PICO's BLOG~きままな日記帖~

還暦+αな年代、気持ちはいつも現役世代 
なんでもチャレンジ、そんなPICOの備忘録
   

高野山その2

2015年04月26日 10時31分49秒 | 寺社めぐり

奥の院や壇上伽藍を散策し、高野山霊宝館に入った、今回高野山の主だった

施設の入場チケットをまとめて買ったので割安で見ることができた。

霊宝館はさすが真言密教の大本山だけあって圧倒的な量の宝物が

館内いっぱいに展示されている。空海が唐から持ち帰ったと言われている

国宝諸尊仏龕と言われる白檀製の厨子や八大童子、両界曼荼羅図、

空海自筆の「ろうこしいき」等々、じっくりと見てきました。

 

 

 

そして昼からは高野山大学でおこなわれたシンポジューム

司馬遼太郎の「空海の風景を考える」と題して著名な方々の講演やシンポジュームを

聴いてきました。

シンポジューム風景

  

4日間の宇陀路、大和路紀州慈路の見仏の旅、多くの秘仏や国宝級の

仏を見てきた。20mにおよぶ魔崖仏や有名な寺院の傍でひっそりと

仏を守っている小さなお寺、寺を守っていけないような小さなお寺など

寺院もいろんな問題をかかえていることを知った。

(檀家の少ない、あるいは居ないお寺は存続が難しい)

 

そして開創1200年行事でにぎやかな高野山、長閑で穏やかな天野の里など

気持ちのいい旅でした。

 

 

次は何処へ行こうか・・・・

琵琶湖北の十一面観音菩薩のたびにでようか・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


開創1200年 高野山

2015年04月25日 22時38分13秒 | 寺社めぐり

今回の寺院、仏見の旅も最終章

高野山の麓の慈尊院から町石道沿いに行くと、天野という里に出会う。

白洲正子さんの「かくれ里」には、ここは現代の桃源郷だと記している、

穏やかな山間の村で本を書かれたころは台風、地震など自然災害に 

あったことがない、と言われた里山である。そんな村の中に丹生都比売神社がある、

弘法大師空海が高野山を開山するときに、その地を貸し与えた神とされている。

大きな太鼓橋を渡って本殿へ、桜花が舞う中、朱色の橋や本殿の色が似合う。

 

そして高野山の玄関、大門へ着く。

大門

大門から四国の方を。

 

 

ここは5年前に来たときに奇遇となったところ、四国遍路の時、高知の宿で

同宿した韓国人の女性とばったり再会したところである。

高知の宿で出会ってから一ヶ月以上経ってから偶然と再会した。不思議な

場所である。そして今回も似たような出来事があった。

慈尊院から180丁、第一番の町石道の卒塔婆が壇上伽藍にある。

町石道の道しるべ丁石 第1丁

根本大塔

大日如来三尊

金剛峯寺庭園

金剛峯寺で抹茶をいただく

 

高野山のマスコット こうやくん

 

 

今、高野山は高村光太郎の父開創1200年の大法要が催しされており、多くの人が

来られている。三度目の高野山だが、まだまだ知らないところがいっぱいだ。

余りにも多くの建物や工芸品、仏像などなど・・・

一日目は奥の院を参拝し、翌日に壇上伽藍や金剛峯寺を中心に見て歩いた。

そして仏像や空海が唐から持ち帰った法具、曼荼羅など随分と時間をとって

見てきた。

孔雀明王

三鈷杵がかかっていた言われる松

(空海が唐にわたり真言密教を恵果阿じゃりから伝授され帰国の途に着いたとき

乗船する港から、日本に向け三鈷杵を投げ真言密教の教えを広める根本道場の

最適な場所見つけたといわれる伝説)

大師堂

西塔

山王院

 

金堂の本尊薬師如来は高村光太郎の父、光雲作でり、今回は初めての開帳であった。

金堂に入ってじっくりと見させてもらった。その金堂の隣には朱色の根本大塔が建つ。

中はまさに仏像ワールド、中央に大日如来、その四方にもアシュク如来、阿弥陀如来

宝生如来、不空成就如来などの仏像が取り囲み、

大塔の柱には堂本印象の絵が荘厳な雰囲気を醸し出す。

そして金堂の正面には官界の開創記念事業で172年ぶりに再建された中門が完成していた。

中門の四天王

平安の歌人 西行の桜

水向地蔵

奥の院への参道

大師入定の地 奥の院

 

 

 

 

明日は高野山大学でのシンポジュームの聴講だ。


我が家の庭の花たち

2015年04月24日 18時57分42秒 | 雑記

仏像めぐりを一休みして、今日は我が家の花たちをアップ

あやめ系のイチハツが咲き、今はボタンが綺麗に咲いています。

パンジー&ビオラも頑張っています。

もうすぐ芍薬も咲きそうです。

そして杜若が若葉いっぱいにして出番を待っています。

 

