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す ず な り

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日本人の脳に主語はいらない

2017-04-19 23:13:30 | 本など
(この文章も書いてから数年経ちました)

日本人の脳に主語はいらない
月本 洋
講談社選書メチエ

からだ、心、言葉、動き。それぞれがお互いをつくりあっている。その過程で強くなる部分も出てくる。何をし、どこを通るかで時間は違う。時間がかかればその間に出てくる何かもある。時間がかからなければ扱わないものもある。
母音は右の脳で聴く。自他の区別は右の脳で。そうして言葉は心を、心は言葉を作っていく。
簡単に書けばそういうことです。昔からの私の持論と共通する部分も多く楽しく読めます。それにしてもこの本は見た目よりはるかに視点が新しく、深く、広いのです。
専門外の人にわかりやすいようにこころがけられていて、専門用語を使わない具体的な説明のうまさが著者の脳の好調さを示しています。
なんとなく見覚えのあるお名前ではあり、一昔ちょっと前の心のありかなどを語り合っていた幾つかのBBSかメーリングリストで私の書いたこともきっと読んでくださって、専門外の私が加わっていたことも本作りに影響していたりするだろうかと思いました。
あの当時からこの分野はこんな発展をしていたんだという感慨深さを味わいました。2008年の発行です。それから今まではどうなっていることでしょう。

自他の意識の説明は、その着眼点は、素晴らしいです。逆転の発想もあり、著者は言葉やきまりごとに縛られず柔軟な発想のできる人なのです。

この本の内容に関して私が思い出したことというと、歌の合の手かそれに類するものです。
ある時期よく聴いていたイギリスのラッセル・ワトソンの歌には、フレーズの切れ目によくちょこちょこと本来の歌詞にない言葉が入っていました。日本人が歌うなら「〜ときた」みたいなもの、父やそこらの高齢者は昔はフレーズの終わりに「げな」と言っていました。〜だそうなという意味です。他人事。今歌ったばかりの内容について。しかしイギリス人の彼は、フレーズの前に、大部分は直訳するなら「私は言う」みたいなことを言っていた気がします。そしてそれはこれから歌う内容について。日本語では文の終わりに来る「だってば」を文頭で言う感じ。偶には日本と同じように"I said it"「そうだとも」のような前文についての時もあります。他人事ではなく本人の意志が感じられます。これらについてはちゃんと聴きなおし、他の例も多く聴かなければはっきりしたことは言えませんが、今のところ英語の歌についてはそういう印象です。自他の感覚はそんなところにも。

空耳の科学

2017-04-19 18:16:59 | 本など
これは書いてから数年経ってしまったようではっきり憶えていませんが、折角なので以下の文章をあげておきます。


空耳の科学 だまされる耳、聞き分ける脳
柏野牧夫
株式会社ヤマハミュージックメディア

本格的な科学教育を目指す高校で著者が行った聴覚に関する授業。

私にとってはだいたいこれまでに教わったり本などで読んだ内容でした。かつて有給休暇消化に週に半日大学に通っただけはあります。記憶力や何かの感覚がまだ充分回復してなかったけど教わった記憶があります。そして、私に新しい情報もありました。

ずっと前、ホールに人が入ると人が入ってない時より音がよく響くから人間の耳は音を作っているんだろうかと私はBBSに書いたりしていました。その道の専門のある方に聞いてもそれはあり得ないと言われたのですが、この本に書いてあるではありませんか。1978年頃発見された、耳音響放射というのだそうです。聴いた音の増幅。

増幅だけ?知っている曲とそうでない曲では違いはある?メロディーとして推測される次の音と予想外の音では?そこらが気になってきます。

「聞くだけで、しゃべる場所が活性化する」とは、いっしょにかりた「日本人の脳に主語はいらない」という本にも取り上げられていたミラーニューロン関連ですが、自分にできる動きであればよくわかるということ。発音できる範囲で聴き取っていた幼児時代の姪のことを思い出します。

教わったことや知った事のおさらい、そして新し目の話題では経験と一致してやっぱりそうだったんだなあと落ち着ける内容の本でした。おさらいは以前頭の中を通っていったという記憶がある、見覚えのある程度なのです。しかし一度通ることは一度も通らないのとは比べ物にならない強さですから、おさらいは時々していたいです。

