どこかでばったりと。ありがとうございました。感慨深くそう思ったんだけど、やっぱり入院しないだけで、また来ます。来年抜釘するOさんのお見舞いに。

仕上げの入院(2)

2014-11-08 13:18:24 | できごと
半年前の手術後の辛さとは大違い。遅めのお昼ごはんも夕食も完食。夕方にはほぼ醒めて両脚で立てました。そこに理学療法士さん、お久しぶり。様子見にきてくださったのかな。今回はリハビリないんですね。

抜釘し、皮膚の内側を縫って、表は細かく切った絆創膏で留めるだけ。糸は吸収されるから抜糸がないそうです。そこらの会話から、先生は傷口の縫合がかなりお上手のようです。半年前の入院直後にお見舞いに来られた方から膝のお皿の権威を紹介するから転院しないかと言われていたけれど、折角診ていただいているんだしこれもご縁だろうと動かないことにしました。もしかしたら今お世話になっている先生の方が仕上がりがきれいなんじゃなかろうか。

手術が金曜日で、週末は静かなものです。早速取り出したのは目の細かい洗濯ネット。ファスナーが壊れています。廃物利用で作りたかったのが洗濯機の糸屑フィルターです。病棟に2台あるうちのひとつにそれがついてないから、つけてあげようと半年前から企んでいたのです。今回見てみるとやはりついていないままでした。適当な大きさに切って縫って出来上がりを取付け完了、うまく行った。と、ふと気づいたのはその柄、白地に赤いブラジャーとショーツが正面に。ちょっとずらすとスリップが。これは下着屋さんの景品の洗濯ネットだったのです。気にしなければそういう模様に見えませんが、気づいてしまえばそれまで。人によってはそんなもんがついた洗濯機使いにくいかなあと気になったけど、洗濯機はもう一台あるし、フィルターは無いよりあった方がいい。気にしないでおこう。問題無いとは思うけど一応職員さんに報告しました。

急に膝を曲げると傷口が開くから暫くは曲げないようにとのことでしたが、曲がらないんですよ。曲がらないまま歩くリハビリを火曜日からと言っても、退院できるんじゃなかったの?退院、しようと思えばできるんですって。物忘れのひどくなってきた母が心配だし。
母はやっぱり用心してリハビリやった方がいいんじゃないかと心配しましたが、先生はその後歩いているのを見てリハビリ必要なしと仰いました。

仕上げの入院(1)

2014-11-08 13:10:54 | できごと
割れた膝の骨を集めて繋いで固定したのが半年前。その器具を外す時期が来て、先月半ばに入院しました。

最短で退院できる日を聞いたら、着替もそうたくさんは要らない。洗濯用洗剤も必要なさそうだけど念のため。お菓子は予め仕入れておきました。前回の入院ではお菓子を断とうという気持ちがあったけど、やはり差入れを貰った結果楽しみではあるのです。お部屋の人との交換やお礼などにもいいのを幾つかと質の良いコーヒーも。筆記用具と紙、鉤針に毛糸、そして今回は縫い針と縫い糸、ファスナーの壊れた洗濯ネットが大事なのです。

病棟はほぼそのまま、職員さんたちの見慣れたお顔が嬉しかったです。
早速マグカップには不在時にもわかるようにセロテープ貼った上にマーカーで名前と、丸で囲んだ「湯」を、もうひとつには「湯」の代わりに「茶」を書きました。惜しかったのは、老眼にはもうちょっと大きい方が見やすかったということ。
朝御飯についてくる牛乳を乳酸菌飲料に変更してもらいます。慣れているなあ私。

手術室へは歩いて入りますが、帰りはベッドが迎えに来るのです。ベッドを片付けておかないと。慣れているなあ。

手術中の音楽は右足首抜釘の時と同じブランデンブルクの何番か知らないけどバッハで始まりました。膝も触られているんでしょうけどわからない。うとうとしかけたところ、誰も寝てはならぬのオルゴールが鳴ったので可笑しくなりました。電話の呼び出し音らしいです。

