あるいは[王子運河の空に(収容所の壁のディアナ・ダービン)]
東京で雪が降ってしまった。雪が嫌いな私には苦痛である。
ネジュ神社の梅が雪を被ってる絵は美しいが、映像で見るに限る。
「アンネの日記」で知られるアンネ・フランク嬢が衰弱死したのは、
1945年の2月末から3月初めだったと推定されてる。
その時期のベルゲン=ベルゼンは寒かったことだろう。
Anne Frank(アンネ・フランク、1929-1945)嬢は15歳の命だったが、8つ年上の
Deanna Durbin(ディアナ・ダービン、1921-)女史は89歳の今も健在である。が、
"One Hundred Men and a Girl(邦題=オーケストラの少女)"
では、とても16歳には見えない。それはともかく、
米国映画好きのアンネ嬢がアムステルダムの隠れ家で部屋の壁に飾って憧れてたのが、
ディアナ・ダービン女史のポスターだった。
この"噺"にヒントを得たのが、アイルランド系にして
貧苦に育った"左翼思想"のスティーヴン・キングである。
映画「(邦題)ショーシャンクの空に」の原作において、
"調達屋"をアイルランド系(赤毛の代名詞)に設定、
サーネイムを"Redding"としてニックネイムを"Red"にした。これは、
ディアナ・ダービンの代表作である
"One Hundred Men and a Girl(邦題=オーケストラの少女)"
の"Hundred"の中にも"red"が入ってることがネタなのである。
隠れ家のポスターをショーシャンクの刑務所では、
Rita Hayworth(1918-1987)、
Marilyn Monroe(1926-1962)、
Jayne Mansfield(1933=1967)、
Hazel Court(1926-2008)、
Raquel Welch(1940-)、
Linda Ronstadt(1946-)、にしたのは、
マンスフィールドとロンスタットの他は、
ウェルチという芸名やその手肌(テハーダ)の色ではなく、
地毛が"赤毛"あるいは"赤毛"に染めた髪のイメージが強く、
ヘイワース、ウェルチの実母がアイルランド系であるという理由である。そして、
"Rita Hayworth and Shawshank Redemption"
などというタイトルの、みょうちくりんな"Redemption"は、
その語頭の3文字が"red"ということで採られたものである。
さて、
「オーケストラの少女」であるが、
ストコフスキによるチャイコフスキーの「交響曲第5番」はここでも
救いのない"演奏"である。今年が生誕
two hund"red" yearsであるリストの
「ハンガリー狂詩曲第2番」(ドップラー編曲)が最後に演奏される。そして、
ストコフスキに振らせた"功労者"のダービン嬢が挨拶に出されると、
歌っちゃえよと声をかけられる。
「ショーシャンク」の"ポスター・ネタ"の本ネタのディアナ・ダービン女史は赤毛である。
歌える子役だった。もちろん、クラスィカルの歌手ではない。が、
この映画のエンディングを飾るヴェルディの「ラ・トラヴィアータ」の
"Brindisi(邦題=乾杯の歌)"は、
クラスィカルのほとんどのプライドだけは高くても
音程その他を「踏み外す」下手くそな歌手らの歌唱より、
はるかに耳に心地いい。といっても、
カラヤンがときどきノルディック・スキーのクロスカントリーのクラスィカルのような手の振りを
なぜしてたのか解らない拙脳なる私の感想にすぎない。
映画「ショーシャンクの空に」では、
「手紙」がひとつのキーワードになってる。そして、
モーツァルトの「フィガロの結婚」のいわゆる
「手紙の二重唱」が使われる。ともあれ、この映画のエンディング、
原作と違って黒人の"Red"役のモーガン・フリーマンは、
服役40年でやっと仮釈放が許される。が、
与えられた部屋はかつて務所仲間が首を吊った部屋だった。
仕事にもなじまないレッドはアンディの言葉を思い出す。
アンディが亡き妻と愛を誓ったメイン州バクストンの原っぱの石の下。
そこに埋められた缶にはアンディからレッドへの手紙が入ってた。
レッドはその手紙を読んだ(He read[red] the letter)。そして、
Zihuatanejo(スィワタネホ)に向かうのだった。その浜辺には、
小舟の底の木を削ってるアンディがいた。彼らが求めたのは、
リタ・平和ースだったのである。ちなみに、Zihuatanejoは、
「アカ」プルコと並ぶ、メキシコのリゾート地である。
