今の社会の日本の若者ってえらいなと思います。もちろんそうでもない人もいますが。
いつの時代もおじさん達の口癖は「今の若いヤツは…」そこに続くのは否定的なものですね。
そう、僕もおそらく50代前まではそんな言葉を吐くおじさんになりつつありました。でもこれだけ社会が変わってきて、日本人が経験した事のない事態が社会におこり、ここから未来を迎える若者達。今の時代、僕がこの人達の若さで生きていれば、こんなに平静な気持ちで生きていられるだろうか。将来に目的が希望があるから頑張れたんだから。
20代の頃、どんな仕事が自分に合っているか解らず,決められず、将来に不安だった。もっと勉強していれば選択肢も多かったかも知れないと思ったり。普通のサラリーマンは嫌だった。会社で何の仕事に就かされるか解らず、上司の指示で動いていく。それに比べ特定の職業であれば、どんな仕事をするのか解るし、それが出来るように努力すれば良い。自分の好きな仕事をとりあえず選べる。使ってもらえるかどうかは別にして。
だけどそれが何か解らなかった。知らない職業も沢山あり、情報も少なく、知っている職業の中でさえ方法すら解らなかった。K大に入学金を決めた頃、グラフィックデザインという分野を知りこれなら仕事として頑張れる、既に入学までして今更親にも言えない。(恐かった親にたてついてまで決断できたのは、学生の頃、テレビで好きだったディズニー劇場で、ウォルトディズニーが亡くなった時、番組の最後に。彼が若者に向けた言葉として「若者よ、自分の一番好きな職業に就きなさい」と字幕が流れた、それをずっと心の中で持ち続けていた事だと思う)自分でアルバイトして貯めていた貯金をはたきデザインの学校に入学した。入学が遅れたせいもあり学校は無名の小さな学校だった。課題をこなすうちにこれは僕に会っているのではないかと思ったけれども、当時にすれば遊びのような、こんなカリキュラムをこなして本当にどこかの会社なり職業としてつけるものだろうか。だいいち親戚にも知り合いにもこんな仕事に着いている人など見た事もない。不安でたまらなかった。ひどくナーバスな気持ちに落ち込んだ時など学校の屋上から飛び降りようかと思った程不安定になった時もあった。
だけどそれは僕個人の心の中でのことで、日本の社会は右肩上がりで、まじめに働けば収入が得られ、頑張れば誰でもプラスになって行く世の中。街中では常に喧嘩があったり、まだ社会的にも未熟な日本だったけれどそれを正していく大人が世の中には沢山いた。何か前進する自信みたいなものが人々の心の底に無意識にあったように思う。
だから勤める事が出来た後は20代の僕にも根底には社会の安定があり、より良い職場を求めて失業しようとも不安はなかった。
今の時代はどうだろう。
努力して成績を残しても就職さえ険しい。政治家は未熟で無責任、言った言葉に全く責任も行動も伴わない。政治家も芸能人も自分の子に才能があろうが無かろうが、自分の威光を使って政界に芸能界に放り込む。企業は不況だとリストラで社員を減らし、経営者が私腹を肥やし、残った社員はリストラを恐れ過重労働を強いられる。お金があっても給食費を払わない親。国の金を運用して大損をしても自分の金ではないので何とも思わないエリート。低収入から来る家庭崩壊、犯罪の多発、過激化。将来年金さえもらえないかも知れない状況。国家としての多額な債務。
難しい事を理解できない小学校の子どもさえ、そんな日本社会の荒廃を感じ取りながら育っている筈だ。
今のこんな状態の日本の将来を、我がままで無責任な大人の姿を見せつけられて、生きている若者。
50過ぎたおっさん達。もう先無いから粛々と自分さえよければと生きてんのか。僕の会社にも役職の値打ちもないオヤジが、お前は何をしてきたと言いたくなる勝手な意見を若者に吐いている。立派な人はどこかに追いやられてしまっている。
居酒屋で働いている若者。今風の若者の態度に酔って切れたりする中年。会社の延長で若い者に横柄に注文するオヤジ。こんな世の中にしたオヤジがいつまで威張っているのか。そんな中を接客マニアル通りに茶髪のピアスだらけの若者が接している。
僕だけかな、そんな今を生きる若者がいじらしく見えてしょうがない。
