チャイコフスキー 白鳥の湖
今日から四月。新芽が学校、会社に萌え出づる時期である。
「言わば知る、足る身の上の、鰆尾の、萌え出づる春に、なりにけるかも」
早蕨取りも新芽取りにちがいない。
「早蕨が、握り古武士を、振りあげて、山の横面、春風ぞ吹く」
先日、千鳥ケ淵の桜を見てきた。イタリア文化協会の
赤い壁が下照ってなくてよかったが、私のツルツルオツムに
桜の淡い桃色が反射してしまったのが惜しかった。
タージ・マ春は、ムガール帝国第5代皇帝シャー=ジャハーンが
愛妃の故ムムターズ=マハルを忍んで造営した、
色白の女性がアグラをかいたような形の、
「シンメトリー」な配置の廟である。が、シャー=ジャハーンは
子のアウラングゼーブに幽閉され、食事はというと、
「ジャー=チャーハン」という要求しか受けつけてもらえず、死しては、
廟のど真ん中に置かれてたムムターズ=マハルの隣に
棺を追加して置かれてしまったため、シャー=ジャハーンの
壮麗(葬礼)な左右対称構想は、皮肉にも、
自らの遺体アンチによって崩れてしまったとか。さて、
チャイコフスキーによって壮麗な構想絵を描かれたバレエ「白鳥湖」は、
やはり、白鳥と梟を中心にシンメ鳥な配置がなされてるのである。
**(この表は誤記が多いため、下に改めた)
━━━━┯━━━━━━━━━━━━┳━━━━┯━━━━━━━━━━━━
│ 1幕 ┃ │ 3幕
━━━━┿━━━━━━━━━━━━╋━━━━┿━━━━━━━━━━━━
序奏 │#なし ┃ #15│名無し
────┼────────────╂────┼────────────
#01│属調から主調へ ┃ #16│下属調から主調へ
────┼────────────╂────┼────────────
#02│ワルツ/属調から主調へ ┃ #17│ワルツ/下属調から主調へ
────┼────────────╂────┼────────────
#03│王妃の王子への期待 ┃ #18│王妃の王子への期待
────┼────────────╂────┼────────────
#04│パ(トロワ)/ハープ使用┃ #19│パ(シス)/ハープ使用
────┼────────────╂────┼────────────
#05│下属調から主調へ ┃ #20│下属調から主調へ
────┼────────────╂────┼────────────
#06│家庭教師が村娘に言い寄る┃ #21│男を誘惑するフラメンコ
────┼────────────╂────┼────────────
#07│属調から主調へ ┃ #22│下属調から主調へ
────┼────────────╂────┼────────────
#08│ポーランド舞曲(ポロネ)┃ #23│ポーランド舞曲(マズル)
────┼────────────╂────┼────────────
*#09│終いロ長 ┃*#24│終いヘ長
━━━━┿━━━━━━━━━━━━╋━━━━┿━━━━━━━━━━━━
│ 2幕 ┃ │ 4幕
━━━━┿━━━━━━━━━━━━╋━━━━┿━━━━━━━━━━━━
#10│タイトル「間奏曲」 ┃ #25│タイトル「間奏曲」
────┼────────────╂────┼────────────
#11│ふくろう ┃ #26│ふくろう
────┼────────────╂────┼────────────
#12│白鳥群舞 ┃ #27│白鳥群舞
────┼────────────╂────┼────────────
#13│6♭ ┃ #28│6♭
────┼────────────╂────┼────────────
*#14│白鳥らは廃墟に消える ┃*#29│白鳥らが湖に姿を現す
━━━━┷━━━━━━━━━━━━┻━━━━┷━━━━━━━━━━━━
*各4幕の終曲には必ず「白鳥の歌」
(♪ミーーー・>ラ<シ<ド<レ│<ミーー>ド・<ミーー>ド♪)が現れる。
そして、
1幕終曲「ロ長」←→3幕終曲「ヘ長」、
2幕終曲「白鳥らは廃墟に消える」←→4幕終曲「白鳥らが湖に姿を現す」、
という対極方向で閉めてるのである。
