picopandaのブログ

goo簡易ホームページとは違った味わいを出そうと思います。

亀さんになりそう~?

2007年11月28日 04時22分05秒 | Weblog
最近、つくづく、読むのが遅くなったなあ~、と思います。

英語なんだから、もちっと、テキパキ読まんかい!

と言いたくなるのですが…。

今はAmerican Digest Systemというものでdue process関係を総当たりに読み出しているのですが、しんどいですね。

まあ、だんだんと、同じ論旨の繰り返しになっては来るのですが、「おやっ!」と思うのをチェックしております。

大昔、日榮社の副読本シリーズで「イソップ物語」などを、「よしっ、どんどん進むぞ!」などとやっていた頃が懐かしいです。

でも、上記のAmerican Digest Seriesは、並のCase Bookなどを読むよりは包括的で早いのではないか、と思っています。尤も、外国法の調べ方に田中先生が書いているところによれば、外れもありそうなので、何れ、生の判例を当たらなければならなくなるでしょう。

これまで、速読ということを殆ど意識することなく来たために、いろいろと損をしてきたと思います。今取り組んでいる課題をこなす過程を生かして、速読術を身につけたいですね。


おはふにゃ~

2007年11月26日 07時59分25秒 | Weblog
皆さんにとってはおはようのお時間なのですが、上京してきて以来、生活サイクルが狂いだしてしまいました。

おまけに、体調も不順です。

ちょっと張り切りすぎたかなあ~、手を広げすぎたかな~と反省しだしております。

いつもは、元気、のんき、脳天気で頑張るのですが…。

こういうときは、課題を分割して対処するか、多くの課題を有機的に連関づけて順序立てて対処するかなのですね。ブヒッ、ブヒッ

民事執行保全におけるDUE PROCESSと証拠法上のPRIVILEGEと取消訴訟の執行停止がどう関連づけられるのか、ということ自体が問題ですね。

というわけで、分割して対処するほかないみたいです。が、どれから行くべきか?

体調の問題もあるので、まずは寝てから考えよう、ということになりそうです。

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合間の気分転換にP. G. Hamerton, The Intellectual LifeのTHE INFLUENCES OF MONEYのところをとばし読みしました。

金持ちは文化面にも金をつぎ込むから知識も豊富だし問題処理能力もあるが、貧乏人はそうはしないから知識も貧弱だし問題処理能力にも劣る、という下りを見て、思わず目をむいたのですが、その後に、少し気の利いた叙述がありました。

金持ちは資料を豊富に持っているが、そのどれにも挨拶しようとして(=目を通そうとして)、結局、どれも身に付かないという虻蜂取らずに成りやすいのに対して、貧乏人は極限られた資料しか持たないために、その限られた資料を、まさに眼光紙背に徹する姿勢で熟読玩味するので、理解も深まり、ひとかどの専門家に成れるのだ、という論旨でした。

う~ん、資料のコピーのために上京したのは不味かったかなあ~という思いです。

てなことを一眠りしてから考え直そうか、と思っています。

ふにゃ~っ、の続きです。

2007年11月25日 06時42分55秒 | Weblog
まだ夜更かししております。

よそサイトのブログを見て回っておりましたらば、そこのプロフィール欄に「ユーザーが存在しません」という風に書かれているのがありました。つまり、無が書いているブログ、ということですね。

ハイデッガーという人の言葉に《Nicht nichtet.》というのがあります。無が無化するということです。(;^_^A アセアセ…

何もないということがなくなるとすれば、あらゆるものが存在するようになる、という意味にも取れますね。それとも、無というものは奥が深いのであって、我々が普通に無と言うものはまだ本物の無ではない、更に無化しなければ本物の無には辿り着けない、という意味にも取れます。

ライプニッツの言葉に「現実は可能性の一部に過ぎない。」というのもあります。普通に考えれば、別の道を辿って別の現実に辿り着くことも出来たのに、という意味に捉えられるでしょう。でも、私は、我々が普通に、これが現実だと思っているのは真相を表してはいないのであって、真の現実とは、そう簡単に捉えきれるものではない、ということを言おうとしたのではないか、と思っています。

今我々が現実と思っている様相を一つの姿として映現させている無限の可能性を背景に置いてこれと照らし合わせながらよくよく吟味した上でなければ、これが現実だなどと軽々しく断定することは出来ないのではないか、とか、今の我々を取り巻いている現実からすると未来はこうなるはずだということも簡単には断定出来ないのであって、その現実を包摂する無限の可能性から未来が生まれるのであるから、現実をよくよく吟味して、望ましい可能性に未来を託することも十分に可能ではないか、と言えるのではないかと思っています。

そこから、現実の表層には表れてはいない、真の理性的な可能性を掘り起こしていくという創造的姿勢が重要ではないか、ということにも成ると思います。

まあ、平たく言えば、「どうしようもない!」とあきらめてよいほどに、現実は単純ではないのであって、むしろ、我々の創造へ向けた努力が肝要なのだ、ということにも成ると思います。(;^_^A アセアセ…

ユーザーが存在しませんというブログから、こんなことを考えてみました。(._.)オジギ


ふにゃ~っ

2007年11月25日 04時46分13秒 | Weblog
ふにゃ~っ

夕べは早寝をして今日から頑張ろう!と思っていたのですが、食事を疎かにしたために、空腹に耐えきれずに起き出して自炊となりました。肉のパックを丸ごと平らげてしまいました。

これで寿命が縮まなければいいのですが…。

そして、又もや夜更かしをして、今度は、DV(=domestic violence家庭内暴力)の番組を見ました。

DV被害の深刻さは重大ですね。

長野辺りで、小学生頃に誘拐され、七年ほどでしたでしょうか、監禁され続けていた少女がやっと救済されたというニュースが何年も前にありましたね。

この少女と極めて近似した被害に遭っている方が全国に沢山いらっしゃるのですね。

DVに耽っている野郎どもに言いたいです。暴力を振るいたかったら、まずボクシングジムにでも行けってんだよ!

K1にでも出演したらいいんじゃないの~?

ただ、問題をDVだけに絞り込んでしまうのも問題だと思います。被害の深刻さが生じる原因は被害者に逃げ場がないということにあるのではないでしょうか。それ以外の点では、普通の暴行・傷害ですから、普通の刑法犯になるはずです。

この観点で、警察などが、暴行罪などを親告罪扱いしているという悪弊が、DV犯を調子込ませているのではないか、と思われるのですね。番組でも取り上げていましたが、警察や役所に相談しても、「そういう相談はごまんとある!」というのが定型的な対応だそうですね。ごまんとあるなら、それこそ重大な社会問題なのだから、公権力は積極的に取り上げるべきだったわけです。それなのに無視したということは、日本の公権力は、《king's peace》を守る矜持さえ失っているということではないでしょうか?

あとは、兎も角も別居をすると同時に仮処分を裁判所に求めるべきです。被害者宅の周囲何キロ以内に立ち入るのを禁じるとか電話などの通信をしてはならないとか被害者の通勤経路近辺に立ち入ってはならないとかですね。更に、間接強制として、違反したら幾ら払えという命令も求めておくべきでしょう。

ところで、被害者に逃げ場がないという点では、組織犯罪の方が一層深刻な問題を示している、と思います。組織犯罪とは、被害者の環境世界の因果関係を支配・掌握し、被害者側の防衛規制の発動さえ、組織犯罪完遂の因果に組み込んで展開されるものです。その規模の壮大さからは、公権力が、少なくとも背景に位置していなければ出来ないのが組織犯罪の特徴でしょう。

構暗活動の主要な柱として濫用されているものでもあります。政治性が極めて強いものでもあります。

話が脱線した感があるかも知れませんが、あらゆる問題に共通の根を見つけていくことが、真の解決への糸口になると思います。

深夜に今晩は~。

2007年11月24日 02時26分52秒 | Weblog
溜まった洗濯などをこなして、頑張ろうとは思っていたのですが、佐賀のおばあちゃんのテレビを見ていて、終わってしまいました。

あのおばあちゃんは偉いですね。

運動会の日にお弁当を交換してくれたり、父親のことを書く作文に「知らん。」とだけ書いたのに百点をくれる先生も偉いですね。

私の劣悪な学校生活体験に照らすと、驚きです。

佐賀県には立派な人が多いのでしょうか?

小川を挟んで建物二軒が繋がっており、両方併せておばあちゃんの家、というのも面白いですね。昔の地理の学習で、筑紫平野にはクリークが発達している、というのがありましたが…。それとは別なのでしょうか?



話は変わりますが、私が学生時代に頼んだ・ある親切な運送屋さんから「佐賀ミカン」の段ボール箱を沢山貰っていたので、その後に引っ越しをするたびに、「佐賀の方ですか?」とよく聞かれました。

でも、佐賀県には行ったこともありません。旅行らしい旅行をしたことがないもので…。


ご無沙汰の今晩は~!

2007年11月23日 01時21分54秒 | Weblog
ご無沙汰・今晩は~!

いや~、寒くなりましたねえ~。

文献というよりも主に判例コピーのために上京したのですが、「田舎と違って東京は暖かいだろう。」と思っていたのが誤りでした。

昼間はいいのですが、夜は寒かったです。大通りも三丁目方向はお店がいっぱいあって、余り寒さも気にならないのですが、農学部方面は店もないし、寒さが身に応えました。それに空腹だし!

南北線というのに乗ったら、混んでいて座れないし、皆さんコートを着てました。

そうだったのかあ~!

