ぼんじゅ~る。10日ぶりのブログ更新です。
寿司パーティ、台所とリビングのクーラー設置工事などあって、
疲れてしまったのか、ちょっと風邪をひいてしまい、休息していました。
カオニャオさんは、一昨日からまた別の大陸への出張。
すみません。ワタシはまたの~んびり過ごさせて頂きますね。
今朝、以前無印良品で買った「平松洋子の台所」(新潮文庫)という本を読んでいて、
ふと、「あっ、そういえば」と思ったことがありました。
それは、我が家には電子レンジがないということ。
特に意識して買わない訳でもなく、必要がないので買っていません。
最近は、上の写真の蒸籠を使って冷や飯を温めなおしたりしています。
実は、この蒸籠はワタシとって、大切な思い出の品です。
そして、今はありませんが、「ぐらんめーる」という名古屋・栄の洋風居酒屋の
マネージャーさんだった、Aさんのことを想います。
みんな、いつも、Aさんのことを、「マネージャー」と、呼んでいましたね。
で、この蒸籠は、その「ぐらんめーる」が閉店することになった際、
「ぴえっとちゃん、欲しい物あったら何でも持ってきなさいよ」と、
マネージャーが声をかけてくださったので、ワタシが選んだものでした。
ワタシは学生時代、マネージャーにとてもお世話になりました。
当時、ワタシは「ぐらんめーる」の近くでアルバイトしていましたので、
いつもアルバイトが終わると、「ぐらんめーる」に寄って、
カウンターに座って、ウーロン茶を飲みながら、マネージャーやアルバイトの
学生さんたちとおしゃべりをして過ごすのがとても好きでした。
時々、「あまったの温めなおしたから食べなさいよ」と、半熟の目玉焼きがのった
美味しいカレーをご馳走してくださることもありました。
それから、他のアルバイトさんと一緒に、大きな真空管のある6畳ほどの地味な
ジャズカフェに連れて行って頂いたり(スタン・ゲッツのレコードを聴きました)、
一緒に自転車で名古屋城の藤を見に行ったりもしました。
父親と同じ世代のマネージャー。お客さんがみんな帰った後は、いつもすっかり
酔っ払っていましたが、真剣な顔をして、真剣な話しを語って、そして、
「そっ、そっ、そうなんです」と、独りで何かに納得していました。
ワタシが帰る際にはいつも、「アディオス!」と、スペイン語でしたね。
お店の閉店から数ヶ月後から、ワタシは、マネージャーとは会えていません。
マネージャーはどこかでアルバイトしていたけど辞めたというような噂を耳に
しましたが、消息不明となってしまったのです。
そこで、9年ほど前のことですが、ラオスから日本に一時帰国したワタシは、
「ぐらんめーる」でアルバイトしていた、さっちゃんというお友達と一緒に、
マネージャーを訪ねて、マネージャーの暮らすマンションへ行きました。
お礼のお手紙と、ラオスで製品化できた手織り布のストールを持って。
でも、残念ながら、マネージャーには会うことができませんでした。
郵便受けには郵便物があふれるほど入っていて長い間不在のようでしたが、
ワタシは、マネージャーがマンションに必ずいると確信していました。
なんとなく、マネージャーの気配を感じたのです。
マンションの外からも、さっちゃんと、「Aさん!出てきてください!」と
泣きそうになりながら叫び続けましたが、結局、会えませんでした。
あきらめて、マンションに背を向けて歩き出したとき、ふと振り返って、
マンションに目を向けたとき、道路沿いのバルコニーからマネージャーの頭が
ちらっと見えました(そんな気がしただけだったのかもしれませんが)。
その後、マネージャーは療養のため、故郷の熊本の天草へ戻られたとのことです。
なんだか、センチメンタルな話しになってしまいました。
わくわくするものブログなのに・・・。
あー、マネージャーがフェイスブックをやっていたらまた再会できるのになぁ。
寿司パーティ、台所とリビングのクーラー設置工事などあって、
疲れてしまったのか、ちょっと風邪をひいてしまい、休息していました。
