米国の女子プロサッカーリーグが2012年のスィーズンを開催しない、
との決定が一昨日に下されたらしい。所属選手たちは、
"sad day."
"Can't believe how awesome the atmosphere was last night!"
などと悲しみ、嘆きつぶやいてる。つい3年前には
8ティームあったものが、現在はたったの5ティームである。しかも、
そのひとつが身売りされて、それが
リーグの方針と異なる運営をしそうなので取りやめたようである。
今年はロンドン五輪の女子サッカーでは王者米国の
打倒日本が必至であったはずである。
アビー選手など、主力選手の身の振りかたが
気になるところだが、どこで禄を食ムにせよ、
[ワンバックでもいい。たくましく育ってほしい]ものである。
なでしこリーグも経営が大変だそうであるが、
米国でも難しいのである。家計が苦しいといえば、
稼ぎと頭髪が薄い私はまた、日曜までに焼き上げなければならない
煎餅焼きが大量に溜まってしまってる。が、
手をつける気力がわかず、きれいなおねえさんのブログを
ブラウズしてる状態である。が、それも気休めにしかならず、
ココロここにあらず、というか、
ロココここにあらず、なのかどうかも判らない。
明日は節分である。拙文を連ねてる場合でもないが、
やる気が起こらないものはしかたない。
ときに、
2月2日というのは、現在MBL機構に属するナショナル・リーグが
1876年に創立された日である。現在のところ、
ナショナル・リークは16ティーム、アメリカン・リーグは14ティーム、
といういびつな球団数である。これは、
「対戦相手」が要る以上、奇数の球団数では
あぶれてしまう球団が出てしまう、
という論理でこうなってる。が、2013年スィーズン以降に、
等しく15球団ずつにする(プレイオフには各リーグ5球団ずつが進出)、
という案が練られてる模様である。ともあれ、
アメリカン・リーグができたのが1901年で、
ナショナル・リーグからメイジャー・リーグと認められたのが1903年であるから、
四半世紀も歴史が古い、といえる。そのように"伝統的"だからか、
ナショナル・リーグは現在でもDH制を採らない。ちなみに、
つい数年前にルールが改正されるまでは、
同点で決着がつかないときは、
アメリカン・リーグは午前0時59分でサスペンディドにされたが、
ナショナル・リーグは照明がなかったシカゴのリグリー・フィールドを例外として
決着がつくまで試合は続行された。そこで、
MLB史上もっとも「長い」試合といえば、
1920年のブルックリン・ドヂャーズ対ボストン・ブレイヴズの
延長26回、1対1の引き分けである。これは
照明設備がなかったためにそこで引き分けになったが、
MJB史上最長イニングの試合である。そして、ア・リーグで
上記の午前1時を過ぎて新しいイニングに入らない規定が
適用された例として最長時間試合となったのは、
1984年のシカゴ・ホワイトソックス対ミルウォーキー・ブルーアーズ戦である。
19時30分に開始されたゲイムは翌0時59分時点で、
延長17回終了、3対3の同点でサスペンディドとなり、
翌日というか同日の午後に続きが行われ、
延長21回の表と裏にそれぞれが3点ずつ入れ、
ついに延長25回裏にシカゴのハロルド・ベインズの
ソロ・ホームランで決着した。延長25回、7対6、計8時間6分だった。
シカゴにはカールトン・フィスク捕手が、
ミルウォ-キーにはロビン・ヤント遊撃手、ベン・オグリヴィー外野手、
テッド・スィモンズ一塁手(元来は捕手)、そして、
先発したドン・サットン投手など、
往年の名選手らがいた。そして、
シカゴは最後に、同日の本来の試合に先発予定だった
トム・スィーヴァー大投手が1イニングだけ登板し無安打無失点に抑えた。が、
そのためにこの大延長戦の勝利投手となった。がしかし、
