アジサイ
梅雨、らしい。天気予報は競馬予想より当たらないから、
本当にそうなのかは判らない。ともあれ、
この時期、食中毒をきたしやすいので、
当たらないにこしたことはない。ところで、
先日まで私は文字焼きを細々と生活の糧にしてきた。が、
その才能がないので、さっさと作業がはかどらず、
ほとんどが夜中から徹夜になってしまった。そんなとき、
早朝のTV番組のきれいなお天気お姉さんのコーナーを見るのが
わびしい私のささやかな楽しみだった。最近では、
TBSの「朝ズバッ!」だった。そのお天気お姉さん、セントフォース所属の
美馬怜子女史の見た目がきれいだからなのだが、それよりも、
同女史の語中のガ行鼻濁音が耳に心地好かったからである。
同女史自身は神奈川県出身らしいが、
「美馬(みま)」という名字は四国の美馬市に多い。
同女史の先祖もおそらくそこだろう。
ユダヤ系渡来人といわれる秦氏の拠点のひとつである。
今年はJRAによる近代競馬150年の年であるが、
明治時代には美馬一族が競馬史に名を残してる。ともあれ、
現在20代という年頃なら東京とその周辺育ちでも
非鼻濁音で話すのが普通になってるというのに、
同女史はきれいな鼻濁音なのである。
アナウンス専門学校かなにかで訓練したような感じではない。
それにひきかえ、
祖父が画家だったことから国立新美術館の
「大エルミタージュ美術館展」のPRソングを歌う杏女史のサビ部分の
♪あーいガー、あなたーにーー♪
という格助詞「ガ」を非鼻濁音で粗野にがなられるのには、
アイガー北壁に耳ごと叩きつけられるような恐怖を覚える。
杏女史はアナ・スイ女史と仲良しらしいが、一昨年閉店した
六本木ヒルズのANNA SUIがあった場所の前には、
毛利庭園がある。その人工池には、
そこからほど近い、現在は麻布消防署や中国大使館になってる、
江戸時代には旗本松平(佐金吾)定朝の屋敷があったのだが、
そこで隠居後に同人が改良した花菖蒲や、
アジサイが6月には咲く。そして、そこにはテレ朝がある。
3年前までは「やじうまプラス」で、当時はセントフォース所属だった
甲斐まり恵女史がお天気お姉さんをやってたが、
同女史はきれいな顔に心地好い声、そして何よりも
九州出身でこの年頃なのに語中のガ行を鼻濁音で発音するので、
目にも耳にも心地よくてそれを見てた。甲斐という名字は
宮崎・大分・熊本各県に多い。もともとは菊池氏なので
九州が地元であるが、山梨の甲斐に由来する名字である。
アジサイという花の語源は何であるか? が、
テレ朝の大下容子アナと元競泳選手の萩原智子女史と
歌謡歌手の山崎まさよしの顔を瞬時に判別できない
拙脳なる私は、アジサイの絞り咲きのようには、知恵を
絞るということができない。ときに、ズィーボルト、いわゆる
シーボルトは文政年間に最初の来日をして長崎に滞在して
医塾を開くことを特別に許された。結局、
一時帰国の際に御禁制の積荷がバレ、いわゆるシーボルト事件で
国外退去処分となって離日したが、
プラント・ハンターでもあったシーボルトは、
事実婚してた楠本滝の面影を
西洋にはない(とシーボルトは思ってた)花、アジサイに見立てて、
お滝さん→オタキサン→オタクサ、と呼んでたらしい。
お滝との間にできた一粒種の娘は、ちょうど
アジサイが咲きはじめる時期に生まれた。
長崎の商家の娘だった滝は、
医者でもあったシーボルトに診察してもらったのがきっかけで
恋仲になったらしい。当初、シーボルトが居留してた出島へは、
「傾城之外女入事(ケイセイノホカオンナイルコト)」が禁じられてたので、
傾城(=遊女)の名「其扇」という方便を使って出島内の
シーボルト宅で暮らしてたのである。ちなみに、