*「『白鳥湖』序奏(その1)/『白鳥湖』と『悲愴』の交差」と
「>ソメイユ吉野開花予想」の2項目に、それぞれ、
・「>三連ボディコンもしくは鳩トリック」、
・「>プレイバック・パート数」、
というレスを附けました。
**上表の不注意による誤記を改めたもの
━━━━┯━━━━━━━━━━━━┳━━━━┯━━━━━━━━━━━━
│ 1幕 ┃ │ 3幕
━━━━┿━━━━━━━━━━━━╋━━━━┿━━━━━━━━━━━━
導入曲│曲番なし ┃ #15│タイトル無し
────┼────────────╂────┼────────────
#01│属調から主調へ ┃ #16│属調から主調へ
────┼────────────╂────┼────────────
#02│ワルツ/下属調から主調へ┃ #17│ワルツ/属調から主調へ
────┼────────────╂────┼────────────
#03│王妃の王子への期待 ┃ #18│王妃の王子への期待
────┼────────────╂────┼────────────
#04│パ(トロワ)/ハープ使用┃ #19│パ(シス)/ハープ使用
━━━━┿━━━━━━━━━━━━╋━━━━┿━━━━━━━━━━━━
#05│属調から主調へ ┃ #20│下属調から主調へ
────┼────────────╂────┼────────────
#06│家庭教師が村娘に言い寄る┃ #21│男を誘惑するフラメンコ
────┼────────────╂────┼────────────
#07│下属調から主調へ ┃ #22│属調から主調へ
────┼────────────╂────┼────────────
#08│ポーランド舞曲(ポロネ)┃ #23│ポーランド舞曲(マズル)
────┼────────────╂────┼────────────
*#09│終い無調号実質ロ長 ┃*#24│終い無調号実質ヘ長
━━━━┿━━━━━━━━━━━━╋━━━━┿━━━━━━━━━━━━
│ 2幕 ┃ │ 4幕
━━━━┿━━━━━━━━━━━━╋━━━━┿━━━━━━━━━━━━
#10│当初「間奏曲」コルネ不用┃ #25│「間奏曲」コルネ不用
────┼────────────╂────┼────────────
#11│オデット登場 ┃ #26│オデットが行方知れず
────┼────────────╂────┼────────────
#12│白鳥群舞 ┃ #27│白鳥群舞
────┼────────────╂────┼────────────
#13│6♭出現 ┃ #28│6♭出現
────┼────────────╂────┼────────────
*#14│白鳥らは廃墟に消える ┃*#29│白鳥らが湖に姿を現す
━━━━┷━━━━━━━━━━━━┻━━━━┷━━━━━━━━━━━━
ありがとうございました。
表現上の問題点や内容の疑問点を指摘しておきます。
ご参考に。
?序奏 │#なし ┃ #15│名無し
@序奏 │曲番・タイトルなし ┃ #15│タイトルなし
?#01│属調から主調へ┃ #16│下属調から主調へ
@意味不明? #1は属音上の保続音からニ長調へ
#16はハ長調→イ短調→ホ短調→ハ長調→pizz.の半音進行による属和音の確定→主調(ヘ長調)。
下属調(変ロ長調)はここには出てきませんが?
?#02│ワルツ/属調から主調へ ┃ #17│ワルツ/下属調から主調へ
@#2:単なる属和音の強調でしょう。属調
ホ長調)必須の#レは出てきませんね。#17にしても下属調(変ニ長調)は序奏には全く出て来ません。
?#05│下属調から主調へ ┃ #20│下属調から主調へ
@パッションさんは#5の主調を何とお考えで?
#20:主調イ短調の下属調はニ短調ですよ!
?#07│属調から主調へ ┃ #22│下属調から主調へ
@一貫してイ長調(下属調)、#22属調イ長調から主調ニ長調へ。
?#10│タイトル「間奏曲」┃ #25│タイトル「間奏曲」
@#10のタイトルは「シーン」
?#11│ふくろう ┃ #26│ふくろう
@#26にふくろうは出てきませんが・・・・・?
なお、過去の投稿へのレスのご案内は不要です。
▲ありがとうございます。大変ご迷惑をおかけしました。いつもの言いわけですが、
私は「もっとも好きな事柄である」チャイコフスキーに割ける時間が少なく、
しょっちゅうケアレスミスをしてしまいます。
左右大笑いしてやってください。が、以下の理由だと思いますので、
悪しからずご了承ください。
<序奏│曲番・タイトルなし┃#15│タイトルなし>
▲カルマスの「註」をご覧ください。
「フ(に)・アフトーグラフェ(自筆譜):
『イントゥラドゥークツィヤ(序奏)・ク(への)・
バリェートゥ(バレエ)・オーズィラ(湖)・リビヂェーィ(白鳥の)・
ペー(ピョートルの頭文字)・チィコーフスカヴァ(チャイコフスキーの)・
op.20』」
となってます。本人の自筆かどうかはまた別の問題ですが。それと、
ヤフー時代にも(他のかたへだったかもしれませんが)申しあげましたが、
チャイコフスキーはこの作品をなにがなんでも
「作品番号20」にしたかった「ふし」がありますね。同時期の作品は、
もう少し「年取った」番号が附いてることを照らし合わせても。
<意味不明? #1は属音上の保続音からニ長調へ>
▲保持音「a」の上に、3および4番ホルンがア・ドゥーエで、
「e│<aーaーa-aー」と吹き、
1番ファゴとヴィオーラ、2番ファゴとチェロが(3度で)、
「●│cisー<dー<disー<eー」と奏してますね。
前者は、「イ長」の♪ソ│<ドードードードー♪であり、
後者は、このナンバーの主主題の主動機である、
♪ミー<ファー<♯ファー<ソー♪を「イ長」で先触れさせてるのです。
「主調および属調もしくは下属調」というヘテロのお面のうちの、
(ここでは)まず「属調(イ長)」を打ち出しておいて、それから
「主調(ニ長)」の面を見せながら、やがて、
(カルマスの)25頁の第17小節の
「ザーナヴィス(幕)」では完全に「主調(ニ長)」の面になってる。
「「保持音a」は「主調(ニ長)」の「属音」であった、という、
チャイコフスキーの「舞台物」での「幕開き」常套句です。ただし、
すべての「幕開き」をそうさせてる、というわけではありません。
ちなみに、「悲愴」のデダシもこの「幕開き」前ですね。あれを
「ロ短」と規定してもそれはそれでかまわないと思いますが、
「ホ短」と考えれば、
♪レ<ミ│<ファー>ミーーー(ロ短とした場合)♪
なんていう超ひねくれた階名をあてはめる必要もなく、すなおに、
♪ラ<シ│<ドー>シーーー(ホ短と考えれば)♪
という「主部主主題の主動機」を下属調で先触れさせてる、
と捉えれば、幼稚園児を納得させるのは容易なはずです。
<#16はハ長調→イ短調→ホ短調→ハ長調→
pizz.の半音進行による属和音の確定→主調(ヘ長調)。
下属調(変ロ長調)はここには出てきませんが?>
▲詳解ありがとうございます。つまり、
【属調(ハ長調)】から【主調(ヘ長調)】ですね。
これは単純に「属」(○)と「下属」(×)とを書き誤っただけのものです。
訂正しておきます。ちなみに、
「劇的空間!! ビフォーフター(南カリフォーニア篇)」の項では、
きちんと「D(ドミナント)」と書いてたはずです。
<#2:単なる属和音の強調でしょう。
属調ホ長調)必須の#レは出てきませんね>
▲まず、レスの前に、これも単純に
「下属調」(○)を「属調」(×)と書き誤ってしまってました。すみません。
さて、最初のピッツィは、「ニ長」の
♪ミ>レ>ド│>シ>ラ>ソ♪なのです。なぜなら、
曲頭は前曲の「ニ長」が「尾を引いてる」からです。そして、
第3小節で♪♯ファ>ミ>レ♪となり、
「下属調(ニ長)」は「主調(イ長)」に流れ込む、という仕組みです。
それから、つねづね感じてたことですが……、
おっしゃるとおり、「調判定」の「鬼の首」は
「導音」でしょう。が、それは「楽典」でのことです。
チャイコフスキーのレヴェル(ベートーフェンさまも)では、
そんな「ありあり」とした「調」の打ち出しかたをするでしょうか。
そんな幼稚な所作はしないと思います。
「属調もしくは下属調」をほのめかしながら、
「本命はやっぱりあなた(主調)よ」というようなものではありませんか。
少なくとも、チャイコフスキーの音楽を考えるときに
そのような「導音必須」のような杓子定規な判定機を持ち出してては、
むだに理解を阻害するだけだと思うのですが、いかがですか?