それだけではなく、スィーヴァー投手はこのあとの夜の
本来の試合に先発して8回1/3を投げて4失点ながら、
5対4でこれも勝利投手となったのである。当然、
ユニフォームの右膝あたりはマウンドの土で汚れてた。ともあれ、
ナショナル・リーグの延長26回引き分けゲイムも、
アメリカン・リーグの(延長25回)8時間6分の試合も、
ともに「5月」に行われたものだった。
5月は野球にとってなにか試合をなかなか決着させないような
気候なのかもしれない、maybe。ちなみに、
1984年の時点では、MLBは
ナショナル・リーグとアメリカン・リーグが現在のように
それぞれ東中西の3つずつではなく、
それぞれ東西の2つずつに分かれてて、
計4つのディヴィジョンで構成されてた。
ナショナル・リーグができた1876年の暮れから翌年始めにかけて、
チャイコフスキーは独奏チェロと管弦楽の
「ロココふうの主題による変奏曲」を作曲した。
チャイコフスキーが敬愛したモーツァルトの時代ふうな曲想だという。が、
その主題はチャイコフスキー自身のオリジナルである。そして、
A、B、C、D四つの部分から構成されてる。
A=
♪ソ>ミ│<ファーッ>ミーッ・<レーッ<ミーッ│>ドーーー・ーー、
ドー│<ラー、ラーッ、・>ソー<シ>ラ│>ソーー>ファ・>ミー♪
B=
♪ソー│<ラー、ラーッ、・<シーッ、<ド>ラ、│>ソーー>ファ・>ミー、
<ソ<ラ、│<シーッ、シーッ、・<ミ>レ>ド>シ、│>ラーーー・>ソー♪
C(木管群)=
♪ソ<ラ│<シー、>ラ<シ・<ドー、<レー│>ソー、<ドー・>ソー、
ソ<ラ│<シ<ド<♯ド<レ、・>シ<Nド>ラ<♭シ、│
>ソ<♭ラ>♯ファ、♯ファ・<ソー、>♯ファー│<ソー、>♯ファー・<ソー♪
D=
♪(弦楽)♯ソー│ーッ、>Nソ>ファ・>ミー、(独奏チェロ)>♯レ<ミ、│
<ミーーー、・>レ>ド、>シ、>ラ、│>ソ(<ラ<シ>)<ラ、>ソー・ーー♪
この主題群には、翌年に作曲される
「オネーギン」の中の動機などがすでに含有されてる。ともあれ、
この主題群は、A、B、C、D四つの部分が
均等もしくは対称的または整然とは連ねられてない。
[A*2=8小節→B*1=4小節→A*1=4小節→C*1=5小節→D*1=3小節]
という、ロココ調に曲がりくねった「いびつな」形になってるのである。
チャイコフスキーはこの「変奏曲」を完成させた年の翌年にとりかかった
「ヴァイオリン協奏曲」でも、
第1楽章、展開部の後方に置いたカデンツァ終い、
独奏ヴァイオリンのトリルに導かせてフルート1管で主題を再現させ、
独奏ヴァイオリンがそれに絡んで主題をバトンタッチする、
という絶妙な場面を膳立てした。
この「ロココの主題による変奏曲」でも、
第5変奏の終いに独奏チェロにイ長調の属音をトリルさせて、
それに導かれる形でフルート1管に主題を再現させて第6変奏に移り、
独奏チェロにはトリルで上昇、という箇所を作った。そして、
その第6変奏の途中のカデンツァからまたチェロにイ長調の属音をトリルさせて、
それに導かせてフルート1管に主題を再現させ、独奏チェロはトリルで上昇、
というように曲を進ませるてのである。
この曲の序奏の、
♪ソ>ド、│<ラーーー・ーー、ラ>レ、│<シーーー・・ーー、シ>ミ、│<ドーー>シ・>ラー♪
の、クロマティカルに上昇するバスとのバランスに醸し出される
チャイコフスキーの品のある側面の雰囲気が、
「ロココ」という芸風にもぴったりと当てはまってる。
この曲を聴いたり思い浮かべたりすると、私はなぜか、
プチ・トリアノンでもサン・スーシでもなく、
小学生の頃によく叔父に連れてかれた中山競馬場とその周辺の、
細く入りくんで曲がりくねった道路を想起してしまう。
記憶(関連づけ)とはじつに興味深いものである。
との決定が一昨日に下されたらしい。所属選手たちは、
"sad day."