今回麻酔は脚だけに。全身麻酔よりずっと負担が軽いようです。
麻酔が効くと自分の身体が信じられないほど鈍いものになります。弾力が激減。まるで他人は想定の範囲内。しかし他人でももうちょっと接触に対してお返事のようなものがありそうなもの。生きてはいるけどコミュニケーションの無い状態。麻痺してない身体であれば触った皮膚は動いてなさそうでもわずかに反応の動きをしているのでしょうか。自分の身体が少しずつ取り戻されて行くうちにそう感じました。

すんなりとこの世を旅立った

2014-10-26 15:35:13 | できごと
父は老衰でした。嚥下機能が低下して肺炎を起こしがちになり、以前胃癌で胃の殆どを切除していたので胃瘻ができず、亡くなるまでは早かったです。嚥下機能低下は認知症と関係がありそうで、認知症は胃癌の切除以来一気に進んだように思えます。

四十九日はお盆の後だったので初盆は来年。亡くなったことは事実だけど、しっかり目にして触ったのに、実感したようなしないようなまま、手続のあれこれや法事の準備やお返しの手配などでばたばたしているうちに日々は過ぎていきました。入院などであまり家に居なかっただけに父の不在にもわりあい早く慣れてしまったようでもあります。病院に通わなくなって日常は幾分変わりました。

父は私を含め家族にとって苦手な人でしたが、認知症が進むと毒が抜けたみたいで、世話をするのにも抵抗が少なくなっていきました。抵抗のもとは先祖から受継いだものや育つ過程での何かの辛さから来るのでしょうか。そんなよくわからないものがこの世を卒業するちょっと前に抜けていったようです。よその人には楽しい人だったとよく言われました。

葬儀をきっかけに、父が、我家が、どれだけ多くの人々に支えられてきたかを再認識しました。

本当に大変なこの世の修行。誰にとってもそれが少しでも楽しくありますように。良い思い出が多くありますように。

入院していました(19)

2014-07-13 11:54:30 | できごと
リハビリの先生の自宅トレーニング箇条書は遅れて退院の朝持って来てくださることに。そして当日、A4の紙二枚のわかり易い図がついた豪華版をいただきました。一枚は骨折の手術後に必要な訓練、もう一枚は歩き癖から心配される筋肉を鍛えるもの。ありがたや。先生は前日のリハビリの終わり頃からまた可愛くなりました。

隣の部屋のOさんは朝九時半にリハビリに行ってしまいます。その日の挨拶はしそびれたけど前の夜にデイルームでゆっくりお話し、メールアドレスを交換したので心残りもありません。次に会えるのは私の外来の日です。

既にベッド周りの生活感は消えています。母と妹が来て、妹は前日までに荷造りした物を手際良く極端に大きなバッグにまとめていきました。あっけないというしかありません。おや、そこにまたリハビリの先生がサインの必要な書類を持って。ぎりぎり間に合いましたね。私がみんなに囲まれて署名をして、あっけない寂しさが和らぎました。

看護師さんによるベッドや戸棚などのチェックも済み、ナースステーションの皆さんに見送られて母、妹と一緒にエレベーターに乗りました。みなさん有難うございました。また秋頃、膝の針金を取り出す時にお世話になります。

二ヶ月近くの長い間、新しい出会いと発見、納得、感心がいっぱいの、結構楽しい入院でした。母や妹には特に助けられました。忙しかったことでしょう。


木々がしっかりした緑の葉を茂らせた頃、花壇の花が終わって訪れる人も少ない公園に行きました。淡墨桜の中の手の届くひとつをいつものように手で触れ、今回はありがとうと言いました。最初に存在を知った時はすぐ前に立てば全体が見えるひょろひょろした木だったのに、今では広い花壇の向こうに行かなければ見えないくらいの貫禄です。離れたベンチでしばらく眺めました。

心の中で助けを求めても求めなくても病院で助けを受けるのは同じ。しかし手術が必ずしも一度でうまく行くとは限らないという話を後で聞きました。何事も巡り合わせです。ところで不思議にも私は今回の骨折をまるで了承済みだったかのような、救急車で運ばれるという言葉が頭に浮かぶことがその前の数週間に何度かありました。

私の入院を機に認知能力が心配だった母は見違えるようにしっかりしました。甥の同居も影響していますが、日常生活に活が入ったのです。おそらく、このままじゃいけないと思っていた私にも。

私が人間以外に助けを求めたのは初めてだったと思います。そもそも助けを求めること自体珍しいこと。この木は花を観ようと思えば頼まなくても複雑なタイミングをはからってくれることが何度もあったように思えます。もちろん私は日常に自分に見えないところで多くの人やものから沢山の助けを得ているのはわかりますが、これまでのところしばしば助けてもらえない運命なのかと思うほどのタイミングのわるさを生きてきました。そうして要領も良くなく滅多に助けを求めない私は、結果はともかく助けを求められるという可能性だけで、 存在するだけで、気休めにできます。しかしどうもこの木は今度も巡り合わせをはからってくれて、多くの助けをコーディネートしてくれたような気がします。木だけじゃないのです。そしておそらく助けを求める前から始まっているのです。

入院していました(18)

2014-07-13 11:52:53 | できごと
変な歩き方ではあるけどこの状態なら日常生活は可能と思っていたらまもなく、主治医先生はいつでも退院できると言われました。ほらね。階段昇降練習は一度もやってないけど、二歩で一段ならいつでも問題なくできます。

お医者さんは動きが少々いびつであっても日常生活優先の考えです。一方理学療法士さんは細かいところを気にする。若い頃に一度だけ期間限定の真面目で贅沢な細やかさがあるのです。稀に未来の危険を取り除くラッキーなきっかけがあるかも。ところで私は主治医と同世代で、基本的に「特に重要じゃなければほっといてもなんとかなっていく、日常生活がリハビリだ」という感覚。もちろん若い頃はものすごく細やかでしたが、見た目を気にしないのは昔から。むしろ今はいくらか人並に近くなりましたが、歩き方に少々癖があって何が悪かろう(実はそれが別の部分の負担になって痛みの元になり易いらしいですけど)。

退院の日を決めました。階段の練習の要領を教わる日を残して。練習をするというより、自宅でやる方法や注意事項を教わるためにはそう何日もいらないだろうと。リハビリの先生の納得いかなそうな様子。まだ心配な部分があるというけど、後は私の自己責任です。家で毎日どんなトレーニングをしたらいいか、箇条書にしてくださいとお願いしました。

「外は歩いてみましたか?」
そういえば売店までは行っても屋外へは一度も。
道を歩くことにも慣れた方がいいそうで、勧められました。私も怪我をして足のコンディションによっては室内を歩くのとは思いも寄らないくらい違うのをこれまで何度か経験しているのでおおいに納得し、翌日早速実行。

外は久しぶりです。入院して二ヶ月近く。真上に空。屋根が無くて直に眩しい空。前日の雨で洗われた空気と日光の気持ちいいこと。ガラス越しでないから遠くまでクリアです。アスファルトだ。植物だ。みんな久しぶり。春の若々しい緑の雑草に黄色い花は初めて見る種類のものでした。リハビリの先生に報告したのはそういうことばかりで肝心の足の調子などすっかり忘れていました。

退院が近い頃は毛糸も無くなって、ほとんど編み物もしていませんでした。
アクリル毛糸で編んだ洗面所のお掃除係の亀はお見舞に来られた皆さんにあげて、知り合ってお話した方にあげて、本当は職員さんにもあげたかったけど毛糸がまるで足りません。そして、幾つも作ったのにまだ作り方がいまひとつ安定的に決まっていないのです。最後に私にとっては出来の良くない亀がずっと手元にあり、コースターとして働いていました。

お掃除のおばちゃんとはよくお喋りしましたが、編物の話題も多く、退院直前には可愛い苺の形のアクリルたわしをいただきました。私はお返しできるものといったらコースターにしている亀しかありませんでしたが、それでいいと。随分喜んでくださいました。そして退院直前に鉤針と糸を持って来て、編み始めの所を頼まれました。

入院していました(17)

2014-07-11 22:41:03 | できごと
手術後はまた入院日数の可能性が変わるのか、お部屋を移動です。隣室の似たような場所でやや広め、テレビ冷蔵庫有料。それほど大きな違いはないけれど折角お向かいで楽しく会話できたOさんと離れるのが残念でした。

今度のお部屋は新しく知り合う人とのお話があまり好きそうでない私よりやや若い人たちと、話し始めると長いお婆さん。お婆さんは入口のよく目が合う場所なので通りかかったら会釈し、話しかけられたら応えます。あんまりこちらから話さない方が良さそうだと思っていたら、盗難騒ぎです。やはりあんまり積極的に近づかなくてよかった。あれがないそれがないと言った後だいたいは出てくるみたいだけど、お金は使った記憶が消え易いし、お孫さんのためのお菓子と自分でしょっちゅう食べるお菓子も混同して忘れ易いのです。うっかり鍵かけ忘れも多いみたい。通りかかったおじさんと長らくお喋りして、話を長くするのはお婆さんの方だから喋りたいんだろうと思っていたらそうじゃなかったらしい。後で相当疲れたとか不満を看護師さんに言っていました。

看護師さんや助手さんはそういうお話ししたいタイプの人には積極的に相手をされます。可能ならば長過ぎないしかもじゅうぶんな時間、忙しい時もある程度聞いてから離れます。えらいなあ。こういうところもOさんとの話題になります。

Oさんとは洗面所などでよく会いました。ある日とうとう彼女も車椅子から松葉杖に。他の人の進歩を見て嬉しく思えるのは皆同じですね。

私よりうんと若い看護師さんたちは、私がひとりで車椅子で動き出した時、松葉杖で歩き始めた時、そして特に杖なしで歩いているのを見た時に、我が子の成長をしみじみ見るかのような表情をします。照れくさいじゃありませんか。30代の頃にうんと若い人から年下と思い込まれて子供に対するような話し方をされた時とは違い、勘違いされてないからその気持ちを心の中からまっすぐ受取らないといけないのです。

入院していました(16)

2014-07-11 22:35:48 | できごと
入院の間は間食を断てるという期待がありましたが、差入れは嬉しいものです。お見舞に頂いた物や母や妹が持って来てくれるお菓子やコーヒーがやはり毎日の午後の楽しみになりました。頼んでおいたティーバッグタイプのコーヒーが便利です。

それにしても、おなかが空く日々。車椅子に乗ると運動量が違います。半分にしてもらっていたご飯は三分の二に変更。さらに松葉杖で歩くようになると、全量のご飯に。エネルギー切れで動きがふてくされモードになりそう。その頃初めて売店に行き、久しぶりのお買物をしました。お菓子なども買えます。洗濯機と乾燥機を使うための小銭を作るついでも。

車椅子に乗った頃から洗濯は自分でやってみると言うのにやはり妹がやってくれていましたが、松葉杖で歩くようになって初めて洗濯機と乾燥機を使ってみました。もう洗濯は自分でできます。乾燥機は乾ききれないこともよくあり、もう一回使うこともあれば時間の都合でベッドの柵に干すこともしばしば。ハンガーにかけて棚の裏側にも。

右足首のネジが緩んできているとちょっと前から聞いていました。ほっといても特に問題なし。左膝の針金と同時に取り除く予定だったけど、これだけなら局所麻酔で簡単に取り出せますよーとのことで、主治医先生がやりたそうに見えたし、さっさと傷を治したくもあり、早目に取り出しをお願いしました。

予約の日に、足首だけなのに下着から全部手術モードに着替えて歩いて手術室に。簡単に言われたけど一応手術らしいのです。行く前に家の人に連絡してなかったんですかーと看護師さんが叫んでましたが、一応そういうことするとは言っておきました。その日と言ったかどうか。居る必要ってないでしょう。

一通り終わって消毒。手術室では全身麻酔がほとんどでくすぐったがる人は珍しいらしく、先生は楽しげに念入りにぺたぺたと消毒をされました。

手術が終わったら歩いて帰るものと思い込んでいたので、ベッドは洗濯物を引っかけ畳んだのを積み雑誌を並べ散らかしまくり。それを看護師さんが片付けて手術室まで押すか引くかして迎えに来るのです。恥ずかしい。

術後すぐ歩くと出血するおそれがあるからリハビリは休みと言われ、のんびり眠っていると、私の名を呼ぶ声が。リハビリの先生がカーテンの端から「風邪?」眩しい西日で直視できないところが仮想孝行息子の妄想の余地です。心配してくれる様子にお向かいのOさんが感心していました。時々夕方に患者さんを病室まで送ったりリハビリに来なかった患者さんを見に来たりしていそうですよ、面倒見の良いあちこちみんなの仮想孫。もしかしてむしろアイドルかも。