<#17にしても下属調(変ニ長調)は序奏には全く出て来ません>
▲これも「属調=変ホ長」(○)を「下属調」(×)と書いてしまった
単純ミスです。冒頭のファンファーレは「変ホ長」です。
<?#05│下属調から主調へ┃#20│下属調から主調へ
@#5の主調を何とお考えで?>
▲これもともに「属調」(○)を「下属調」(×)と……
ここまででもうお分かりと思いますが、じつは、
「属調」「下属調」などの単語をいちいち打って変換するのがおっくうで
(単語登録しとけばいいのですが、つい、怠けてそのままにしてしまいます)、
つい、コピペしてしまうのですが、そのときに「取り違えて」た、
ようです。これもまた「言いわけ」ですが、時間がなくせっかちな私の
キーボード操作は超人的な速さ(自画自賛)なので、
時間がないうちでも超ないときは、いちいち確かめずに打ち込んでます。
自然と、間違いがそのままになってしまいます。というわけで、
まことに申しわけありませんでした。
<?#07│属調から主調へ┃#22│下属調から主調へ
@一貫してイ長調(下属調)、#22属調イ長調から主調ニ長調へ>
▲これも「逆にコピペ」してたようです。
→○「#07│下属調から主調へ┃#22│属調から主調へ」
ただし、左舷ですが、やすのぶさんの「導音」を当てはめても、
第7小節からのオーボエは「dis」を吹いてますね。
オーボエからは「主調(ホ長)」でしょう。最後の
木管8重奏も「ホ長の属和音」半終止。次曲への露払いとなってます。
<#10のタイトルは「シーン」>
▲これも「序奏」同様、カルマスを開いてみてください。
「フ(では)・アフトーグラフェ(自筆譜)・ピルヴァナチャーリナ(本来は)・
ビィラ(英語のbe動詞の過去形ようなもの)・
『アントラークト(間奏曲)』」
と「註」されてますね。その文字を書いたのが
チャイコフスキー本人かどうかというのはまた別問題ですが。
<#26にふくろうは出てきませんが・・・・・?>
▲お詫びの言葉もありません。
これだけはまさに「間違い」です。
「#11│オデット登場┃#26│オデット行方不明」
とでもお茶を濁しておきましょう。
タージ・マハルもシャー=ジャハーン自身の遺骸で
シンメトリーが崩れたのですから、「白鳥湖」も
オデット自身が左右対称を破っても許されるでしょう(※※)。
<過去の投稿へのレスのご案内は不要です>
▲数少ない奇特な閲覧者のかた向けに親切(新設)のために附してたのですが、
実際、私も面倒なので、お言葉に甘えさせていただくことにします。
以上、本編のほうへの訂正は、時間に余裕があるときにやります。それまで、
間違ったままですが、悪しからずご了承ください。
@ロシア語訳ありがとうございました。
まったくロシア語に不案内な僕にとっては、たいへんありがたいです。早速僕のカーマス版に鉛筆を入れました。
@スコアの最初のページに曲名を印刷するのは当然のことですね。ちなみに、ブロード版ではこうなっています。
【LE LAC DES SYGNES
Grand Ballet en 4 acts. Musique de Peter-Ilich Tchaikovsky. Opus 20.
INTRODUCTION】
その点、このカーマス版は奇妙ですね。こういった標題が欠けている。一方脚注で《自筆譜にはそれが書かれている》とは一体これいかに!それなら普通に印刷すればいいじゃないか????
原典版編集者は暗にその書き込みが、他人の手によると言いたかったのか?(出版にあたってユルゲンソンの関係者がカヴァー(表紙)から引き写したことは大いに考えられることです)しかし、それならはっきりとそれを脚注に書けよ!
一方で目次のページ(一番最初のページの裏)には、ちゃんとイントロダクションと書かれていますね。
ていうことは、この原典版編集者はバカなのか、誰かを憚っているかのどちらかですね。
もし、どこか別のところにチャイコフスキーの自筆でそれらが書かれていたのなら、当然そのように冒頭に印刷されるべきであって、脚注に【他人の書き込みである】とすれば済むことです。
あるいは一切そのような資料がないとすると、曲名『白鳥の湖』もOp.20もアントロデュクシオンもユルゲンソンあるいは当時のバレエ関係者の勝手な思いつきと考えざるを得なくなってきますね。
疑問を増大させるような脚注は無い方がマシかも・・・・(笑い)。
「作品番号20」にしたかった「ふし」がありますね。同時期の作品は、
もう少し「年取った」番号が附いてることを照らし合わせても。
@御意。この疑問は、ぼくも以前から持っていました。
なぜなら、三大バレエは交響曲の4,5,6とちょうど対応する作品だと僕は考えているからです。(それは、作品それぞれの癖がよく似ているように思えます)
ただ、チャイコフスキーの創作過程を体系的に把握できるほど僕には知識がないので教えていただきたいのですが、Op.20とは本来どの時代に当たるのですか?
カメンカに滞在していた時代ですか?それとももっと前?
とにかく、このことはチャイコフスキーがこの曲の原案を練った時代が初演より相当前であることをうかがわせるものですね。そして、それを作品番号で反映したかった!
たとえば、ことによるとあのグランパのテーマが他作品の引用ではなく、もともと『白鳥』のために作られたものを、一時他作品で試していたなんてことは考えられないでしょうか?
