日々Change。今日の怒りも、恐れも、悲しみも、明日は夢と希望と喜びに。

少々高くても、日本の商品を買いましょう。力を合わせて日本の復興のために。

こんな事で負けたくない、頑張れ日本。

2011-06-30 17:20:43 | 桃旗、こんな社会へ言いたい!
災害多発国そしてこれからの電力の不安から日本企業が生産拠点を海外に移転している。日本の製造業の海外での生産比率が8.1%(1995)から18%に。さらにこれからも増大するという。
特に韓国には日本が誇る化学、電子、機械分野のハイテク企業から日本の主力産業の生産部門が移っている。東日本の地震が契機になっているが、災害の恐怖以外に人件費、電機料金、税金などのコストが日本より低いからでもある。
今までの低賃金による生産工場の進出ではなく、研究所まで含めたハイテク技術を持った企業の進出に技術の流出が心配される。東レなど1000億円近い投資で世界最大の炭素繊維の生産拠点を作るという。建築から資材、人材まで韓国で使われる訳である。そして、将来的にもあらゆる分野に波及的に広がっていく。東京エレクトロン(研究開発センター)、住友化学(タッチパネル工場)、アルバック(超材料研究所)、宇部興産(合成樹脂パネル工場)、安永(自動車エンジン部品工場)、エアフォルク(精密機械工場)、ソフトバンク(データセンター)。日本政府は余りにも無策的すぎないか。
日本にも災害の少ない地域もあるだろう、そして、電力の問題はどちらにしろ解決しないといけない事である。
東日本で地震があった後、日本のあらゆる所で余震のような地震が続いたときに地図を見やると…。日本列島を襲う津波、台風ほとんどの災害が日本列島で弱まり、まるで韓国の防波堤のように見えたものである。企業の韓国移転は避けられないものかも知れない。そんな企業は勝手に行かせば良い、日本の良さが何か沢山ある筈だ、むしろ災害を利用した新しい知恵は出てこないものか。

電車でこんな運命の人他にいない?

2011-06-29 15:26:25 | 日記
この前超能力の事を書いたけれども、それとは違う何か与えられた現象と言うか、ジンクス?言葉が出てこないけれど、いつもどうしてこうなるのというものが僕にはあるんです。
その第一が、電車での事。
満員電車ってイヤですよね、僕の一日で一番イヤなことかも知れない。押し合いへし合いの満員電車で向かい合うのは嫌ですよね。息はかかるし、不愉快です。(女性は平気なんですけど)
だいたいドアに向かって同じ方向を向いて立つのですが、乗ってきたそのまま僕に向かって立つ人がいます。おいおい、みんな回れ右してるだろ。思わず『あっち向いてホイ!」と言いたくなります。何故か、何故か僕に向かってなんです。偶然と思いたいですが、いつも僕の前の人が何を考えてるのか僕の方を向くのです。そして、中吊り広告かなんか見て、顔が上向くので臭い鼻息なんかがかかるのです。
さらに、もう一つ、
やや空いていて座席が埋まっているとします。僕の回りで前後左右立っている人が一人いたとします。その人が必ず僕の前に立つのです。僕はいつも本を読んだりするので、つり革にぶら下がって広告見たりして、くねくね動く人、大きなカバンを本にぶつけてくる人。他の人の前の方がゆったりしているのに僕の前なんです。座っている僕がドア側であろうが、真ん中であろうがなぜか僕の前なんです。
バスでもそうです。バスの場合、照明が少ないのでそこに立たれると暗くて本が読めないのです。他の居眠ってる人とかいるでしょ、そちらに行けば?と思うのに、僕が前の座席に座っていようが、後ろの座席に座っていようが、他が空いていようが僕の所なんです。
被害妄想。他の人も大なれ小なれそうなっている?本当に、僕一人こうなるケースがほとんどです。こうなれば、運命としか思えません。なんなん?僕が汗臭くなれば近づかない?口臭がすれば近づかない?
もうなんとかして欲しい。大嫌いな通勤電車が二重苦だ。
本当に思い過ごしじゃない!
他にこんな人いる?

