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す ず な り

なかなか辿りつけない辺鄙なブログへようこそ... メールはIDのplinkに続けて@willcom.comです

入院していました(12)

2014-07-08 22:48:36 | できごと
ある時向こうのベッドが空いたらしく、カーテンが開いたままになっていました。むこうからさすあかあかとした朝日の色がこちらのカーテンまで染めます。看護師さんに自分があそこに移れるのか聞いてみたら、多分可能だろうと。しかし主治医先生に直にお話してみるとあっという間に移動が決まりました。

明るい見晴らしのいい窓際。これからの季節、まぶし過ぎて暑くなるけど、午前のちょっとだけです。陽を浴びて骨を丈夫にしよう。歯ブラシをお日様に当てよう。お昼になる前に直射日光が移動すればそこからブラインド全開。向こうにそれほど高い建物が無く外からベッドは見えません。着替や身体拭きの時にブラインドを下ろす以外夜もそのままです。満月が美しかったです。

山の上にあかあかとお日様が顔を出すその頃、iPadのネットラジオでは「古楽の楽しみ」が始まります。その後クラシック音楽を聴くか語学にするか迷うところ。でも勉強するんです。語学の後ずっとほったらかしているとどんどこどん、お話でてこいと昔話が始まるのですが、大抵はその前に止まります。iPad以外ではどうだか、ネットラジオは不安定なのです。止まったと気づいたら起こすけど、しばしば気づかなくて、そのまま。

「朝日の間」で過ごしたのはほんの少しの間で、じきにHCUから出る日が来ました。行き先は二ヶ月以内に退院する人の四人部屋。前回窓際を希望した私のために今度も窓際でしたが、西側です。朝日もお月様もなし。ここではテレビ冷蔵庫無料。さいわい西日の直射はベッドの足元側半分を照らしました。

このお部屋は先にそこへ移動していた低い声で独り言を言うお婆さんと同じ。お婆さんはお話してみると笑顔が魅力的でさっぱりした方でした。相変わらず独り言で滅多に来ない近くに住む長男の嫁の不満を言い、よく来てあれこれ気遣う遠い区の次男の嫁をこわい声で褒めていました。

私のお向かいさんにご挨拶しようと声をかけたところ、顔を出したのは優しげで友好的なOさん。お孫さんもいらっしゃるそうで、私より十歳上の会社員です。私は一目見てほっとしました。これだけ華があるムードの人はいじめないタイプだと思ったので。もしかしたら若い頃に女性から敵視されることが多かったかも知れない癒し系で可愛らしい雰囲気。毎日ちょっとしたきっかけでお喋りを楽しみました。きっかけがなくても一日一度は顔を見ておきたいと夜にお喋り。治療過程と現状、お世話されるのが申し訳ないという気持ち、ご飯の量が変更できるなどどちらかが知らない情報、医療の進歩と感心な職員さんたちのやり方。こんなに気楽に話せる人は珍しいです。

ビルと高速道路の間に夕陽が沈むと窓から見えるのはビル名の電飾など。眠れない深夜は不思議な緊張感の中じっと空調の音、時々車の走る音を聴きます。たまに雨音、それより頻繁な救急車。いらっしゃい急患さん。ここ結構居心地いいよ。あなたも早く治りますように。
日がのぼり、世の中が動く音が遠くからどおっと押し寄せ、すぐ近くも動き出すと、何故かほっとして眠れます。いけませんね、夜ちゃんと眠らないと。

明けると朝日に照らされた建物もいいものだなと思いました。朝日が見えないと時間も把握しにくく、遅れつつ繋いでもネットラジオは益々不安定。語学をやる気は削げるばかり。折角の入院なんだし、のんびりやるか。あんまり頑張らない。忘れてなければ聴く。そうして、忘れっぱなし。

入院していました(11)