単なる勝手な推測ですが・・・・・
▲「フ(では)・アフトーグラフェ(自筆譜)・ピルヴァナチャーリナ(本来は)・
ビィラ(英語のbe動詞の過去形ようなもの)・
『アントラークト(間奏曲)』」
と「註」されてますね。その文字を書いたのが
チャイコフスキー本人かどうかというのはまた別問題ですが。
@ありがとうございました。これも鉛筆入れ。
この情報は、僕の枠構造説(すなわち舞台での情景はない)をあとづける有力なものですね。
であるとすると、「シーン」との曲名はいったい誰がつけたのでしょうね?(堂々と印刷されている以上、チャイコフスキー自身が変更したということでしょうか?)
また、#14の「シーン」はどうなっているのでしょう?
@それと、同じことですが、属七の第7音。
▲チャイコフスキーのレヴェル(ベートーフェンさまも)では、そんな「ありあり」とした「調」の打ち出しかたをするでしょうか。
少なくとも、チャイコフスキーの音楽を考えるときに
そのような「導音必須」のような杓子定規な判定機を持ち出してては、むだに理解を阻害するだけだと思うのですが、いかがですか?
@ぼくは、全くそうは思いません。調性や調感覚などは、音符のドレミとおなじで、全くの道具にしか過ぎません。ベートーヴェンやチャイコフスキーが彼等の天才を表現するに当たって、普通の音符以外の天才的な珍奇な音を用いたでしょうか?否。特殊な楽器を使ったでしょうか?否。普通の調性以外のものを使ったでしょうか?これも否。
彼等はこういった普通の道具を使って天才性を発揮したのです。だから分析するに当たっても、調性や調感覚から天才性を導き出そうとしても無駄です。彼等の天才性はその先にあるのです。
#1の序奏の分析は仰るとおりです。しかし、ここで、この曲の主調であるニ長調に匹敵する存在感のあるイ長調は存在しません。簡単に言えば、7小節から出るピストンが演奏している形が、この部分の根幹です。(これは単なるニ長調)。
で、僕はこの部分を属音上のある種の《空騒ぎ》だと規定しています。そして、それがこのなんともいえないワクワク感をかもし出しているのです。
もう少し綿密にいえば、イントロダクションはニ短調の属和音でうつろな感じをもった中途半端さでおわり(たぶん一種の期待感)、そのまま#1に入り、薄暗さにだんだん光が入って来るという感じを演出しているのです。3小節目のホルンはイントロダクションの影響で、ニ短調の属和音的様相を帯びています(イ長調ではなく)、実際4小節目のヴィオラのfの音はまだ長調の世界ではないことをほのめかせています。この辺はまだニ短調色が濃いですね。6小節目でヴァイオリンはト長調のような動きをします。そういう調的不安定さの中からピストンが現れるのです。ですから7小節からのピストンは全部がニ長調でしか出来ていませんが、当初はそれは不確かなもので、一音一音ニ長調に向かって歩みを進めていることが解かります。他の楽器のごちゃごちゃした動きはそれを助けているに過ぎません。こういった流れが、薄暗さから明るさへ、物語への没入、を促し、その結果が《幕が開く》という形で視覚されるのです。
▲ちなみに、「悲愴」のデダシもこの「幕開き」前ですね。♪ラ<シ│<ドー>シーーー(ホ短と考えれば)♪という「主部主主題の主動機」を下属調で先触れさせてる、と捉えれば、幼稚園児を納得させるのは容易なはずです。
@全く御意です。ファゴットを第1主題の変形であると捉えられない人が変な解釈をするのでしょうね。
▲#2「ワルツ」
♪ミ>レ>ド│>シ>ラ>ソ♪なのです。なぜなら、
曲頭は前曲の「ニ長」が「尾を引いてる」からです。そして、
第3小節で♪♯ファ>ミ>レ♪となり、
「下属調(ニ長)」は「主調(イ長)」に流れ込む、という仕組みです。
@御意です。この間に拍手があるのかないのかわかりませんが、もしあったとしても、#1の終止は強烈ですので、まだニ長調は頭の中に残っているでしょう。
だから、仰るとおりのように頭の中では感じるでしょう。
ちなみに、組曲版では、ロ短調を受け、♪ミ>レ>ド│>シ>ラ>ソ♪が短調のように響くのでは?(笑い)
しかし、こういったことを、下属調から主調へという風に頭から決め付けることには僕は反対です。単に前曲が下属調であってそれとスムーズにつながっているというだけではないでしょうか?