宇佐美選手おめでとう、稲本選手のようにならないでくれ。

2011-06-28 10:33:07 | ガンバ大阪・日本代表、がんばれ!
6月26日ガンバの宇佐美選手の最終試合と噂された対広島戦を見に万博競技場に行った。うれしくも遠藤選手の活躍もあり大量5点でガンバが勝った試合でもあった。ただ、宇佐美選手のお別れセレモニーが無いのでまだドイツ移籍は決定していないようだ。

その翌日、今日、バイエルンへの期限付き移籍が発表された。記者会見があった。
「ビッグクラブでプレーしたかった。スカウトも直接見に来てくれて熱意を感じることができたので」「私生活に関して不安はない。どこでもやっていける」
また、「途中でクラブを抜けるのは迷惑がかかるんじゃないかと悩んだ」「それでもチャレンジしたかった」「自分が活躍することで、世界の目がガンバに向いてくれれば、それが恩返しになる」とジュニアユース時代からプレーしてきたG大阪に対する感謝の気持ちを言葉で表現した。
これを聞いたG大阪の金森喜久男社長は、「こういったこと(クラブへの感謝)が分かっていれば、宇佐美は活躍できる」とバイエルンへと旅立つ若武者へエールを送っている。

う~ん、頑張ってほしい。
これで思い出すのは10年ぐらい前、やはりガンバからイングランドのビッグクラブ「アーセナル」に移籍した、稲本選手。僕は彼の大ファンで彼を応援した。彼の日本で放映される限りのビデオを録画し、アーセナルのHPをのぞくのは日課だった。しかしそんな思いとは裏腹にやはり宇佐美選手と同じユースから育った稲本選手の行動を追う程にガンバへの感謝とは言わないが、古巣にたいする愛着があるのか疑問に思った。

野球のイチローも地元の名古屋ではなく、育ったオリックスの練習場でオフの自主トレをしたりしている。その間後輩達もその姿も目にしている事だろう。同じ職業に就いて神のような存在の選手に接する事は計り知れない力と知識の源になる。在籍したチームで練習するだけでもチームへの恩返しになるだろう。
特にサッカーのいい所は地域に根ざした所だ。稲本選手はかって自分が在籍した事で、サッカー選手宇佐美選手が生まれたことに影響したなんて思うことはないのか。
サッカーにおいて、海外で活躍するほとんどの選手がオフには自分の元いたクラブに顔を出し、育ったホーム球場で元のチームの観戦をしている姿がよくテレビに映し出されたりしている。
最近でも、けがで帰国した香川選手が、長居球場で何度か古巣のセレッソの観戦をしている姿が映し出されていた。
稲本選手の場合はオフに帰国した時、ガンバのクラブと接触した記事など見た事も無いどころか、仲の良い中田浩二選手の古巣である鹿島で彼と2人で観戦していたり、オフはもっぱら関東にいる記事しか私の記憶に無い。それはマスコミに出る事しか念頭にないようにしか思えない。

ガンバ時代に日本代表で同年代の明神選手(現ガンバ、当時柏)とボランチを組み、代表人気で選手はマスコミに出る事が多く、その場合自然とこの2人で言えば、関東に近い明神選手のテレビ出演がほとんどだった。そのときに関東のチームをうらやましく思っていたのかも知れない。何かの番組でグランドで稲本選手と明神選手が出くわし、稲本が明神に声をかけた場面があり、かけた言葉がテレビ出演をうらやましく思っているだけの話で、何だコイツはと思った事があった。逆に明神選手はそう言う派手な事に興味も持っていないような好印象を受けた。

それでもガンバ出身でヨーロッパに渡った稲本を応援し続けた。私の仕事で使うパソコンのトップ画面にも使っており、フランス在住の友人を通し、情報を得たり、のアーセナルを応援し続けた程だ。
それが今、皮肉にも明神選手がガンバの遠藤選手と並ぶチームの要の選手であり、帰国した稲本選手は関東の川崎に在籍する。日本帰国の際、関東のチームにこだわったように思う。関東の方が出演チャンスが多いからね。相変わらずマスコミ好きなのかも知れない。

そんな思いがあるので余計に宇佐美選手のことばはうれしい。アーセナルの有名選手に接して、ファンのような縮こまった稲本選手より、越えようとする心意気の宇佐美選手が是非へこたれず頑張ってくれることを、応援している。

妻の祖母は超能力者。 本当はマジシャンの中にも超能力者がいるかも。 #スプーン曲げ

2011-06-27 10:18:16 | 超能力・ミステリー・面白ネタ
超能力って信じますか?