関連
http://blog.goo.ne.jp/plink/e/63677acb8d13400fe9506330dc100e32
持ち合わせた音でききとる
http://blog.goo.ne.jp/plink/e/69b02420b5b0e2ce79ce4a1dfaa1d599
同じ思いであつまれば

ページおさえはハンガーで

2012-01-16 08:34:27 | 本など
本の形の楽譜はピアノの譜面台の上でいつも、一緒に押さえ係の別の本を置くなどしてやっとこさ開いた状態を保っています。面倒な思いをするのがいつものこと。これがいやだからコピーする場合もあります。

楽器店には楽譜を開いたまま置きたい時に便利なものが売られています。歯の少ない櫛というか、柄の無いフォークと見ることもできそうな形。見ていると自分で作れそうな気もして買うのがばかばかしくもあり。針金ハンガーを使えば…。考えるばかりです。

文具店にも出ました。本を開いた状態で一定距離置いた二か所で挟んで留めるもの。おや、これと同じ機能を持つものが身近にあるじゃありませんか。

スカートなどを買ったときに店員さんがつけてくれることもある、横長の棒のほぼ両端に大きなクリップがひとつずつと真中に引掛けカーブがついた、スカートハンガーがあります。上のクエスチョンマークがちょっとばかり余計ですが。

留めてしまうとめくりにくいので、一曲の最初のページと最後のページをはさんでおいて、途中はすぐめくれるようにしておくのです。1ページかそこらくらいならそんなに戻ったりしません。


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内田樹さんの最終講義

2011-03-27 00:20:35 | 本など
なかなか作文の気分になれなかったけど、せっかく閲覧される方がいらっしゃるんだからと、ずっと置いておいたのをあんまり気がすすまないながら投稿してみたものは、自分でも読む気になりませんでした。やはりふさわしい内容と時期があるわけですね。

ずいぶん久しぶりに本屋さんで雑誌を買いました。文學界に内田樹さんの最終講義が載っているので。これは今読みたかったもので、やはり読んでよかったです。

フランス関係の人というと私には言葉通りを重視する意地悪という先入観があったのですが(ごめんなさい)、内田さんは身体感覚やら実感やらを大事にされ、言葉や世間に通用している概念の嘘っぽさを見抜き、惑わされない人なのです。読んでいて非常に共感します。
常識や法律や制度に責任を取ってもらうことなど念頭に無く、ご自分で感じ取れることだけを覚悟をもって発言されるように感じます。それはもう一人私の好きな南直哉さんとの共通点。

最終講義はその大学という環境と、教育について。
大学の建物が、私はテレビの美術番組や美術関係の本でとりあげられるのを見たことがありますが、音響についても素晴らしいものだということです。また、発見するべき部屋があるということは学びに例えられています。
武道の奥深い世界をも探る人の感覚を、認知科学関係の方には是非読んでいただきたいと思います。

見えないものを見る教育なんて書いてしまえば非常に薄っぺらに感じそうで、おそらく身体感覚を鈍らせている人が読めばただの言葉の羅列にしか見えないと思えますが、実際はものすごく内容が濃いのです。

現在だけでなく見えない過去・未来をキャッチするのが音楽であり言葉。

普段の文章からも内田さんは過去と未来がよく見渡せる人だなあと感じています。

先ほど母に読ませました。大絶賛。

太宰が面白いという

2010-12-25 22:35:40 | 本など

太宰治は好きじゃない。母はずっとそう言ってきました。
私は中学の教科書で「走れメロス」を読んで嫌いになりました。嘘っぽい。そう感じました。

本をあれこれ処分したのをきっかけに読み始めると、なかなか面白いのだそうです。

子ども時代がつくりあげる感覚も、その後の経験によって変わっていくこともあります。自分が味わわなかったもののみかけは嘘っぽく見えることもありそうです。

見た目は変化する。
価値は変化する。
自分が変化する。



見て、太宰のハンコが押してあるよ、と母が見せてくれました。

Decoding the Heavens

2010-12-22 00:43:37 | 本など
ブックカバーにしていたぼろぼろのコピー用紙の包装紙を外して、
「ほー、そういうタイトルだったなあ」
私はタイトルを忘れることが多いのです。
例によって途中でほかの本を読み、返却期限間近の本を読み、またこの本に戻ったり離れたり。