2014-07-07 17:13:43 | できごと
入院のことは必要なところ以外にはなるべく知らせてないし、初めの頃は洗顔さえできなかったからメールに「見ないで~」など書いていたのですが、数名お見舞がありました。お茶もお出しできない残念な状況。戴いたものは猫モチーフのパジャマが複数。そんなにも私は猫猫猫な印象なのか。靴下も、タイミング良くて助かりました。雑誌は病院に通い慣れた従姉ならでは。お菓子も当分の楽しみになりました。

車椅子に移れるようになったのは大きなことでした。ただそれだけで、カーテンと天井ばかりの日常から、水平方向に世界が一気に広がりました。音だけで推測していたのとまるで違う光景です。

トイレに行くには看護師さんを呼び、車椅子に移ったらすいすい押されます。入院直後からそれまでチューブが繋がれていましたが、動いて出血し易いので外され簡易トイレをベッド横に置かれました。しかし移るにはつかまりものが無く危険だからといちいち呼ぶことに。看護師さんもそんなトイレの片付けはできればしたくなく、それよりは車椅子で運んで介助の方がいいのでしょう。

私が車椅子を自分で動かしてみるから見ていてくださいとはなかなか言えないのは、みなさん忙しそうだったから。でもできることはやらないと。看護師さんは転倒事故だけは絶対起こさないよう、慎重です。私は椅子のアームを両手で掴んで下半身をぶら下げるみたいにして立つことはできます。結局椅子に移るところを監視しトイレまで椅子を押して行って確認ばかり。何日か経つと面倒に思った看護師さんが主治医の許可を確認して一人で行っていいことになりました。

自分で車椅子を動かせるのも世界の広がりです。前はさっと通り過ぎてほとんど見えなかった壁の写真付きスタッフ紹介。「ほら、私はこれよ」「あたしどこかわかる?」えーと、なんだかあんまり似てない人も多いな。さくらさんはどこだろう。あら、写真が無い。ファンが貰ってしまったのかな?それよりも私の担当看護師さん、どうも複数の人が声まで似ていて混同していそう。

車椅子からベッドに戻り、腰掛けた状態からは引きずるか方向転換か。ベッドの柵があると普通の人はただ反対向くだけでも苦労するでしょうに、私はまっすぐに伸ばす装具のついた脚を座ったまま真上に立てて方向転換して下ろすこともでき、柔軟な身体は便利だなあと思いました。それまで何度も物を拾ったり何か動作すると身体の柔らかさに感心されてそんなに驚くことかと思っていたところですがこれは我ながらたいしたものだと思いました。普通の人だったらあれこれやってもらうところを私はたくさん自分でできていたようです。

入院していました(10)

2014-07-05 16:51:24 | できごと
週が明けて例のリハビリの先生(理学療法士さん)が見えました。
「よかった、ズボン穿いてた」
曲げられない脚とあまり体重をかけられない脚でベッドから車椅子へ移動する方法をうまく教えてくださいました。

車椅子を押されて行ったリハビリ施設は広々として、窓の外には山に川の景色も楽しめます。きっと鉄道マニアにはたまらない沢山の線路に珍しい貨物の設備。むこうの山に春は桜が、冬は雪が見えるのだそうです。ふーん、沖縄出身には雪がそんなに嬉しいんだ。桜は入院してすぐの頃満開になったから今年は見られませんでした。先生はお花見の幹事らしいけど今年はすっかり時期が外れてしまったそうな。

ちょうどそこらにいらした他の職員さんも紹介されました。近そうな年齢で、首から上はまるで似てないけど、同じ服装で華奢な体格が先生と間違えそうなくらいそっくりで紛らわしいなと思いました。

ほかにも、主に治療器や温め関係のお世話をする女性ふたりがなんだか紛らわしい。よく見れば全然似てないのに、一見そっくりです。職員でさえまちがえるというふたり。お世話されながら雑談が楽しいのですが、私はひとりに話した続きをうっかりもうひとりに話してしまいました。ひとりは好みの雑誌が同じでした。なかなか手に入らないそれが置いてある本屋さんの情報など。