何を子どもじみたことを、なんて目で見られる。
私は信じてると言うと、うさんくさい者を見るような相手にもされない。

実は、は信じざるを得ないのです。
そして私の家族(妻、長男、長女)はみんな信じるも信じないも
当たり前のように思っています。
ただ、その先の思考になって、
スプーンを曲げられる事が超能力なのかと言うとよくわかりませんが。

今、寝たきりに近い80歳半ばの義理の祖母が、60才過ぎの頃。
スプー曲げブームの頃、そのテレビ番組を見ていて、
言われるままにスプーンを触っていたら先が折れ、ちぎれ落ちたのです。
祖父が驚いて、さらにスプーンを渡し、半信半疑のままに次々スプーンをわたし、
立て続けに折れたのに驚き、大阪の我が家に連絡してきたのです。

その年、直ぐにやってきた夏休みに田舎に帰った家族もそれを目撃したのです。
子どもたちは面白がって、おばあちゃんにおねだりし、
田舎ではティースプーン以外は無くなってしまいました。

テレビではしばらくして、
スプーン曲げ少年などインチキが暴露されて下火になってしまいましたが。
祖母に関して言えば、
普通のスプーンは私でさえ、床にでも押し付けて、
体重をかけないと曲がらないほどの強度があります。

女性で60才越えていて、他者の視線の中、
片手の指先だけで曲げられるものではないです。
第一、この祖母が何か仕掛けをして、
そんな人の気を引くパフォーマンスをするはずも、意味もありえない。

超能力としか思えません。

当時、「テレビに出たら」なんて言う家族に
「この田舎でそんな事、村の人に知れたら奇人扱いじゃが」と
祖母が拒絶していたのを覚えています。

家族にとってもそれだけの事で、
小学校低学年の子どもたちも、おばあちゃんの嫌がることと理解したのか
友達に話した形跡もなかったようだ。

唯一、私だけが数人に話しただけだ。
その反応は・・・
半信半疑、嘘とも思えず自身が目の前で見たことでもなく、
なんで私がそんな大して面白くもない冗談を、でもほんとなの?
みたいな、へーと言うだけでそれ以上広がりもしない話に終わった。
この人ってそんな胡散臭い人だっけ、みたいな印象を残すだけ。

例えば
直径8mmぐらいのボルトネジみたいな、
人の手では100%曲がらない金属を曲げてもらえれば、
間違いなく信じれるものだけど。

スプーンは捏造としてもTVを見て曲げられるみたいな信念があって、
曲がる曲がると唱えれば可能なようなスピリチュアル性を感じる。
一方、8mmのボルトネジがどう転んでも曲げられるとは思わない。
誰も挑戦すらしないだろし、しても直ぐに無理だと諦める。

スプーンが曲げられる超能力って、それだけのこと。
他の能力があるのか、例えば手をかざすだけで物を動かすとか。
試すにも根気も気力も必要。
義理の母にお願いするわけにもいかないし、
そんな馬鹿げたことする年齢でもない。

今,両親共に介護が必要になり、妻が遠い田舎の山奥まで通っていますが、
ふと、おばあちゃんの超能力ぶりを思い出したりします。
当時結構何度もすると疲れるようで、他にも何か能力があるのか、試しもしなかったけれど、
ふとテレビでマジックなど見ていると思い出したりします。
本当は超能力でしているけれど、
世間が面倒くさいのでマジックのふりをしている人もいるんじゃないかと。
きっと、世間でこんなこと思いながらマジック見ているのは、
僕か僕の家族だけかも知れない。

祖父は祖母に腰の悪い所に手をかざしてもらうと楽になるとか。
遠赤外線のような感じ?それなりに祖母の能力を楽しんでいたようです。

妻が唯一知っている僕の事。司馬遼太郎。

2011-06-22 12:45:58 | 日記
私の留守にパソコンの設定で妻がサポートセンターに電話をしたとき、IDとパスワードを聞き出すヒントに尊敬する人を聞かれた。妻はしばらく考えて『司馬遼太郎」と応えた。オペレーターの女性が「すごいですねー」とかなり驚いたとか。誕生日とかならいざ知らず、配偶者の事を知らないのは普通で、まして尊敬する人など語り合う夫婦がいる筈がない。
妻は坂本龍馬と迷ったらしいが。本人の私自身でさえ数年前に設定した「私の尊敬する人」を正確に応えられたかどうか疑問だ。そう言えば、妻の尊敬する人は誰だろう?

