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PICO's BLOG~きままな日記帖~

還暦+αな年代、気持ちはいつも現役世代 
なんでもチャレンジ、そんなPICOの備忘録
   

奈良探訪 十輪院~般若寺へ

2016年10月07日 09時17分15秒 | 寺社めぐり

興福寺のダブル塔を見、興奮収まらない中、

寺を後にして奈良町界隈を散策しながら十輪院へ。

このお寺は前々から見たかったユニークな仏像がある。

山門から

静けさが漂う廊下

 

それは石でできた仏像で、中央の本尊が地蔵さん、脇に

釈迦如来と弥勒菩薩を配している。

この並びはとっても珍しいものである。

この三体を石仏龕(せきぶつがん)と言われていて、武将や

僧侶が自仏として木でできたいる三体の仏像を持ち歩くために

つくられた龕(小さなもの)は時々見られるが、このような大きな、

しかも石でできた龕は非常にめずらしい。

 

また本堂はなんの変化も特徴もないようですが国宝に

指定されている。間口11・20m奥行き5.68mの寄棟造りで瓦葺の

建物。

低い天井や垂木を使っていないもので、こじんまりとしたものです。

また庭もそんなに大きくはないが落ち着いた雰囲気を醸し出している。

国宝 本堂

 

 

 

十輪院で係りの方から説明を聞き、お話をさせていただき、十輪院をあとにして、

次は東大寺の裏手にある、般若寺へ。

 ここのお寺は今。コスモスが咲き出し綺麗な花のお寺でもある。

私が行った時は三分咲きでしたが風情があっていいお寺でした。

般若寺は鎌倉時代に建てられた楼門は国宝に指定されており、

美しく軽快な屋根のそりが特徴である。

楼門遺構としては日本最古のものだそうです。

秘仏阿弥陀如来は本堂前にある十三重塔の五重目から出てきたものでやさしい

お顔をした阿弥陀仏である。

定かではないが後醍醐天皇の自仏だったようだ。

 

ほかにも八字文殊菩薩騎獅像などもあって

小さいお寺ですがゆっくりと拝観できる。

本尊の文殊菩薩像、きりりとした知恵の仏

 

そして東大寺ご開帳へ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 


奈良・京都南部へ

2016年10月06日 10時05分57秒 | 寺社めぐり

台風が来る前にちょっと飛ばして奈良、京都へ。

今回のメインは奈良東大寺勧請所の秘仏公開と

隣の興福寺のW塔の公開を見に出かけた。

 

台風前の嫌な風が吹くなか、家を出る。

東名から伊勢湾岸自動車道を通って、東名阪道から

京滋バイパスを通って宇治、奈良方面へ、我が家から

およそ3時間ちょっとです。

トリトン大橋

土山SAで

 

途中甲賀土山SAで昼食をとって、ふたたび走る。

まずは興福寺三重塔と五重塔を見に行く。

興福寺と言えば、阿修羅像で有名ですね、今は出張はされて

いなく国宝館におられます。相変わらず人気皆さん、うっとり

されています。

私も同じで何度も行ったり来たりしていました(笑)

ならまち界隈のうどん屋さん、美味しいです。

猿沢の池から五重塔、定番のスポットですね。

こちらは三重塔

こちらはあまり知られていません、しかし今回は多くの方が来ていました。

三重塔は康治2年(1143)崇徳天皇の中宮皇嘉門院聖子が建立したもの。

北円堂とともに香福寺最古の建物。

今回、公開されたものは初層階に板絵と弁財天および十五童子像です。

板絵は随分と剥がれていたが、VR映像で見ることができた。

 

三重塔に鎮座されている、弁財天坐像

三重塔の初階層の絵模様(仏が描かれているが、剥がれて中々よく

観れない)

実物

VR画像

古の人々の美感覚の凄さが手にとうようにわかります。

VR映像を見ている。

ゴーグルとイヤホンで見聞きすることができる。

創建当時の色彩が浮かび上がってきて、異空間にいるようでした。

 

そして五重塔へ向かいます。

南円堂から中門跡を左に見て五重塔へ行きます。

南円堂

ゆるキャラと外人観光客、子供も大喜びです。

 

