「ただいま11人」というホームドラマをご存知ですか?
昭和39年6月から昭和42年3月まで、毎週木曜日の午後8時。
「肝っ玉かあさん」「ありがとう」より前のドラマで中身は覚えてませんが。

当時は11人家族で住んでいて、
幼稚園に通っていた私は「うちと同じ~😊」と嬉しかった♪
電車通りの店の奥に、祖父母の部屋と、台所兼茶の間と風呂場があり、
階段を上がったら、おじちゃん夫婦の和室と従兄兄弟の部屋があり、

屋根づたいに渡り廊下があって、広い物干し台の先が、我が家の部屋。
そう、両親と私たちは、裏の木工所の2階に住んでいたのです。
(上の妹は放送開始前に、下の妹は開始後にオギャ―と生まれた)

それから木工所の1階部分にお風呂と台所を建て増しして、半・独立。
小学2年の終わり頃、郊外に念願のマイホームが完成して引越した。
引越した後、うちで従兄と一緒にクリスマスパーティーをしたことがある。
10幾つ年上の従兄の兄貴たちはそれぞれ東京の大学へ進学し、
上の兄貴は帰省のたびに、ツイスターゲームや人生ゲームを買って来てくれた。
母が急に亡くなり、残された私たち3人が不憫だったのかもしれない。
お邪魔だと思うのに、なぜか女の人とのデートに私も連れて行って
一緒に喫茶店でミートソースやクリームソーダをおごってもらったこともあるし、
大きくなってからも会うたびに、「軍資金がいるだろ?」と小遣いをくれた。
下の兄貴はいかにも次男坊タイプで、私の結婚式にもわざわざ来てくれたし、
ホント、私たちにとってはとってもいい兄貴たちだったんだけど。。
兄弟同士は性格も違って仲が悪く、両親亡き後、遺産の取り合いで泥沼化。
周囲も巻き込む騒動になってしまった。
先週、上の兄貴が亡くなって家族だけでひっそり葬儀を済ませたと後で聞き、
そう言えば、いつ会っても顔色がよくなかった。
何年か前に会った時、私と家族を見て「幸せそうね」と羨ましそうだった。
ゴタゴタして心身共に疲れたのか、こんな人生の幕切れは寂しすぎる。
原因はどっちもどっちだけど、もう少しお互いを気遣えなかったのかなと思う。
「仲良く半分こ」って、小さい時だけしかできないのかな。
「私たち姉弟だけはいつまでも仲良くいようね」
妹の言葉に、全員一致で同感した。
どうか天国でおばちゃんたちと安らかに
残された家族を空から見守っていて下さいね。

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何が幸せって仲良き事ですね!
それぞれのお宅の数だけ物語ってありますねー。
今となっては昔のいい思い出ばかり浮かんできます🥲
病気もあるでしょうが、今回のいざこざが相当なストレスになっただろうから、余計に気の毒で…
血が繋がっていても、お金が絡むとなかなか難しいですね。
うちはその点そんなにお金がないので、モメることもなく仲良くできそうでよかった😄
その、仲よかったら叔父叔母と母が裁判所まで行って財産わけで争議をしてたのは、もう、私からしたらなんなん?これ?って。
お金って怖いですよ。うちの母なんで絶対揉めたくない人なのに叔母が、それ、おかしくない?と言い出した所から歯車がずれてぐちゃぐちゃになりました。まあ、幸いにも人間関係は戻りましたが、記録を読んでいて、母は骨折り損のくたびれ儲けで、誰か止めること出来なかったのかなあ、と。その叔父叔母も高齢になり、たまに叔母の1人がお母さん元気?会いたいわ、なんて言ってきますが、母は、別に会いたくない、とすげないです。
ありすさんのお母さんも叔母さんたちと裁判沙汰に?嫌ですよね~身内で争うなんて。お金は怖い
争ってる最中に長兄が亡くなって、次兄はどんな気持ちでいるんでしょう