先生の手が空くまでの時間、ビー玉を足の指で掴んで容器に移す。濡れタオルを足の指で手繰り寄せる。上達が早い。なんだか変なことやっているなあ私。目的がなんとなく見た目とずれた世界には器械色々、工夫できる道具がいっぱい、折紙もおもちゃもある。

台の上に仰向けになり、他人の膝の上に自分のみっともない足が載せられて扱われるのは戸惑うしなんだか申し訳ない気分です。そのうち慣れていって、あっちを行くおばあさんとかがんばるおじさんを見ていたり。窓から空が見えます。長いこと屋根の下に居て真上に空を見ていないのです。プラスチックがじゃらじゃらいうおもちゃ的な音がするといったいあれは何だろうとわくわくして気になります。音のする方には可愛らしいおもちゃみたいなのが色々置いてあるので。

入院していました(9)

2014-07-02 21:44:36 | できごと
右足首の石膏はわりとすぐ取られ、抜糸も早く、間も無く体重は半分かけていいと言われました。左膝の抜糸は少し遅れて。抜糸といっても今時ホッチキスの針みたいなものですが、やはりそう言うのです。そして膝のお皿の継目あたりにマーカーでバツ印が描かれ消えないようにそれを透明フィルムで保護。これは超音波の器械を当てるターゲットなのです。

しかし手術の時によほどしっかり固定したのでしょう、脚に紫の痣みたいな色がしっかりついています。いつもは明るいピンクの掌に赤い線があるのに、手術後は元気なさげな黄色っぽい中に茶色い線です。思ったよりこたえているようです。増血の薬、痛み止め、胃腸薬、そして骨を強くする注射。こんなにたくさんの薬も初めてかも。ずっと続いたわけではありませんが。

母と妹に頼んでおいた衣類には、トレパンもありました。これは化繊であたりまえ。化繊が苦手な私はスウェット素材のズボンと言っておくべきでした。でも入院中はこれで頑張ります。Tシャツも僅かながら化繊が入っています。綿100%の品質のいいのはブランドロゴが真正面にあるから趣味じゃないしあまりに体型を強調しすぎる形なので妹にあげました。もうひとつの綿100%はなんとも惨めな品質だけど大人しくも面白味あるデザイン。いつもお世話になっている美容師さんが母をお店に連れて行って選んでくれたとか。手っ取り早く進めてくれてありがとう。一人で行って好みなど拘っていたら疲れるだけですから。

持ってきてくれた衣類でリハビリに行けます。持ち帰って洗濯もしてくれます。看護師さんから家族から、こんなに人にお世話されたことって初めてじゃないかな。

我家は別の病院でリハビリ段階の父とこれからリハビリの私の二人が一度に入院していて大変です。

入院していました(8)

2014-07-01 21:25:30 | できごと
手術後最初の夜を越せばもう平気で、前夜は一口も、果物さえ食べられなかったのに、朝ごはんは入りました。

主治医のあと、麻酔科のお医者さん二人がどんな具合かを見に来られました。麻酔は当たり外れの大きそうな仕事です。効くべきとこの反対がかなり強く効いていることを聞いてちょっと心配そう。看護師さんも居て、カーテンの中は静かながら私には賑わっているみたいに思えます。なんだか嬉しいけどすぐ帰られました。

私の日常はひたすらカーテンの中で、周囲の皆さんは毎日リハビリに行っている様子です。私もやっとリハビリデビューが近づきました。
近くのベッドのいつも低い声でぶつぶつ独り言を言うお婆さんはテレビを観ながらの感想の言葉が結構恐いし、毎回洗面所の後始末がわるいと文句が出る几帳面な方ですが、リハビリが楽しくてしょうがないらしい。