シーボルトとお滝の娘はのちに事実上日本初の女医となった。
医師試験の当初は女性の受験資格がなかったので、
未公認ではある。ともあれ、
東京でも産婆として開業し、最終的には東京に腰を落ち着けた。
そして開業の地も幾度か変えた住居も、
現在の飯倉片町交差点の周辺にこだわってたようなのである。
それは謎とされてるが、私の推測では、
昔、伊勢神宮の穀物倉があったために飯倉となった地名に
自分の名前イネ(稲)を重ねて大切にしてたのだと思われる。
一般に花と思われてるものは萼(ガク)であるが、ともかくも、
アジサイの花は、植わってる土壌の酸性度が高いと、
その土壌に含まれてるAlイオンが溶けだして、
それをアジサイが吸いあげる。そして、
ガクやハナの中のアントシアニンが反応してその
イロが変わって青みが増すのである。そんなことは
あるまいと思うかもしれないが、本当らしい。だから、
アルカリ土壌のヨーロッパでは、アジサイといえば、
ピンクのお色(Euro)なのである。いずれにせよ、
セイヨウアジサイは、日本原産のガクアジサイを改良したものである。
東京周辺でアジサイの名所といえば、鎌倉のいわゆるあじさい寺、
明月院である。四半世紀前、当時の住職は宝くじにはまって
寺の敷地を根抵当に借金して返せなくなって、逃亡して、
これがもうしおどきともCOどきとも観念して、
千葉のホテルで練炭による一酸化炭素中毒自殺した。
袈裟の色も褪せたのであるが、アジサイも
土壌のphやAlイオンによる変化だけでなく、
経日による変色という要素もあるのである。
さて、アジサイの語源である。
一般に説明されてるところによれば、
【集(アツむ)+真藍(サ・アイ)】で【アヅサアイ】→【アヅサイ】→【アヂサイ】
ということである。
♪藍が~あなた~に~~♪
中国語的並べかた・発想ではあるが、
【小さいガクの粒が「滝さん」というよりは「たくさん」集まったもの】
という視点は、正しそうである。たとえば、
一般に「梓」とよばれるカバノキ科の木は、
松ぼっくりを蒲型あるいは矛型にしたような
多数の鱗片状の果実もどきをつける。
このさまはまさしく「アジサイのハナが密集したさま」と同じであり、
「あづさ」というように「アヅ」という語が含まれてる。いっぽう、
ヒトの味覚は舌や軟口蓋にある味蕾が末梢となってるが、その味蕾は
多数の乳頭に付いてるのである。この乳頭を顕微鏡で覗けば、
アジサイのハナや梓の果実モドキの「密なさま」とよく似てる。
乳頭が多数アヅってるから、そこが
「アヂ」を感じる出先機関なのである。
キヨスミサワアジサイとピンクフレッシュの交配園芸種に、
「未来」と名づけられたアジサイがあり、
開花後の変色のさまが楽しめるものらしい。また、
魚の鯵が「群れ」をなして泳いでるさまも、
「アヅってる感」が著しい。で、
アヅ→アヂ→アジなのだろう。
日本の在来種であるガクアジサイは群咲する外側は
ガクが肥大化したものでその中心には中性花があるが、
群咲の中心部で群れをなしてる小さいほうは両性花で、結実する。が、
品種改良されたアジサイはこの"小さい花"のほうをなくして、
一般に花びらと思われてるが実は肥大化したガクだけを
残したものにしてるものが多い。
私の母はしかしガクアジサのほうが好きで、かつて
我が家が週末を過ごす場所だった横浜の家の庭には、
ガクアジサイを多く植えてた。ともあれ、
ガクアジサイは結実には無関係な肥大化したガクの花びらもどきで
昆虫をひきつけ、そのどさくさで
こじんまりした本当の花の受粉を媒介させるのである。
梅雨時期の開花というニッチな道を選んだガクアジサイは、