"Can't believe how awesome the atmosphere was last night!"
などと悲しみ、嘆きつぶやいてる。つい3年前には
8ティームあったものが、現在はたったの5ティームである。しかも、
そのひとつが身売りされて、それが
リーグの方針と異なる運営をしそうなので取りやめたようである。
今年はロンドン五輪の女子サッカーでは王者米国の
打倒日本が必至であったはずである。
アビー選手など、主力選手の身の振りかたが
気になるところだが、どこで禄を食ムにせよ、
[ワンバックでもいい。たくましく育ってほしい]ものである。
なでしこリーグも経営が大変だそうであるが、
米国でも難しいのである。家計が苦しいといえば、
稼ぎと頭髪が薄い私はまた、日曜までに焼き上げなければならない
煎餅焼きが大量に溜まってしまってる。が、
手をつける気力がわかず、きれいなおねえさんのブログを
ブラウズしてる状態である。が、それも気休めにしかならず、
ココロここにあらず、というか、
ロココここにあらず、なのかどうかも判らない。
明日は節分である。拙文を連ねてる場合でもないが、
やる気が起こらないものはしかたない。
ときに、
2月2日というのは、現在MBL機構に属するナショナル・リーグが
1876年に創立された日である。現在のところ、
ナショナル・リークは16ティーム、アメリカン・リーグは14ティーム、
といういびつな球団数である。これは、
「対戦相手」が要る以上、奇数の球団数では
あぶれてしまう球団が出てしまう、
という論理でこうなってる。が、2013年スィーズン以降に、
等しく15球団ずつにする(プレイオフには各リーグ5球団ずつが進出)、
という案が練られてる模様である。ともあれ、
アメリカン・リーグができたのが1901年で、
ナショナル・リーグからメイジャー・リーグと認められたのが1903年であるから、
四半世紀も歴史が古い、といえる。そのように"伝統的"だからか、
ナショナル・リーグは現在でもDH制を採らない。ちなみに、
つい数年前にルールが改正されるまでは、
同点で決着がつかないときは、
アメリカン・リーグは午前0時59分でサスペンディドにされたが、
ナショナル・リーグは照明がなかったシカゴのリグリー・フィールドを例外として
決着がつくまで試合は続行された。そこで、
MLB史上もっとも「長い」試合といえば、
1920年のブルックリン・ドヂャーズ対ボストン・ブレイヴズの
延長26回、1対1の引き分けである。これは
照明設備がなかったためにそこで引き分けになったが、
MJB史上最長イニングの試合である。そして、ア・リーグで
上記の午前1時を過ぎて新しいイニングに入らない規定が
適用された例として最長時間試合となったのは、
1984年のシカゴ・ホワイトソックス対ミルウォーキー・ブルーアーズ戦である。
19時30分に開始されたゲイムは翌0時59分時点で、
延長17回終了、3対3の同点でサスペンディドとなり、
翌日というか同日の午後に続きが行われ、
延長21回の表と裏にそれぞれが3点ずつ入れ、
ついに延長25回裏にシカゴのハロルド・ベインズの
ソロ・ホームランで決着した。延長25回、7対6、計8時間6分だった。
シカゴにはカールトン・フィスク捕手が、
ミルウォ-キーにはロビン・ヤント遊撃手、ベン・オグリヴィー外野手、
テッド・スィモンズ一塁手(元来は捕手)、そして、
先発したドン・サットン投手など、
往年の名選手らがいた。そして、
シカゴは最後に、同日の本来の試合に先発予定だった
トム・スィーヴァー大投手が1イニングだけ登板し無安打無失点に抑えた。が、
そのためにこの大延長戦の勝利投手となった。がしかし、
それだけではなく、スィーヴァー投手はこのあとの夜の