看護師さんが膝の曲げ伸ばしのための器械を運んできて、ベッドの上で訓練が始まりました。脚を固定し、角度や速さ、時間を設定してスタート。のはずが、なかなか取扱いが難しそう。詳しい看護師さんを呼んできて、なんとか動き出しました。ちょっと痛いけど耐えられるところで止められます。「あたしこれ好きなのよ」このなんとなく拷問に近い感じが?いや、ふわふわと縫いぐるみっぽい感じが?質感がかなりイメージを和らげていそうです。毎日毎日使い、この器械はある程度の角度まで進むと使わなくなりました。

ある夕方近く、リハビリの担当者を名乗る青年の登場。可愛いよねえ若い人って。学生さんじゃないだろうけどそんなムードもある、南の方のお顔。もし私に子供がいたらこのくらいかなあ。いや、もうちょっと上が普通か。看護師さんたちも、年齢が私の半分もなさそうな可愛らしい人が多いんです。

さて、リハビリの場所に行こうにも、動けない。その前に、病院貸出しの病衣ではまずいらしい。手術後に着る予定だったパジャマなど着替がまだ手元にないのです。とりあえずベッドの上でできることを。足を見られ、どうにかこうにか扱われ、足の指を閉じたり開いたりでその日はおしまい。

入院していました(7)

2014-06-29 18:42:21 | できごと
手術前に着替えなどを済ませ、強そうな男性複数を含む看護師さんたちに囲まれ、私がストレッチャーにするりと移ると、あれっ、と気の抜けたムード。私をみんなで持ち上げるためにそれだけ動員されていたらしいです。

手術は眠っている間に終わるというし、初めてなので楽しみでした。手術室に、本当に音楽が流れている。しかしバロックというよりベートーベン的なにおいがする。まあこういうのもいいね、何か牧歌的。そうするうちに音楽は盛り上がって暴風雨のような激しさに。オペ装束の皆さんは「おおっなんだこれは」「止めましょう」くすくす。私がこの曲を希望したんじゃないんですってば。

横向きになり、背中に針が刺さります。これはちょっとこわい。麻酔が効きますと言われ、そして暫くして起こされて手術は終わっていました。母が待機する病室に戻されました。鹿児島の妹はちょっと前に帰ったとのこと。私の様子を見て一応安心、母は高齢で最近の疲れもたまっているでしょうから早く帰ってもらいます。

後は看護師さんもいるんだし、そこに居ても用事ってなさそうだし。そんなふうに私はこれまで両親の手術では終わったらさっさと帰っていましたっけ。あるときは手術自体かなり長時間で、食事もとらず延々と待つだけだったから。終わって説明聞いてやっと食事して帰って泥のように眠りました。しかしそんなに長い手術でもない時ってありました。母の胆石とか。そんな時、手術後に私はそう長く付いていてやらなかった。余裕あれば付いていてあげたらよかったのかも知れない(よく思い出して見れば、あの頃同居していない私が父の食事の用意などしないといけなくてゆっくりついてやれなかったはずなんです)。特に何をするわけでなくただ横に居るだけ。自分が経験してやっとわかります。手術するとそんなにもこたえるのです。でも、実際そんなに人を束縛したくはなし、疲れるだろうし、自分は寝とくだけなんだから。それなりに人の活動する気配のある間はまあ平気でした。

自分の背中の下にチューブやコードがごろごろしていました。これは下手するとまずいツボを刺激します。気分がわるい。引張って動かすけど捻れが強くてすぐ戻ってしまいます。何度か動くと敷いてあるバスタオルが乱れて変な段差ができます。寝返り、したいけれど。脚に装具は着いていても、重さのかかり具合では痛くてこわいのです。でも幾らか寝返りしないと辛くてどうかなりそう。楽じゃないけど脚が痛くない姿勢。ちょっとの間なら耐えられる角度で。とにかく眠れないのです。曖昧な辛さの大部分はどうやら痛みのようです。でも麻痺して別に原因を探しているみたい。