カオニャオさんは、一昨日からまた別の大陸への出張。
すみません。ワタシはまたの~んびり過ごさせて頂きますね。
今朝、以前無印良品で買った「平松洋子の台所」(新潮文庫)という本を読んでいて、
ふと、「あっ、そういえば」と思ったことがありました。
それは、我が家には電子レンジがないということ。
特に意識して買わない訳でもなく、必要がないので買っていません。
最近は、上の写真の蒸籠を使って冷や飯を温めなおしたりしています。
実は、この蒸籠はワタシとって、大切な思い出の品です。
そして、今はありませんが、「ぐらんめーる」という名古屋・栄の洋風居酒屋の
マネージャーさんだった、Aさんのことを想います。
みんな、いつも、Aさんのことを、「マネージャー」と、呼んでいましたね。
で、この蒸籠は、その「ぐらんめーる」が閉店することになった際、
「ぴえっとちゃん、欲しい物あったら何でも持ってきなさいよ」と、
マネージャーが声をかけてくださったので、ワタシが選んだものでした。
ワタシは学生時代、マネージャーにとてもお世話になりました。
当時、ワタシは「ぐらんめーる」の近くでアルバイトしていましたので、
いつもアルバイトが終わると、「ぐらんめーる」に寄って、
カウンターに座って、ウーロン茶を飲みながら、マネージャーやアルバイトの
学生さんたちとおしゃべりをして過ごすのがとても好きでした。
時々、「あまったの温めなおしたから食べなさいよ」と、半熟の目玉焼きがのった
美味しいカレーをご馳走してくださることもありました。
それから、他のアルバイトさんと一緒に、大きな真空管のある6畳ほどの地味な
ジャズカフェに連れて行って頂いたり(スタン・ゲッツのレコードを聴きました)、
一緒に自転車で名古屋城の藤を見に行ったりもしました。
父親と同じ世代のマネージャー。お客さんがみんな帰った後は、いつもすっかり
酔っ払っていましたが、真剣な顔をして、真剣な話しを語って、そして、
「そっ、そっ、そうなんです」と、独りで何かに納得していました。
ワタシが帰る際にはいつも、「アディオス!」と、スペイン語でしたね。
お店の閉店から数ヶ月後から、ワタシは、マネージャーとは会えていません。
マネージャーはどこかでアルバイトしていたけど辞めたというような噂を耳に
しましたが、消息不明となってしまったのです。
そこで、9年ほど前のことですが、ラオスから日本に一時帰国したワタシは、
「ぐらんめーる」でアルバイトしていた、さっちゃんというお友達と一緒に、
マネージャーを訪ねて、マネージャーの暮らすマンションへ行きました。
お礼のお手紙と、ラオスで製品化できた手織り布のストールを持って。
でも、残念ながら、マネージャーには会うことができませんでした。
郵便受けには郵便物があふれるほど入っていて長い間不在のようでしたが、
ワタシは、マネージャーがマンションに必ずいると確信していました。
なんとなく、マネージャーの気配を感じたのです。
マンションの外からも、さっちゃんと、「Aさん!出てきてください!」と
泣きそうになりながら叫び続けましたが、結局、会えませんでした。
あきらめて、マンションに背を向けて歩き出したとき、ふと振り返って、
マンションに目を向けたとき、道路沿いのバルコニーからマネージャーの頭が
ちらっと見えました(そんな気がしただけだったのかもしれませんが)。
その後、マネージャーは療養のため、故郷の熊本の天草へ戻られたとのことです。
なんだか、センチメンタルな話しになってしまいました。
わくわくするものブログなのに・・・。
あー、マネージャーがフェイスブックをやっていたらまた再会できるのになぁ。
ぐらんめーるで検索したら、あなたのブログに当たりました。
私はS63からH5までぐらんめーるでバイトをしていました。
天野さんを覚えていただいている方がいてびっくりです。
懐かしい名前に当時を思い出しています。
ありがとうございました。