6、7年前だろうか司馬遼太郎を読み始めた。

中学2、3年生の時、犬の散歩をしていて路地に入った所で『司馬遼太郎』と表札の出た少し大きな家に出会った。僕は中学で転校してきたので友達が出来ず、帰って暇に任せてよく新聞を隅々まで読んでいた。政治と経済ページは苦手でその他である。だから目立たないタイプであったがちょっとした事は物知りであった。インド人は白人か黒人か。僕だけ応えられた事があった。連載小説の所も歴史嫌いな私は時代小説なので見もしなかったが「司馬」というのが何故か気になり、名前だけは記憶していたのだ。
あの頃、我が家は産經新聞をとっており、後で知った事だが司馬さんは当時「龍馬がいく」を連載されていた。
55才の時、65才までに2000冊の本を読もうと思い立った。決心して最初に読み始めたのが司馬さんの「菜の花の沖6巻」だった。会社勤めで通勤の往復と夜の寝床の中では、読書時間も少なく始めは頑張ったものの、しばらくして週1冊が限界だった。年間50冊、10年で500冊である。大幅に目標減少である。

学校で歴史が嫌いで時代小説にも興味がなかった私が司馬さんの本に夢中になった。菜の花の沖に続いて、竜馬が行く8巻、関ヶ原2巻、坂の上の雲8巻、風神の門2巻、空海の風景2巻、花神3巻、最後の将軍,最後の伊賀者、梟の森、城をとるはなし、覇王の家、余話として、国盗り物語4巻、酔って候、峠、世に棲む日日、胡蝶の夢4巻、北斗の人、俄2巻、播磨灘物語4巻、馬上少年過ぐ、翔ぶが如く10巻、尻くらえ孫市……。司馬さんの本は長編が多くそして面白い。歴史が好きになった。色々歴史の事を知りたくなり、街も訪ねるようになった。
学校の先生になった同級生の友人に、僕は数学が得意で歴史、国語が嫌いでだめだったけれど、もし出会った中学生のときに司馬さんの本を読んでいたら、歴史が好きになって、もっと成績もよく、もっといい学校に入れたかも知れなかった。と言ったら、同僚の先生で司馬さんの本を読んで歴史が好きになり教師になった人が何人かいると言っていた。

出会いは大事にするべきだった。

その頃、尊敬するのは限りなく司馬遼太郎だけだったのだろう。妻にも印象深かったのかも知れない。
公にしてしまったので、このキーワードはもう使えなくなった。今、尊敬するのは……ナイショ。

安く買った事を自慢する大阪人。安い事は良い事じゃない。

2011-06-20 00:22:54 | 桃旗、こんな社会へ言いたい!
いつごろからか当たり前のように安い店ができるようになった。
その典型が100円ショップ。100円寿司。
世の中誰も何も言わないけど、安いことっていいことですか?そういう僕もある時期から収入も少なく安い店はありがたいけれども。拘泥する気持ちが強く内心安い事は良くないと強く思っている。
例えば利益が25%として、1000円もうけるのに100円のものだと40個売る必要があり、1000円のものだと4個売れば良い。
つまり売る側からすれば、単純な計算だけでいえば給料を得るために、10倍売らねばならず、10倍働かねばならない。沢山作りコストダウンされている訳だから、生産者も10倍作り、10倍働く事になる。もちろん倍々の単純計算ではないけれども、安くする事は弊害も多い。
まず人間の意識である。スーパーで今日は安売りだからと買い過ぎ、必要ないものまで買い、安いが故に日持ちしないので食べ残したものは捨ててしまう。安かったからいいやという食物を破棄した反省はない。店側は他店より安く売るためより安く仕入れるためにに八方つくして、地球の僻地にまで仕入れに向かう。その地では食べる習慣が無いから安く仕入れることができても同じ地球の器の中である。食物を飽食の果てに無駄にしていいはずはない。限りある資源のエネルギーを使って地球の裏まで行く必要があるのか。そのためにはエネルギーも安く売買されているという事である。
そう言う事は食物に限らない、安く作ったが故に壊れやすく、安っぽい出来に愛着もなく消費されて行く。修理してでも大切に使って行くものに対する執着も愛情もない。それは作る側にあっても安物を作って、職人としての喜びもこだわりも工夫も生まれない。作っている誇りもない、働く喜びも生まれない。100円の網かごは数回使うと壊れてしまう、安いからと気にもならず新しい物は気持ちがいいと消費を繰り返す。しっかりと昔ながらに作られたものは一生使える事もある。豊富にある金属だって無駄に使うべきではない。
労働時間少なく高価値商品を作って高く売り、高い利益を得て余暇をしっかり楽しむ。消費者の立場に変われば、本当に愛着のわくものを金額が高くても買って大切に使う。
すべてが少なくすればCO2の発生も少なく、資源の使用も少なくてすむ、心も体も健康になるだろう。

