池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

出会い頃、別れ頃(27)

2024-07-25 16:31:57 | 日記

 私は心の中でもがいていた。未来をこっそり盗み見ながら生きていく自分に幻滅し、すでに十代にしてボヘミアン的人生に憧れ、自分をその方向へ動かしてきた。しかし、今の自分はどうだろう? 会社員の生活に慣れ、仕事もそれなりに気に入り、家庭を作った。これは、自分が思い描いた人生とは全くの逆方向ではないか。五年先、十年先、何なら三十年先まで見通せるような人生だ。これでは、予知夢にしたがって生きていくことと何も変わりはないではないか。

 特に息子が生まれてから、このまま流されていくのではないかという疑念が私の中で強くなった。そして、私はそれを抑圧し、意識しないようにした。しかし、心の深い部分で私は葛藤を繰り返し、胃潰瘍まで起こしていた。

 私は三十代半ばになろうとしていた。フリーランスになって自分の力を思い切り試してみたいという気持ちもあった。いくら仕事が合っているとはいっても、組織の中で動いているかぎり制約が多いことは確かなのだ。しかし、それは妻や子供をリスキーな境遇に引き込んでしまうことでもある。おそらく妻は私のわがままを理解してくれると思う。パリで出会ったとき、私は風来坊でしかなかったからだ。しかし子供は……

 私は目を閉じて、思考を止め、これまでのいくつかの夢を脳内で反芻した。おそらく私が見た一連の夢は、何かの未来の出来事を予知しているというより、潜在意識からの警告だったのだろう。この問題をこれ以上放置していくわけにはいかないぞ、というメッセージだ。皮肉なことに、「一生安泰だな」という父親の最後の言葉が、隠された心の葛藤を表面に出すことになった。

 結論はすぐに出た。こんな問題に理性で結論を出そうとしてもぜったいにうまくいかない。理屈や損得の問題ではなく、自分の心や人生観に関わっているからだ。どちらの道が自分らしいか、より多く頑張れるか、後悔せずにすむか? そう考えると、答えは一つしかない。

「会社を辞めよう」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする