続・エヌ氏の私設法学部社会学科

無理、矛盾、不条理、不公平、牽強付会、我田引水、頽廃、犯罪、戦争。
世間とは斯くも住み難き処なりや?

食育基本法、生きる基本、現代人の性根

2010-11-02 | 法学講座
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食育基本法 前文(抜粋)
 国民一人一人が「食」について改めて意識を高め・・・「食」に関して信頼できる情報に基づく適切な判断を行う能力を身に付けることによって、心身の健康を増進する健全な食生活を実践するため・・・

第一条(抜粋)
 ・・・国民の食生活をめぐる環境の変化に伴い、国民が生涯にわたって健全な心身を培い、豊かな人間性をはぐくむための食育を推進すること・・・もって現在及び将来にわたる健康で文化的な国民の生活と豊かで活力ある社会の実現に寄与することを目的とする。

第五条
 食育は、・・・家庭が食育において重要な役割を有していることを認識するとともに、・・・教育、保育等における食育の重要性を十分自覚し、積極的に子どもの食育の推進に関する活動に取り組むこととなるよう、行われなければならない。


 「メシに時間をかけてどうする。さっさと食ってしまえ」と言う人がいます。

 それに対して私は、「忙しい毎日で、メシぐらいゆっくり食えないでどうする」と思うとともに、食とは生きることそのものだと考えていますから、誰に何と言われようと、私は、よく噛んで、ゆっくり味わって食べることに決めています。

 きっと、食事をさっさと片付けてしまう人は、生きることもさっさと片付けてしまうに違いありません。

 さて、食育基本法には前文があり、「食」に関するわが国の現状を踏まえ、今後の方向性を謳っています。(あまりにも長いので、上には、その部分だけを抜粋しました)
 それにしても、法律にわざわざこんなに長い前文を付しているのは、他には日本国憲法ぐらいのもので、非常に珍しく、その点だけを見ても、国が食育に関して並々ならぬ力を注いでいる様子が見て取れますす。

 食育基本法は、要約すると、最近の日本人は食が乱れていて、このままでは将来、現在の子供が大人になった時、国がガタガタになってしまうおそれさえあるから、食生活を見直し、食料資源を大切にするとともに、それは家庭や教育現場において実施されるべきであり、国や自治体も協力を惜しまない、という趣旨です。

 そして、この法律に基づいて、さまざまな計画や施策が定められています。
 それらは、バランスの取れた食事をしろとか、適正量を食べろとか、いちいちもっともなことばかりなのですが・・・

 こんなこと、誰かに言われなければ分からないことでしょうか?
 まして、国が法律まで作って推進しなければならないことでしょうか?


 「法は最低限の道徳である」とは、法学講義の第1時間目に教わる概念です。
 ということは、法律などというものは少なければ少ないほど、その社会がまともな道徳を保っているという証拠で、極端な話が、詐欺や泥棒や人殺しがいなければ、刑法さえも要らない理屈です。

 したがって、法などというものがなくても、皆の道徳規範や意識が高ければ、社会は正常に成り立ちます。
 逆に、法が増えれば増えるほど、社会規範や道徳の水準が、それこそ「法」を以ってでも規制、時には強制しなければならないほど下がってきている、ということです。

 それが、「食育基本法」などというものまで制定しなければならないということは、わが国の国民は、野生動物でさえもがごく自然にやっている、「食べる」ということさえも、まともではなくなっている、言い換えれば、畜生にも劣る道徳規範しか持てなくなってしまった、という証左です。

 食べることというのは、生きる基本です。

 親が、食についてきちんと躾をし、食に対しての正しい知識や、食料に対する尊敬と畏怖の念を子どもに植え付ければ、自ずと分かることなのに、誰かに言われなければ分からないというのは、真に情けない限りです。
 いや、誰かに言われなければならないほど、現代人は、食を蔑ろにしているということでしょうか。

 食料自給率が40%そこそこでありながら、食品の30%が残飯として廃棄されるほど、馬鹿げた飽食のわが国で、食料があり余る故に、その重要さが省みられなくなり、ついに「食育基本法」を制定しなければならなくなったとは、皮肉にも程があります。
 
 小さい頃、親に、「よく噛んで食べなさい」とか、「好き嫌いをしてはいけません」とか、「お百姓さんが一生懸命作ったお米を粗末にしたら、目が潰れるよ」などと言われ、食事に関する知恵や躾を身につけさせられた覚えは、私と同年代くらいの皆さんであれば、誰にでもあると思います。

 昔は食糧事情がよくありませんでしたから、効率的な栄養摂取という意味から、よく噛んで消化吸収効率を高め、出されたものを残さず食べて、食料の無駄をなくす、ということが第一義だったかもしれません。
 食料供給の面からも、輸入食品は高価だったこともありますが、季節に応じた、日本の風土に根付いた食材が、安価で栄養に富み、調理法も、いわゆる和風のものが、日本人の消化器官には合っていたのです。

 それが今や外食産業は花盛り、インスタント食品や冷凍食品、スーパーには弁当やお惣菜が所狭しと並び、温めるだけ、揚げるだけ、買ってきて皿に盛り付けるだけ、といった「調理」が一般的になってきました。
 もう、アジフライなんか食べるのに、アジを丸ごと買ってきて、ワタを取り出し、開いて、太い骨を取り除き、衣をつけて揚げる、などということをする家庭は珍しいのでしょう。