手術前は遠慮していたナースコールを夜中に何度も。背中の下の何か動かしてもらい、ストローでお茶。それくらいでしたが、心強かったです。見かねて睡眠薬と痛み止めが使われました。やっと幾らか眠って、夜が明けてからベッドを見て言われました。「相当暴れたね」

入院していました(6)

2014-06-28 13:08:57 | できごと
手術は左膝の方は粉砕骨折というから細かく散ったかけらを集めてつなぐややこしいのになりそう。心の中で助けをもとめながら、しかしなんだかどこか余裕ある私。開き直りでしょうか。主治医の説明で使われた図は針金でがんじがらめになった骨。こんなのをただでさえ出張り傾向の強いとこの皮膚の下に半年間入れておくなんて。私はあの先生の最高の業績になりたい。いや、その後の更に良い業績を期待して、先生の歴史に残る素晴らしい手術の症例に。助けてください。

膝の針金は半年後に取出すけれど、もしや右足首の釘は一生入れっぱなし?チタンの合金だか忘れたけど、アレルギーはまずないと言っても今後いつどう変わるか、どういう影響あるかわからない。そして火葬の時にそんなの出てきたら照れてしまいそう。本人が何も言わなければそうなるところ、私が尋ねて後で取り出したいと言ったので、釘は後で取り出すタイプに変更になりました。予定していたタイプは取出すのは相当難しいらしい。後に人に聞いたところによると、炬燵で暖まる時に骨とは温まる早さが違うからかどうか、痛みを感じるから、取り出す方にしておいて賢明だと。ホメオパシーではチタンもそれなりな影響があるということです。

「手術の翌日から早速リハビリ開始です。左は膝が曲がらないようにした装具つけていれば全体重かけていいから、松葉杖使って棒脚で歩きましょう」
「膝の曲げはとにかく急ぐんです。曲げられる時期は限られている。痛いからって曲げなかったらそのまま。これはあなたの努力次第です。針金を取り出してから?いや、半年経って曲がらなかったら一生曲がりません。正座ですか、それは可能ですが断言できません。本人の努力次第なところもあります」
そんなふうな説明がありました。痛みに耐えて頑張るしかないって、そんならまかしとけ。だけど入院期間は二ヶ月程度ですって。そんなにもすぐ歩けるなんて想像もできず。

手術前日に説明に見えた手術室の担当者さんは、どうやら同じ小学校の同学年。クラスは違うようでしたが、私の名前を憶えてらしたのです。彼女の担任は私の体育の先生でもあり、あの先生が持ち歩いた「神様の棒!」指示棒兼お仕置用の、皮を剥いだセイタカアワダチソウの茎のことを、二人声を合わせて言い、笑いました。手術室に入る時に希望の音楽を流して貰えるそうで、在庫の範囲内で応じられ、持ち込みも可。私は特に指定は無いけどバロックと言いました。すると彼女の顔がなんだか曇りました。あれ?手術ならクラシックのなかでもあの辺がいいですよね。

入院していました(5)

2014-06-24 22:16:37 | できごと

夜になると薄暗いカーテンの中。電気スタンドはあるけど長らく存在に気づきませんでした。振返ることもあまり無かったので。しかし消灯時間を過ぎても手元は見えて困らないのはベッドが洗面所の近くにあるようだったから。しばしば水音がしました。照明のほかに、早朝には朝焼の色がありました。

看護師さんや助手さんはよくカーテンを開けっ放しで行ってしまいますが、見えるのは殆ど向こうのカーテンです。しかしたまにそれが開いている時、更に向こうのブラインド。そしてブラインドの隙間からさす朝日。いいなあ、窓際は。

