我家の猫が拐われてもうすぐ一年半。ミーちゃんは可愛い私の家族です。
ネット上に写真と名前を上げると呪いをかけられやすいらしいので詳しい事は書かずにいましたが、もしかしたら呪いより応援の方が多いのではないかと思えたりします。
あの朝、庭に出ていた母は、前の道に居た猫が車から出た人に抱えられて乗せられ連れ去られるのを見たと言います。
連れ去られたということをはっきり聞き取れなかった私は数日経っても帰って来ないため警察に届けたのですが、落し物扱いにはがっかりしました。後に警察で別の遺失物の件のついでに聞いたところ拐われたとなればまた違ってくるそうですが、見つける手がかりもなし。
当時近所の皆さんは母に会うとミーちゃんは?と猫のことを聞き、それから何週間も経つと帰ってきたか訊きました。よく配達にくる八百屋さんはあの猫なら知っているから見かけたら連れてきてやる、と。猫好きの郵便屋さんも気をつけておきますと言われました。
居なくなる数日前、いつものように私の呼びかけに返事したミーちゃんに、心の中で「ミーちゃんが居てくれてしあわせ」みたいなことを言うと、ふっと呆れたような息をつきながらぷいっと横を向いたのを憶えています。
行方不明や死んでしまった、そこに居ない動物の視点でメッセージを伝えられるというアニマルコミュニケーターという方を紹介され、聞いてみたところ、その方も私も驚いたことに、ミーちゃんは自分の意志で出て行ったとのこと。母と私のショックが一番小さいように、拐われるという方法を選んで。ということは、人間をも動かしたということです。
諦めきれなくて数回セッションをお願いしましたが、猫のメッセージというのがいつもお説教ぽくてなるほどと思ったり悲しかったり可笑しかったり。
ミーちゃんが言うには私は不器用で自由でないと。しょうがないです。そういう育ち方したんだし。自由になれと言われても自由とはよくわからない。父が認知症だったり入院したり、自分も骨折で入院、退院してお葬式に法事の連続、途中から母も認知症っぽくて目が離せなかったのです。ミーちゃんも私の入院中母が外出がちで締め出されたままになったり不安も多く苦労しました。出て行ったのは私を自由にするために?私を見てられなかった?どうか知らないけどもしそうなら夜中や明け方に帰って来なさんな!
いずれほかの猫が来るということでしたが、果たして2頭、ことわりきれない形で預かりそのままうちの猫になりました。ミーちゃんが帰って来るかもと猫を置かないようにしていたけれど我が家は猫に助けられるようになっているようです。居なかったらこんなに明るくなってなかったでしょう。
母と私はずっとミーちゃんを思って話していました。居なくなった年の冬至の翌朝、母の寝室の窓から声がして、おかえりと言ったけれど。いつもなら母は顔を見てから玄関を開けに行くのです。あれはじきに帰って来るという意味じゃないかと期待していたのですが。
よそで飼われているのならきっと大事にされているだろう。もし飼う気がなくなったら返してくれるだろう。そう期待できるから幾らか安心です。
それでも時に猫の声がして、玄関を開けに行ったことも何度か。夜中に夢うつつで猫の声を聴き、玄関を開けに行かなかったのを悔やんだり。
今度の姉妹猫達が来てからもうすぐ九ヶ月。狼藉に困りながらも喜ばしい日々の中、ようやくミーちゃんを穏やかに思い出せるようになりました。ミーちゃんを待たなくなったみたいです。ミーちゃんの気持に任せます。脚付の果物籠にクッションを置いたミーちゃんの椅子は広縁にあり、いつでも帰りを歓迎できます。