収入が多くなっても商品が高ければ生活の苦しさは同じだ。みんなが裕福にはなれない。しかし、ものを大切にする心や、時間の余裕が出きる事は間違いがない。

日本は薄利多売で人よりも抜き出て成功を得ようとした。そんな人や企業の欲が人の本当の「しあわせ」を飽食や物量の満足にすり替え、本当のしあわせの心に「しわよせ」している。
今、アジア(中韓)が同じ事をしようとする。日本は抜け出して暮らし良い国になって欲しい。

橋下知事、早く関空なんとかしようよ。

2011-06-18 15:20:51 | 大阪を橋下氏を応援する
ひと月位前に、ANA系格安航空が関空に本社移転というニュースを見た。
最近本社が関西に来るなんて珍しいし,香港投資会社が出資しているので香港に持って行かれず喜ばしいことだ。
どうして24時間のハブ空港を目指す関空が低迷しているのか不思議でしょうがない。大阪都心から遠いというのが主な理由だがハブ空港って近いことが一番の問題だろうか?もちろん近いにこしたことはない。バスで40分、本気で専用レーンだとか優先道路など整備すればもっと早くなるだろう。都心を南に設定すれば20分台でも可能ではないか。JRと私鉄が平行して走っている。どちらかを専用線として、空港優先ダイヤを組めば良い。もっとスピードアップをはかれるはずだ。リニアなどいつになるか解らない構想は別にしてとりあえず十分じゃないか。
むしろ大切なのはハブ空港化。ハブの意味が分かっているのだろうか。航空網の中継的な役割の空港なんだから、国内線航空網をつかむことが一番大事。国内線が集まる空港であれば国際線はその需要で自然と集まる。伊丹を存続させる意味が分からない。国内線が分散されてお互いマイナスである。
むしろ韓国に日本の国内線網をつかまれてハブ空港化されている。政府がもっと働きかけて日本の空港を保護するべきだ。こんな国益を損なうものはないだろう。空港の活性化による経済への波及は計り知れないものがある。

着陸料も大きく安くするべきです。減価償却費から割り出して、固い頭の人間が考えるからこんなことしか出来ない。韓国、台湾と比べてこの高さでは来ないのが当たり前でしょう。これこそ関西的商売が出来ないのでしょうか。2割3割当たり前、どんと半額割引でお客さんを呼んで次の商売につなげる。台湾、韓国に近い料金にして、次回ご利用の半額券を出せばいいじゃないですか。安くなるから人が集まる、人が集まるから経済が活性する、活性するからさらにサービスできる。近畿圏は商売上手な土地柄ではないですか。やりましょう。
高い料金に確執して結局赤字、人も空港も活性化しない。ただでもいい人を呼び込めば経済は動く、企業も集まる。どうしてこんな単純なことが発想できないのか。なんのための24時間空港か。

空港が活性化すれば周辺のりんくうタウンにも企業が集まる、ここが都心化してしまえば日本で一番都心に近い国際空港になるではないか。


広島、長崎、増えて欲しくない修学旅行先。

2011-06-17 14:00:04 | 広島・長崎
2年程前、広島平和記念資料館と原爆ドームを見に行った。
僕は広島の瀬戸内海の小島で生まれ、
生まれてすぐ、0歳の時に両親共に大阪に出てきた。

広島の・瀬戸内の故郷には小学生高学年まで、
兄弟で夏休みに祖父母と親戚を訪ねよく行った事を思い出す。
一番古い記憶では、私がまだ小学生にあがっていない頃だと思う。
兄3人に連れられて行った記憶がある。
私は男子だけの5人兄弟、4番目だ。
この頃は5男の弟はまだ生まれておらず兄弟4人で行っている。

山陽線は当時まだ蒸気機関車だった。
トンネルに入ると慌てて窓を閉めないと、
社内に蒸気機関車の煙が立ちこめて大変だ。顔も真っ黒になる。
外を見るのが好きでよく閉め遅れ、大人に怒られた記憶がある。

