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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

4月21日・マックス・ウェーバーの倫理

2018-04-21 | 思想
4月21日は、『ジェーン・エア』を書いたシャーロット・ブロンテが生まれた日(1816年)だが、社会学者、マックス・ウェーバーの誕生日でもある。

マックス・ウェーバーこと、カール・エミール・マクスィミリアン・ヴェーバー は、1864年、プロイセン王国のエルフルト(現在のドイツ中央部にある)で生まれた。父親は政治家で、母親は哲学者で婦人運動家でもあった。マックスは長男だった。
12歳のころからマキャベリ、スピノザ、カントを読み、15歳のころには民族史の論文を書いていたマックスは、18歳でハイデルベルク大学に入学し、法律学を修めた。
19歳で軍務についた後、ベルリン大学、ゲッティンゲン大学で学んだ。
28歳のとき、ベルリン大学の講師となり、法律学の講義を担当した。
31歳でフライブルク大学の教授に就任。33歳でハイデルベルク大学の教授に就任したが、39歳のとき、神経症のため退職、名誉教授となった。以後しばらく教職を離れ、学術雑誌を編集し、論文を書いた。
41歳のとき、代表作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を発表。同年に第一次ロシア革命が起きると、ウェーバーはただちにロシア語を勉強し『ロシアにおける市民的民主主義の状態』を書いた。
50歳のとき、第一次世界大戦が勃発。ウェーバーは野戦病院で働いた。敗戦の色が濃くなった53歳のとき、ミュンヘンの学生に向かって、学問への甘い幻想を叩き斬る講演をぶち、これが本にまとめられ『職業としての学問』となった。
第一次大戦後は、ウィーン大学、ミュンヘン大学などの教壇に立ったが、1920年6月、ミュンヘンで、当時世界的に流行したインフルエンザ(スペインかぜ)のため、肺炎を起こし、没した。56歳だった。

彼の大著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、もともと禁欲主義で清貧をモットーとするプロテスタント(清教徒)が、なぜヨーロッパやアメリカで成功して大金持ちになれるのかという、自分の長年の疑問に真正面から取り組んだ労作で、とても興味深い作品だった。これを読んで、カーネギーやロックフェラー、ビル・ゲイツら成功者がなぜ慈善事業に走るのかがあらためて腑に落ちたし、また、ウェーバーの言う「天職義務」の語にも強く感じた。日本人について、あらためて考えさせられた。
「ピュウリタンは天職職人たらんと欲した──われわれは天職人たらざるをえない。というのは、禁欲は修道士の小部屋から職業生活のただ中に移されて、世俗内的道徳を支配しはじめるとともに、こんどは、非有機的・機械的生産の技術的・経済的条件に結びつけられた近代的経済秩序の、あの強力な秩序界を作り上げるのに手を貸すことになったからだ。(中略)今日では、禁欲の精神は──最終的にか否か、誰が知ろう──この鉄の檻から抜け出してしまった。ともかく勝利をとげた資本主義は、機械の基礎の上に立って以来、この支柱をもう必要としない。」(大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫)

資本主義はさらに進み、倫理は過去のものとなり、もはや人間の手にはおえない、システムが自動運動で世界を動かす高度産業社会に突入した。
(2018年4月21日)



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