ちょっとそこに行って見るだけができない。歩けない。その前に、立つことさえ。それが本当ですが、何故かそんなに気にならない。実はいつものように走り回れる、これまで通り階段も二段ずつかけ登れるし猛スピードで駆け降りれるような気がしていました。ただ、今だけ立って歩かないようにしているのだという気分なのです。そうして過ごす世界の狭さを楽しんでいる感じでした。

それまで身体はタオルで拭くばかりだったのですが手術を前にお風呂の声がかかりました。両脚使えなくて、どうやって?看護師さんが魚屋さんみたいな格好して転がしてきたプラスチックを編んだようなストレッチャーに移り、そのまま運ばれ、その上で脱いだりシャワーかけられたり。全て終わればストレッチャーも拭かれて着替着ていつものベッドの横まで。手際良さに感心です。

運ばれる以外はお風呂でも、身体拭きでも背中まで手が届いて自分で出来る、食事も自分の手でできる。自分でできる人のイメージが強くて歩けないのを忘れていたという看護師さんもいるくらい、私はじっとしていながらアクティブな印象のようでした。だからうがい用の器の用意をしばしば忘れられました。見た目は自分で歯磨きに行きそうなのです。

入院していました(4)

2014-06-18 18:14:41 | できごと
引落のある口座への入金やレッスンのお休みの連絡など、ほったらかしてはまずいものは何か。何を頼んで、持ってきて貰うか。早速バッグに常備していたちらし裏紙に箇条書き、頼む物の置き場所は図で示します。その後届いたちらし裏紙も趣味的なことに使うと思っていたら、ほっとけないことや必要な物の多いこと。

歩き回れない人の多いHCUは皆さん電話もベッドの上で。携帯電話の影響が昔ほどなくなったか影響少ないのがわかったか、一応電話は場所が指定されていますがベッドの上黙認です。私のはPHS。先生も「あ、電話お持ちですね、そんじゃご家族に連絡とっといてくださいねー」一応使っていい場所は決まっているんですが。看護師さんにiPadを使っていいか聞いたらいいらしい。決まりでは電気製品使っちゃいけないとかいうけど、病院で髭剃りの充電なんか今や当たり前です。


何より有難いのは鹿児島の甥が今年度こちらの予備校に通うために同居することになったこと。母は世話が大変で疲れるとあまり乗り気ではなかったのですが、家にたったひとりは心配です。誰か同居していれば何かあった時に早く発見してもらえます。何より若い人の元気がもらえるのです。私が入院中は妹も同居してあれこれ手伝ってくれることになりました。これも母には負担に思えるらしいけど、母は自分一人になると食事内容が酷く偏ります。妹は栄養には気をつけるし力仕事や庭や畑関係をやってくれます。私が二ヶ月ほどの間現実逃避するのに、なんというタイミングの良さ。

ベースの先生への連絡メールのついでに書いたのは、病院のムードが明るくきれい、そしてここの食事が美味しいということです。これは大きなことです。入院中の気分にどれだけ影響するかわかりません。ご飯の量などある程度変更可能。ちっとも動けなくてお腹が減らないからご飯は半分に、朝の牛乳は乳酸菌飲料に変更してもらいました。


折角の入院なんだし、ゆっくり本でも読んで大いに楽しみたい。勉強もできたらいいな。何しようか。楽器はできない。編物は大作には準備が大変だけどアクリルたわしなら。長い入院にやや期待が高まります。

iPadは本読めるしイヤホンでラジオ聴けるし。毎朝FMの古楽で始まり、第二放送を聴いて外国語に堪能になる…はずでした。

入院していました(3)

2014-06-12 13:29:50 | できごと
深夜の病院でレントゲンなど。とにかく入院です。一生入院しないんじゃないかと思っていた私が。母がこの真夜中、ひとり家に帰ります。ほかには猫しかいない家ですが、いてくれて心強いです。

さっそく病室でお世話してくれた看護師さん。後にわかった彼女の名前はさくらさんでした。そう、私には桜さんがついているという印です。偶然だとしても実に夢のある事実です。退院したらあの木にお礼に行かないとね。