洋書はたまには読まないと益々読みにくくなりそうですが、あんまり人に見られる場所で読みたくないのです。電車でも後側に人が来ない車両の端などで読むことが多かったです。

副題は二千年前のコンピュータ。これに惹かれて買いました。しかし科学関係ではなく、バーコードや値段が貼ってあるところに「人文・科学」とあります。

海底の難破船から引き上げられた機械のために多くの人々が苦労し、何人もの人々が何十年もの努力を捧げました。積もった泥のお陰で腐食が少ないまま保存されたばかりに。

いったい何のための、誰のための、誰が作ったものか。探っていくうちにそれは歴史を変えてしまいそうなものだとわかってきました。天体の運行をあらわすものではありましたが。

考古学の本なのかと思ったら思わぬ分野にあちこち飛び、まさか戦時中に日本が原爆の研究をしていたなんてと驚いたり。

機械の動きについて書かれた部分はあんまり理解できませんでした。ただ、昔私はスピログラフみたいな模様が描けるBASICプログラム(後にExcelマクロ)を作りましたが、回転の軸が円の上を移動していくのはまさにその感じ。文章を読んで想像しやすかったのは嬉しかったです。

著者は苦労し命を失った人々や忘れかけられた人々についても書ける限り書こうと頑張ったのでしょう。そして謝辞が長い長い。ひとつのチャプターまるごと、3ページちょっとあります。途中の、危うく長年の苦労の末の成果を奪われかけた研究者がとうとう発表する場面は泣けてきます。努力や苦労は報われてほしいものです。

The Borrowersが映画に

2010-06-06 22:54:40 | 本など
次の宮崎アニメの原作は「床下の小人たち」のようです。私はこの本をおとなになってから読みました。

子どもの頃にお人形遊びをした女性はきっと懐かしい感覚が味わえることでしょう。お人形の日用品について色々な工夫をして、似たものを代用したりしていたならば。

おそらく、似た形や機能をみつける観察力、大きさが違うと人間と違ってどういう困難があり得るかを考える想像力などを刺激します。

主人公のおとうさんの名はPodだけに、彼は人間のことをhumanbeanと言っていました。翻訳ではどう言っていたのか知りませんが、「インゲン」では通じないかな?

お気に入りフリーペーパー

2010-05-14 00:52:35 | 本など
「*にーにゃ」というフリーペーパーが職場の郵便受に入ってきます。私はこれがどのフリーペーパーより好きです。

野菜の保存方法や手作り化粧品、病院の評判など、保存しておきたくなるような特集が多い、非常に誠実、まじめ、一生懸命な印象の雑誌です。

しばしば読者へのアンケートにより、そこらのメディアが持たないような情報を得て、時には心あたたまる、時には伏字を使って(しかし地元民にはだいたいわかる)勇気のある記事を提供しています。良い評価の記事で出たものが悪い評価の記事でも伏字で出てくることさえあります。

この雑誌がテレビで紹介されたそうですが、5月号のそれについてのコラムのタイトルは「*にーにゃが紹介されたのはラッキーだったけれど…全国版のテレビって、恐ろしい。 」

この編集長さんは本当にまじめな気持ちでテレビの取材を引き受けたようですが、このことをきっかけにテレビを見る目が一変したようです。

テレビは現実を伝えるのではなく、決まった台本通りに作るために都合のいいように現実を切って繋いで編集する。そうして現実とは違うものになる。とは書いてなかったけど編集長さんの言いたいことはそういうことだろうと思います。私もニュースをみていてしばしばそうじゃないかと感じますから。