おまけに、駅を出たあと、ホテルへの道を間違えまして…。

バス通りに沿っていけばいい、と思っていたのですが、バス通りが二本(以上?)あったのでした。

一旦、ホテルに入ったあと、近くの王将へ行きました。そしたら、店内でくだを巻いているお姉さんがいました。「あたしのことをスキなんだよね!」だの「これだけ頭を下げて頼んでいるじゃないか~っ!」という話が延々と続いていました。同席しているおじさん三人が食い物にしていたのでしょうか?それとも会社でさんざんいじめまくってクビにしたのでしょうか?「う~ん、重大問題だなあ~?」とは思ったものの、ここで割って入ると、私に管を巻かれそうな勢いだったので、やめました。

前日の夜着いていたのですが、泊まっていたホテルが、かなり豪華でして、広々としていたので、大いにくつろげました。ツインの部屋をシングル料金で泊めて貰えたし、同じ建物内の映画券と珈琲無料券も着いていました。映画を見るゆとりはなかったのですが、珈琲館で飲んだ珈琲は意外においしかったです。

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最近のお店で飲む珈琲は茶色のお湯といった方がいいようなのが多いですよね。

駿河台下の書泉グランデそばの地下にある珈琲専門店というのに入ったことがあります。驚いたことに注文した豆を小さじ一杯しか入れないんですね!

しかも、出て来たコーヒーカップがおちょこのように小さい!

それでも薄い!

それなのに、600円か700円は取られたと思います。

最近異常に増えているチェーン店ならば、茶色いお湯でもあきらめがつくかも知れません。しかし、珈琲専門店の看板をだし、高い金を取りながら、このていたらくではねえ~!

それに比べれば、珈琲館の方がましでしょうね。

学生時代によく行った珈琲館は面白かったです。普通、お店にはいると、「いらっしゃいませ!」、出るときには、「有り難うございます。」と応えてくれますよね。ところが、この店では、「いら~っ!」・「あらっす!」と愛想のいいお兄さんが元気よく応じていました。この「あらっす!」は傑作だったと思います。

それに、アイスコーヒーにはアイスクリーム付きでした。
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寒い季節の外出は、風邪の元です。出来るだけ控えるか、やむを得ず外出したあとはうがいをして、体を十分に温めてお休み下さい。


またまた、ふにゃ~。

2007年11月15日 23時41分37秒 | Weblog
最近課題が激増して参っております。

一人で全部やっていくのは本当に大変ですね。

ところで、民事執行法第190条の平成15年改正部分は、アメリカならば、due process違反で無効だ!と言えるのですが、日本ではどうなんでしょうねえ~?

どなたか法律に強い方のコメントをお願いします。

Federal Practice and Procedureの該当箇所は読み終えました。あとは関連判例をよ~く吟味するだけになっております。




ふにゃ~っ!

2007年11月10日 08時14分38秒 | Weblog

●お悩み相談●

今の世の中、苦しみを気軽に相談出来る機会もなければ相手もいないのが悩みだ、という人は実に多いと思います。

私の悩みは、内心上のものと言うよりも、環境世界に起因するものですので、心の持ち方を変えるという対策が効かないのです。

強いて言えば、そういう境遇にあることに気付かされている自分はどうすべきか、ということです。


眠いけど、おはよう!

2007年11月04日 08時15分47秒 | Weblog
ここ数日、異様に早起きになっています。

一昔前、十二時間寝ても足りないとぼやいていた頃が懐かしいです。

これまで、ずいぶんと沢山の記事を書いたと思います。数年前までは相当に前向きだったのですが…。

農業部門で、大土地所有者のみを徹底的に支援し、零細農家をどんどん潰すという政策が強力に展開されているそうですね。(→前回選挙で自民党が敗北した遠因を成したものです。)しかも、これは、米帝の要請に基づいて為されているそうです。司法改革もその一環であることは、どこかに強調されていました。消費税にしても、大資本が受け取る還付金は途方もなく巨額で、自分が納めた額より遙かに多い額を受け取っているというのだから呆れますね。これも「改革」なのですが、背後に米帝がいるのも明らかでしょう。

総じて、公権力というものがおしなべて腐食しつくし、表看板のことさえ出来なくなって来つつあり、しかも、かかる腐食を演出しているのが米帝である、という支配の構図が見えてくるようです。

私が公に従属することで初めて増殖出来る(真の私が消滅する)時代、総資本の立場を国家が直截に代表する時代、国家独占資本主義ではなく国家資本主義の時代が来つつあるようです。

公という疎遠なものを私であるかの如くに錯覚するとは、極端な他在でしかありません。各人が自己を喪失してそれに陶酔する時代が来ているようです。

陶酔から冷めたときには、無一文になっている(経済的にそうだと言うだけでなく、健康も文化も喪失しきっている)か、刑務所にいる(最も基本的な人身の自由が消滅し、全国民が実質的に刑務所暮らしをするに等しくなる)かということになりつつあるようです。

各人がそれぞれ固有の内心の在庫を洗い出してみる必要があるでしょう。