中門跡の礎石から五重塔を見る。

五重塔も初階層のみの公開です。

そもそもこのような塔は釈迦の舎利(骨ですね)を納める一種の墓標です。

この塔は天平2年(730)興福寺の創健者、藤原不比等の娘光明皇后が

建立。その後5回も焼け、応永33年(1426)に再建されたのが現在の塔で

日本で2番目(50.1m)に高い塔です。ちなみに一番高い五重塔は東寺の五重塔で

54.84mあるそうです。

 

わくわくしながら塔の中に入ります。

心柱を中心に南に釈迦三尊像(釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩)、

北には弥勒三尊像(弥勒如来、法苑林菩薩、大妙相菩薩)

東には薬師三尊像(薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)

菱には阿弥陀三尊像(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)

が鎮座し、なんともいわれね厳粛な雰囲気を醸し出していました。

この公開は10月10日まで。

じっくり見て、奈良町界隈を見ながら十輪院へ・・・・・

子供の頃の修学旅行を思い出す、みやげ物やさん。

 

 

 

 


写経&写仏@法蔵院

2016年09月26日 07時49分55秒 | 寺社めぐり

昨日は、月一回の写仏、写経の日で、法蔵院に出かけてきました。

1時間半ゆっくりした時間を過ごしました。

般若心経

11月から始る法華経のお話しを住職とお話ししてきた、

そして同じ時間に写経にこられた方たちと雑談をして

帰宅、のんびりとした一日であった。

私の誕生月の虚空蔵菩薩

一枚起請文・法然上人が書いた念仏に対する心構えと言えるもの。

 

写経は終わると、いつものお茶タイム、今日のお茶菓子は

遠野の暁烏(あけがらす)というお菓子だそうで、

あまり甘くなくお茶にぴったりのお菓子でした。

黒ゴマがはいっています、それが烏に見るような・・・・・

 

 

 


国宝探訪 飛騨安国寺 経蔵

2016年09月14日 01時02分29秒 | 寺社めぐり

はっきりしない天気が続いている飛騨地方

マラソン応援のついでに、飛騨高山は国府町に

ある安国寺・経堂を訪ねた。

 

蕎麦の花が咲き長閑な田園風景が広がる飛騨国府町

 

ちなみに安国寺は現在日本に45ヶ寺あり、昔の

一国に一つ造られたものである。

時は室町時代に「怨親平等」という仏教思想から

敵味方を超え区別なく死者を弔うことを目的に

幕府を開いた、足利尊氏、直義が建立した。

しかし最初から造営は時間もかかることから

現存しているお寺を改修、改名して一国に一つ造った

とされている。

 

山門

 

高山から国道41号線を富山方面に走り、国府町に

入って右に折れ少し行くと小高い丘の上に見えてくる。

前日に予約を入れておいたので、すぐ案内・説明を

聞く事ができた。

昔は大寺であったようで広大な寺領に寺の主要な

建物である七堂伽藍に加え、9つの塔頭を擁していたそうだ。

 

応永15年(1408)に造られた経典を収蔵する経蔵が

国宝に指定されている。ちなみに全国の経蔵で国宝に

指定されているのは三つ(ここ飛騨安国寺と法隆寺、

唐招提寺)である。

 

安国寺の経蔵は強く反り返った二重の屋根や中央が丸みを

おびて上下端がすぼんだ柱をもつ典型的な禅宗様(唐様)

建築。

禅寺の特徴でもある質素な作りで漆など施してなく、素木を

使っていることもあり、素朴な印象。

ただ経蔵を開けてもらい中に入ると7Mはあると思われる

経典をしまっている八角輪蔵(八角形の形をした

経典を納める回転する蔵)が聳え立っている。

真ん中の芯柱を八角形に造られた棚には実際に

経典が当時のまま保管されていて、よく見かける

箱の中に入れてあるのではなく、ただ棚の上に

無造作に置いてあるだけだ。

案内をしてくれた人に聞くと、この方が虫食いなどには

強いとのこと、経蔵そのものもあちっこち隙間だらけで

虫もはいってくるようだが、逆に出入りも自由だから

住み着かないのではと話されていた。

確かに納められている経典はしっかりしている。

 

