2004年にフィンランド教育省が発表した「フィンランドがPISA(OECDの実施した学習到達度国際調査)で成功した背景」には,次の11項目が挙げられています。
①家庭,性,経済状態,母語に関係なく,教育への機会が平等であること。
②どの地域でも教育へのアクセスが可能であること。
③性による分離を否定していること。
④全ての教育を無償にしていること。
⑤総合制で,選別をしない基礎教育。
⑥全体は中央で調整されるが実行は地域でなされるというように,教育行政が支援の立場に立ち,柔軟であること。
⑦全ての教育段階で互いに影響し合い協同する活動を行うこと。仲間意識という考え。
⑧生徒の学習と福祉に対し個人に合った支援をすること。
⑨テストと序列付けをなくし,発達の視点に立った生徒評価をすること。
⑩高い専門性をもち,自分の考えで行動する教師。
⑪社会構成主義的な学習概念(socio-constructivist learning conception)。
(翻訳:福田誠治『競争しなくても世界一―フィンランドの教育―』アドバンテージサーバー,2005年より)
1年前にフィンランドの教員養成事情を調査したときに,ユバスキュラ大でもヘルシンキ大でもヘルシンキ芸術工芸大でも,教員養成を担当する教授らが誇りに満ちた表情で最も強調したのは「平等」と「非選別」でした。今日はこの「平等」について書きます。
さて我が国では,子どもたちに平等が保障されているでしょうか。答えは誰の目にも明らか,Noです。子どもたちは,生まれたときから親の経済状態や住む地域によって,結果としての差別を受けているのです。
例えば,東京大学の学生の保護者の多くの世帯収入は年間1000万を超えるなどは有名な話です。また,苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』(中公新書)では,東大生の保護者の職業は医者,弁護士,大学教授などの専門職や,大企業・官公庁の管理職,中小企業の経営者などであると指摘されています。
最近必修教科未履修問題が起こった高等学校の所在地域の多くは,いわゆる「地方」でした。この問題の背景には,地方であるがために大きな予備校がなく,地元の高等学校しか生徒の受験学力を保障する場がないことがあったという意見もあります。つまり,子どもたちの進学保障のために必修教科の未履修という対応をせざるを得なかった(言い方を換えれば,都会の子どもが教育環境として優遇されている)というのです。事の善し悪しは別ですが,我が国の教育に地域による差別があることが大きな原因になっている可能性があります。
スタート地点が同じでないこんな競争を,我が国が子どもたちに強いているとしたら,こんな国に誇りが持てるでしょうか。本当に国を愛する心が芽生えるでしょうか。
我が国の教育から差別をなくし平等が保障されれば,子どもたちは自己実現と幸福を手に入れることができるでしょう。その結果,学習到達度も産業競争力も,フィンランドが手に入れたように間違いなく世界一になる,私はそんなふうに思っています(学力や産業競争力が一番になることが唯一絶対の価値っていうんじゃ,ないですよ)。
①家庭,性,経済状態,母語に関係なく,教育への機会が平等であること。
②どの地域でも教育へのアクセスが可能であること。
③性による分離を否定していること。
④全ての教育を無償にしていること。
⑤総合制で,選別をしない基礎教育。
⑥全体は中央で調整されるが実行は地域でなされるというように,教育行政が支援の立場に立ち,柔軟であること。
⑦全ての教育段階で互いに影響し合い協同する活動を行うこと。仲間意識という考え。
⑧生徒の学習と福祉に対し個人に合った支援をすること。
⑨テストと序列付けをなくし,発達の視点に立った生徒評価をすること。
⑩高い専門性をもち,自分の考えで行動する教師。
⑪社会構成主義的な学習概念(socio-constructivist learning conception)。
(翻訳:福田誠治『競争しなくても世界一―フィンランドの教育―』アドバンテージサーバー,2005年より)
1年前にフィンランドの教員養成事情を調査したときに,ユバスキュラ大でもヘルシンキ大でもヘルシンキ芸術工芸大でも,教員養成を担当する教授らが誇りに満ちた表情で最も強調したのは「平等」と「非選別」でした。今日はこの「平等」について書きます。
さて我が国では,子どもたちに平等が保障されているでしょうか。答えは誰の目にも明らか,Noです。子どもたちは,生まれたときから親の経済状態や住む地域によって,結果としての差別を受けているのです。
例えば,東京大学の学生の保護者の多くの世帯収入は年間1000万を超えるなどは有名な話です。また,苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』(中公新書)では,東大生の保護者の職業は医者,弁護士,大学教授などの専門職や,大企業・官公庁の管理職,中小企業の経営者などであると指摘されています。
最近必修教科未履修問題が起こった高等学校の所在地域の多くは,いわゆる「地方」でした。この問題の背景には,地方であるがために大きな予備校がなく,地元の高等学校しか生徒の受験学力を保障する場がないことがあったという意見もあります。つまり,子どもたちの進学保障のために必修教科の未履修という対応をせざるを得なかった(言い方を換えれば,都会の子どもが教育環境として優遇されている)というのです。事の善し悪しは別ですが,我が国の教育に地域による差別があることが大きな原因になっている可能性があります。
スタート地点が同じでないこんな競争を,我が国が子どもたちに強いているとしたら,こんな国に誇りが持てるでしょうか。本当に国を愛する心が芽生えるでしょうか。
我が国の教育から差別をなくし平等が保障されれば,子どもたちは自己実現と幸福を手に入れることができるでしょう。その結果,学習到達度も産業競争力も,フィンランドが手に入れたように間違いなく世界一になる,私はそんなふうに思っています(学力や産業競争力が一番になることが唯一絶対の価値っていうんじゃ,ないですよ)。