入院が木曜深夜で翌日は週末すれすれ。何事も決まるのは休みが明けてから。左膝のお皿を針金で固定し、右足首は先が螺子になった釘を埋込む手術をすることに。昼間の病院ではなるべく自然に治したいという私の希望で装具だけだったけど両脚となると早く治る方がいい。日取は機材を取寄せて検討してから。そうして入院から一週間近く経って手術です。

二日目に左脚に装具を着けて寝返り打てるようになりましたが、とにかく動けない、狭い、カーテンとストレッチャーに載って見る天井ばかりの世界に一週間。
母に入院に必要なあれこれと一緒に本やiPadを持って来てと頼みました。

入院していました(2)

2014-06-03 10:29:31 | できごと
「救急車呼んで」
最近認知能力に自信をなくしている母は、救急車くらいは呼べます。そういえばこれも母がしっかりするためにはいい刺激。電話で話す横まで引きずって来た私が助け舟、それももどかしく、電話を代わってもらって説明。

担架には「自分で移れますよ」するするっ。
救急隊員さんの連絡内容に横から生年月日の訂正を入れる私。昼間に骨折したし、土間や廊下を引きずってかなりな距離移動したし、ちょっとの慣れが余裕を生みます。
普通の人はパニックで動けないものらしいです。私もすぐ気づかれていたらそれに近かったでしょうか。図々しいからそうはならなかった?

運ばれながら、心の中で助けを求めていました。変だけど、淡墨桜に。
かつてその桜の木は私を支えてくれていたし、その花を観に行く時は不思議とタイミング良かったりして、桜があちこち話をつけてはからってくれたんじゃないかと思えることが何度もあったから。
もし助けてくれたとしても、証拠はなし。もしも何かしてくれているのなら、お礼を言えるように、わかりやすい目印をお願い。

意識はクリア、出血なし、患者は落ち着いていて図々しい。救急車は余裕ありげに見えましたが新米の隊員さんに別の隊員さんがひとことふたことかけていました。申し訳無いなあ、タクシーで行くべきだったか?いや、担架がいいのです。一般人が運ぶのは難しそう。どんな状態か把握して病院を探すのも、救急車だからこそうまくできることもあるでしょう。意外とそこらは夜間骨折は対応してないところが多いみたいです。え、あそこも?じゃああんまり聞かないけどそこでもいいです。おや、そこもだめ。病院を数カ所当たった末に、入院することになる所へ。

入院していました(1)

2014-05-31 23:27:06 | できごと
両脚の骨折で入院し、先週退院したところです。

二ヶ月近く前のある日のお昼頃、バスを降りるところで右足首は着地に失敗したそこが病院前。まずは落ち着こうと地面に座っているとみなさん心配されますね。居合わせた久しぶりに見るリハビリの職員さんたちが車椅子を持ってこようとされていましたが、そんな大袈裟なと立ち上がって歩き出しました。しかしそうしてさっと動いてくださるのは有難いことです。

入院している父に会い洗濯物を持って帰るのだけどどうも当たり前でない痛さなのでそこの外来へ。骨折でした。装具をつけ松葉杖の使い方を教わりそれをついて帰りました。

その日の深夜、洗濯物を運ぼうとしてコンクリートの三和土に転び、左膝が変な向きに曲がりました。どうも骨折だな。両脚、やってしまった。まず母を呼ぼう。

しかし何度呼んでも気づいてもらえません。防音がしっかりしていると助けを呼んでも気づかれ難いというのがあります。

しょうがないので自分で動くしかありません。座った状態で投げ出した脚を引きずりながら腕で移動です。ドアはほぼ閉まった状態でしたがきっちりとではなく、ちょっと押すか引くかすれば開くようにしておいたのは幸いでした。上がり口は結構高く、更にノブまで届くには立ち上がる必要があったので。上がり口は強い腕で乗り越え、廊下までひたすら引きずって叫びやっと気づいて貰えました。