そんな今日、月一回の写経、写仏に行ってきました。

静かなお寺の一室でのひと時は安らぎを得られます。

そして写経が終われば和尚さんや奥さんのお茶の接待があります。

今日のお茶うけは京都の老舗のお菓子とか、美味しい和三盆でした。

 こいのぼりをアレンジしたお茶うけ

「問い合わせ先」

法蔵院

愛知県豊橋市関屋町224

0532-54-9660

毎月24日

 


女人高野慈尊院から高野山

2015年04月23日 16時32分50秒 | 寺社めぐり

歓心寺の如意輪観音菩薩に魅了され、ひと時境内の中にいた。

離れがたく意を決して紀州和歌山に向かった。

今、高野山は開創1200年の一大イベントが毎日日替わりで開催されている。

中心寺院の金剛峰寺を中心に壇上伽藍、そして奥の院と高野の山上は

多くの老若男女が行きかう。

女人高野の石の標

多くの願掛け札、とりわけ女性の願い札が多い

慈尊院の多宝塔

 

 

 

開創1200年に合わせて高野の麓九度山 、慈尊院も本尊の弥勒菩薩立像もご開帳を

されている。弥勒菩薩像はきりりとして威厳のあるお顔であった。

ここ九度山の名前の由来は、

大師は、月に九度は必ず高野山上より20数キロの山道を下って
母公を尋ねられたので地名を九度山と称す
ご母公がご本尊弥勒菩薩を尊崇せられた功徳により
入寂の砌、ご本尊様に化身さられたと言う信仰となり
女人の高野参りは、当院までということも相俟った。

そうである。「九度山HPより」

弥勒菩薩をじっくり拝観、その後裏手の高台にある丹生官省符神社が

あり、ここから高野山壇上伽藍まで町石道が20数キロのわたり有り

かの弘法大師もこの道を通ってここまで母に会いに来たのであろう。

1丁ごとに立てられた卒塔婆の形をした道しるべは今でもその歴史を

残している。5年前気持ちよく歩いたことを思い出す。

高野山壇上伽藍まで180丁の石標(約20キロ)

慈尊院の境内

 

途中には大師がここに開山するときの土地の提供者、丹生都比売神社や道案内をしたと

いう狩場明神、信仰の深さに纏わるエピソードなど、天野の農村の豊かで

長閑な山里は今でも桃源郷のようだ。

こうして20数キロ歩きと高野山の大門の下にたどり着く。

天野の里

丹生都比売神社

 

 

標高800Mほどの山並みを歩き高野山へ

いよいよ5年ぶりの高野山だ。

 


歓心寺

2015年04月22日 22時08分32秒 | 寺社めぐり

やっと来れた歓心寺、そして如意輪観音菩薩

もうーたまりません、そのなんとも言えぬ艶かしい

肢体、姿態、色使い、、、、

2日間だけのご開帳、本堂には多くの方が住職の

話しを聞き、四天王に、守られている如来を見、ため息をつき、満足感いっぱい

の表情、御真言を唱えて本堂を後にし、宝物館へ。

訶梨帝母天堂

 

ここにもたくさんの仏像がいっぱいです。

重文の如意輪観音試作品、十一面観音菩薩、地蔵菩薩像

聖観音菩薩白鳳時代の金鋼仏などなど。

じっくりと見て山門前で弁当を買って食べる。

国宝金堂

 

重文 建掛堂

文殊菩薩

この先に後村上廟がある。

開山堂

 如意輪観音菩薩

 

 

 

如意輪観音をしっかり堪能して今回の最後のお寺、と言うより聖地

真言密教の総本山高野山へ


天野山金剛寺から勧心寺へ

2015年04月22日 11時06分32秒 | 寺社めぐり

山への険しい登り坂をゆく西国三十三観音霊場第四番札所施福寺から

河内長野市からちょっと郊外の天野山金剛寺へ、ここは今三十年ぶりの

大改修をおこなっており本尊などは違うお堂に移されていた。

桜門を入ると広大な境内には多くの伽藍が立ち並ぶ、右手の受付にて

拝観を依頼し中に入った。

ここはなんといっても薬師三尊(薬師如来を中央に配し左右に

日光、月光菩薩を祭る。鎌倉時代の作だそうで衆生を救ってきたのであろう。

金剛寺 / 写真2

 

 

 

 