8時間程かかったと思うが、
今思うと一番上の兄が中学生になったばかりの年齢だったと思う。
当時子どもだけで、この長い行程よく行ったものである。

子供の偏見で、原爆都市広島が嫌で、
大人になってからも広島市内には行った事がなかった。

60才前になってやっと、この当時のことが知りたくなり、
東京の靖国神社に行った。さらに広島にも行ってみたいと思うようになった。

母がよく戦時中に勤労奉仕で「宇品」の軍需工場に行っていたと話していた。
そのとき原爆の光るのを見たと言っていた。

地図で宇品を調べると、広島市の南側3kmほどの海に近いあたりの地名だった。
放射能の被害は個人差があり、近くても生存してる人もいれば、
遠くても後遺症に苦しんでいる人もいる。
母が癌で60代で亡くなったのは原爆の影響ではないかと思っている。

そんな思いもあったが、
原爆記念館では、引き込まれ、永い時間をかけて熱心に見て回った。
欧米人も沢山いて、彼らがそれらを見てどんな反応をするのか、
つい興味を持って観察してしまったりした。
自身は展示に感情移入してしまい、長い集中に気がついたら頭が痛くなった。

次の年、長崎にも行ってみた。
長崎の平和公園には学生のとき修学旅行で行った。
平和祈念像の前で撮った写真があるが、
長崎原爆資料館にも入っただろうに記憶はない。
年齢的にも興味も薄く、悲惨なものだし見たくなかったんだろう。

今回の訪問時、大阪伊丹空港では大阪のお嬢さん学校の生徒と同じだった。
いまも変わらず、彼女たちの修学旅行先は同じかとちょっと同情していた。
学生が多いと騒がし芋のだが、普通の学校に比べたら、
さすがお嬢さん学校成績も良い学校らしく、少し静かだ。

僕と時間も似たコースを巡るのだろうと思っていたら、
原爆資料館で一緒になった。
この年齢では興味を持ってそうな子はごく少数で、
学生当時の僕の記憶にほぼ残っていないと同じ様に
何年かすればこの資料館行った事も忘れてるだろうなんて思ったりした。

実際、展示物の前で「こわい~。う~最悪。ここパス。」とか色々聞こえてくる。
ほとんど足早に素通りで、見る所がないのでうろうろするばかり。
僕だってこの歳まで見る気にならなかったんだから、しょうがないよね。
もっと、自分たちが本当に見たい、思い出に残る所に行ければ良いのに。

そんな時に、
欧米の生徒の一団が入ってくる。
欧米では珍しく制服姿なのでかなり良い学校なんだろう。
みんな白人の美形で、イギリス系のような気がする。賢そうだ。

教師らしい人々と小さなグループに分かれ、
熱心に展示物の前で話しながら時間をかけて見ている。

面白いのは、
大阪の女の子達が急におとなしくなって、この生徒達に混じって熱心に見て回り出した。
微笑ましくて笑ってしまった。
僕だってこの立場なら、こんなかっこいい、
金髪やら、まつげの長い蒼目の男の子を見たら同じ気持ちだ。

昔,鳥取への車中で、地元の田舎のわんぱくな小学低学年の男の子が、
親も注意することもなく、わがままいっぱいに電車内で騒いでいた。
次の停車駅で、この田舎に場違いのような、同じ年頃の外国の女の子が乗ってきた。
金髪で、青い目のお人形さんのような女の子が、向かいに座ったとたん
ただただ、ぼーっと見ていたが、その後恥ずかしそうに、時折前を向く以外
下を向いておとなしく座っていた。その時も微笑ましくって笑ってしまった。
一瞬の初恋、そんな事を思い出した。

みんな、がんばって話しかけて、メルアド交換したら。
そしたらすごい思い出の修学旅行になる。
資料館だって楽しかった場所になるぞ!
う~ん無理かな、そばについて小さなアピールしてる子もいるけど、無理みたいやな。

そんな、歴史の場所が世界中でまた日本にできる。
「FUKUSHIMA」。
こんな修学旅行先はできて欲しくないもんだ。

ソフトバンクのお父さん犬も樋口可南子が嫁さんで幸せなんやろな。

2011-06-15 15:11:18 | 有名人ネタ
年齢とともに嗜好が変わりますよね。
今は子どもも好きな手軽なお寿司があるから違うかもしれませんが、僕の小さな頃は肉が好きで、魚の嫌いな子どもって多かった。椎茸も、ピーマンも、そして野菜が嫌いな子どもが多かった。でも年とともに逆にそう言う物が好きになってくる。
NHKもそう。両親がNHKを見てるのを何がそんな物面白いの?とチャンネル権を奪ったものです。今は何かとNHKを見る。朝の連続ドラマもついつい欠かさず見てしまいます。