 

経蔵 唐様の屋根の反りが美しい

 

 

八角輪蔵と名のとおり回転することが出来、私も回させて

もらった。これはマニ車(チベットなど山岳地方に多く

残っている仏教道具の一つでエベレスト登山隊などが

登るときによくこれを回して安全祈願をする)

仏を念じながら輪蔵を一回転させると、それだけで

すべての経典を読んだのと同じご利益があるとされる。

チベットにあるマニ車

 

今は所々剥げ落ちている色も往時は素晴らしく

綺麗なものであったであろうことを想像し蔵から出て

階段を下ると右手にこの寺を開いた瑞巌和尚の

坐像が安置してある開山堂(重文指定)や薬師堂が

あり、本堂には釈迦三尊像がおられる。

開山堂

 

左が薬師堂

 

やさしい顔の釈迦三尊像

 

ちなみに輪蔵の釈迦三尊像は、中央に釈迦如来、脇侍には

普賢菩薩と文殊菩薩がおられるが禅宗の寺院では

十大弟子の大迦葉尊者・阿難尊者がおられる。

 

輪蔵:これを回転することができる。中段にある像が釈迦三尊像である

 

 本堂前の赤い萩の花が印象的な、静かな寺院である。

お礼を言って高山に帰った。

 

 

 

 


写経@法蔵院

2016年06月27日 17時18分09秒 | 寺社めぐり

月一回の写経の日

雨が降る中、街中の法蔵院まで出かける。

この写経、もう何年になるのだろう・・・

心落ち着けるひと時である。

今日は、浄土宗の開祖、法然上人の

「一枚起請文」を書写した。

 

 

そして和尚さんとのお話しに付き物は

ういろです。

水無月は年の真ん中、今までの反省と後半の

無事、成就を願って、祈る

夏越の祓(なごしのはらえ)の行事がある月でもある。

それにちなんだお茶うけです。

 

 

夏越の祓

旧暦の6月末に行われる「夏越の祓」は、半年分のケガレを落とす行事で、

この後の半年の健康と厄除けを祈願します。由来は神話の伊弉諾尊

(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらひ)にまで遡るそうですが、

新暦に移った現在でも、6月30日ごろ日本各地の神社で行なわれている

伝統行事です。

 

法蔵院近くにある和菓子司 大正軒の水無月ういろう。

 

 

 

 

 

 


紀州・四国・九州・山陰&近江一人旅 最終地石山寺へ

2016年06月14日 18時05分20秒 | 寺社めぐり

雨が降って来た、すごい雨になった。

鵜川の石仏を見てたころはからっと晴れていたが

車に乗った途端、土砂降りの雨になった。

石山寺の拝観は雨の中だろう。

たほうと

毘沙門堂の毘沙門天像

仁王像

この石山寺は聖武天皇の勅願により天平勝宝元年

良弁僧正によって開基された歴史あるお寺である。

日本最古の多宝塔などがあり多くの堂宇を今でも

残している。

ご本尊は今年33年ぶりに開帳となり

半跏不座の如意輪観音菩薩が身近に見られる。

http://www.ishiyamadera.or.jp/ishiyamadera/gyouji/gokaihi/index.html

石山寺HP

如意輪観音菩薩像の体内から発見された胎内仏

雨に濡れる甍

参道

この石餅は美味しい。

 

雨の中、毘沙門天堂、大師堂、本尊、多宝塔と廻って

門前の茶店で名物の餅とお茶をいただき、家路についた。

長い、ながいひとり旅であった。

 

 先達の資格も受理されたし、最後には私の好きな

如意輪観音も見られた。そして九州でも臼杵の石仏群を見て

走りに走って三佛寺の投入堂も危険な山道を登ってみることが

できた。

浄土寺では西方浄土の来迎の疑似体験も体験することが

できた。

 全走行距離1735km(6/4~6/7)

 

 

 

 

 

 


