池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

我々は悪癖から遠ざかるべき

2022-04-12 16:15:45 | 日記
私のような年齢になっても、悪癖がひょっこり顔を出す。
習い性になっているので、そのまま垂れ流している悪癖も多い。

14.
Yassānusayā na santi keci, mūlā ca akusalā samūhatāse;
So bhikkhu jahāti orapāraṃ, urago jiṇṇamivattacaṃ purāṇaṃ.
その人に悪い習慣がなく、様々な不善が根元から断ち切られているなら、そのような修行者は、この世とあの世をともに捨てる。ヘビが古い皮を脱ぎ捨てるように。



(語釈)
anusaya: 7 provities (tendencies) 性癖、傾向「悪い習性:潜在的に我々が持っている性向」
anuは「従う、寄り添う」の意味のプリフィクス、sayaは「眠り」で、我々の中で眠っていた悪い性癖が、ちょっとしたことでひょっこり顔を出す。
この年になっても経験する事実である。
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世界は仮想現実

2022-04-11 08:03:19 | 日記
科学のことには詳しくないが、量子の奇怪な振る舞いが明らかになってくるにつれ、我々が見ている世界は仮想現実ではないかという意見が出てきているそうだ。
でも、これは、仏教ではかなり昔から言われていること。
ここに出てくるパパンチャというパーリ語がそれ。

8.
Yo nāccasārī na paccasārī, sabbaṃ accagamā imaṃ papañcaṃ;
So bhikkhu jahāti orapāraṃ, urago jiṇṇamivattacaṃ purāṇaṃ.

性急でもなく怠惰でもなく、ただ静かに世界の虚妄を超越した(誤った世界観から逸脱できた)修行者はこの世とあの世をともに捨てる。ヘビが古い皮を脱ぎ捨てるように。


語釈
papañca(パパンチャ):expansion, diffuseness, “phanomenal world” 
漢訳では「戯論」、
ヴェーダーンタ哲学では「世界の広がり」(中村)
自分の目に映る世界は実在であるという迷妄、妄想
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白鬼火【欧明社またはテープの終わり】

2022-04-10 14:04:44 | 日記
白鬼火【欧明社またはテープの終わり】
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スッタニパータより

2022-04-10 08:43:34 | 日記
2.
Yo rāgamudacchidā asesaṃ, bhisapupphaṃva saroruhaṃ vigayha;
So bhikkhu jahāti orapāraṃ, urago jiṇṇamivattacaṃ, purāṇaṃ.
池の蓮を、水に潜って根元から折りとるように、愛欲をすっかり断ち切った修行者は、この世とかの世をともに捨てる。ヘビが古い皮を脱ぎ捨てるように。

3.
Yo taṇhamudacchidā asesaṃ, saritaṃ sīghasaraṃ visosayitvā;
So bhikkhu jahāti orapāraṃ, urago jiṇṇamivattacaṃ purāṇaṃ.
妄執の奔流をすっかり干上がらせて渇愛を残りなく断ち切った修行者は、この世とあの世をともに捨てる。ヘビが古い皮を脱ぎ捨てるように。

4.
Yo mānamudabbadhī asesaṃ, naḷasetuṃva sudubbalaṃ mahogho;
So bhikkhu jahāti orapāraṃ, urago jiṇṇamivattacaṃ purāṇaṃ.

激流が力のない葦の橋を壊すように、優劣を比較する心を残りなく壊し去った修行者は、この世とあの世をともに捨てる。ヘビが古い皮を脱ぎ捨てるように。
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怒りを捨てることで人間は生まれ変われる

2022-04-09 06:07:19 | 日記
ヘビの毒が広がるのを薬で制するように、怒りが広がるのを制する修行者は、この世とかの世をともに捨てる。ヘビが古い皮を脱ぎ捨てるように。


スッタニパータの冒頭にある言葉だ。
怒りを捨てることが、どうして解脱につながるのか?
よくはわからないのだが、今のウクライナの混乱を見ていると、怒りがいかに危険なものかはよくわかる。

(原文)
1.
Yo uppatitaṃ vineti kodhaṃ, visaṭaṃ sappavisaṃva osadhehi
So bhikkhu jahāti orapāraṃ, urago jiṇṇamivattacaṃ purāṇaṃ.

(語釈)
bhikkhu j 比丘(主格=主語)
jahāti  捨てる(比丘も捨てるし、蛇も捨てるが、蛇の方は省略されている)
ora +pāraṃ この世 あの世
urago  蛇
jiṇṇam 古くなった(以下、全部対格)
tacaṃ 皮膚
purāṇaṃ 昔の
iva ~のように(はさまれて合成語のようになっている)

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