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す ず な り

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入院していました(19)

2014-07-13 11:54:30 | できごと
リハビリの先生の自宅トレーニング箇条書は遅れて退院の朝持って来てくださることに。そして当日、A4の紙二枚のわかり易い図がついた豪華版をいただきました。一枚は骨折の手術後に必要な訓練、もう一枚は歩き癖から心配される筋肉を鍛えるもの。ありがたや。先生は前日のリハビリの終わり頃からまた可愛くなりました。

隣の部屋のOさんは朝九時半にリハビリに行ってしまいます。その日の挨拶はしそびれたけど前の夜にデイルームでゆっくりお話し、メールアドレスを交換したので心残りもありません。次に会えるのは私の外来の日です。

既にベッド周りの生活感は消えています。母と妹が来て、妹は前日までに荷造りした物を手際良く極端に大きなバッグにまとめていきました。あっけないというしかありません。おや、そこにまたリハビリの先生がサインの必要な書類を持って。ぎりぎり間に合いましたね。私がみんなに囲まれて署名をして、あっけない寂しさが和らぎました。

看護師さんによるベッドや戸棚などのチェックも済み、ナースステーションの皆さんに見送られて母、妹と一緒にエレベーターに乗りました。みなさん有難うございました。また秋頃、膝の針金を取り出す時にお世話になります。

二ヶ月近くの長い間、新しい出会いと発見、納得、感心がいっぱいの、結構楽しい入院でした。母や妹には特に助けられました。忙しかったことでしょう。


木々がしっかりした緑の葉を茂らせた頃、花壇の花が終わって訪れる人も少ない公園に行きました。淡墨桜の中の手の届くひとつをいつものように手で触れ、今回はありがとうと言いました。最初に存在を知った時はすぐ前に立てば全体が見えるひょろひょろした木だったのに、今では広い花壇の向こうに行かなければ見えないくらいの貫禄です。離れたベンチでしばらく眺めました。

心の中で助けを求めても求めなくても病院で助けを受けるのは同じ。しかし手術が必ずしも一度でうまく行くとは限らないという話を後で聞きました。何事も巡り合わせです。ところで不思議にも私は今回の骨折をまるで了承済みだったかのような、救急車で運ばれるという言葉が頭に浮かぶことがその前の数週間に何度かありました。

私の入院を機に認知能力が心配だった母は見違えるようにしっかりしました。甥の同居も影響していますが、日常生活に活が入ったのです。おそらく、このままじゃいけないと思っていた私にも。

私が人間以外に助けを求めたのは初めてだったと思います。そもそも助けを求めること自体珍しいこと。この木は花を観ようと思えば頼まなくても複雑なタイミングをはからってくれることが何度もあったように思えます。もちろん私は日常に自分に見えないところで多くの人やものから沢山の助けを得ているのはわかりますが、これまでのところしばしば助けてもらえない運命なのかと思うほどのタイミングのわるさを生きてきました。そうして要領も良くなく滅多に助けを求めない私は、結果はともかく助けを求められるという可能性だけで、 存在するだけで、気休めにできます。しかしどうもこの木は今度も巡り合わせをはからってくれて、多くの助けをコーディネートしてくれたような気がします。木だけじゃないのです。そしておそらく助けを求める前から始まっているのです。

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