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チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「御実樹式馬券術/第135回天皇賞(京都競馬場)」

2007年04月29日 23時39分03秒 | ケイ・バー(馬券の皮を剥いじゃうわよン
「はしか」が巷で流行ってるらしい。っていうことは、競馬もデンマ表の
「端か」しらん? と、オヤジギャグも準備して、我がオンボロ
「マシン」のフルベンを駆って府中(京都に出向く予算なく)に乗り込んだことだった。
「2007年府中の旅」である。どうあがいても完成できずにある我が
スタンリー・ルービック・キューブリックは、
赤・桃・緑の三面のみが揃ってることである。
……ツァラトゥーストラはこう騙った。
2007年、4月29日は「みどりの日」から
「昭和の日」に改められたことである。
当日の東京競馬第1レイス、【二】枠に「和」田厩舎。
最終レイス、【二】枠の二頭ともに天間「昭」一厩舎。
TVCMでは織田「裕」【二】が
「【二】度叫ぶ」と言ってたことである。
新潟競馬メインレイス、【二】枠は、
3番馬が、藤田神事、否、藤田伸【二】騎手、
4番馬が、【二】本柳騎手。
同競馬最終レイスも【二】枠に藤田伸【二】騎手。
京都競馬第八レイス、【二】枠に【二】ノ宮厩舎。
これでもかこれでもか、という感じである。
ここまでやると、やりすぎである。ということは、
逆に、【二】枠は「なし」、ということである。
「【二】度」というのは単純に「【二】冠」ということにちがいない。
京都競馬、第七レイスと最終レイスの「6番」に、「和」田竜【二】」騎手。
ちなみに、当日の京都競馬場のゲストは、前シリーズのTVCMに
織田「裕」【二】とおててつないでかけっこしてた
有村実樹女史だったことである。
同女史('86年生まれ)のプロポーションは、公式発表によれば、
「T-168 B-83 W-60 H-86」なことである。
「零」「一」「三」「六」「八」。
ゼロ枠などはないから、「一」「三」「六」「八」枠に要注意である。が、
「一」枠のマツリダゴッホ号のようにG1レイス経験がなく、
前走日経賞を3着に負けてるような馬が3着以内に来るためしはない。
ファストタテヤマ号のように、すでに何度も天皇賞に出走して
ろくでもない着順だった馬が着た例もない。さて、
有「村」実樹女史は「JJ」のモデルさんなことである。
「JJ」といえばお「衣装」を着るのがお仕事である。
(1着)3枠6番メ「イショウ」サム「村」号(石橋守騎手/高橋成厩舎)
同枠にアドマイ「ヤタ」イトル号。同号の河野通「文」調教師は、
四位洋「文」騎手を同馬初騎乗させてることであるが、戦後の
「昭和」といえば「TV、冷蔵庫、洗濯機」という
「三種の神器」の時代である。いっぽう、
天皇の三種の神器の一は「ヤタ(八咫)」の鏡なことである。いっぽう、
4月29日の誕生花は「椿」だったことである。
ツバキの花といえば「赤」(3枠の色)に決まってることである。また、
ツバキ(カメリア)といえばホテル・オークラではなく、かつては、
「カメリア・ダイアモンド、ジュワイヨ・クチュール・マキ」、である。
今年の「ダイヤモンド・ステークス」の勝ち負けは、
トウカイトリック号とエリモエクスパイア号だったことである。
「エクスパイア」などとは物騒な名ではあるが、
同馬の前走は「10」着。「JJ」の「J」という「文」字は、
アルファベティカル・オーダー裕二だと「10」番めなことである。ときに、
「昭和」は「64」年あったことである。同数は
「8」の平方数である。また、4で除すると「16」である。
8枠の二頭の馬齢はそれぞれ「6」歳・「4」歳なことである。
東京競馬最終レイス、8枠15番に「メルボルン」シチー号。
「メルボルン」カップを勝ったデルタブルース号と同枠順同馬番である。
(2着)8枠16番エリモエクスパイア号(福永騎手/大久保龍厩舎)
実はこの「8枠」だけは、前日土曜の東京競馬メインレイス「青葉賞」の8枠に、
16番レオ「エンペラー」号、
17番高橋「裕」厩舎&田中「勝」春騎手、
18番ダノン「ヴイ」ッター号、
という「並び」から、必ずや連体する枠だと確信してたことである。いっぽう、
昨年まで「みどりの日」であったからには、「緑色」の枠である
「6枠」が馬券対象になるのは当然なことである。
(3着)6枠12番トウカ糸リック号(池添騎手/松元省厩舎)
お洋服には「糸」ははずせない。また、
先週の東京競馬「第13レイス」=「第1回ジョッキーマスターズ」は、
「一」「三」「八」枠が1、3、2着したことである。しかも、
「八」枠は二頭のうち「外」のほうだったことである。
「内」の根本「騎手」が着てたメリーナイス号の勝負服であるが、
その馬主はたしか「女性」だったはずである。音羽グループの「JJ」は
「Jyosei Jishin」だからである。いっぽう、
河内「騎手」が着てた(アグネス冠名の)勝負服は、
(エリモ冠名の)勝負服と同じデザインであり、
「色違い」ながら同じ「赤」「青」「黄」の入れ違いなだけなのである。
2着本田「騎手」が乗ってたマイソールサウンド号の同枠馬
トウカイトリック号の馬主は、
3着安田隆行「騎手」の勝負服「トウカイテイオー」号の馬主である。
本来の天皇賞は必ず4月29日に開催されてたことである。その最後は、
スーパークリーク号が勝った平成二年の第101回である。そのとき、
馬券対象になったのは「三」「四」「八」枠だったことである。また、
そののち偶然か必然か一度だけ4月29日に行われたことがある。
テイエムオペラオーが「馬齢変更またぎ」で「2度」めに勝った第123回。
21世紀初の天皇賞である。そのときも、「八」枠が馬券対象だったことである。
「八」咫鏡、「八」尺瓊勾玉、そして、天叢雲剣は
「八」俣の大蛇を退治したときにその尾から出たものである。ところで、
枠連10点買いでささやかに当てた馬券だったことである。
馬連なら普通馬連でも二万馬券だったというのに……トホホホホ。
武豊騎手は香港で騎乗なため、めずらしく春天皇賞に乗らなかったが、その代わり、
実家がお隣りどうしの福永騎手が連体したことである。また、石橋守騎手は、
現役4人めの「日本ダービー」∩「天皇賞(春)」勝利という、
セレブレイトされた騎手となったことである。

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