紀州・四国・九州・山陰&近江一人旅 近江

2016年06月13日 17時53分32秒 | 寺社めぐり

兵庫の浄土寺から走りに走って近江鵜川へ

ここは白洲正子さんが近江山河抄でも取り上げている

石仏群で世間には余り知られていないが阿弥陀如来が

48体ある素朴な風景です。

琵琶湖の西側国道161号線を北上すると鵜川の集落に

入る。国道を外れて山間部へ入ると、その場所はあった。

 

 

http://blog.goo.ne.jp/pico0077/d/20160601

でも紹介した近江かくれ里でいかいさんも描かれている

場所で石仏の阿弥陀如来が整然とおかれている。

どの仏像も高さ1.6m、顔の大きさ0.5mと

がっちりとした石仏である。

この石造阿弥陀如来坐像群は、室町時代後期に安土観音寺城城主の

佐々木六角義賢が亡き母の菩提を弔う為、対岸にあたる高島市鵜川に

建立したもの。東を向いて静かに並ぶ石仏は、慈愛に満ちた顔、

あどけない顔、ユーモラスな顔など表情も大きさも少しずつ異なる。

(白洲正子近江山河抄より)

 

鵜川を後にして大津に入り、33年ぶりのご開帳を

している石山寺へ。

ここ石山寺が今回の旅の最終目的地である。

 

 

 

 


紀州・四国・九州・山陰&近江一人旅 兵庫へ

2016年06月11日 16時58分56秒 | 寺社めぐり

恐怖の三徳山 三佛寺投入堂まで登り、生き返った(笑)

三朝温泉で一風呂浴びて、一路兵庫県へ。

向かうは、極楽山 浄土寺

このお寺は、まさに来迎を疑似体験できるお寺だ、

西日(夕日)が蔀戸から差し込む夕日が床に

当たり反射して朱色の天井に映え阿弥陀三尊を照らす。

住職さんにお願いして本堂の中へ入らせてもらう、

入った途端、その大きさに驚く丈六の像は観音菩薩と

勢至菩薩が中央の阿弥陀如来を一段と大きくさせている。

 

住職さんの口から浄土寺の云われ、本尊のことなど

いろいろお聞きした。

開山の重源上人や創建は1192年から800年以上の

風雪に耐えてきた堂宇である。

住職と雑談し御朱印をもらって帰路についた。

創建のまま残っている堂宇はどれも歴史を感じるものばかりだ。

 

 滋賀県へ移動する。この旅もあとわずかになった。

 

 

 

 

 

 

 


紀州・四国・九州・山陰&近江一人旅 山陰三徳山三佛寺へ

2016年06月10日 16時32分09秒 | 寺社めぐり

本格的な雨になった。

臼杵の石仏を見てるころから雨が

激しくなってきた、ここから北九州から関門橋を

渡って山口へ入り、島根、鳥取まで走る。

 

もう長いです、めちゃ長いです、いい加減車を運転するのが

嫌になった。

それでも走った、走った、走った。

 

関門橋を渡って

 

 

午後三時後に臼杵を発って九州道、山陽道を走って

欲をかいて、せっかくここまで来たのだから、世界遺産の

石見銀山を見ようと回り道をした。

 

三徳山の入り口に建つ鳥居

 

で夜中に石見に着いたが、当然世界遺産は見れるわけではなく

ここで車中泊でもしようかと用意をしてて、

ふと思い出した。そうだ、本来の三徳山三佛寺は雨が

降ると入山できななくなると・・・・・・

 

ここでのんびり世界遺産を見てる場合ではない、明日は

何とか天気は良さそうだが、明後日は雨に予報だ。

と言うことで車中泊はやめて再び走ることに。

真夜中3時ごろ、のこり20km地点の道の駅で眠ることに。

 

 

3時間ほど眠って三徳山へ、

8時から入山許可をもらって(実はここの入山は非常に

厳しく服装から靴のチェック、それに単独入山もだめで

私は一人だからだめにと言われる(とほほほ・・・)