そしてお目当ての五智如来が隣の堂の中に鎮座している、思ったより

小さいが迫力満点である。中央に真言密教の本尊大日如来、右前に

阿閦如来、右後ろに不空成就如来、左前には宝生如来、その奥に

阿弥陀如来が鎮座、まさに仏像ワールドです。

 桜門

金堂内の重要文化財大日如来坐像・不動明王坐像・降三世明王坐像も

平成22年度から3年間で修理されることになりました。今回不動明王坐像を

堂内から搬出するときに胎内背面から墨書が発見された。

本堂を出て書院のほうへ、ここにも宝物館があって多くの仏像が収められて

いる。

書院の庭園

 

さて随分と居座った、如意輪観音が待っている歓心寺へ。

 


松尾寺から施福寺へ

2015年04月21日 15時21分17秒 | 寺社めぐり

談山神社から河内長野の松尾寺により、西国三十三観音

霊場第四番札所施福寺へ。

 

松尾寺の参道と本殿

施福寺険しい山道を十丁、距離はあまりないが、参道は

きつい。道端にはヒメシャガが咲き、上に行くにしたがって

スミレが咲きだす。梢は鳥の棲家か、いろんな鳥の鳴き声がする。

およそ4丁で山門に着き、ここからさらに険しい山道になる。

息をきらせて登ること50分やっと本堂に着いた。

 

山門

 

 60年ぶりの馬頭観音を見ることが出来た、この観音は

花山法王の足守である。すごい憤怒の形相をしておる。

 

 

道標

 またここの弥勒菩薩の左手は手のひらが下を向いており

今まで見たことのない作りだった。 

 


聖林寺

2015年04月20日 15時52分54秒 | 寺社めぐり

談山神社に行く前に、今回の旅のメインのひとつである

聖林寺の十一面観音菩薩に会いに行く。

もうずっと会いたくて~~と言うことで向かうは奈良県桜井市へ。

 

ちょっとした丘の上に建つ聖林寺は庭の手入れも素晴らしく

綺麗に清められていた。

受付で境内に入ってままずは本堂へ

本尊は、本尊 子安延命地蔵菩薩を拝観し、そわそわしながら

十一面観音がおられる別館へ。

 

わーーーやっぱすごいです、綺麗です、優しいです、国宝です!!

京都かた何度も見にこられている女性が一人おられた。

観音の前に座りひと時お顔を眺めていた。

やっぱいいです、心が落ち着きます。

 

聖林寺は藤原氏のお寺で、これから行く談山神社の別院として創建された。

十一面観音菩薩のほかに、阿弥陀如来三尊や毘沙門天さんも相変わらず

すごい形相でおられる。

聖林寺境内

十分見させてもらい本堂に戻ってくると境内からは美しい三輪山や

落ち着いた大和盆地を望むことができる。

境内から・・・

 

そして談山神社へ

 

 

 

 


談山神社

2015年04月19日 21時19分32秒 | 寺社めぐり

万行寺、仏隆寺から山越えをして談山神社へ

最初行く予定は無かったがせっかくここまで来たんだから

寄ってみることにした。

 

それが境内に入ってびっくり素晴らしい神社だった。

御神祭は藤原鎌足公、と言えば大化の改新(645)

その談した山からこの名前がついたとか・・・・

 

若い二人が本殿前で仲良く参詣していた。

 

そして西国三十三観音霊場第四番札所 施福寺へ

 


Digest version 龍穴神社から万行寺、仏隆寺へ

2015年04月19日 06時56分05秒 | 寺社めぐり

龍穴神社へは室生寺からすぐの所にある、

室生寺のあの流麗な十一面観音とこの龍穴神社は

雨、水繋がりであろう、昔人は雨(水)が命、雨乞いを

死活問題でもあった。そういったところには必ずと言って

いいほど雨に纏わる神社と十一面観音菩薩が村の中に

祭られ村人によって祈られ、守られてきた。

 龍穴奥の院

 

龍穴神社からひと山越えてのどかな山村には

こんな案山子があった。

仏隆寺に行く前に万行寺に寄り道しようと山合いに

入っていく、しかしその寺はまったく見つからず右往左往しながら

ようやくたどり着いた。

それも奈良県警のパトカーがちょうど通りかかったので停めてが住職も

居られず境内のしだれ桜を見て仏隆寺に向かった。

 

 

訊ねた。パトカーのナビにも載っていなく苦労した。

そんなこんなでやっとのことで着いた

道の迷い、野良仕事をしている農夫にききながら

やっとのことに着いた。

 万行寺の枝垂れ桜

 

仏隆寺近辺は桜の名所、カメラマンがいっぱいだが境内に

入ってくる人はまれだ。

 

石の段の横には大きな山梨の白い花が咲いていた。

この仏隆寺も鄙びたという言葉は合わないかもしれないが

いいお寺であった。住職の奥さんに鍵を開けてもらい本尊を

拝見した。

 本尊は聖徳太子作の十一面観音菩薩と伝わる

 石窟は仏隆寺開祖、堅恵の墓所

 

そして談山神社へ