京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
夜久野高原で営業再開しました。

時計師の京都時間「京のプライド時間」

2018-09-21 09:28:18 | 時計修理

9月21日金曜日。雨の弘法市になってしまいました。
19日の長崎お墓掃除ツアーの一日奇跡的に雨が上がってくれたのが嘘のような雨。
9月のお彼岸なのに強い日差しの中、日焼けで困るような一日でした。
京都に戻ったとたんまた雨物語りが続きます。

写真はGUCCI。ひと昔はウラブタの開閉に苦労したモデルです。
今ではネジで閉める高級ケースに変わっています。パッと見ユーザーには判らない嬉しい変化ですね!

お客様の中に時計修理業の各付けに困る人がいます。
丁寧な過度の緊張した挨拶から始まる人。コンビニのレジ並みの「やっといてくれ~!」と命令形の人。様々です。
気を付けてほしいことは高齢の時計師にはプライドが高い人種が多いことです。

1970年代のクオーツ化を境に修理に要求される技術レベルは格段に簡単になりました。
それ以前の時計師は神様扱いで一日3本もやるとビルが建つ時代です。
そのころお客だった人は時計屋では敬語を使います。
平成のG-SHOCK世代まで来たら態度がころっと変わりました。
平成時代は時計師の各付けが急降下した時代ともいえます。

私はチェロ弾きでもある。これも平成時代に入ると位置付けが急降下した部門です。
楽器にしても中国製が主流になりネット通販では10万円の弓を買うとなんと本体もついてくる「使い捨てアイテム」になってきた。
ヤマハの中国製カーボン弓を見た時はショックでした。

当然技術を習得してまともな音が出るまで3年はかかる楽器。
弦を抑える左指も針を刺しても居たくないほどの練習がいる辛い楽器です。
平成時代にはいると「努力・忍耐」の言葉を使われなくなりました。
時計師と同じようにチェロを弾けるということは努力・忍耐の証明のような時代がありました。
 プライドが高い集団にあこがれて私もこの世界に入った。
高額だったマイ楽器のチェロをもっている時計師はお金持であり努力家の証明なのです。
プライドが服を着て歩いているようなものでdす。

平成の今ではギターが売れなくなった以上にチェロが売れない時代でしょう。
高額なチェロでもリセールバリューがない。チェロ人口が極端に減少している時代です。
保有している2台の楽器と貴重な楽譜の遺産はありがたみがない。時計と同じ。
パティックフィリップの修理料金が40万円と伝えるとぱっと顔には「ぼったくり時計師」と書いてある。

 お彼岸のお墓参りも経済的に生産性がないと議員が言う?何の意味もない行事になりました。
「私のお墓のま~えで♪泣かないでください~♪」あの名曲?のヒットで何となくお墓参りがむなしくなります。
今朝はお墓登り疲労で足が棒状態です。
座って出来る仕事でよかったぁ~!
今日も一日頑張りましょうね~。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする