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乃木希典大将は祖父にとっての僕の龍馬なのかも知れない。

2012-02-16 18:54:39 | 自分が思う事、言いたい事!
毎日新聞の2月8日の記事に
日露戦争で中国・旅順攻略にあたった陸軍大将、乃木希典の直筆の手紙が見つかったとあった。日清・日露戦争で多くの兵を死なせたことに対する自責の念や、乃木家を一代で断絶させる覚悟などがつづられていたという。
手紙は1910年、陸軍で親交のあった佐藤正(修道学園・広島市の設立者)宛で、戦争で多くの部下を失ったことについて「申訳ナク」などと、天皇陛下や遺族に対する思いが書かれている。一方で、日露戦争で2人の息子が戦死したことに触れ、愚かな父の面目を保ってくれた、などとする複雑な心情も吐露されたものであるとか。

この乃木希典さん、私が子どもだった年代ではかなり賞賛され、よくわからないなりにも大人からのの刷り込みであろう、子どもの中には尊敬する人までいた。私は立派な軍人さんで天皇陛下の後を追って殉死したというぐらいしかしらなかったが。
僕の記憶の中では、僕の好きだった船大工をしていた広島の父方の祖父が大阪に来たおり、京都の乃木希典の墓に一人でお参りしてきたと言っていたのが、小さい頃すごい印象として残っている。広島の田舎に住んでいる祖父がどうして京都の乃木希典の墓のあるところを知っているんだろうと。何度も祖父に質問したものだ。『人間、口があればどこでも行ける。他人に聞けば良いんじゃ」。
この祖父は大阪に来ると、良くあちらこちらに出かけていた。僕の「出かけたがり」はこの祖父の影響だ。頭の髪まで影響されてしまったが(笑)。

一時、司馬遼太郎に傾倒して読みまくった時、乃木希典を無能・愚将であると批判する司馬さんの小説に何も知らなかった私は驚いたものだ。司馬さんの小説を読むと乃木希典に対する怒りすら覚える。1兵士の命をなんと思っているのか。彼にも家族があり恋人も友人も夢もあり、ひとりひとりそんな重たい人生をもった何十万の兵士を虫けらのように無駄に死なせた愚将。どうしてこんな人間が賞賛され、祖父が墓参りまで行ったのか。天皇を初めとする国に洗脳されているとしかおもえないと思った。

司馬さんの熱が冷めた頃、wikipediaで調べてみた。こんなにも◯◯な(数奇な運命の逆って何というのだろう、幸運な運命?)人物とは思いもしなかった。



この人はさまざまなタイミングと幸運で上級軍人に上り詰めた人だ。軍人に合わない性格のようでありながら、時代時代に上から重宝され、幸運なタイミングに合いながら軍人として出世したようだ。天皇を神格化した、山縣有朋(私は帝国国家の元凶と思っている)の下にいたことが天皇について殉死することになったんではないか。
数々の無能ぶりと愚将に世間から石を投げられたり、避難されながらも、立場が逆転して賞賛されるなど本当に面白い運命の人物である。かっては志賀直哉や芥川龍之介などが非難し、夏目漱石や森鴎外が擁護し、最近でも司馬遼太郎や福岡徹が非難するも他の作家が擁護している。
学習院院長となってもその指導に賛否があり、面白いのは戦争責任にしろ、この学習院の指導にしろ本人が独裁的ではなく耳を傾けているところが、擁護される人間性なのかも知れない。
いずれにしても、彼の権力によって北朝鮮や中国のように隠されることなく、非難されることが表に出る事実が以外でもある。

歴史的に見れば明らかに無能で愚将の長。「乃木の豪遊」等と言われるまで花街で浪費し、その後ドイツに留学したのに関わらずの愚将ぶり、どれほどの国費を彼が浪費し、兵隊を死に至らしめたか、あきれるばかりである。にもかかわらず彼の幸運は、日清、日露の勝利。明治の天皇制の強化が彼を非難から守ったとしか思えない。そして我感じずの独裁的な正確ではなく、自責の念を持ち続けながらも実子の名誉の死というさらなる幸運(不謹慎ながら)が彼を救った。

海外の評価、賞賛、叙勲など私から見ればアホらしいばかりである。「水師営の会見」など軍人として自信の無い人間が降伏した相手にみせた気の弱さ(優しさ)の結果でしかないと思う。我が子を戦地で無駄死にさせられた家族から見ればこの戦争は何だったんだと思うだろう。
実態を知らない、外国目線で見れば勇猛な将軍で敗戦の将にも名誉を重んじたということで、世界中から賞賛をうけることとなる。こうなれば誰も文句を言える人間はいないだろう。
昭和になり敗戦国となった日本は、その時代にない連戦連勝の明治の偉大な軍人として、敗戦の沈んだ国のよりどころにし崇めたのであろう。

wikipediaの記事を読むと自責の念を持ち続けながらも、周りに持ち上げながら生きてしまったと思う乃木大将の心情を少し思いやってしまう気持ちが生まれた。
日本中に乃木神社があり、東京には坂にまで名がついている。
なにより、自刃して亡くなった迫力は、まぎれも無い明治の軍人であることは間違いない。
62歳没。その歳、今の私と同じ年齢である。

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