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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

3月6日・ガルシア=マルケスの現実

2022-03-06 | 文学
3月6日は、至上の芸術家、ミケランジェロが生まれた日(1475年)だが、ノーベル賞作家、ガルシア=マルケスの誕生日でもある。

ガブリエル・ホセ・ガルシア=マルケスは、1928年、南米コロンビアのカリブ海沿岸の村アラカタカで生まれた。幼いころから祖母に民話、伝説、恐怖話などを聞かされて育ったマルケスは、4歳のころには、口を開けばでまかせの話を語りだすおしゃべりな子になっていた。家庭は貧しかったが奨学金を得、19歳でボゴタ大学の法学部に入学。このころ、フランツ・カフカの『変身』に触発されて、はじめて短編小説を書いた。
彼が20歳のとき、コロンビアでは野党党首の暗殺が引き金となって、ボゴタ暴動が起きた。それは内戦化して、ボゴタ大学が閉鎖された。マルケスはガクタヘーナの大学へ転学し、当地の新聞社で働きだした。以後、新聞社を転々として記事を書くかたわら、小説を書きつづけた。
27歳のとき、小説『落葉』出版。ただし、印税はまったく入らなかった。
その後、マルケスは新聞記者として、ヨーロッパを転々とした後、29歳のとき、南米へもどり、ベネズエラで雑誌編集にたずさわった。このとき内乱が起き、ベネズエラの独裁者だったヒメーネスが国外へ逃亡した。
30歳のとき、カストロやゲバラらによるキューバ革命が成り、独裁者バティスタが国外へ逃亡した。マルケスは記者としてキューバへ飛び、ハバナの革命裁判に出席した。
33歳のころ、マルケスはコロンビアの通信社のニューヨーク支局員として勤めた後、メキシコへ移り、知り合ったメキシコ人作家の誘いで映画制作にかかわった。そして、ある日、家族をクルマに乗せてアカプルコの海へ出かけた。行く途中、クルマのなかで、長いあいだ温めていた小説についてひらめいた。そうだ、小さいころに聞いた祖母の語り口のように書けばいいのだ、と。海水浴は中止。彼はクルマをUターンさせ、家へもどり、タイプライターを打ちはじめた。それから1年半打ちつづけて『百年の孤独』を書き上げた。この小説は発売されると、たちまちスペイン語圏で「ソーセージのように」売れた。『百年の孤独』は世界各国で翻訳され、マルケスは世界的作家となった。
47歳のとき、独裁者をテーマに据えた『族長の秋』を発表。
54歳のとき、マルケスはノーベル文学賞を受賞した。
晩年は認知症となり、肺感染症のため、2014年4月、メキシコシティの自宅で没した。87歳だった。

マルケスの『百年の孤独』にはこんな描写が出てくる。死んだ登場人物の流した血が野を越え山を越え、延々と流れ流れていって、肉親の家に届き、その死を伝える。これなどは、泉鏡花が描く江戸の振袖火事の描写に通じる。

マルケスの「魔術的リアリズム」についてずっと昔、米国の雑誌のインタビューで、たしかマルケスはこういう意味のことを語っていた。
「中南米の国で、かつて国内に疫病が流行ったことがあった。そのとき独裁者は言った。『わたしはその原因を知っている。国内の街灯に赤いカバーが付いていないせいだ』。全国の街灯にいっせいに赤いおおいがつけられた。そんなことがしょっちゅうなんだ。それが南米の現実なんだ(自分のは、魔術的じゃなくて、中南米のリアルそのものなんだ)」
昨今の日本の政治状況を思わせ、とても笑えない、異常な現実である。
(2022年3月6日)



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