今やっている「おひさま」。陽子が嫁いだ蕎麦屋の丸庵。ここの夫婦がとっても良い。まあ、僕は男性だから旦那さんの良い所は僕には持っていないことなので、ずいぶん勝手な言い分になってしまうが。こんな奥さんが良いな。仲が良くて、べたべたするんじゃないけど、やたら旦那をいじる。これも一種のべたべたしている夫婦の姿かも知れないが、夫婦の男と女の性を感じるべたべたではない。でも、俺は愛されてるんだなぁ、と旦那が幸せを感じられる奥さんの姿だ。ああでもやっぱり、いじったり、ちょっかいをかけたりする奥さんは旦那に惚れられてるという、可愛いうぬぼれから小さな小悪魔的な色気をだしてるかな。
実は結婚して3年ぐらいした頃、夫婦で映画を見に行ったことがあり、どんな映画か中身もタイトルも何もかも忘れたけれど、映画の中の夫婦が同じような感じで僕は黙ってみていたけれど。見終わった後、映画館を出ているときに奥さんが「パパはあんな奥さんが理想やろ。」と言ったのを覚えている。
結婚をして、3年もすれば相手に合わすこともなく、我を通し始めて随分衝突し始めた頃だったので、奥さんは日頃の僕の言動から感じ取ってつぶやいたんだと思う。僕は声には出さなかったけれど、「どうして解っているのに好きな旦那の思うような奥さんになれないんや?」とつぶやいていた。

「おひさま」を一緒に見ていた娘が「この旦那さんええな」旦那の額にかかった雨漏りの水に騒いで笑う、寝間着の袖で奥さんが拭くのを見て「この夫婦、仲ええな」とつぶやいた。僕は心の中で「こんな旦那さんもらいや」と言っていた。
そうだよな、奥さんだけの問題ではなく、旦那の問題やな。いまさらおそいわな。

ブログってすごい。石巻市の藤田利彦さん_2

2011-06-13 14:47:23 | 石巻市の藤田利彦さん
3月の東日本震災の後、あまりに政府の不甲斐なさに、ついつい不満が鬱積して思いを言いたくてたまらずブログを初めた。
いち個人が社会に向かって物がを言えるインターネットのすごさだ。もしかしたら誰かが聞いてくれるかも知れない。同じ考えの人が大きな波になって社会に訴えられたら。
正直、自分が先頭に立って、身を粉にして社会の役に立とうとすると言うのではなく、あわよくば自分の言葉で社会に役に立てば。そんな虫のいい、気ままな発信しかできていなかった。見る人はそんなことお見通しでコメント一つこない。一方通行でも日記なんだから、日頃の不満も何もかも言えば気持ちもすっきりする。そんな、軽い気持ちで言いたいことを書き綴っていた。
そんな中で石巻市の藤田さんの窮状を知る。僕にはない、こんな向上心を持った人をなんとかしてあげたい。思わず3月31日この人に向いてメッセージを入れた。これなら僕にも支援できると。ひと月以上経ち、この沢山のブログの中で相手に伝わるはずもないといつものように気にもしなくなった。
そして、藤田さんからのコメントが入っているのを、ひと月以上経った昨日知ることになった。想像以上に大変な状況の中で、僕への連絡を取っていてくれた。むしろブログをしたことで藤田さんに期待を持たせ、失望させてしまったかも知れない。被災した人を傷つけ、大変なことをしたのかも知れないと、落ち込んでしまった。ただ藤春さんという方がこのブログを通して藤田さんにメッセージを送っておられ、実際に支援の行動をされたことがほんとに救いです。こんな形で相手に伝わること初めて知った。ブログの機能が僕にはよくわかっていなかった。

ほんとに社会とつながっているこのすごさに、自分の発言の責任の重さを痛感することとなりました。藤春さんありがとうございます。藤田さんすみませんでした。是非状況が良くなってお医者さんになって欲しいです。小さなことで恥ずかしいですが、参考書なり何か役に立つ物があれば言ってください。もちろん、あなたが気を使うことのない僕の身の丈にあった援助しかできません。とりあえず言っていただいたらうれしいです。