学生時代の仲間

2013-12-07 11:30:30 | できごと
数ヶ月間大学時代のサークルの演奏会とそれにむけての練習があり、仲間先輩後輩と会うことが多かったのですが、それをきっかけに先日同学年でお食事会をしました。

学生の頃の気楽さがそのまま。顔もそのまま。確かに歳は取った顔なのに。

順調にいっている部分もあればそうでなかったり、きわどい病気をくぐり抜けてまた別の病気、子供の心配、やはりみんなそれぞれ良かったり苦労したり。

会うのが二十数年ぶりの人がいるほどかなりな空白の後ですが、今回来れなかったメンバーも含めてまたこれから頻繁に会うことになりそうで、楽しみです。

子供時代の終わりの記憶力のいい時期に練習や合宿などで沢山の時間を一緒に過ごしたメンバーはやはり特別です。

ギプスが取れて

2013-11-13 11:42:19 | できごと
先日、母の骨折していた腕のギプスを一旦取ることになりました。このままかまた着けるかは明日病院で診てもらってから決まります。

利き腕が使えないので食事で用意したのはお箸と一緒にスプーン、フォーク。一応お箸も左手で挑戦していましたが、母は諦めが良かったです。それでも私は毎回お箸も入れて一式用意しました。ついでに私も何度か左でやってみました。右が使えるとそう長くやってられません。使い慣れてさえいればお箸はいかに効率よく上手にものを取り上げられるか、再認識。

以前は細長く切っていたものを、掬いやすいように短くしたり四角く切ったり。食器は縁が垂直に立った物や内側にすぼまった物を選びました。こういう食べやすさなどを以前からも幾らかは意識してはいたものの、この程度は初めて。自分の頭の中のどこかが少しは活発になったのではないでしょうか。

お風呂で使える柄の長いブラシも買って来ましたが、母には使いづらいそうです。きれいに洗えてないという自覚があるのにお風呂の世話されたくないから入るのは最後に。

骨折してから靴の減り方が違う、足のタコが治ってきていると言います。それまで利き手ばかり使っていたのが、反対も使うようになって、背骨を支える筋肉が影響を受け、体重のかかり方が変化したと思われます。

かつての日常をある程度取り戻しつつあり、変化のままもあり、こうして感覚や認識のレベルアップをしているんだなと実感。レベルアップしながら土台は幾らか沈んでいてもまあ良し。新しいことはなかなか受け入れられないけれど、どうしようもなければやるしかない。少し変化するチャンスだったのです。

キーボードのありがたみ

2013-11-04 10:51:27 | できごと
キーボードを使いにくい状況が続いてから、ここの投稿の頻度はこの通り。

ガラケーとタブレットの組合わせは、ネットでの調べ物やメモには便利でも、文章を書くにはやりにくいのです。

家のパソコンはやっとネットにつながっても机の上ではなく、プリンタも遠くにおいてあって必要な時に運んで来ます。

無線LAN非対応のパソコンとプリンタですし、あんまり電波は飛ばしたくないのです。

本当はパソコンを置く部屋の模様替えの予定でしたが、色々ばたばたするうちに母が利き手を骨折。私のするべきことが大幅に増えました。そして、私はのろまなのです。場面によっては非常に要領のいい綺麗なしごとをする人だけど。

ソフトウェアはこれまでにないくらい充実しているのに、とにかく使いづらい状況。
場所さえ整えたら素晴らしい環境なのです。

母のギプスが取れても暫くは用心したいです。

キーボードは、使い慣れてみれば身体の一部。タブレットはどうしても手を見ながら、必ず近くの違うところを押してしまうか、弦を押さえてタコのできた指に反応しにくくて後入力ミスを戻りしてはやり直し、手間がかかります。

気分のままにキーボードを叩く日が早く来ますように。