ぴろたまごの雑記帳

小さな庭の見える窓辺でつらつら書いてます
草花の写真もアップしていきます

最近の我が家

2016-05-18 12:00:00 | 日記
2016-05-18
5月17日(未来人の予告の日)は何事もなく過ぎ、ホッとしました。
お金をおろし、紙おむつやティッシュ、カップ麺やベビーフードを買いに走り、
テレビの前に倒れても壊れないようにクッション並べて無駄な抵抗をしたけど。

でも私が言いだしっぺだったので、翌日は会社で皆から口々に
「地震来なかったね」と言われてしまった(^^;)
いやいや、来なくてよかったじゃん。平和が一番! 危機感は大事だよ。



昨日からカーポートを半分つぶして6畳間を増築する基礎工事がスタートした。
今のままだと娘が赤ちゃん産んでも1階には寝る部屋がないし、
老後は下に部屋がある方が便利だと思って思い切ったんだけど、
実際に鉄の枠で囲ってしまったら、庭、狭っ!!
物置とゴミ箱とバイクと自転車でいっぱいいっぱい。
限られた敷地内に、居住スペースをとれば庭が狭くなるのは当たり前だ。

あとは玄関先の階段を花壇付きのスロープにする予定。

とはいえ、いまだに娘はつわりが続いていて一向に家へ帰る気配はない。
私の後任の人も決まらないし、本当に今月いっぱいで休みに入れるのか・・
本当は、工事は休みに入ってから始めたかったのに、
ダンナが見積頼んで、トントン事が進んでしまって慌てているところ。
まだKちゃんいるのに、工事の音がうるさくて大丈夫かなと心配していたら、
あの中でスースーお昼寝していたみたいで、意外と大丈夫みたい。

早くつわりがおさまってくれたらなぁ!

水道代が急に増えたので、「漏水してませんか?」と問い合わせがきた。
洗濯量が増えたし、シャワーも使うし、と思っていたら、
洗濯機が壊れて何度もすすぎを繰り返すので、買い替える羽目になった。

子連れで出戻った娘のために増築してるみたいに見られるとまずいので、
ご近所さんや公園で親しくなった若いママさんたちには
キチンと事情を説明して誤解ないように努めている(^^;)

しかし・・まさか出産までずっといるとか? 
産後もなんだかんだと当てにされそうな気もするし、どうなることやら。

できれば来年春には復職して、リフォーム代くらいは取り戻したいんだけど。
 
 
 
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地震の片付けというよりも

2016-05-14 12:25:14 | 日記

最初に地震があった夜、実家の両親はほんの4日前に入ったばかりの
高齢者マンションの1LDKで就寝中だった。

もし以前の家にいたら、タンスや荷物だらけの4階でゆさゆさ揺られ、
落下物で頭を打ったり、家具に挟まれ、身動きとれずにいただろう。
元の部屋は、2度の揺れで1回転したタンスや残った荷物でぐちゃぐちゃ!
転倒防止の金具をつけたタンスは、激しい揺れで扉がはずれかけていた。
 
こうなることを予測してたように、事前に必要なものだけ持ち出して、
安全な所へ早めに避難したみたいな結果になってホントに運がよかった。

残りのゴミや家財道具は、家族総動員で仕分けして片付けた。
長年の間に押入れや引き出しに押し込んだモノたちの多いこと!
パッチワークが趣味の母、手芸屋レベルで出てくるハギレの山。
「仕事辞めたら私も始めるから、少しもらうよ」と言った手前、
吟味しまくって段ボール2箱分だけいただくことにした。
タンスの肥やしにならないように、老後はしっかり使わなきゃ。

脳梗塞で右手がマヒして寝たきりの父は、なんとか自分で着替えもするし、
ベッドから車いすに乗って、食事もトイレも1人でこなすけど、
荷物の整理は人まかせにするしかなくて、生前整理みたいで心が痛んだ。

押入れの奥にあった父の大学ノートの日記帳の束。
80歳までの貴重な仕事や家族の記録だけど、読み返す暇もなかったね。
昔、私が出した手紙の中に、子供の写真や万札が入ったままだったり、
数多く出てきた新品の靴下やシャツは、ゴルフの景品や、
父の日のプレゼントでそのまましまわれていたものだろう。
親戚のおばさんが、難民への支援物資にすると手伝ってくれたので、
相当な物資が回ることになりそうだ。

元気なうちに、自分の荷物は自分で片付けておこうと強く思った。
モノはいいけど、思い出はそう簡単に処分できないもんね。
元気な母はまだまだ執着があって仲々捨てられず、皆呆れ顔だったけど。