東京で雪が降ってしまった。雪が嫌いな私には苦痛である。
ネジュ神社の梅が雪を被ってる絵は美しいが、映像で見るに限る。
「アンネの日記」で知られるアンネ・フランク嬢が衰弱死したのは、
1945年の2月末から3月初めだったと推定されてる。
その時期のベルゲン=ベルゼンは寒かったことだろう。
Anne Frank(アンネ・フランク、1929-1945)嬢は15歳の命だったが、8つ年上の
Deanna Durbin(ディアナ・ダービン、1921-)女史は89歳の今も健在である。が、
"One Hundred Men and a Girl(邦題=オーケストラの少女)"
では、とても16歳には見えない。それはともかく、
米国映画好きのアンネ嬢がアムステルダムの隠れ家で部屋の壁に飾って憧れてたのが、
ディアナ・ダービン女史のポスターだった。
この"噺"にヒントを得たのが、アイルランド系にして
貧苦に育った"左翼思想"のスティーヴン・キングである。
映画「(邦題)ショーシャンクの空に」の原作において、
"調達屋"をアイルランド系(赤毛の代名詞)に設定、
サーネイムを"Redding"としてニックネイムを"Red"にした。これは、
ディアナ・ダービンの代表作である
"One Hundred Men and a Girl(邦題=オーケストラの少女)"
の"Hundred"の中にも"red"が入ってることがネタなのである。
隠れ家のポスターをショーシャンクの刑務所では、
Rita Hayworth(1918-1987)、
Marilyn Monroe(1926-1962)、
Jayne Mansfield(1933=1967)、
Hazel Court(1926-2008)、
Raquel Welch(1940-)、
Linda Ronstadt(1946-)、にしたのは、
マンスフィールドとロンスタットの他は、
ウェルチという芸名やその手肌(テハーダ)の色ではなく、
地毛が"赤毛"あるいは"赤毛"に染めた髪のイメージが強く、
ヘイワース、ウェルチの実母がアイルランド系であるという理由である。そして、
"Rita Hayworth and Shawshank Redemption"
などというタイトルの、みょうちくりんな"Redemption"は、
その語頭の3文字が"red"ということで採られたものである。
さて、
「オーケストラの少女」であるが、
ストコフスキによるチャイコフスキーの「交響曲第5番」はここでも
救いのない"演奏"である。今年が生誕
two hund"red" yearsであるリストの
「ハンガリー狂詩曲第2番」(ドップラー編曲)が最後に演奏される。そして、
ストコフスキに振らせた"功労者"のダービン嬢が挨拶に出されると、
歌っちゃえよと声をかけられる。
「ショーシャンク」の"ポスター・ネタ"の本ネタのディアナ・ダービン女史は赤毛である。
歌える子役だった。もちろん、クラスィカルの歌手ではない。が、
この映画のエンディングを飾るヴェルディの「ラ・トラヴィアータ」の
"Brindisi(邦題=乾杯の歌)"は、
クラスィカルのほとんどのプライドだけは高くても
音程その他を「踏み外す」下手くそな歌手らの歌唱より、
はるかに耳に心地いい。といっても、
カラヤンがときどきノルディック・スキーのクロスカントリーのクラスィカルのような手の振りを
なぜしてたのか解らない拙脳なる私の感想にすぎない。
映画「ショーシャンクの空に」では、
「手紙」がひとつのキーワードになってる。そして、
モーツァルトの「フィガロの結婚」のいわゆる
「手紙の二重唱」が使われる。ともあれ、この映画のエンディング、
原作と違って黒人の"Red"役のモーガン・フリーマンは、
服役40年でやっと仮釈放が許される。が、
与えられた部屋はかつて務所仲間が首を吊った部屋だった。
仕事にもなじまないレッドはアンディの言葉を思い出す。
アンディが亡き妻と愛を誓ったメイン州バクストンの原っぱの石の下。
そこに埋められた缶にはアンディからレッドへの手紙が入ってた。
レッドはその手紙を読んだ(He read[red] the letter)。そして、
Zihuatanejo(スィワタネホ)に向かうのだった。その浜辺には、
小舟の底の木を削ってるアンディがいた。彼らが求めたのは、
リタ・平和ースだったのである。ちなみに、Zihuatanejoは、
「アカ」プルコと並ぶ、メキシコのリゾート地である。
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