取出した釘は欲しかったら貰えるそうです。欲しくはないけど見たいというと、後で持ってくるから見終わったら返してと言われました。後の患者さんの説明に使うそうです。私に入っていたのが後のどなたかのお役に立つわけですか。
長い釘の先の方が螺子になっていて、中は空洞。ワッシャーつき。これを何人にも見せびらかしてから返却しました。珍しい物は見ておいて損は無いよ。

入院していました(15)

2014-07-09 19:35:02 | できごと
リハビリの大きな部屋の入口では入ってまず血圧測定ですが、そこでは最初からやや高めだったのがその頃極端になったりしました。エレベータからじわじわ歩いてくる私を見た職員さん、私が血圧が上がらないようにゆっくり動いているんだと聞いて笑いました。やっと決心して血圧計に臨む私を数人が周りで面白がって見ると案の定な結果です。朝はお喋りが多かったり笑ったりしないかぎり低めなのに。

歩行訓練で再認識したのがやはり右足でよろけ易い事実でした。そうか、骨盤の高さね。まっすぐになっているか鏡を見てもよくわからないので自分の手を腰に当てて。先生の手が空くまでの自習時間、歩く練習の途中にストップしてみます。右足で立つ時に僅かに傾く癖が。これを左と同じようにまっすぐにすると、数秒しかできなかった右の片足立ちがこれまでになく長い時間できるのがわかりました。意識すればよろけなくなりました。たったそれだけが大きなこと。ほんのちょっとやるかやらないかが大きな違い。

リハビリは馬鹿馬鹿しく見えることも多いけど、実は運命の分かれ道がたくさん潜んでいます。ほんのちょっとをするかしないか。言われて自分が意識するかしないかも。先生が一瞬気にした骨盤の高さを私が気にせず流してしまえば右足のわずかな不安定さは見逃されていたおそれはあります。片足立ちしない限りは、ただ歩くだけでは骨盤の位置の変化は手を当てていても自分で気づけない程度だから。偶々私がバレエで不都合を感じたことが随分前にあったという事実が今後の起こり得たことを防いだかもしれません。自分でやるべきことを把握しなければ、言われてもほとんど同じ。

先月は見学していた人が今は職員になったという会話が向こうから聞こえていました。その新米職員さんと平行棒の中で歩行訓練している私はすれ違いざまにニタア~~~と微笑みあうのでした。

先生は会議が長引いているのか、私は長時間平行棒の間を歩いていましたが、たまにその先まで。そこに置いてあったのは前日私がスイッチを入れてみた、ぴょんぴょん動きながら人の話を真似る「くまモン」です。背中のスイッチを覆っておなか周りにぐるぐると赤い指編みの紐が巻きつけられていました。

入院していました(14)

2014-07-09 19:29:45 | できごと
リハビリは優しく慎重に進められました。手術の時にできた紫色のあざのような色を気にされるけど、そんなもんほっといても消えるだろうに。膝の曲げなんてちょっと痛いくらいが治療らしくていいんじゃないの?もうちょっと曲げても平気なんだけどな。そんな余裕でした。

ベッドでも自主練を積極的に。膝を曲げる角度がもうすぐ90度という時にベッドから膝下を垂らして座ってみました。そこに主治医先生が通りかかり、大袈裟に喜ばれました。ここまで来ればこっちのもんみたいに。ここまでが大変なんですよと。日常生活に少なくともここまでは必要というレベルをクリアしたようでした。

リハビリの時に施術を見学する研修生さんがひとり紹介される時もよくありました。優しい表情の人、子供子供した顔の青年、純朴な表情が実に可愛い女の子も、見学しながら助手もして。若い人々が多く活躍する場ですが、評判が良くて他の病院から主治医の勧めでリハビリのために転院して来るといいます。だからこその研修生の多さでしょう。

リハビリも次第に内容が変化していきます。歩くには膝を曲げるだけでなく伸ばす力も必要。膝を曲げるのは少々痛くて平気でも曲がった状態から伸ばす時の痛さは曲げる時とは全く別の性格のものです。警戒心が起こるタイプの痛み。それを敢えてさせる先生はそういえば見た目が鬼みたいじゃない?