やっと片付けも終わって、夜はゆっくり妹宅で地震の話を次々聞かされ、
それでも皆、なんとか自宅で寝られることに感謝しきりだった。

去年の夏にも行ったイタリアンのお店が開いていたので寄ってみると、
店は無事でも、自宅の賃貸マンションが全員退去で避難所暮らしだって。
避難所も、元気な人や炊き出しをする若い人がいる所はいいけど、
今いる中学校の避難所は高齢者が多くて炊き出しもなく、
ご飯の上に缶詰のサバを乗せたみたいなものばかりなんだって。

ボランティアに来る卒業生たちの中には、遊び半分で、
寝ている自分達のすぐ横でバスケをする子もいるとか。
そのうち避難所も出て行かなきゃいけないけど、住宅も抽選待ちの状態。
勤務先が閉鎖されて働き場を失った人たちもたくさんいるし、
姪っ子のダンナさんは落下物で車がダメになったそうだ。

今回の地震を予想していたという‘未来人‘の次の予告。
「5月17日には南海トラフが来るかもしれないから姉ちゃん気をつけて」
としっかり脅かされてしまった。
ちょっと待って!寝室はタンス部屋だし頭の上にはモノだらけ、
地震保険も入ってないし、超やばいんですけど。

帰る前に熊本城を一目見ようと行ってみたら、お城の中には入れず、
それでもたくさんの人が様子を見に来ていた。
無残に崩れた石垣、はげはげの屋根や板壁が痛々しいけど、
故郷のシンボルには変わらない。がんばれ熊本!
 
 
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地震見舞の里帰り

2016-05-12 06:57:18 | 日記

2016-05-12

 


今日も夕方、熊本で震度4の地震があったようだ。
もうすぐ1か月になるというのに、いつまで余震が続くんだろう・・

GWの3連休、故郷のことが気になり、1人で里帰りしてきた。
いつもは博多から高速バスで帰るけど、復旧直後の高速道路が渋滞して、
一部、片側通行でかなり時間がかかるということで断念。
急きょ福岡行の飛行機のチケットと新幹線の指定席をとって帰った。

臨時便ではあるけれど、初の九州新幹線☆彡  
博多ー熊本間が40分! 指定席だから隣りもいなくて広々快適♪
ホントお金さえ出せば、3時間半で妹と再会できるのね!
いやこれも、震度7で脱線した新幹線を重機が入らないような状況の中、
全国のJRの人たちが昼夜通して手作業で復旧作業してくれたおかげだ。





着いたのはちょうどお昼どき。
雨の中、駅近くの行列のできるラーメン屋に並んだんだけど、
道ひとつ隔てた向かい側の店には赤紙が貼られて営業停止状態。
その並びの家々は完全に壁が落ちていたり、ブルーシートがかけられ
どこも震災ゴミが家の前に山積みになっていた。

下の妹が「ちょっとここら辺はひどいよ」と案内してくれた通りは、
まるでトリックアート。一見普通のように見えて、よく見ると、
その通り2~300mずっと、看板や両側の家々が右は東側に全部傾き、
左は西側向いてそっくり返っているのです。
まるで道の中央が隆起したみたいで、液状化していているところもある。
昔は川があった場所だったらしく、まだ新しい家もたくさんあったのに。
妹の家も、リビングに座ってると平坦じゃなく、後ろに傾いている。
ビー玉を床に置くと、場所によって迷走する変な感じ。

家は方角とか日当たりなんかは気にするけれど、地盤までは考えないし、
最初から地盤が弱いとかわかっていたら住まないよね。
ホント、道ひとつ、区画ひとつ違うだけで、赤紙だの黄紙だの緑紙だのと
明暗が分かれることに、背筋が寒くなりました。

上の妹の家は東区の最東端。
かの益城町のすぐ隣りとあって被害も甚大で、道路はボコボコ・・
でも、妹の家の6区画だけはウソみたいに無事だった。
家の中はテレビが壊れて食器も全滅だったけど。
たった2軒先のお宅はほとんど全壊状態。立派な大きな家なのに・・
マンションの住民も住めなくなって全員、立ち退きしたとか。
その先からはもっと悲惨で、ぐしゃっと潰れた家を片付ける人たちの中、
通り過ぎるだけで心がしめつけられた。

みんなで話している間も余震が多い時は1時間に4回くらいあって、
しっかり震度2と3の区別が判るようになってしまった。

長くなるのでつづきは後ほど・・


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