チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「興行的失敗映画人による映画史に残る名台詞の数々/オーソン・ウェルズ誕生100年」

2015年05月06日 18時29分42秒 | 寝苦リジェ夜はネマキで観るキネマ
今日は、米映画俳優・監督の
Orson Welles(オースン・ウェルズ、1915-1985)が生まれて
100年の日にあたる。
同人のハリウッド・デビュー作といってもいい
"Citizen Kane(スィタズン・ケイン、邦題=市民ケーン)"は、
現在では「米映画史上のベスト映画」の一、二を争う
名作とされて評価が高いが、1941年の制作公開時には、
製作費68万ドルで(全米での)興行収入が50万ドル、
という不入り映画だった。が、
"Rosebud"という一単語のセリフはこの映画の核心であり、
謎でもある、ということになってるが、いずれにしても、
名セリフではある。

ラスト・スィーンで有名な
"The Third Man(邦題=第三の男)"では、
ウェルズはハリー・ライトという仇役の俳優業だけだったが、ここでも、
グレアム・グリーンの原作にも台本にもなかったセリフ、
"In Italy for 30 years under the Borgias,
they had warfare, terror, murder, bloodshed
-- they produced Michelangelo, Leonardo da Vinci
and the Renaissance.
In Switzerland they had brotherly love,
they had 500 years of democracy and peace,
and what did that produce? The cuckoo clock."
(簡易な単語ばかりなので拙カタカナ発音は省略)
「(拙大意)イタリアではボルジャ家による30年の支配で、
戦乱、弾圧、殺戮がもたらされた。そのいっぽうで、
ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチ、そして、
ルネサンスを生みだした。だが、スイスでは
博愛主義、そして500年間も民主主義がはぐくまれ
平和をもたらしはしたが、その結果
何を生みだしたと思う? たかが鳩時計(郭公時計)だけさ」
(30年という年数は史実ではなく、おそらく、
チェーザレの享年で比喩的に表してるのだろう。また、
チェーザレはダ・ヴィンチやミケランジェロを庇護したものの、
ルネサンス自体を生みだしたのはボルジャ家ではない。それから、
スイスは酪農以外に産業がなく貧しく、男は傭兵として
出稼いでたので平和ともいえない。ヴァチカンの衛兵も未だにスイス人)
を入れてこの映画をいっそう印象深いものとした。

チャールズ・チャップリンは現在では驚くほど評価が高い。
私は大嫌いである。ともあれ、その自信作だった
"Monsieur Verdoux(ムッシュ・ヴェルドゥ、邦題=殺人狂時代)"は、
その原案はオースン・ウェルズによるものだった。
この映画の名セリフとして知られる、
"Wars, conflict - it's all business.
One murder makes a villain; millions, a hero.
Numbers sanctify, my good fellow!"
「(拙大意)戦争や対立はすべてビジネスさ。
一人殺せば犯罪者だが、大量殺戮すれば英雄として尊敬される。
多くの人がそうやって正当化するんだよ、なあ、君」
の出典は、17世紀の詩人エドワード・ヤングを
18世紀の主教ビールビー・ポーテアスが引用したもの
(One murder made a villain,
Millions a hero. Princes were privileged
To kill, and numbers sanctified the crime.
「(拙大意)一人殺したのでは犯罪者、大量殺戮なら英雄。
君主はそうして殺す特権を与えられ、
犯罪を正当化されるのだ」)
である。だが、
そんな知識が無学無教養なチャップリンにあるはずもなく、
ウェルズに教えられたものだろう。ともあれ、
無学な者が自身をほんとうは頭がいい人物と思われたくて
インテリぶる者の典型で作ったこの映画に自信を持ってた
チャップリンの思惑ははずれ、
製作費に200万ドルかけたものの
北米での興行収入はたったの60万ドルだけ、
という惨憺たる成績だったのである。
大衆がチャップリンに期待してたのは、あの
キモいメイクにトンチンカンな格好の、滑稽なドタバタだった。
チョビ髭白塗りのキモいオヤジを見下し嘲笑することによって
大衆の鬱憤は発散され淡い優越感に浸れたのである。
とはいえ、それは
布施明とチャップリンの顔の区別が瞬時にはできないこともある
拙脳なる私の推測にすぎないが。ともあれ、
原案が「大損・飢ェルズ」によるものなので、
儲かるべくもなかったのは明らかである(※)。
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