このフリーペーパーは福岡の幾つかの場所に置いてあります。配布エリア外でも送料を負担すれば郵送してもらえます。

http://www.ninaweb.jp/index.html

知識の海なんてがっかりさ

2010-03-11 00:17:57 | 本など
大修館の「これが5万字」というポスターがあると知ったのは四半世紀くらい前だったような気がします。このタイトルは「どうだすごいだろ~」的ムードが楽しくていいなと思い、当時すぐに買ったのですが、そのタイトルの代わりに「知識の海に船出せよ」だったか、そんなフレーズが大きく書かれていてがっかりしました。お勉強ぶりっこより野次馬気分がいいのに。眺めているうちに飽きてしまい、日常に漢字にかかわる人にあげました。一番画数が多いのは龍が4つ集まった字でした。知識の海に船出じゃなくて「これが5万字」だったら今でも持っていたかも知れません。知識の足りない私は海岸の複雑バラエティが好きなんだから。

ものごとを断片として

2010-02-01 00:35:03 | 本など
小学館「本の窓」2月号の佐藤優さんの連載は先月に続き頭の悪くなる勉強法について書かれています。例に出されているのがヒットラー。自分がものをいうのに使えそうな断片を集めるための勉強をしていたらしいです。

断片知識の寄せ集め、ということはものごとを断片としてしかとらえていないということでしょう。

知識のあるかどうかはともかく、そういうタイプの人が実は非常に多く居るというのを私が実感したのはパソコン通信やインターネットがあったから。「断片と全体」を書いたボームはネット時代以前にそんな時代が来るのを予測していたわけですね。

しばしば、やりとりはキャッチボールになりません。投げたボールを違うものとして返してくるからそれを受取って最初のボールと同じだけどもう少しわかりやすいものとして投げるんだけど、相手は巧妙にそれを避けて違うボールを投げてくる、延々とそれの繰返し。

あるいは、伝えたいことの部分を意味が変わるような切取り方をして延々と反論してくるので、それに対する説明を続けるうちに疲れ果てるというケースがよくありました。

みんな頭の悪くなる勉強法をしたのでしょうか。自分の解釈したいようにこじつける能力はある、筋が読めないから筋が通らなくても平気、だから何でも言えます。無敵です。

本当に頭悪いなと思えたケースもありました。明らかに読解力がない。文章の中からキーワードだけ拾って反応していました。世間で言われていることを言っているものとして。実際の文章はそうじゃないのに。

やりとりのなかみはみんな部分についてばかりでした。話題にしたいことは文章全体で表していたのに、それについて語り合いたかったのに、とりあげられるのはどうでもいい部分のこまぎれ。ぼろぼろになるまで。

パソコン通信て、インターネットって、そんな程度でしかないんだ。そう思いました。ブログ時代以前にアクティブなのが主にそういう人たちだったから。

まともに文章の読めないかれらに共通するのは中途半端な劣等感とプライドでした。相手を言い負かして優位に立ちたいだけだったのかも。

そういう私も頭はよくないので、キーワードだけ拾ってもとの文章から離れて勝手なことを書いたりしていました。言いたいことはあったし、自分の扱える部分にしか反応できませんし。KY。

大事なことは、つながりをみる力。教育で大事なのがこれです。私はパソコン通信時代からこれを主張していますが、果たして自分はどうなんだろうと振返ってみると…。

休刊残念

2010-01-17 22:40:22 | 本など
昨年は雑誌の休刊廃刊がよく話題になりましたが、私も非常に残念に思っているのが大修館の「言語」が12月で休刊になったことです。

こんなふうで大丈夫なのかな、日本の文系方面。

買わずに図書館でばっかりぱらぱら見ていた私みたいな人が多かったのでしょうか。
しょうがないでしょ、収入があきれられるほど少ないんだし、ほんのちょっとしか関心ないから。

でも、これはなかなか大事な雑誌だったんだろうと感じています。
そのうち言語やそれに関連したブームが起きて、復刊しますように。
人工知能は今からだを作っているところだけど、いつかは言語について盛り上くるでしょう。

何年前のことだったか、人工知能を言語からアプローチしようとした人がいたけど、私はからだがないと無理だと書きました。(自分にとっては)結構納得いく理由もつけて。まだ記憶力がしっかりしていた頃でしたが、どう書いたんだっけ。その後似たようなことを養老孟司さんが言われるのをテレビで見かけました。
私は今も言語はからだが作ると思っています。