▲#7
第7小節からのオーボエは「dis」を吹いてますね。オーボエからは「主調(ホ長)」でしょう。最後の木管8重奏も「ホ長の属和音」半終止。次曲への露払いとなってます。
@御意。訂正します。
ここでも、基本形ホ長調主和音が出ないのが、にくいほど卓越したチャイコフスキーのやり口ですね(笑い)。
▲すみません。私が書いた代物は、
「訳」などというものではありません。せいぜいが
「大意」です。正確な訳にはなってません。なにしろ、
ロシア語も何語も外国語のひとつもできない野郎ですから。
<【LE LAC DES SYGNES
Grand Ballet en 4 acts. Musique de Peter-Ilich Tchaikovsky. Opus 20.
INTRODUCTION】>
▲ありがとうございます。
SYGNESはCYGNESではないのですね? PeterはPierreではないのですね?
<一体これいかに!それなら普通に印刷すればいいじゃないか????
原典版編集者は暗にその書き込みが、他人の手によると言いたかったのか?
(出版にあたってユルゲンソンの関係者が
カヴァー(表紙)から引き写したことは大いに考えられることです)
しかし、それならはっきりとそれを脚注に書けよ!>
▲紳士なやすのぶさんにしては珍しく、かなりなお怒りですね。でも、
たしかに、おっしゃるとおりです。ただ、「単純な思考回路」しかない私には、
単に(ジュゲムやゲノムみたいに長いから、他のタイトルと釣り合わない。じゃ、
省いちゃえ。なくたって、これが『序奏』ってことくらい、バカでもわかるわ!)
くらいなアタマが奴らに働いたのではないか、くらいにしか考えれません。
「バァ~~~ッ!」と掌を開いて顔を見せて、
笑ったり、あるいは、泣いたりする反応に自己満する大人がいますね。
あれって、能がないというか、どうせなら、
両足の指まで駆使して、20本の指で顔を覆ってみせれば、
必ずや赤ちゃんに喜んでもらえると思うのですが。それはともかく、
<この疑問は、ぼくも以前から持っていました>
▲もし、古代ロシア人が凍えないように手袋とタビックスを着用した
手足の指を使って物を数えてたのだとしたら、
「20」というのは「数えれる」最大数、というようになりやすかったはずです。
キャリア官僚の身分を投げ打って、二十歳過ぎから
「作曲」の本格的な勉強に進んだチャイコフスキーにとって、
「作品番号20」はひとつのメルクマールだったのではないでしょうか。そして、
そこには「もっとも大事な作品」を当てはめたかった、とか。
<Op.20とは本来どの時代に当たるのですか?>
▲「op.17(2番交初稿)」(1872)、
「op.18(テンペスト)」(1873)、
「op.19(pf6つの小品)」(1873)、
「op.21(pf1つの主題による6つの小品)」(1873)、
「op.22(2番弦四)」(1874)、
「op.23(1番pf協)」(1875)。
逆に、「白鳥湖」が本格的に作曲されたとされる
1875乃至1876年あたりの作品は、
「1番pf協(1875)」(op.23)、
「オネーギン(*1877)」(op.24)、
「6つのロマンス(1875)」(op.25)、
「vn憂鬱なセレナード(1875)」(op.26)、
「6つのロマンス(1875)」(op.27)、
「6つのロマンス(1875)」(op.28)、
「3番交(1875)」(op.29)、
「3番弦四(1876)」(op.30)、
「スラ行(1876)」(op.31)、
「リーミニのフランチェースカ(1876)」(op.32)、
「vcロココ変(1876乃至77)」(op.33)、
「vnワルツ・スケルツォ(1876乃至77)」(op.34)、
「vn協(1878)」(op.35)、
「4番交(1877乃至78)」(op.38)、
「pfグランド・ソナタ」(1878)」(op.37)、
「pf四季(1875乃至76)」(op.37a)、
といった具合です。
*以上から、やはり重要作品である「オネーギン」への
「『24番』席取り」疑惑も浮かび上がってきます。
