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す ず な り

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日の丸君が代 日本は誰の国

2012-07-01 22:31:13 | 言葉と過去
白地に赤丸の日の丸はもとは蝦夷の旗だそうです。

君が代はもとは福岡の歌であり、君とは本来筑紫の君のことだそうです。
http://sun.ap.teacup.com/souun/198.html



そういえば最近あちこちで、君が代の歌詞をヘブライ語だとしたらどういう意味なのかというの、見かけます。

朝のドラマ観た母の終戦の頃の話

2012-04-03 08:45:21 | 言葉と過去
あの頃あんな白い服は着てなかったよ。B29に見つかるもんね。暗い色の服ばっかり。和服やら着るもんか、動かれん。戦争が終わっても当分黒っぽい服やったよ。アメリカ人に見つからんごと。それよりみんな逃げよった。リヤカーで、篠栗に。西新とか早良の方にも。田舎の方に。うちは奥まったとこにあったけん逃げめえてお父さんが言うたと。けどあそこにアメリカ人が4人も、ダイヤモンドやら売りに来た。言葉がわからんけんハルクニさん呼んで来るばってんわからんと。

わけわからんで当たり前な時代の曲

2011-08-15 18:09:28 | 言葉と過去
この頃よく聴いているラッセル・ワトソンは私の若い頃、子どもの頃の歌もよく歌います。懐かしいそのひとつは「明日にかける橋」。当時わけもわからずただ聴き流していました。もしかしたら訳を見ていたかも知れませんが、わからなくてそのままにしていたのかも。

年を取ってからあらためて聴いてみると、それはないだろうというような内容だったり。I will lay me down だって?そこまでせんでよろし。別の方法を考えろよ。

あの当時かそこら、わけわからない歌詞が流行りだったようです。そして、大抵はそれがマヤクか何かをほのめかしていたという。ビートルズなど有名なようですね。ほのめかしてないのもあったのかな? 明日にかける橋のsilver girl はまさにそれだろうと思われます。流行の音楽は洗脳の手段。そういう意味で「青い影」という曲は何なんだろう。

あの当時ので楽器で弾きたくもある曲はいっぱい。メロディの美しさはいいけど、歌詞があんまり好ましくないのがあります。楽器である限りはそういう言葉は発しないという意味で許容範囲。体力が無かった頃はそんな曲など無理でそもそもクラシック以外の音が辛かったのですが、今は少々自分の考えと違う音楽だって演奏して遊べます。懐かしい曲はほかの人や自分を楽しませるため。そしてそんな音楽の技術を身につけるため。いずれは澄んだ音楽を頑張ってやりたいものです。

とりあえずタイガースの「花の首飾り」をピアノのレパートリーにしたいなと思っています。「明日にかける橋」なんて大変そうだから。

ラッセルはすごいと思います。色々なカバーをやっていますが、ほとんどが本家本元を上回っています。しかし可愛かった彼もすっかりおじさんらしくなりました。

声が博多弁

2011-05-09 18:53:54 | 言葉と過去
松本龍さんが話されるのをテレビで見た時、大変微笑ましかったです。

言葉を文字に置き換えたならただ標準語であり、イントネーションもそうなのですが、発声がしっかり博多弁でした。おそらく発音の微妙なところも博多弁なんだろうと思いますが、私が本場から少々はずれたところに住んでおり本物を日常に話していないために、はっきり指摘できません。

はい、私、それです

2011-02-08 20:14:46 | 言葉と過去
久しぶりに行ったお昼の中華料理店。ここらでは珍しい安価なランチがあります。

「欲張りのお客さま~」

その呼び方ってないだろう。

「日替わりのお客さま~」

日替ランチのほかにも、杏仁豆腐などのついたレディースセットや、欲張りランチだったか欲張りセットだったかがあるのです。

いつか私も欲張りと呼ばれてはーいとお返事してみようかと思います。

日本語はだいじにしよう

2010-07-04 17:49:43 | 言葉と過去
もう長らく、私は英語を勉強する気持が弱まっています。英語の本は読むといえば読むけど、熱心ではないです。

社員に英語ばかり使わせることにした会社があるというニュースがありました。世界的日本ブームの今なんで?これから先活躍する外国の人たちの中でも進んだ人たちは日本語が話せるというのに。そりゃー英語力はつくでしょう。でも、日本語だからこそ通じるものや日本語でこそ出てくる発想だってあるはずです。日本ならではの会社であろうとしないのかな。

安定した仕事に就けるように経理でも勉強したらよかろうとも心のうわべでは考えないでもないのですが、経済の仕組みがこのまま続くはずがない。今の経済のための準備なんて無駄になりそうな気がするのです。

そもそも長年過労が尾を引いて頑張れなかったわけですが、体力がついてきた今そっちに頑張らないのはそういうわけもあります。のろまなので時間が足りないということもあります。

英語でもない経済関係でもない、何かに頑張らにゃー。

関連:外国語と日本語

薔薇の名前

2010-06-30 23:03:52 | 言葉と過去
そんな名前の小説、ありましたね。読んでいません。
映画はテレビでちらっとくらい観たかも。

以前、サムライという薔薇のことをちらっと書いたのですが、

「サムライ バラ」を検索すればすぐ出てくると思っていたら、そうではなく、しかも実は「サムライ08」だったとは。

その薔薇の昔の名前は「アパッショナータ」でした。こんな名前には赤しかないですね。
その赤さは黒薔薇と言えるんじゃないかと思うけど黒薔薇と一緒に検索しても出て来ません。「パパ・メイアン 黒薔薇」はいくらでも出てくるのに。「黒薔薇」単独で画像検索は人工的な本当に黒い薔薇がいっぱい出てきます。