 カミさんの友人らは、「煮物なんかしたら、『あ~、料理した~』って気分になる」そうですが、それを聞いたカミさんは、「料理の中で、煮物ほど楽なものはないじゃない」と、認識の違いに目を丸くしたそうです。
 「私が、餃子を、具からこさえて一つひとつ包んでる、って知ったら、どう反応するかねえ」とも。

 母親が冷凍食品を「揚げるだけ」と、「食材をさばいて」と、どちらの姿を子どもに見せるほうが、子どもに、食に対する尊敬の念が生まれるでしょうか。

 手を抜いたツケは、小児性の生活習慣病など、子どもの体を蝕む形で現われてきています。
 また、朝食を食べない子供も多いそうですが、授業中の集中力欠如や、キレやすい子供など、なるほど食育基本法の前文にあるとおり、「生涯にわたって健全な心身を培う」ことが危惧され始めたのでしょう。
 それで国もたぶん、情けないことだと思いつつも、「食育」ということを言い始めたのだと思います。

 しかしこれは、小手先の各論も結構ですが、もっともっと根本的・根源的なところから、言ってみれば、現代人の性根を、今一度、叩き直す必要があります。

 もう30年以上前の曲ですが、武田鉄矢さん(海援隊)の「あんたが大将」という曲の歌詞に、
「白いまんま(ご飯)に手を合わせ、父ちゃん母ちゃん、いただきますと、涙流して食べたことない、そんなあんたに何が分かる」
という一節があり、私は初めてこれを聴いた時、頭を殴られたような衝撃を受け、自分がいかに甘ったれだったか自覚し、愕然とした覚えがあります。


 この「白いまんまに手を合わせ」という気持ちをしっかり教えること。

 それが食育の第一歩ではないでしょうか。

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2 コメント

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食べ物への感謝 (リカ)
2010-11-09 00:12:32
食事に苦労することのない現代では、そのありがたみを実感できる機会は少なくなってしまいましたよね><
けれど、それは本当に忘れてはいけない気持ちだと思います。

幼い子供は、自分の目の前に並んでいる食べ物がどういう物でどのような経緯でそこにあるのか、それをまだ知らないのでしょう。
本来は”食育”と名付けられ、強調されるようなことではなく、各家庭で自然に身につけるようなことだと思いますが、
それを忘れている家庭が多い中、基本に立ち返ろうという姿勢は良いと思います。

また、たとえ冷凍食品や外食だって食べ物に変わりなく、ちゃんと感謝して食べるべきだと思います。
食事準備は楽ではないので、そのような技術/環境が発達することは望ましいと思いますが、簡単だからって感謝を忘れることのないようにしたいです。
(とはいえ、私は毎日自炊派で、冷凍食品を食べたことがほとんどないんですが…笑)

いい大人なら、最低限の自炊くらいはできないと恥ずかしいですよね^^;
一人暮らし経験のない男性にももっとその意識が芽生えるといいなと思います☆
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手を合わせて、頂きます (pinguppa)
2010-11-09 23:19:02
 コメント、ありがとうございました。

 私も妻も同じ認識ですが、我が家が、特別なことをやっているつもりはないんですよ。
 ただ、私や妻が、それぞれの親からしてもらったことを、多少、時代の変化による取捨選択を加えながら、そのまま子供たちに伝えているだけなんです。
 それが今の時代では、相対的に、我が家のような旧来のやり方は、少数派になってしまっただけのことなんです。

>いい大人なら、最低限の自炊くらいはできないと恥ずかしいですよね
→全く同感です。
 また、「困る」ではなく、「恥ずかしい」と仰っているところに、リカさんの矜持を感じ、敬意を表します。

 私も一人暮らしのときは、たいてい自分で作ってましたね。
 出来損ないのメシを食う羽目になることも多かったですが、失敗は成功の母、煮物、焼き物、汁物などのコツは覚えたし、今でも、4人前の炒飯を作るのに、妻が持ち上げられないほど重い中華鍋を振るのは、私の役目です。
 同じく自炊していた友人には、カレーなら誰にも負けない、と豪語するやつもいて、実際、旨いカレーを作ります。

 私が自炊をしたのも、元をたどれば、子供の頃から、母が私に料理の手伝いをさせていたからで、たぶん、「食事は自分で作るものだ」という刷り込みがあるからでしょう。
 私も妻も、そう教えられて育ってきており、それは「取捨選択」の中で、残すべき良いものだと思うから、子供たちにも伝えていこうと思っています。

>凍食品や外食だって食べ物に変わりなく、ちゃんと感謝して食べるべきだと思います
→そのとおりですね。
 冷凍食品や外食が悪いのではなく、それに頼り切ってしまうのがいけないのだと思います。

>幼い子供は、自分の目の前に並んでいる食べ物がどういう物でどのような経緯でそこにあるのか、それをまだ知らないのでしょう
→「いのちの食べかた」(森達也氏著)は、食卓に並んでいる肉や魚や野菜が、どうやって食卓まで届いたのか、小学校高学年から中学生向けに、分かりやすく書かれています。
 有名な著書なので、たいていの公立図書館にはあると思いますし、大人なら、大きな書店で、立ち読み程度で内容が把握できます。

 私の、2人の息子にも読ませました。
 ただ、牛や豚の、の様子も書かれていますので、読ませる学年には、注意が必要かもしれません。
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