<カメンカに滞在していた時代ですか?それとももっと前?>
▲カーメンカには数え切れないくらいの回数滞在してます。
妹の死後自身の死までの2年半ほどの間にも、3、4回は訪れてます。最後は、
たしか1893年1月。それは、4乃至8歳のときの家庭教師
ファンニーを訪ねてあとからの、いつもいっしょのモデスト以外の
「兄弟妹の家すべてを訪問(私見では『暇乞い』だと考えてます)」
の開始でした。が、やすのぶさんがおっしゃってるのは、
1871年6乃至7月のことでしょうか。このとき、
「子どものための『白鳥湖』」を作った、とされてるのでしたね。
たしかに、この年のカーメンカでの「休暇」は「重要」です。なぜなら、
「最愛の甥」になるボブが妹の腹の中に宿ってたのですから。
<グランパのテーマが他作品の引用ではなく、
もともと『白鳥』のために作られたものを、
一時他作品で試していたなんてことは考えられないでしょうか?>
▲破棄したオペラ「ウンヂーナ(水の精)」のことはたいして知りませんが、
「お話」はつまりは「白鳥湖」とおんなじです。すなわち、
「純愛」そして「死」。「トリスタンとイゾルデ」のようなものです。
<他作品からの引用>というよりは「ネタはおなじだから転用」でしょう。
また、私見ですが、
♪【ミ│<ラーー・>ソー>ド】│<♯ドーー・ーー♪
という動機は、「オネーギン」でも、
♪●【ミ<ラ>ソ│>ド】、<レ<ラ>ソ♪
という重要な動機として使われてます。そして、やはり同時期、
「葬送行進曲」を主章の序部に配した交響曲である「3番交」の
「エレージアコ(悲歌ふうに)」な緩徐章でも、フルートに、
♪●●●【ド・<ファーーー・>ミーー>ラ】│<シーーー・ーーーー●●●●♪
と奏させてます。チャイコフスキーにとって、
とてつもなく重要な動機であり、それらはすべて
「同一の」感情・意図から生まれたもの、だと考えてます。
ダ・『スパイダー』ズ時代の堺正章は、
♪【夜<更>け>の】<ゴ<ゴォ~~~♪
と、グランダダージョを「『嵐』のゴゴー」として歌いました。
「移りゆく、『クモ』に『嵐』の、声すなり。
散るか。マチャアキの、葛木の山」
(本歌取りの度合いが強すぎるという非難が多かったとされる藤原雅経)
<僕の枠構造説(すなわち舞台での情景はない)をあとづける有力なものですね>
▲いえ、「説」ではなく、とっくに「定理」です。
(たとえ、どんなにエラい先生がたが反対しても、私が三度ウなずいてますから)
「隣の空き地に囲いができたってねぇ……へぇ?」
「向こうの湖がロック・アウトされたってねぇ……ワクワク」
<であるとすると、「シーン」との曲名はいったい誰がつけたのでしょうね?
▲秘メごとだから「誰も答えてはならぬ」とトゥランドットコムに命じられた民は、
シ~~~ンとなってしまったことでしょう。というのは、
「山椒亭小粒でぴりりとカラフ師匠」の得意ネタだとかそうでないとか。
「一字一句『#14』と違わねぇんだから、こいつも『scene』に
シチェーナ(これ、いちおうロシア語スツェーナへのオヤジギャグです)」、
ってなもんでしょう。
<#14の「シーン」はどうなっているのでしょう?>
▲ハナっからチャイコフスキーが「シーン」としてたのではありませんか?
「シーンあつらえの心は母心。押せばオデットの命の湖ワク」
▲都倉俊一大先生による「六歩ローモンド厄神」を引いた
「五音階のマリー」ではどうだか知りませんが、「本歌」のほうには、
♪レーレ>ド>ラー>【ソ<シー】│<ドードードー<ミ<ソ│
<ラーーー>ソー、ソー♪の【】の箇所あたりには
属7が使われてしかるべきですね。
<彼等はこういった普通の道具を使って天才性を発揮したのです>
▲ハンマーも木魚も、セリーもナズナも使ってませんね。そのように思いますよ。
<分析するに当たっても、調性や調感覚から天才性を導き出そうとしても無駄です>
▲そのようには「導き出そう」とはしてませんね。ただし、
彼らの転調の巧みさは、おみごととしか言いようがありません。
<この曲の主調であるニ長調に匹敵する存在感のあるイ長調は存在しません>
▲なぜ<ニ長調に匹敵する存在感のあるイ長調>でなければならないのでしょう?