広さと狭さのちょうどいいところに認知できるリズム

2009-06-06 14:40:59 | 本など
「言語」6月号の特集は「リズムを科学する」。執筆者には…きゃー!中島先生~なんて図書館で声には出しませんでしたが。普通は部分をその場で読むかコピーするか、時期過ぎて借りるかだけど、あれもこれも読みたくて今回購入することに。しかしあんまり本屋さんが置いていません。何軒まわったでしょうか。

四半世紀前でしたか、博多駅の大きな本屋さんでこの雑誌をよく買っていました。私が買わなくなると仕入れなくなったようでした。だからあんまり売られていないというのは見当ついていました。

こういうとこならあって当然と思ったけど、文系の大学や有名高校の近くでもこの程度の品揃えなのかとがっかり(自分が有名なとこを出てないだけに期待しすぎか)。そういえば大学内にも普通本屋さんはあるんでしたね。いや、図書館で読むのかな。

丸善で聞いてみたら長い時間かけて探し出してくれました。雑誌の中でも埋もれていたのです。そういうサイズですし。

通勤読書。中島先生の文章は今わくわくしてらっしゃるという感じがあり、読んでいてうれしくなります。幅広い分野との連携が必要で、時間という共通項。ふむふむ。

私の場合リズムについて考えていたら、形についても考えることになります。人間の形、環境の形。そして行動。すると国語算数理科社会音楽保健体育外国語技術家庭科とすべてが関わることになってしまい、どううまく絞るかが問題だなあとこれまでの自分を振返りつつ思うのでした。

そうして表紙に並ぶタイトルをあらためて見ると、リズムがどれだけ幅の広いものであるかが一目瞭然。しかもこの本は言語に関するものに限られているのです。

この世は広げることと限ることのちょうどいい具合を練習する場なのかなあ。

音楽脳すばらしっしも

2009-06-03 00:58:54 | 本など
ここで何度か取り上げた"THIS IS YOUR BRAIN ON MUSIC"をこのあいだ読み終わりました。

素晴らしかったです。脳の音楽に関することだけだというのに、さまざまな角度からのアプローチで今わかっているすべてを盛り込んだというふうで、これ読んで物足りないとは言えません。かなりいいとこまでいってます。もうおなかいっぱいという気分。

途中いろいろな本や雑誌を読んだり集中できない事態があったりで何度も中断したので、はじめの方のページをめくってみると、おお、そういえばこんなのあったねえというように、かなり忘れています。

しかしぱらぱらと見ただけでも、始めの方の感心も思い出されます。この本はひとつのことに関するいくつかの分野の壮大な教科書みたいなのです。

これだけの濃さの本には当分出会いそうにありませんが、出会ってもいいぞ。

音楽脳よみかけ

2009-04-30 23:58:03 | 本など
バッグの中はどれも読みかけです。図書館で借りた本が最優先で、本屋さんで貰った出版社のPR誌などもぐずぐずしていると次号が出ますから。ずっと前から読みかけだった本のはじめの方や途中はどんなだったか、やっぱりこういうのはメモ取るべきだなあと思いながら、読み終えたらもう一度目を通そうと思いつつ読んでいます。いまだに読みかけ。

もしかしたらぞくぞくするようなヒントがあるんじゃないかと期待した雑誌記事や対談鼎談と同様、この本もいまひとつそこまで行っていないという感じがあります。そういうものです。

これまで認知科学の分野で新しい発見のようなことというと、ほとんどはみんながうっすら感じていたことをはっきり言葉にしただけなのです。いつもいつも、決定的な何かは出て来ない。おそらく出てきたときにはみんなが知っていたあれだったのかというような感じになるのではないかと思ったりします。

"THIS IS YOUR BRAIN ON MUSIC"を読んでいると、出た。私が書いていたのと同じことが。やっぱり同じことを考える人が行き着く先のひとつはそこなのでしょう。私が「ひとまとまり」と言っていたことを著者は"chunk"と書いています。私はブログ以前もBBSに書いた記憶がありますが、「ひとまとまり」以外の言葉も使ったけどchunkほど物質的なイメージじゃなかった気がします。


ところでこのブログテンプレートが強制的に変えられてから、よく気づかなかったのですが、ブログ内の検索ができなくなっていますね。