がんばれ、ガンバの宇佐美貴史クン。

2011-06-12 15:28:29 | ガンバ大阪・日本代表、がんばれ!
ガンバの至宝、宇佐見クンがドイツのビッグクラブ「バイエルン」に移籍がほぼ決まったようだ。18才で世界でも指折りのクラブに。そして数日後には、「なんで?」U-22代表から落選してしまった。天国と地獄だ。
中学1年で3年生に、3年生で高校生に。17才でトップチームに。常にガンバのジュニアでは飛び級で天才少年扱いされてきた。全国区で都市伝説さながらにガンバジュニアにはすごい選手がいるらしいと噂される。ガンバファンの僕としてはうれしい反面、こんなに早く天才扱いされてちやほやされると、つぶされるのではないかと心配だった。
ガンバ大阪にはユース出身の選手が他のクラブと比較すると非常に多い。それだけ指導育成が優秀でJリーグのクラブでも抜きんでている。ガンバユース出身には日本代表選手だけでも宮本、稲本、新井場、二川、橋本、大黒、安田、家長、本田(ジュニア)など蒼々たるメンバーである。その中心コーチだった上野山コーチは後にJリーグの技術指導者として中央に引っ張られる。
そんな歴史の中で「ガンバの至宝」と言われ若くしてトップチームに上がり、人材の豊富なガンバですでにレギュラーに定着している。年齢的に見ても天狗になる要素充分である。取材で天才と言われることに「天才なんていないですよ。そう言われて勘違いしている選手は消えていってると思うし。サッカーって、ほんま努力したやつが勝っていく世界。努力して、うまくなった結果で天才って呼ばれるんやと思う。だから、天才と呼ばれることは自分が努力してきたことの結果なんで、うれしいっちゃうれしい ですけどね。」
18才でこう言える選手、すごくない?
「小さい頃から飛び級ばかりしてきたからじゃないですかね。そこで考えるクセがついた。小1で小4のチームに放り込まれたり、中1で中3に交じったり。当然、相手のほうが大きくて速い。そのなかでどうやったら活躍できるかを考え続けてきたから。今でも常にサッカーのことは考えています。日々の練習も振り返る。悪いプレーの反省はもちろん、よかったプレーも『なぜ、できたのか』を考える。まあ、もともと考えるのが好きなんでしょうね。だから、自然に自分の中で膨らんでいったというところですね。」

中田、本田に共通する生意気さに、奢りを越えて自分自身を鼓舞する反発心と
常に前向きで目標を定め、実現させるんだという心意気を感じる。

U-22の代表監督がチームと融合しないと言う理由でメンバーから外した。チームプレーが日本の強さの源と言うことでわからなくもないが、A代表で世界との限界が知れた今、アジアだけならいざ知らず、「個」の力の融合でチームを作る時期なんではないか。思い切った代表の方向をCHANGEする姿勢が必要な気がするが。宇佐見クンに世界と真剣勝負が出来る、経験と成長のチャンスがなくなったのは残念だ。
こうなれば、ガンバのジュニアユースで上のクラスにあがれず星陵高校に移ったかっての本田選手が、その悔しさをバネに日本のトップ選手になったように、宇佐見クンにこの悔しさを大きな飛躍の第一歩にしてほしい。がんばれ、宇佐見!

1日1日がカウントダウン。

2011-06-03 11:00:17 | 日記
ちょっと、ブログを怠けてしまいました。というか、書いていたのだけれども、紙のイメージで言うとこんなのだめだと丸めてポイ、丸めた紙くずの山。何度か書くけどうまくまとまらない。それで違う問題で書いてみる。まただめ、自分の考えがしっかりしない。
そんな繰り返しでこんなに日が経ってしまった。
書くというのは大変なことなんだ。普段からいろんな物,問題にしっかり向き合っていないと考えも浮かばない。ただ、何も考えず惰性で行きていると人生面白くも何ともないと言うこと。
よく報道カメラマンが、一流になればそう言う事件の現場に出くわすという。偶然だけでは、同じ人が特ダネをとらえられるはずがない。それで飯を食っている訳だから、一生に一度の大スクープ以外はそれなりの出来事や事件をとらえねばならない。
私はプロの物書きでもなんでもないけど、日記にしろ意見にしろ、書くということ、書けるということは自分にとって充実した1日を送った結果だと思う。そんな意味でも物を書ける意識で常に世の中の物を見、感じ、行動したい。もう初老と言ってもおかしくない年だから1日1日を大切なカウントダウンとしたい。