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す ず な り

なかなか辿りつけない辺鄙なブログへようこそ... メールはIDのplinkに続けて@willcom.comです

法事の後に手当て

2011-12-18 22:33:18 | 安全に体調良く
法事に行きました。終わって、そこの家の孝行娘は肩こりの様子だったので、ちょっとばかり肩もみしてあげようと言うと、最初はやたら遠慮していましたが、効果がある上に驚きが大きかったようで喜んでいました。肩もみというよりはごくゆるい指圧と手をぺたっと当てるだけ。そうするうちに近くにいた人にも話し、別の部屋の人まで呼んできて、ハンドパワーごっこになりました。

軽くなったー、胃が痛いのが治ったー、というのは問題個所を指圧したりあたためたり、皮膚を動かして血行良くすれば当然です。

当てた手のとこだけじゃなくてそのまわりまでじわーんと温かい、内臓まで温かさが来る、すごい!というのは私にはよく実感できないところです。自分の手を自分に当てたらそれなりに温まるのは体温があるからだし、何か物を当てたら暖かいのは確かだから。

全部で6人でしたっけ。喜ばれてよかったけれど、基本的に親戚限定です。たまに親戚以外もやることもあります。状況次第。あんまり誰でも彼でもやってはいけなさそうではあります。その場ではたいして疲れませんが、帰ってから結構ぐったり寝てたりします。自分のエネルギーを与えているかも知れないし、何か悪いものをもらっているかも知れません。与えるエネルギーの出所を自分自身にしないで、何ももらわない要領が身についていればいくらでもやれるはずですが、今のところおそらくそうはなっていないのです。

誰でもできることなのです。要領は長らくやっていれば身に付きます。

大事なのは手を当てて治すことではなく、どこらへんに問題があるか、自分でどこを温めたら、ほぐしたらいいのか、それを知ってもらうことです。それをわかってもらう以外は応急処置としてやるだけ。やっても手に負えないことはあるし、お医者さんじゃないから詳しくわかっちゃいません。しかし大抵治ればそれだけで、忘れられます。自分がするべき努力なんて、すっかり。

そんな「手当て」を仕事にすればいいとたくさんの人が言いますが、こんないい加減なことは仕事になりませんし、やるとすればその方面でそれなりな資格を取った上でやるべきでしょう。でも、今の状態では何かもらいそうな感じがするのでやらないのです。

今回「ここにカイロを貼って温めたらいい」などと言いましたが、手はカイロどころじゃない効果があるそうで、カイロで温めることを憶えておいてくれるか気になります。

一瞬はつながって延々と

2011-12-15 22:02:10 | できごと
車輌止まってくださーいと消防車が叫ぶのに、みんななかなか止まりません。そういうものですか。私が見始めてから4,5台行きました。タクシーが多いみたい。
あの音が鳴ればみんなとまって道をあけるのが当たり前だったのは昔のことですか。
一台にとっては一瞬、しかし何台続いたか。短い時間が積み重なって、間に合うはずだったものはどうなる?そういう時に止まってくれる人にもしも何か起こりかけた場合は間に合って災難を逃れられるといいですね。無視して先に進んだ人、それなりな覚悟しているのかな。

冬の日にそいつはドアのところに裸足で立っていた

2011-12-10 22:13:34 | おもったこと
道を歩いていると、お店の入口のところにクリスマスツリーが立っていました。

しかし、そのツリーの根元。鳥の足みたいにというと指の数は少ないけど三本の出張りが120度ずつを分担してふんばっていました。幻滅です。

もちろん作り物だってことはわかっていますとも。それでも根元は鉢に入れるとか、無理なら段ボール箱の表面にそれなりな紙を貼って、それもだめならせめてバケツにでも入れて、せめて植物のふりをしてほしかったです。

足元って大事よね。私もしっかり靴磨きせにゃ。
踵の修理の済んだ靴の箱を抱えて、そう思いました。

ちかごろ楽しいクラシック音楽の動画

2011-12-04 00:51:46 | 音と動きと形
このごろYouTubeで楽しいのは、クラシックの名曲に、その音の動きをアニメーションで表しているもの。

なるほどと感じさせてくれます。その演奏も非常にいい演奏です。耳ではっきりと捉えきれなかったものや関心のなかったところをあらためて教えてくれます。

なのに私はいちいち見てないでナガラをやってしまう。

お葬式

2011-12-04 00:10:59 | できごと
伯母のお葬式がありました。

子孫繁栄の図。あらゆる世代が揃って、小さい子供たちが可愛らしく動き回りながらもお行儀よくするべきところではちゃんとしています。これについては母が羨みます。我家は三人姉妹のうちまん中の妹のところにふたりほぼ大人の身長の子供がいるだけなので。前日に行ったお葬式でも子供が大勢いたそうです。

「おばあちゃん」がどっちを指すのか、一瞬戸惑います。私のいとこたちはおじいちゃん、おばあちゃんになってしまっているのです。

伯母は家族だけでなく地域のためにもお寺の行事にも非常にアクティブに活動した人なのですが、あんなに和尚さんがほめまくるお葬式は初めて。そうです、子供のころから若いうちはかなり苦労をした人らしいのです。しかし陽気でした。

途中涙は流すけれど、親戚一同、結構明るい人々なのです。
いいお葬式でした。
でも、お葬式はたいてい、いいお葬式。感心したりなるほどと思ったり、故人の素晴らしさを発見したり。

残された伯父をみんな心配しています。しかし家族が大勢います。そして、私の母はいつも一緒に寝てくれる猫がいてくれて良かったと何度も話していました。



最近のお葬式にはフルートとピアノ(エレクトリックだけど音はアコそっくり)の生演奏がつくのがはやりなのか、たまたま母が前日に行った所も同じ系列の葬儀社だったからなのか。

気がついたら演奏していて、自然に消えます。またつぶやきのように始まり、ぽつりぽつりと昔を語り始めるかのようにそのうちゆったりした流れになっていきます。

アナウンスが贈り物としての一曲を紹介すると、にわかに張りのある音で「愛燦燦」が始まりました。

若い演奏者たちは、かなり「わかっている」のです。



苦労もあるし病気もあるけれど、生きて、死んで、それでいい、それぞれのなりゆき。