石巻市の藤田利彦さん、是非お医者さんになってください。
私に、微力ながら、協力させてください。
沢山の人の力にはなれないけど、
あなた一人のすべての力になれないけど、
あなたの少しのお役には立てると思います。
使えなくなった参考書、教えてください。送ります。
他にも必要なものあれば言ってください。
目に見えない義援よりも
被災者のあなたの力になれればどんなに有意義か。
是非、連絡をしてください。
■
毎日JPより抜粋
東日本大震災:津波が奪った母の夢 息子「医者になる」
「今日は2冊」。がれきの中から自分の参考書を見つけた藤田利彦さん=宮城県石巻市で、2011年3月30日
母は苦手な分数の計算に手を焼くと、よく助けを求めてきた。「にいちゃん、算数、教えてよ」。宮城県石巻市の藤田利彦さん(48)は、そんな少女のようなひたむきな顔を思い出す。家計が苦しく中学までしか行けなかった母蓉子(ようこ)さん(72)は「高校で学びたい」と言い出し、医師を目指す藤田さんと一緒に机に向かった。母の夢。そして命。津波はすべてを流し去った。【水戸健一】
藤田さんは高校時代に父親を亡くし、卒業後は地元の水産工場で働いた。20歳の冬、蓉子さんに「勉強したいのなら大学に行っていいよ」と言われ、まだ願書が間に合い学費も安かった東京の私立大経済学部に入学した。その後は仙台市の予備校などに勤務したが、本当は「医者になりたい」とずっと思っていた。
蓉子さんが高校受験を目指すようになったのは古希を迎えてからだ。藤田さんはそのころ、予備校の講師を辞めて石巻の実家に帰っていた。医師への希望をどうしても捨てきれず、医学部に入り直す勉強をするためだった。そんな息子を見て「母も触発されたのかもしれない」と藤田さんは言う。
母と二人。夢を語り合いながら机に向かった。庭の桜の木を眺めながら「どちらが先に花を咲かせられるかな」と笑いながら話したのが、今は遠い昔のようだ。
あの地震の直後、藤田さんと蓉子さんは一度は自宅の2階に避難した。しかし津波が迫った時、様子を見に来ていたおばの阿部拓子(ひろこ)さん(67)が逃げ遅れた。妹を救おうと階段を駆け下りる蓉子さんの背中に藤田さんは叫んだ。「無理だ、やめろ!」。しかし蓉子さんは聞かず、拓子さんとともに濁流の中に消えてしまった。日没までの数時間。藤田さんは泥水に潜って捜したが、見つけられなかった。数日後、2人は遺体となって収容された。あの庭の桜の木も流された。
太平洋戦争中、朝鮮半島で暮らした蓉子さんは、日本の敗戦の色が濃くなると小さな船で日本海を渡り、命からがら帰国した。蓉子さんは藤田さんに「水が怖い。暗い色の海は二度とごめんだ」とよく話していた。母親が迫り来る津波を前に、どんな思いで階下に足を踏み下ろしたのか。それを想像すると胸が痛む。
2階だけが残った自宅を片付けていると、勉強道具が次々と出てきた。水をかぶって壊れてしまったが、電卓もその一つだ。藤田さんが計算の苦手だった母親のために買った。「教えてよ」。問題が解けなくても楽しそうだった母。あの声は二度と聞けない。
藤田さんは今、市内の親戚の家に身を寄せている。自宅で参考書を見つけると持って帰るが、泥水で汚れていてほとんど使い物にならない。市内の書店はまだ閉まっていて、新品を買うこともできない。しかし、何としても受験勉強を続ける覚悟だ。「生き残った自分まで津波に負けたら、母に申し訳ない」。いつか合格の桜を母に手向けたい。
私に、微力ながら、協力させてください。
沢山の人の力にはなれないけど、
あなた一人のすべての力になれないけど、
あなたの少しのお役には立てると思います。
使えなくなった参考書、教えてください。送ります。
他にも必要なものあれば言ってください。
目に見えない義援よりも
被災者のあなたの力になれればどんなに有意義か。
是非、連絡をしてください。
■
毎日JPより抜粋
東日本大震災:津波が奪った母の夢 息子「医者になる」
「今日は2冊」。がれきの中から自分の参考書を見つけた藤田利彦さん=宮城県石巻市で、2011年3月30日
母は苦手な分数の計算に手を焼くと、よく助けを求めてきた。「にいちゃん、算数、教えてよ」。宮城県石巻市の藤田利彦さん(48)は、そんな少女のようなひたむきな顔を思い出す。家計が苦しく中学までしか行けなかった母蓉子(ようこ)さん(72)は「高校で学びたい」と言い出し、医師を目指す藤田さんと一緒に机に向かった。母の夢。そして命。津波はすべてを流し去った。【水戸健一】
藤田さんは高校時代に父親を亡くし、卒業後は地元の水産工場で働いた。20歳の冬、蓉子さんに「勉強したいのなら大学に行っていいよ」と言われ、まだ願書が間に合い学費も安かった東京の私立大経済学部に入学した。その後は仙台市の予備校などに勤務したが、本当は「医者になりたい」とずっと思っていた。
蓉子さんが高校受験を目指すようになったのは古希を迎えてからだ。藤田さんはそのころ、予備校の講師を辞めて石巻の実家に帰っていた。医師への希望をどうしても捨てきれず、医学部に入り直す勉強をするためだった。そんな息子を見て「母も触発されたのかもしれない」と藤田さんは言う。
母と二人。夢を語り合いながら机に向かった。庭の桜の木を眺めながら「どちらが先に花を咲かせられるかな」と笑いながら話したのが、今は遠い昔のようだ。
あの地震の直後、藤田さんと蓉子さんは一度は自宅の2階に避難した。しかし津波が迫った時、様子を見に来ていたおばの阿部拓子(ひろこ)さん(67)が逃げ遅れた。妹を救おうと階段を駆け下りる蓉子さんの背中に藤田さんは叫んだ。「無理だ、やめろ!」。しかし蓉子さんは聞かず、拓子さんとともに濁流の中に消えてしまった。日没までの数時間。藤田さんは泥水に潜って捜したが、見つけられなかった。数日後、2人は遺体となって収容された。あの庭の桜の木も流された。
太平洋戦争中、朝鮮半島で暮らした蓉子さんは、日本の敗戦の色が濃くなると小さな船で日本海を渡り、命からがら帰国した。蓉子さんは藤田さんに「水が怖い。暗い色の海は二度とごめんだ」とよく話していた。母親が迫り来る津波を前に、どんな思いで階下に足を踏み下ろしたのか。それを想像すると胸が痛む。
2階だけが残った自宅を片付けていると、勉強道具が次々と出てきた。水をかぶって壊れてしまったが、電卓もその一つだ。藤田さんが計算の苦手だった母親のために買った。「教えてよ」。問題が解けなくても楽しそうだった母。あの声は二度と聞けない。
藤田さんは今、市内の親戚の家に身を寄せている。自宅で参考書を見つけると持って帰るが、泥水で汚れていてほとんど使い物にならない。市内の書店はまだ閉まっていて、新品を買うこともできない。しかし、何としても受験勉強を続ける覚悟だ。「生き残った自分まで津波に負けたら、母に申し訳ない」。いつか合格の桜を母に手向けたい。
私のようなものに、暖かいお言葉をかけてくださり本当に感謝しております。現在、石巻市は「医療が崩壊」しており、北上川から女川町にかけての地域では「医師不在」あるいは「医療機関が大破」した結果、一時的な医療をうけることができないのです。そこで、今、私は東北大学医学部の医師と相談しつつ、仮設の医療診療所、歯科診療所の開設を企画しているのですが、障壁があり、思うように結果が出せずに苦しんでおります。そもそも「石巻市」自体に「やる気」がありません。
また、ライフラインも復旧せず、食品を購入できる商店さえ「壊滅」している段階で、石巻市は、突如として「お弁当」の配布を中止しました。「電気と水道の復旧した地域は、あとは自活しろ」という意味だそうです。しかし、大半が「車」を失っており、イオンsuper centerまで野菜などを購入しにゆくことは「不可能」なのです。近所の小さい八百屋、肉屋さんも「壊滅」しており、高齢者、身体障害者のみなさんにとって3月11日以降は、たとえ、電気、水道が「復旧」したとしても、「以前と同じ環境」とは言えないという現状を、行政は「理解」できないようです。
今は「生存」することに精一杯の現状ですが、受験勉強も開始しなければ、と思っています。後日また、書き込みをさせてください。
石巻市
藤田 利彦
彼は黄金浜地域住民のため昼夜問わず走り回り、尽力されていました。
今回のご縁をきっかけに末永い支援を続けていこうと思っています。
地域住民の病気、けがの処置についても藤田さんはとても懸念され一番近い個人病院の先生とかけあったりしています。
また、東北大学の教授の歯科医に協力を要請し地域住民の方へ医療サービスを提供する準備を進めています。
黄金浜地域の住民のため衣食住の確保のみならず医療や物資の確保などその労働は多岐に渡っているため限界がきています。
作業分担ができる仲間を急募しています。
どうぞ呼びかけてください!
