2016-09-12
「久しぶりに兄貴に会いたい」とじーさまが言うので、先日京都へ行った。
「91になって腰も曲がってきたのに長旅なんて大丈夫?」と思ったけど、
「91になって腰も曲がってきたのに長旅なんて大丈夫?」と思ったけど、
ドライブは息抜きになるし、3つ上のおじさんと会えるのはこれが最後かも。
どうせホームでは、1日中車イスに座っているんだから、
クッションのいい車のシートに座って景色を見ているのもいいだろう。
泊りがけはさすがに自信がなかったので、本人も日帰りで納得してくれた。
朝7時半に迎えに行って、夜8時に連れて帰る片道5時間の強行軍。
朝食のお弁当と薬と着替え、紙おむつ、ウェットティッシュにバスタオルetc
結果は、替えのおむつは1つも使用することなく、2回トイレに立ち寄って、
大も小もちゃんと間に合って、もちろん着替える必要もなかった。
私の方は時々こっくりしていたのに、じーさまいつ見ても起きていた。
瀬戸大橋を渡り、娘たちが住んでる姫路を過ぎて、神戸、大阪へと走った。
家は大阪からすぐなので、期待していた京都の景色を楽しむ前に到着。
近くに広い竹林があったり、神社仏閣があちこちに点在するいい所だった。
リビングの窓側に介護ベッドが2つ並んでいた。
私の方は時々こっくりしていたのに、じーさまいつ見ても起きていた。
瀬戸大橋を渡り、娘たちが住んでる姫路を過ぎて、神戸、大阪へと走った。
家は大阪からすぐなので、期待していた京都の景色を楽しむ前に到着。
近くに広い竹林があったり、神社仏閣があちこちに点在するいい所だった。
リビングの窓側に介護ベッドが2つ並んでいた。
おじさんは足が弱く車イス生活で、おばさんは耳が聞こえず視力も落ちて、
歩けはするけど腎臓が弱くて脇には導尿したビニール袋。
なんと、娘さん2人が1か月交代で、わざわざ松山から高速バスで通い、
泊りがけでお世話しているそうだ。
次女さんは、家に帰ってもご主人の両親をみなきゃいけないんだって!
ひえ~!!
ひえ~!!
まだ、それでもこっちで実の親の世話をする方が気は楽らしい。
話してる最中にも何度もおじさんが「○ちゃん(娘さんの名前)」と呼んで、
冷房が寒いだの、車イスの向きを変えろだの、いろんな注文をうだうだ・・
「ホント寂しがり屋のくせに強情で・・」
おばさんが入院した時も、「施設に入る?」と聞いた時も、
おばさんが入院した時も、「施設に入る?」と聞いた時も、
おいおい泣いてご飯を食べるのを拒否したらしい。
実家の父も、母が入院しても施設に入るのを嫌がって、
実家の父も、母が入院しても施設に入るのを嫌がって、
結局、妹や弟たちが交代で毎晩泊りに行っていたっけ。
3週間でも大変だったのに、この生活がもう3年も続いているんだって!
この家をたたんで、娘さんちの近くに家を借りようとしたら、
この家をたたんで、娘さんちの近くに家を借りようとしたら、
直前になって「やっぱりこの家を離れたくない。京都を離れたくない」と断固拒否。
うわ~ 実家の父以上に強情なおじさん発見!
娘さんたちも60代半ばなのに、自分の生活もあるのに、きついよね。
それでも、2年以内にはどうにかしてこの家を離れるって言っていた。
あとでじーさま、「それまで(兄貴の寿命が)もたんぞ」とポツリ・・
(何食わぬ顔してしっかり聞いていた!)
うわ~ 実家の父以上に強情なおじさん発見!
娘さんたちも60代半ばなのに、自分の生活もあるのに、きついよね。
それでも、2年以内にはどうにかしてこの家を離れるって言っていた。
あとでじーさま、「それまで(兄貴の寿命が)もたんぞ」とポツリ・・
(何食わぬ顔してしっかり聞いていた!)
おばさんは目、少しは見えるのだろうか。
私のことを本当に懐かしがって喜んで手を握りしめてくれたし、
耳も聞こえないのに「ちっとも変わらず若くてキレイね」とほめてくれた。
もしかして、昔の記憶の中の私に向かって言ったとか?
「年とってしまって恥ずかしいから今さら故郷に帰っても」とも。
確かに転勤で移り住んだまま居ついた第2の故郷の生活が長くなると、
確かに転勤で移り住んだまま居ついた第2の故郷の生活が長くなると、
年老いて、今さら家を離れる気にはなれないのかもしれないな。
おじさんとじーさま、ろくに話もしなかったけど、
おじさんとじーさま、ろくに話もしなかったけど、
車イス同士でひざつきあわせて兄弟で手を握り合い。
また会えるといいね!
また会えるといいね!