おや、先生は少年ぽさが消えてすっかり大人です。やっぱりね、あれ、この人だっけと何度も変に思ったわけで。確かに毎日前日と同じ人なのにどうもイメージが違ってきている。最初にこの場所に来た日にあの職員さんと先生が並んで体格がそっくりだと確かに思ったけど、ほら、今並んだら…ええっ、まるで違う。数年かかりそうな差をほんのひと月かそこらで縦横こんなに育つものなの?

膝伸ばしは曲げの時とは違って強制的に脚に力を加えたりせず、時には重りが着けられて指図通り伸ばそうと私が頑張るだけ。これで終わりかとほっとしたらもう十回。回復するにはやるしかないんでしょうけどね、しょうがないんだろうけどね、まださせるのか鬼。

主治医先生に痛みが違うとか何とか話すと、いつもの周囲十数メートルをからりと晴天にしそうな声で「そうですねー歩けるようになるには仕方ないですねー」と朗らかに言われておわり。看護師さんの言う「あの先生はスパルタ式」をなるほどと思ったのでした。それまでは私がスパルタ式を先取りで自主練習していたようです。もちろん目指すのは正座。しかし私が痛みのことをリハビリの先生に話してから膝伸ばしはあんまりやりませんでした。曲げと違って急がなくていいのです。そういう要素は歩く練習の中に少しばかり含まれているのでしょう。

看護師のさくらさんも膝のお皿を割ったことがあるそうで、正座できるか聞いてみると、時間をかければ出来るとのこと。やはりそう簡単に元通りとはいかないようです。私は大変なことをしてしまったわけです。しかしよくある大変なこと。それにしても彼女は魅力的です。おとなしいタイプの可愛らしいお顔ですが、声はそこらを明るくする華やかさがあります。意外にもプライベートでは野山を駆け回っているそうな。

私も動き回れるようになりたい。車椅子でひとりで行っていいか、リハビリ以外で松葉杖使って歩いていいか。看護師さんに言ってもなかなか許可は下りないけど主治医に直にひとことですぐ決まります。車椅子を卒業して更に運動量が増えていきました。

入院していました(13)

2014-07-09 19:11:57 | できごと
編物をしたいので私の机の中の鉤針セットを頼んでいたけれど、どうもわからないようでした。私も置き場所変更したような。毎朝の乳酸菌飲料についているストローの先端は斜に切られて尖っています。そこにカッターで切れ目を入れると鉤針。おしぼりの袋をぐるぐる螺旋状に細く裂いて、糸。編んでできたコースターは透明感が幻想的だけど目が荒過ぎてみすぼらしいのです。

鉤針セットはみつからないまま妹のリクエスト付きの毛糸が来ました。ストローの鉤針は太すぎるので二本使って棒針編みです。正方形のアクリルたわしにするかネックウォーマーにするか。これはリハビリの場所で超音波を当ててじっとしている時にも編んでいました。リハビリの先生は有難くも棒針を貸そうかとおっしゃいましたが、丁度いい太さで滑りも良し途中で変えない方がいいでしょう。編物はリハビリの方法のひとつだから病院には道具もあるようです。

翌日、先生は赤い糸で編んだマフラーのようなそうなりきれないようなものを持っていました。午前中に指編みを教わったそうで、それで編んだ紐のようなものを更に鎖編みしたもの。編目はきれいに揃っていました。鎖をほどきながら、これをどうにかしたいらしい。私なら全部解いて別の物を編むけど人様の編んだものを解くのはなかなかできないものです。糸がもうちょっとあれば実用的なのが作れるけど無いとのこと。解いてまた練習がいいですよ。すかすかの指編みの紐はそのまま引込められました。

母が鉤針をかしてくれて、白と黒のアクリル毛糸も来ました。妹の灰色の糸でリクエストの台所用アクリルたわしだけどどうもあれは純毛じゃないかな。白黒灰色で組合わせると実におしゃれになりました。自分用に白黒亀型たわし。これまでのタイプと、気まぐれに小さいのも作ってみましたが、やはり大きい方が甲羅がそれらしくて人気あるようでした。