感謝しております。当時は食べるものが無く、大変に苦労した当時の記憶を思い起こせば、藤春様たちのホルモン鍋は「御馳走」なのです。本当にありがとうございました。
黄金浜会館ですが、瓦礫の撤去、泥出しを終了し、壁の穴を補修して、遂に「ジュリアード音楽院」の現役演奏家によるクラッシック演奏が行われるまでになりました。今後は喫茶店、マッサージ、美容、炊き出しなど、さまざまな行事を行ってゆきたい、と考えております。
今後とも、御支援をお願いいたします。
さらに、晋作さんらによる「ハンバーガー」の炊き出し+本格派のcoffee&tea.これが最高なのです。
みなさん、本当に感謝しております。
先日、NYのジュリアード音楽院の現役演奏家によるclassicコンサートが、黄金浜会館にて行われました。それは、それは「感動的」なものであり聴衆は、感動のあまり「涙」をこらえきれませんでした。巨大津波が来て、すべてを「破壊」したのです。それから、まもなく3ヶ月。ついに音楽を楽しむところまで来ました。
これも、すべて、ボランティアとして石巻市に来て、応援してくださったみなさんのおかげです。感謝しております。
3月にブログを立ち上げ、今日に至っていますが、まあ普通のおじさんの話にコメントが入ることもなく勝手気ままにしておりました。藤田さんに熱い気持ちで発信したものの私のブログが目に留まるはずもないとコメントを見ることもなく今日まで。(ブログの機能がよくわかっていないのも原因です。)
藤田さんからコメントをいただいているとも知らず、ほんとに失礼しました。大変な時に何の役にも立たず、ただただ情けない思いです。
藤春さんがこのブログを通して支援されているのを知ることにもなり、さらに申し訳ない思いで一杯です。藤春さんありがとうごあいます。
もしかしたら藤田さんはこのブログは藤春さんがしているものと思われていたかも知れません。なんと言っていいのか。
ブログに書きましたように東北にまで支援に行けない私がこれぐらいなら身丈に合った支援ができると思い立ちブログに書き込みました。
まだ何もできていない自分が恥ずかしいです。
大阪から何かできることはないですか。
しかし、藤春様は、石巻市の黄金浜にて「ホルモン鍋」の炊き出しをされ、われわれ住民に「温かい食べ物をたべてもらいたい」という一心で、はるばる九州から駆けつけてくださったのでした。われわれ住民は「真心」を頂いたのです。本当に感謝しております。
ところで黄金浜会館は、瓦礫の撤去とヘドロ出しを終了し、6月13日ついに「cafe」を運営するに至りました。これから毎週「月曜日」には、cafeを開店することになります。いままで「食べること」に必死でしたが、今後は「憩い」の場を提供する必要があると判断したからです。ジョンレノン聴きながら、coffeeを楽しむ、、、、、。いままでは考えられなかった事です。それもこれも、いままで世界中の皆様に応援して頂いたからだ、と深く感謝しております。さらに、本日は、髪をカットしてくださる美容師さんも駆けつけてくださったので、coffeeを楽しみつつ、カットしてもらえる、という楽しい一日となりました。
このブログが、黄金浜会館を中心とした復興運動を報告するものとして、世界中のみなさんに書き込みしていただけたら、と願っております。
現在、地域の名称を印刷したTシャツ、あるいはタオルの制作を企画しております。
子猫はとても元気です。現在、私がママとなって授乳をしております。優しい飼い主さんが見つかることを祈っております。
ともかく、皆さんのを笑顔を引き出すために生まれ、生かされたとしか思えませんね。名前は『スマイル」とでも付けたいくらいですね。
時間とともに違う形で、ご苦労ご不便が新たに生まれるのでしょうね。そんな気持ちに負けないでとスマイルが生まれたのかも知れません。
明日が今日よりいい日でありますように。
震災してしばらく後、1冊のジャンプの本が100人以上の人に回し読みされた記事を見ました。続き読みたいですもんね。子ども達も(子どもに限らず)そんな状況で絶対必要でもない漫画が読みたいとは言えないですから。
今どれほど復旧したかは解りませんが、藤田さんが個人的に欲しい物、手に入らないもの、あればおっしゃってください。(個人の欲しい物は他の方も同様の事も多いです)もちろん、僕では役に立たないかもしれませんが。
ここで僕より役に立つ方が見ていてくださるかもしれませんし。
黄金浜会館というのが受け取り代行できる所かどうか解りませんが、どこ気付で受け取れるのでしょう。それも記していただければ。
では、日々、お体に気をつけて。
おそらく、偽善者ぶった僕の言葉に向かっての物だと思う。たしかに後で読むと、ただなんとかできる事はないのかという思いが、オオバーな言葉になっているかも、と思ったり。そして、いつまでも何も出来ない事がもどかしく、優しいおじさんを全面に出している言葉になっているかも知れない。
でも、言葉はどうであれ、僕の素直な気持ちだ。
藤田さんに嫌な思いをさせたくないのですぐ削除したけれども。通りがかりで沢山ある中の1ブログ者に嫌がらせの一言を言いたくなる物かどうか、僕には解らないが…。
僕を知っている人間かも知れない。生きていると僕を嫌っている人も何人かはいると思う。わざわざ訪問してハンドルネームさえ書かず、言いたい事も言わず、ただ嫌がらせの言葉を発して逃げる。解らなければ何でもやってしまうような人なんだろう。あとで、自己嫌悪しないのか、自分が情けなくならないのか。そんな人だから、もし面識のある人なら、僕とは仲良くなっていないと思う。
藤田さんにもネットで色々書いている人がいる。そんな人を相手にしてもしょうがないけど、気分の悪いのはしばらく尾を引くだろう。そんな事が狙いだとしたら、もっと楽しい事はないのか。楽しく語らい合う人はいないのか。つまらない生き方をしている人だね。
僕は楽しくってしょうがないよ、毎日が。そして藤田さんを見つけたように僕には好ましい人が沢山いるよ。君には悪いけど。