香りで昆虫を引き寄せれないぶん、一部の花のガクを発達させ、
当て馬的役割を与えた。そして、
なんとも涙ぐましいことに、この当て馬の肥大化したガクは、
中心部のこじんまりとした両性花らがめでたく受粉を完了すると、
昆虫の目に付くように上向きだった肥大化した花もどきの姿を
ガクっと下向きにして裏返り、枕を並べて討ち死にして
その役目を終えるのである。
これはとりもなおさず「武士」である。
昭和62年(1987年)年の第48回菊花賞(京都競馬場芝3000m)は、
TVで観たものも含めて私が観た競馬でもっとも美しい
ゴウル風景だったことである。
脚部不安で不本意ながらダービーを回避したサクラスターオー号が
皐月賞優勝後6か月ぶりにぶっつけ本番で出走してきたことである。
18頭立てながら18番のダービー馬メリーナイス号が、当時存在してた
「単枠指定」制度によって、8枠が単頭枠だったので、
5、6、7枠がそれぞれ3頭枠になってたことである。そして、
最後のコーナーにさしかかったとき、5枠の2頭、
10番サニースワロー号(ダービー2着馬)と11番レオテンザン号が
5枠の色である黄色い帽子を被ったイケメン
大西直弘騎手(のちにダービー・ジョッキー)と、
武豊騎手(この年デビューも、JRA史上最高となる騎手)を背に、
先頭に並んだことである。が、ずっと中段にいた
サクラスターオー号がじりじりと伸びてきたことである。
先頭の2頭と同じ5枠の09番なことゆえ、
鞍上の東(アヅま)信二騎手は黄色い帽子なことである。
脚部不安の真打ちが無事に先頭に追いついた瞬間、
露払いの2頭は役目を終えて静かに下がってったのである。
感動のスィーンである。涙なくしては思い起こせないことである。
「菊の季節に桜が満開!」という杉本アナの名調子に讃えられた
サクラスターオー号(9番人気)は先頭でゴウル。皐月賞でも同馬の2着だった
ゴールドシチー号が外から差し込んで2着。それに、
ユーワジェームス号とメグロアサヒ号が追い込んでそれぞれ3着、4着。ちなみに、
ユーワジェームス号は一口馬主のクラブ馬で、AV創世期の巨乳お色気女優
菊島里子(別名=杉本未央)女史もその一口馬主だったことである。
水先案内役の2頭はそれぞれ5着(サニースワロー号)、6着(レオテンザン号)。
1番人気メリーナイス号は9着、人気馬マティリアル号は13着だったことである。
昭和59年(1984年)、グレイド制導入によってG3と格付けされた
3月の弥生賞を勝ってシンボリルドルフ号はそのあと三冠馬になった。
その弥生賞が昭和62年にG2に格上げされたこの年、その優勝馬
サクラスターオー号は菊花賞馬にならなければならなかったことである。
万が一のときのために選ばれた2人の騎手は、見事にその
御用を果たし、ともにのちにダービー・ジョッキーとなったことである。
このレイスの1か月半後の有馬記念では、スタート直後に
メリーナイス号の騎手が落馬し、サクラスターオー号は脚部不安が現実となり、
故障発生競走中止、数十日後に死亡。マティリアル号も2年後に
2年半ぶりの勝利の直後に故障発生で数十日後に死亡。
尾花栗毛の美馬ゴールドシチー号も引退後に乗馬馬となる訓練先の
宮崎競馬場で放牧中に自ら埒に激突して骨折、安楽死処分。
この世代の有力馬の中ではダービー馬メリーナイス号だけが
種牡馬となることができて、当時の年齢表記法である
数え26歳という競走馬としては長寿だったが、
ろくな産駒を残せなかった。つまり、
「弱いダービー馬」、「不出来な世代」なのである。がしかし、
だからこそ、サクラスターオー号の命懸けの3000mは
じつに感動的な菊花賞だったことであり、
淀の京都競馬場の枯れ芝に西日によって馬と騎手が映し出された
長い影が実際の馬を引いてるような、
我が国の150年の近代競馬史上、おそらく、
もっとも美しいレイスだったことである。
弱いながらも、不出来ながらも、だからこそ、
懸命に実直に、家のため、主のために最善を尽くす。
その姿に日本人は心打たれるのである。
[海行かば、水漬く屍。山行かば、草生す屍。
大君の、辺にこそ死なめ。
かへり見はせじ(長閑には死なじ)]
万葉集にはアジサイを詠んだ歌は2首が採られてる。まず、
【巻04-0773】
[事不問 木尚味狭藍 諸茅等之 練乃村戸二 所詐来]
(言問わぬ、木すらあぢさゐ。諸弟(もろと)らが、練りの村戸(むらと)に、あざむかえけり)
「(拙大意)言葉を発しない木であるアジサイでさえ色が変化するというのに、まして、
言葉を話せる橘諸兄めの……しゃくにさわるから諸弟めと呼ぶことにするが……一族の
練り混ぜた腎臓や心臓のような気が知れぬ手練手管のようなあなたの言葉には
まんまと弄ばれたことだなあ」
大歌人大伴家持の面目躍如たる技巧の粋を極めた歌である。
後世のスーパー・テクニシャン紀貫之などもとても敵わない。
のちに正妻となったとされてる従姉妹の大伴坂上大嬢に贈った歌である。
橘諸兄(たちばなのもろえ)の「兄」を「弟」と替え、
腎臓・心臓を意味する「むらと」に対して「もろと」と
オヤジギャグをかます(一説に、諸茅(もろち):変色する植物とされてる)。そして、
「木」には「気」を対比させ、「ムラ」咲きのアジサイと「ムラ」トをこれまたダジャレてるのである。
橘諸兄は家持よりはるかに年上で官職も上であるが、かなり親しかったらしい。その
兄弟たちは、弟に佐為王(橘佐為)……サイのおおきみ(たちばなのサイ)、
妹に牟漏女王(ムロのおおきみ)であり、それぞれに、
あじサイのサイ、ムラと・モロと・のムラ・モロとの語呂合わせになってるのである。ちなみに、
この歌の次に置かれてるのは、
[百千遍 戀跡云友 諸弟等之 練乃言羽者 吾波不信]
(ももちたび、こふといふとも、もろとらが、ねりのことばは、われはたのまじ)
である。この読み下しだけで拙大意は不要であろう。アジサイ関連のもう1首は、
【巻20-4448】
[安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都都思努波牟]
(あぢさゐの、八重咲く如く、八つ代にを、いませ我が背子、見つつ思はむ)
「(拙大意)アジサイが八重に咲くように、八千代にもいらっしゃってください、
我が親愛なる丹比国人(たじひのくにひと)殿よ。
これからもずっとあなたに目を掛け目を掛けして取り立てましょうぞ」
これは左大臣(という当時の最高の官職)橘諸兄が下役である右大弁の
丹比国人(持統朝の左大臣多治比嶋(たじひのしま)の五男中納言多治比広成の子)
の邸宅で催された宴で詠んだ歌である。この歌の2つ前には、
国人がナデシコに托して詠んだ諸兄への忠誠の誓いの歌がある。ちなみに、
家持はこの多治比(丹比)氏の丹比郎女と旅人との子だとされてる。
国人は諸兄の子橘奈良麻呂の乱に連座して伊豆に流された。つまり、
彼らは「反藤原」という強い繋がりを姻戚面でも政治面でも結んでたのである。
そして、反主流派弱小勢力となって細々となってくのである。
かつては大君の警護を司ってた大伴氏は、
対藤原勢力争いに敗れただけでなく、皮肉にも
平氏・源氏といった新たな武士勢力の台頭に
伴ってその役目を静かに終えてったのだった。
(本日のペンネイム=ウニ・イドロ)
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