<7小節から出るピストンが演奏している形が、この部分の根幹です。
(これは単なるニ長調)>
▲オボやクラとのユニゾンの下支えですね。
ええ、ここは「すでにニ長」ですね。
<僕はこの部分を属音上のある種の《空騒ぎ》だと規定しています。そして、
それがこのなんともいえないワクワク感をかもし出しているのです>
▲たしかに、《空騒ぎ》という言葉はいい得て妙ですね。ただ、
《空騒ぎ(ado)》というと、a音がdoのイ長みたいで申しわけないですね。
ちなみに、「唐沢ぎ美樹」嬢は、AV嬢にしては清楚な感じがするのに、
マニアなモーツァルトが泣いて悦びそうなエグいものをアウトプットするようです。
<イントロダクションはニ短調の属和音でうつろな感じをもった
中途半端さでおわり (たぶん一種の期待感)、そのまま#1に入り、
薄暗さにだんだん光が入って来るという感じを演出しているのです>
▲適切な解説だと思います。
暗から明への「閘門」をスエズに唐突に変換する神経は、
パナマうぅ~~んと素敵なチャイコフスキーには
いカナルときもないでしょう。
<3小節目のホルンはイントロダクションの影響で、
ニ短調の属和音的様相を帯びています(イ長調ではなく)>
▲そうだと仮定してみて、では、
それと「繋がってる」2小節め4拍あと半分の8分音符は、
ニ短上の「何」にあたるのでしょうか?
<実際4小節目のヴィオラのfの音はまだ長調の世界ではないことを
ほのめかせています。この辺はまだニ短調色が濃いですね>
▲3乃至4小節のヴィオーラを、ニ短の階名にあてても、
♪♯ソ♯ソ♯ソ♯ソ<ララララ<♯ラ♯ラ♯ラ♯ラ<シシシシ│
<ドドドド<レレレレ<ミミミミ・ミミ>レレ♪
チェロは、
♪ミミミミ<♯ファ♯ファ♯ファ♯ファ<ソソソソ<♯ソ♯ソ♯ソ♯ソ│
<ララララ<シシシシ<ドドドド・ドド>シシ♪
という、無理がある軋んだものになるだけです。私にはそれぞれ、
♪【ミミミミ<ファファファファ<♯ファ♯ファ♯ファ♯ファ<ソソソソ│
<♭ラ♭ラ♭ラ♭ラ】<♭シ♭シ♭シ♭シ<ドドドド・ドド>♭シ♭シ♪
♪ドドドド<レレレレ<♯レ♯レ♯レ♯レ<ミミミミ│
<ファファファファ<ソソソソ<♭ラ♭ラ♭ラ♭ラ・♭ラ♭ラ>ソソ♪
としか聴こえません。つまり、
イ長→一時ヘ長、そして、(5乃至6小節)ニ長→ト長。なにより、
♪【ミミミミ<ファファファファ<♯ファ♯ファ♯ファ♯ファ<ソソソソ│
<♭ラ♭ラ♭ラ♭ラ】♪
という【主主題の動機】がトレモロでソワソワさせながら
「イ長」そして「ニ長」で先触れされてる、
と素直に読んだほうがよほどワクワクしませんか?
<6小節目でヴァイオリンはト長調のような動きをします>
▲そのようにスキャンすると、
4小節めのやはり両翼vnは「ニ長」のような動き、
としなければなりません。
<一音一音ニ長調に向かって歩みを進めている>
▲「イ長」で始まって「ニ長」へ向かう、のではいないが、
「ニ短」のようではあるし、ト長やハ長の動きも見せる
……とおっしゃってるということは、つまりは
……「ニ長」で始まってはいない、
ことは解かってていただいてる、ということですね?
なら、そこまででもいっこうにかまいません。
<ファゴットを第1主題の変形であると捉えられない人が
変な解釈をするのでしょうね>
▲「変型」どころか「そのもの」ですね。上記#1の
「導部」と「主部」の♪【ミ<ファ<♯ファ<ソ│<♭ラ】♪も
まったく同じですね。
<組曲版では、ロ短調を受け、♪ミ>レ>ド│>シ>ラ>ソ♪が
短調のように響くのでは?(笑い)>
▲直前がいかに「ロ短」主和音で終わってても、本位のソが邪魔ですね。
これを我々エセ金田一一族は「阻害」と定義してます(※)。ともあれ、
だからこそ、「チャイコフスキーが編んだのではない」ほうへの
加点事由のひとつになりますね。
<しかし、こういったことを、下属調から主調へという風に
頭から決め付けることには僕は反対です。
単に前曲が下属調であってそれとスムーズにつながっている
というだけではないでしょうか?>
▲べつに私が<頭から決め付け>てるわけではなく、
事実そういうふうにしてあるのですから、しかたないでしょう。
では、これだけお訊きします。冒頭は「主調」でしょうか?
<基本形ホ長調主和音が出ないのが、
にくいほど卓越したチャイコフスキーのやり口ですね(笑い)>
▲それにしても、このナンバーぐらんど可決はケッタイな存在でおますな。
こないな短いのが「曲」でっか? と、NGK(ノウ・グッド・項目)にされず、
れっきとした「1曲」として通ってしまったのですから(※)