「サムライ」という名前だったら、日本人は赤というより真白を連想しそうなもんです。

鼠の声を叫ぶ

2010-05-16 21:22:23 | 言葉と過去
子供番組で、

鼠の鳴き声は?
ちゅーーーーうううぅ

と出演者が叫んでいました。

そういう鼠もいるのかも知れないし、状況によってはどの鼠もそう鳴くかもしれません。

しかしあの出演者たちは鼠の声を実際に聴いたことがなくて、鼠の声は「ちゅう」だと聞かされたそのままを言っていただけの、伝言ゲームの端っこじゃなかろうかと思えました。

擬音語は表記方法に影響されます。その民族が持たなかったリズムはそれなりに変わります。しかし、時代によってはありえなかった表記も、外国のリズムも後に可能になることもあります。

鼠というと、私はひそひそ話のような「ちゅっちゅっちゅ」しか聴いたことがありません。この声なら「ちゅうちゅう」に聴こえないこともなし。昔の表記はだいたい「ちうちう」のようです。時代によってはまた違う音としてとらえられていたらしいです。やはり鼠は小さくひそかな感じでしょう。

生き物の声といえばまず、普段の声をいうでしょう。非常事態でしか鳴かない場合を除いて。鼠の声だといって大きく叫ぶように言うなんて考えられなかったのです。

あの番組では大きい声で叫ぶのがいつものやり方として指示されていて出演者はそれに従わないといけなかった、なんていうこともあるかも。

音訳妄想

2010-02-10 00:31:03 | 言葉と過去
用の済んだメモ紙はすぐには捨てず、入れ物に入れておき、入れた枚数分を古いのから捨てています。まれに用があるとしたらだいたいは入れたその日のうちですが。

ある日の捨てる紙には珍しく絵が。忘れっぽくなったものです。そう何日も経たないのに。確かにらくがきした覚えがありました。

鬼が、あんまり踊っているようには見えませんがアーチ状の和風の橋の上に。小さすぎる橋だけどたったひとりで「混むさ~」はなかろう。

アビニョンの橋がどんなものか。知らないということは自由であるということ。しかし知っていても自由というのが創造性。

音訳という言葉を思い出しました。そんなものがあると初めて知ったあれは第九の歌詞の音を漢字や片仮名平仮名の馴染みの単語に置き換えたものでした。子供の頃の百人一首も音訳みたいなものとしておぼえたものです。とんでもないイメージつきで。

子供にとっての大人のうたと同様、外国語の歌にはその国の人には思いもよらないイメージが生じるもの。意外にもそれこそが効率良い記憶法に通じるようです。イメージが鍵。

幼稚園の頃に先生が「はーい、みなさーん、輪になってくださーい」と言われると、園児は口々に「鰐になれってよー」「鰐、こわーい」みたいなことを喋っていたのを思い出します。

私が記憶している歌詞では踊るのは「鬼」なのですが、動画で検索してみつけた歌は「鬼」の頭に"L"がついていました。これを最初に聴いたら想像はまるで違っていたことでしょう。それとも最初からついていて私が聴き逃したのか。

そういえば、あのらくがきをかいた頃、「車座って何人から可能なんでしょう」とか話していました。呆れられていたかも。「数学的にはひとりから可能よねー」と自分で結論。しかし私は数学は大の得意の反対です。数学的にとつい浮かんだけど、それってどういうことなんだろう。すぐには言えそうにありません。しかも今は疲れ気味で考えたくないのです。

描くスペースと時間の都合で鬼はひとりです。日本語は数にあまりこだわらない。

鬼はひとりで輪になって、狭い橋の上はさびしく混んでいました。「数学的」に。

忠犬

2009-12-30 21:04:56 | 言葉と過去
母が幼い頃に母の祖母つまり私の曾祖母から聞いた、昔々のこと。

母の祖父は中気がついて歩みがのろく、お豆腐を買いに行こうにも埒開かんということで、犬がお使いに行くようになりました。お豆腐と一緒に持ち帰った角天をご褒美に貰います。お豆腐屋さんが角天を荷物に入れるまでは絶対に帰らなかったということでした。

その犬は母の祖母のお風呂にもついて行きました。脱いだ着物に風呂敷をかけるとその上に犬が被さり、守ります。誰かが通りかかってちょっとでも触れると唸っていたそうです。ほかの人に申し訳ないと思ってもどうしてもついてくるものだから。

おしチャリ

2009-11-14 12:49:54 | 言葉と過去
天神を歩いていると、ときどき「おしチャリ」と書いてあるのを見かけます。もちろん「おし」は「押し」、「チャリ」は自転車のことですが、よそから来た人にはおそらくわからないと思われるのが「おしチャリ」の本来の意味。福岡では「押してちょうだい」みたいなことです。自転車を降りて押して進んでほしい場所に書いてあります。

標準語の「押してやる」が福岡では「押しちゃる」(またはちょっと変化して「押しちゃあ」)、これの命令形が「押しちゃり」です。

しかーし。自転車に乗っている人の多くは中国人です。「おしチャリ」の意味わかるかな。自転車に乗って会話しながら走る人たちの言葉はほぼ100%中国語です。1、2年前に比べるとかなり減りましたが、平日昼間の天神の路上で聞こえる言語はほとんどが中国語でした。日本人だったら黙っているようなシチュエーションで話したり電話したりしてます。そうだとしても多い。ものすごく多い。



★すぐ使える博多弁レッスン

 「これば見ちゃり」

これを見てよ、これを見てちょうだい、みたいな意味です。


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そうたい、「押しちゃる」の命令形は「押しちゃれ」やった。
「押しちゃり」は標準語の「押しておやり」とだいたいおなし。
文法のようわからんごとなりよう。
「押しちゃれ」は語気の荒かと。おいさんの言葉やね。じょうもんさんはそげな言い方せんとよ。