少し待っていたら広島から来た4人づれの方に同行を

お願いして、やっと入山できた。

やれやれ・・・・・・・

ここで帰れと言われたら、夜通し走ってきた甲斐がない

泣くに泣けないのである。

入山注意事項がいっぱい書かれてる。

古刹

三佛寺本堂

ここで安全祈願をする。

登山のルートを確認する

入山料400円を払い、少し行くとさらに200円の登山参拝料を。

さていよいよ登山です、いや修行の道のりです。

ここは修験道の修行の山であった。

役の行者(役小角)が開祖である。

靴底のチェックを受けて広島の方は滑りやすいから

草鞋に履き替えるよう言われ、700円だして草鞋を

購入、いざ出発です。

役の行者の像

いきなり急登です、でもまだ序の口です。

この女性は草鞋を履いて登っています、

履き心地を聞いたら、以外に歩きやすく、滑らないとのこと

 

 

 

 

どのお堂も崖っぷちに建っています、その周りを廻るのですが・・・

こわ~~い、文殊堂にて。腹のでっぱりが・・・・

この人、怖くないのかな・・・

遠く伯耆富士(大山)が見えた。

 

この下、崖で落ちたら死にます。

二ヶ月前にも転落した人が居たとか・・・

ヘリが出動したとか。

 

こんなところに梵鐘が・・・

麓から見た投入堂

着きました、まじかに観る投入堂

 

 

 

 

 

かずら坂、鎖坂を通って第一の伽藍、文殊堂に着く、

靴を脱いで絶壁の縁を一周する、高所と手すりない

恐怖がある。

そしてこここから地蔵堂を通り、鐘楼堂を通ると

馬の背、牛の背があり納経堂を過ぎると

観音堂がある。

ここを一周して生まれ変わり死に変わるそうだ。

少し行くと不動堂があり一登りすると目の前に

どーーーんと投げ入れ堂が現れる。

感動ものです、すごいです!!

 

 

今まで通ってきたところにもあった、堂もそうだが

この投げ入れ堂はどうやって作ったのか、こんな

崖っぷちにだ。

一説によると役の行者が麓から気合もろとも、えいっ!と

投げて作ったとか。

よくわからんなぁ~でも実際にこうして眼前に見せ付けられると

信じるしかしかたがない。

臼杵から夜を徹して走ってきた甲斐があった、一日遅ければ

観ることはできなかった。

翌日は大雨になった。

  登山道の恐怖と堂の凄さを堪能して下山の途についた。

 

登山道は恐怖の連続であった。

国宝を観るのに一番危険なところである。

 

 山陰の名湯、三朝温泉に入って二つの汗を流して

 兵庫に向かう・・・・

 

まだ先はある。

 

 

 

 

 


紀州・四国・九州・山陰&近江一人旅 臼杵へ

2016年06月09日 16時09分25秒 | 寺社めぐり

四国を縦断して八幡浜港から臼杵港へ、フェリーで

およそ2時間半の船旅です。

雨にけむる臼杵港に着きさっそく石仏群のある

地まで行く。しっかり雨も降ってきた。

 

初めて見る石仏、それは想像をはるかに超えた

スケールでど~んと立っている、座っている。

なんでここに作ったのか、目的は何、どれも未だに

はっきりしない石仏たちだ。

でもその制作技量はすごいものがある。

古の人は本当にすごいものを作られるものだ。

おおきく4つに分けられた遺跡をじっくりと見てきた。

港近くに龍源寺あり

 

 

 

地蔵十王像

如来三尊像

 

臼杵の石仏群は凝灰岩の岩壁に刻まれている。

制作時期は平安末期から鎌倉時代といわれており、

59体すべてが国宝に指定されている。

大日如来

もとは首から上だだったが昭和55年から十数年からて胴と一体になった。

 

そしてその小高い丘の前は平たな草原が広がっていて

その向にもいくつかの石物がある。

石仏梵鐘

宝きょう印塔

鎌倉後期の作

石仏群の入り口に建つ、深田の鳥居

昔の参道に立てられていたものと思われる。

 

 

雨が降っていたがゆっくりと見ることができた。

さて、ここから山陰まで走るとしよう。遠いな~~~~。