将来に目的が希望があるから頑張れる。そんな日本を取り戻せないのか。
いつの時代もおじさん達の口癖は「今の若いヤツは…」そこに続くのは否定的なものですね。
そう、僕もおそらく50代前まではそんな言葉を吐くおじさんになりつつありました。でもこれだけ社会が変わってきて、日本人が経験した事のない事態が社会におこり、ここから未来を迎える若者達。今の時代、僕がこの人達の若さで生きていれば、こんなに平静な気持ちで生きていられるだろうか。将来に目的が希望があるから頑張れたんだから。
20代の頃、どんな仕事が自分に合っているか解らず,決められず、将来に不安だった。もっと勉強していれば選択肢も多かったかも知れないと思ったり。普通のサラリーマンは嫌だった。会社で何の仕事に就かされるか解らず、上司の指示で動いていく。それに比べ特定の職業であれば、どんな仕事をするのか解るし、それが出来るように努力すれば良い。自分の好きな仕事をとりあえず選べる。使ってもらえるかどうかは別にして。
だけどそれが何か解らなかった。知らない職業も沢山あり、情報も少なく、知っている職業の中でさえ方法すら解らなかった。K大に入学金を決めた頃、グラフィックデザインという分野を知りこれなら仕事として頑張れる、既に入学までして今更親にも言えない。(恐かった親にたてついてまで決断できたのは、学生の頃、テレビで好きだったディズニー劇場で、ウォルトディズニーが亡くなった時、番組の最後に。彼が若者に向けた言葉として「若者よ、自分の一番好きな職業に就きなさい」と字幕が流れた、それをずっと心の中で持ち続けていた事だと思う)自分でアルバイトして貯めていた貯金をはたきデザインの学校に入学した。入学が遅れたせいもあり学校は無名の小さな学校だった。課題をこなすうちにこれは僕に会っているのではないかと思ったけれども、当時にすれば遊びのような、こんなカリキュラムをこなして本当にどこかの会社なり職業としてつけるものだろうか。だいいち親戚にも知り合いにもこんな仕事に着いている人など見た事もない。不安でたまらなかった。ひどくナーバスな気持ちに落ち込んだ時など学校の屋上から飛び降りようかと思った程不安定になった時もあった。
だけどそれは僕個人の心の中でのことで、日本の社会は右肩上がりで、まじめに働けば収入が得られ、頑張れば誰でもプラスになって行く世の中。街中では常に喧嘩があったり、まだ社会的にも未熟な日本だったけれどそれを正していく大人が世の中には沢山いた。何か前進する自信みたいなものが人々の心の底に無意識にあったように思う。
だから勤める事が出来た後は20代の僕にも根底には社会の安定があり、より良い職場を求めて失業しようとも不安はなかった。
今の時代はどうだろう。
努力して成績を残しても就職さえ険しい。政治家は未熟で無責任、言った言葉に全く責任も行動も伴わない。政治家も芸能人も自分の子に才能があろうが無かろうが、自分の威光を使って政界に芸能界に放り込む。企業は不況だとリストラで社員を減らし、経営者が私腹を肥やし、残った社員はリストラを恐れ過重労働を強いられる。お金があっても給食費を払わない親。国の金を運用して大損をしても自分の金ではないので何とも思わないエリート。低収入から来る家庭崩壊、犯罪の多発、過激化。将来年金さえもらえないかも知れない状況。国家としての多額な債務。
難しい事を理解できない小学校の子どもさえ、そんな日本社会の荒廃を感じ取りながら育っている筈だ。
今のこんな状態の日本の将来を、我がままで無責任な大人の姿を見せつけられて、生きている若者。
50過ぎたおっさん達。もう先無いから粛々と自分さえよければと生きてんのか。僕の会社にも役職の値打ちもないオヤジが、お前は何をしてきたと言いたくなる勝手な意見を若者に吐いている。立派な人はどこかに追いやられてしまっている。
居酒屋で働いている若者。今風の若者の態度に酔って切れたりする中年。会社の延長で若い者に横柄に注文するオヤジ。こんな世の中にしたオヤジがいつまで威張っているのか。そんな中を接客マニアル通りに茶髪のピアスだらけの若者が接している。
僕だけかな、そんな今を生きる若者がいじらしく見えてしょうがない。
将来に目的が希望があるから頑張れる。そんな日本を取り戻せないのか。