ぴろたまごの雑記帳

小さな庭の見える窓辺でつらつら書いてます
草花の写真もアップしていきます

あっちこっちざわざわ

2019-05-13 21:39:48 | 日記

4月から5月にかけて、あっちもこっちもざわざわしている。
じーさまの家の片付けに、会社のリフォーム工事。

いっぺんに忙しくなった。


直前に父の危篤の知らせを聞いた時はどうなることかと思ったけど、
皆で父とお別れして、ギリギリ4月末には帰ってこられた。

予定通り会社の人に頼み、連休中にじーさまの家は全て片付いた。
やっぱりプロに頼むと仕事が早い! 

大人数が土足でずかずかと家に上がるのを見た時はエッ?と思ったけど、

壊してしまうんだからしょうがないね。

家中のカーテンをはずし、家財道具やゴミをトラックに積み込んで

最後にトイレ掃除をして、思い出が詰まった家は空っぽになった。

さて、どうするかな~? 解体業者も頼まなくちゃ・・

最近、古い家がどんどん解体されて、ずいぶん町並みが変わっている。
だって、平成から令和に変わったんだもんね。


実家から帰って出社すると、事務所の隣にプレハブが建っていた!!

パソコンとコピー機を移動させ、事務所の中はスカスカの状態だった。


荷物を箱詰めして2階に移動した後で、私も慌てて机の中の整理をした。
電話線をはずし、一斉に書棚や机やいすを運び出し・・

2階やプレハブの特設デスクで仕事するのもなんか非日常で面白かった。

ワックスと汚れとヤニで真っ黒だった床も、剥離剤で磨いたら新品同様。

日曜日にペンキ屋さんが天井を塗り、翌日クロスとブラインドも替え、

机・椅子・書棚からパーテーション・カウンターに至るまで全て新品を搬入。
翌日の朝には、なんと事務所が今どきのオフィスに大変身!!

今まで寄せ集めだったのが、メッシュのリクライニングチェアに統一。

ちゃんとしたカウンターもなく、汚い机で応対していたのに、

「近未来のオフィスだね。変わったね〜!なんかこっちが緊張するよ」
と、お客さんたちも目をパチクリ☆
ビフォーアフターがあまりにも激しすぎて、いまだに慣れません(汗)


それから新しい棚や机にものを運び入れ、ケーブルや電話の配線が終わって、
令和の始まりもバタバタと駆け足で過ぎてゆきます。
やっと落ち着いたかな~?



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平成最後に逝った父

2019-05-06 21:45:53 | 日記

2019-05-06
 
平成があと5日で終わるという時に父が逝ってしまった。
昭和4年生まれ、90才と2カ月。
娘3人息子1人、孫が9人にひ孫が4人。
波乱万丈ながら充実した人生だったと思う。

70代まで仕事して、明るいお酒と北島三郎のカラオケが大好きで、
カメラや盆栽を愛し、日曜大工はお手の物。
60から始めたゴルフや、小学校時代の同窓会では世話役を引き受け、
パソコンを独学で始めて名簿や案内状を作成し、
こまめに大学ノートに日記を書き続け、
美味しい水を求めてわざわざ阿蘇まで車を走らせて汲みに行ったり、
とにかく明るくて社交的でよく動く父だった。

人間ドックに行く振りをして「ハワイに行って来たぞ」と笑いながら
わざわざ遠くの娘の家まで来てお土産のアロハやムームーを届けてくれたり、
昼間からビール飲んでいたわりには、50年間無事故無違反の表彰をされて、
要領がいいのか、運がよかったのか、ホント調子のいい人だった。

80才の時、阿蘇神社に水を汲みに行き、脳梗塞を起こして倒れて以来、
体の自由を奪われて、生活が一変、窮屈で退屈な療養生活が始まった。

それまで自由に飛び回っていたので、病院の中で過ごすのが大嫌い。
リハビリも思うようにならないのが許せず、看護士さんや回りに当たって
即刻退院させられる羽目になったことも何度かある。

そのたびに、母や私たちは頭を抱えてどうしたものかと悩んだけれど、
ここ数年は元気もなくなり、たびたび転んで怪我したり、
去年の暮れは誤嚥性肺炎で入院するなどだんだん弱ってきていた。

いつかこの日が来るとはわかっていたけど、食事も水分もとれない、
呼吸が浅くなってきたとか聞いても、なんだか現実とは思えず、
すぐには飛んでいけなかった。妹たちにまかせっぱなしだった。




あと1便早いフェリーに乗っていたら・・
夜中の高速道路があんなに夜霧で見通し悪くなかったら・・
最期の刻に間に合わなかったのが心残りで仕方ない。

昏睡状態でも、私が来るのをずっと待っていたはずなのに。
21で遠くにお嫁に行って、なかなか帰れなくて、危篤状態になっても
仕事の段取りに追われて遅くなって、なんて娘だったんだろうね。
ごめんね、お父さん。
「やっぱりおまえは‘あっぴのうっぴ‘たい」と笑っているかな?


でも、東京、群馬、広島からも孫やひ孫たちまで全員集まって、
とてもにぎやかで心のこもったお見送りができた。
自分のお気に入りの写真を用意してベッドの上に飾っていた父。
働き盛りの頃のえらく若い父の顔が、桜の花の舞うお棺に収まって
たくさんの花々に囲まれて満足そうだった。

本当に今までありがとう。
お父さんのDNAは、子や孫やひ孫と、ずーっと続いていくんだね。
天国では、思う存分好きなだけゴルフして、懐かしい人たちと再会して、
いつまでも私たちのことを見守っていてくださいね。

 
 
 

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