N氏と酒場を後にした。二人とも上機嫌である。酒はたらふく飲んだし、好きなことをいっぱいしゃべったし。
「いやあ、久しぶりに会えて楽しかったよ」
「本当ですね、本当にあの年金問題はひどい。憤慨してます」
「今度はいつ会えるかなあ」
「それはそうかもしれないけど、私は社会保険事務所に行こうかと思っているんです」
「今度は女の子がいるような所へ行きたいなあ」
「女のお子さんがいるなんて、うらやましいです」
二人とも、相手の話など何も聞いちゃいないのである。聞いているフリをして、自分の好き勝手なことをしゃべるだけ。だから良い気分で飲み食いできる。N氏が相手ではなく真面目に話を聞くような人間だったら、話はまったく異なってくる。一方的に話を聞かされ、こっちの言うことは何も聞いてもらえないのだから、一種の虐待だ。私やN氏のように、半分呆けたフリをして生活しているからこそ成立する飲み会である。
電車で帰るN氏を見送った。ホームの上にできた改札口。さて、予約したビジネスホテルへ行こうと屋上テラスに出た。立派になったものだ。私が会社員だった頃、ここは横断歩道橋を少しだけ広くしたような空間だった。いまや広々とした空間になり、駅前のビルに接続し、エスカレーターまで付属している。
ふと頭をよぎるのは、ラグビー部の最後の宴会のこと。シーズン終わりの納会であり、リーグ昇格の祝勝会も兼ねていたので、異常なほど盛り上がった。私は退職を決意し、すでに上司とも時期を僧団済みだったが、ラグビー部の連中には何も言っていなかった。だから、来期も私がフルバックをやるものだと全員信じ込んでいた。会社を辞めることを言おうかとも思ったが、あまりに場違いなので黙っていた。
一次会が終わり、次へ行こうと立ったのが、この場所、改札口とつながった屋上テラスだった。連中は、ふだんは付き合う女性にも事欠いているくせに、酒を飲んで気が大きくなったのか「おい、そこの二人。こっちへ来なさい。一緒に飲みに行くよ」とえらく強気である。声をかけられた女の子たちは、怖がって走って逃げていた。
「ああ、これで、こいつらともお別れだな」と思った。
人生で唯一のサラリーマン生活を経験し、この連中とチームを組んで戦った。それは貴重な出会いだった。出会いには理由がある。我々は会うべくして会った仲間だったのだろう。別れも同様だ。彼らとは別れるべき頃合いなのだろう。やがて連中も、社会人として成長し、しっかりした仕事をしながら家庭を築いていく。その時、ラグビー部の端っこにいた私が彼らの人生に何らかの貢献をしたのなら幸いだ。
私は、あの夜、K駅前の広場に立って、将来の不安を感じながら、仲間への別れの挨拶を心の中でつぶやいたことを思い出していた。(了)