本来の試合に先発して8回1/3を投げて4失点ながら、
5対4でこれも勝利投手となったのである。当然、
ユニフォームの右膝あたりはマウンドの土で汚れてた。ともあれ、
ナショナル・リーグの延長26回引き分けゲイムも、
アメリカン・リーグの(延長25回)8時間6分の試合も、
ともに「5月」に行われたものだった。
5月は野球にとってなにか試合をなかなか決着させないような
気候なのかもしれない、maybe。ちなみに、
1984年の時点では、MLBは
ナショナル・リーグとアメリカン・リーグが現在のように
それぞれ東中西の3つずつではなく、
それぞれ東西の2つずつに分かれてて、
計4つのディヴィジョンで構成されてた。
ナショナル・リーグができた1876年の暮れから翌年始めにかけて、
チャイコフスキーは独奏チェロと管弦楽の
「ロココふうの主題による変奏曲」を作曲した。
チャイコフスキーが敬愛したモーツァルトの時代ふうな曲想だという。が、
その主題はチャイコフスキー自身のオリジナルである。そして、
A、B、C、D四つの部分から構成されてる。
A=
♪ソ>ミ│<ファーッ>ミーッ・<レーッ<ミーッ│>ドーーー・ーー、
ドー│<ラー、ラーッ、・>ソー<シ>ラ│>ソーー>ファ・>ミー♪
B=
♪ソー│<ラー、ラーッ、・<シーッ、<ド>ラ、│>ソーー>ファ・>ミー、
<ソ<ラ、│<シーッ、シーッ、・<ミ>レ>ド>シ、│>ラーーー・>ソー♪
C(木管群)=
♪ソ<ラ│<シー、>ラ<シ・<ドー、<レー│>ソー、<ドー・>ソー、
ソ<ラ│<シ<ド<♯ド<レ、・>シ<Nド>ラ<♭シ、│
>ソ<♭ラ>♯ファ、♯ファ・<ソー、>♯ファー│<ソー、>♯ファー・<ソー♪
D=
♪(弦楽)♯ソー│ーッ、>Nソ>ファ・>ミー、(独奏チェロ)>♯レ<ミ、│
<ミーーー、・>レ>ド、>シ、>ラ、│>ソ(<ラ<シ>)<ラ、>ソー・ーー♪
この主題群には、翌年に作曲される
「オネーギン」の中の動機などがすでに含有されてる。ともあれ、
この主題群は、A、B、C、D四つの部分が
均等もしくは対称的または整然とは連ねられてない。
[A*2=8小節→B*1=4小節→A*1=4小節→C*1=5小節→D*1=3小節]
という、ロココ調に曲がりくねった「いびつな」形になってるのである。
チャイコフスキーはこの「変奏曲」を完成させた年の翌年にとりかかった
「ヴァイオリン協奏曲」でも、
第1楽章、展開部の後方に置いたカデンツァ終い、
独奏ヴァイオリンのトリルに導かせてフルート1管で主題を再現させ、
独奏ヴァイオリンがそれに絡んで主題をバトンタッチする、
という絶妙な場面を膳立てした。
この「ロココの主題による変奏曲」でも、
第5変奏の終いに独奏チェロにイ長調の属音をトリルさせて、
それに導かれる形でフルート1管に主題を再現させて第6変奏に移り、
独奏チェロにはトリルで上昇、という箇所を作った。そして、
その第6変奏の途中のカデンツァからまたチェロにイ長調の属音をトリルさせて、
それに導かせてフルート1管に主題を再現させ、独奏チェロはトリルで上昇、
というように曲を進ませるてのである。
この曲の序奏の、
♪ソ>ド、│<ラーーー・ーー、ラ>レ、│<シーーー・・ーー、シ>ミ、│<ドーー>シ・>ラー♪
の、クロマティカルに上昇するバスとのバランスに醸し出される
チャイコフスキーの品のある側面の雰囲気が、
「ロココ」という芸風にもぴったりと当てはまってる。
この曲を聴いたり思い浮かべたりすると、私はなぜか、
プチ・トリアノンでもサン・スーシでもなく、
小学生の頃によく叔父に連れてかれた中山競馬場とその周辺の、
細く入りくんで曲がりくねった道路を想起してしまう。
記憶(関連づけ)とはじつに興味深いものである。