このブログの4月30日の記事で
《社会の隅々に至る迄、現実ではなく、虚構が支配する社会》
ということを挙げました。
毎度の連休について
大昔に読んだ、ジョルジュ・ポリツェル「哲学入門」(三一新書)は、観念論と唯物論の対照がずっと続いていって、最後の頃に、弁証法が出てくるのですが、この観念論と唯物論の対照の話しは少し頭に残っています。
しかし、
資本主義~観念論
社会主義~唯物論
というセットが何故なのかがよく分かりませんでした。
ところが、この
《社会の隅々に至る迄、現実ではなく、虚構が支配する社会》
という言葉を自ら打ち立てるほどに、ひしひしと現代社会の虚構性を気付かされて来るに連れて、上記のセットが、何となく、分かってきたような気がします。
資本主義社会の論理に翻弄されているままでは、真の現実を見据えることは出来ないのではないか、と思います。
早い話が、騙しの支配、というのが資本主義社会ではないでしょうか。
私は、今のところ、権利の主観性をトコトン貫徹するようにするのが、この騙しに対抗する術になる、と思います。
皆さんは、どうお考えでしょうか?
by おやっさん
《社会の隅々に至る迄、現実ではなく、虚構が支配する社会》
ということを挙げました。
毎度の連休について
大昔に読んだ、ジョルジュ・ポリツェル「哲学入門」(三一新書)は、観念論と唯物論の対照がずっと続いていって、最後の頃に、弁証法が出てくるのですが、この観念論と唯物論の対照の話しは少し頭に残っています。
しかし、
資本主義~観念論
社会主義~唯物論
というセットが何故なのかがよく分かりませんでした。
ところが、この
《社会の隅々に至る迄、現実ではなく、虚構が支配する社会》
という言葉を自ら打ち立てるほどに、ひしひしと現代社会の虚構性を気付かされて来るに連れて、上記のセットが、何となく、分かってきたような気がします。
資本主義社会の論理に翻弄されているままでは、真の現実を見据えることは出来ないのではないか、と思います。
早い話が、騙しの支配、というのが資本主義社会ではないでしょうか。
私は、今のところ、権利の主観性をトコトン貫徹するようにするのが、この騙しに対抗する術になる、と思います。
皆さんは、どうお考えでしょうか?
by おやっさん